恋愛と男性心理

浮気する男性・一途な男性の心理的な違いについて

浮気する男性・一途な男性の違いと心理的特徴とは

「私、もう浮気する男性とはお付き合いしたくないんです。ちゃんと向き合ってくれる男性を好きになりたい。だから浮気しない男性の見分け方が知りたいんです」

「もともとW不倫だから因果応報なのかもしれませんけれど、彼に浮気されてとっても辛いです。」

「夫に冷たくしていたら浮気されました。どこかそうなるかも、と分かっていたことではありますけど、実際に浮気されると辛くて・・・。」

「もともと浮気症?と彼のことを疑っていたんですけど、やっぱりそうでした。私も彼にとっての数多くの女性の一人になっちゃったみたいです。」

「浅野さんは否定的な意見をお持ちかもしれないですけど、私、パートナーを裏切って浮気したんです。今はとても後悔しています。でも私が浮気をした理由は相手の浮気だったんです。」

カウンセリングの現場におりますと「浮気」にまつわるご相談をたくさんいただきます。

もちろん僕は浮気がいい悪いという判断は横においてお話を伺っております。カウンセリングとはそういう場でもありますし、浮気だからといってNGを突きつけることもないですし、浮気を肯定的に見つめているわけでもありません。

一つの「そういった現実が起きる心理的事情がある状態」として見つめています。

ただ、浮気をされた側としては、まぁ辛いお気持ちになられることが多いですよね、と僕は思います。

どこか分かっていたこととはいえ、自分が選んだ人が他の人を選ぶ姿た、フラフラ他の女性を追いかけている姿を見て、つい「自分は男を見る目がないのかも」と考えてしまうこともあるかもしれませんね。

だから「もう浮気しない人を選びたい」というお気持ちも分かりますし、もう恋愛や結婚で失望したくないし、ちゃんと向き合いたいから「浮気しない男性を見極める方法が知りたい」というリクエストをいただくこともあるわけです。

そこで今日は浮気をする人、一途な人の心理的な違いについて少しまとめてみます。

よろしければどうぞ。

浮気する人・一途な人の心理的な違いについて

浮気をする人としない人の違いの一つは、自分の中の規範に基づいて行動できるかどうか、です。

自分の行動に対して「いいことはいい」「悪いことはやらない」と考えられるか、それとも「いいことはいい」「悪いことはバレなきゃ大丈夫でしょ」と考えているかの違いです。

難しい話をすれば「自我意識の成長度合の違い」となります。自分が社会や人と分離した状態、つまり自分の中の「こうありたい自分」と「社会の中で生きる自分」がどこか不一致を起こしたままで統合されていない状態ともいえますね。

普段はルールに従って普通の人をやっているからこそ、その内面では「頭ではダメだと分かっているけれど、そうしてみたい」と感じている状態といいましょうか。

いいか悪いかは別にして、どこか自分勝手に振る舞いたい欲求がなかなか消えず、その気持ちがどうにも抑えきれないタイプの人、といえます。

普段から人に合わせすぎていたり、人にどう見られるかばかり気にして合わせていると、その反動といいますか、普段は禁止している気持ちを、いわば「タブーやルールを破る」というカタチで表現したくなってしまうことがある、と考えられるんです。

このタイプの人は、自分の意志で社会や人と心から調和して生きているというより、社会や周囲に要請された自分でいるという、若干受け身な感覚が抜けない傾向も持ち合わせています。

いわば、自分の軸があるようでない、周囲の顔色に合わせて生きている状態です。

それは子供時代、家庭(親)や学校生活の中で、親、先輩、先生などが求めるような自分でいればいい、うまくやっていける、と考えているようなイメージですよ。

それが大人になっても続いているような状態ですね。

だから、実際には好き勝手生きたいとは思えど、自分の望んだ人生を生きているわけではないわけです。それはいわゆる悩みのタネやストレスの原因となりますよ。

それが善意にしろ、そうではないにしろ、周囲に合わせている意識が消えない以上、自分の責任で決断し、自分の望む生き方を選ぶことが困難になるということですよね。

その結果、いわゆる欲求不満のような状態になり、時々自分の内面に湧き上がる「好きにしたい」「自由に振る舞いたい」という欲求に流されて、まぁ「バレなきゃいいだろう」と考え、浮気に走ってしまうケースもあるわけなんです。

とはいえ、浮気をするタイプの人がいつも欲求に流されるわけではありません。我慢もしますし、理性的に耐えることもできますから、だから浮気ばかりする、というわけではないんです。

が、例えば、うまくいかない現実を前にすると、満たされない気持ちや強いストレスを感じますよね。すると悶々とくすぶった「自分の好き勝手したい」という気持ちがさらに湧き上がってくるのです。

その結果、バレなきゃいいと考えて浮気することがあるわけですけど、実際このタイプの方からの話を伺うと、ご本人もなかなか自分の気持ちの扱い方に手を焼いていることもあるのです。

一方、一途な人とは、自分の規範に沿って生きることができる人といえます。

自分の意志で「こう生きる」と決めていますし、生き方自体に「自分が決めたもの」という認識が持てるわけです。

もちろんその「自分で決めた生き方」を推し進めるために、社会人という仮面をかぶることもあるのですけれど、そうであっても社会性を持って生きることができるわけです。

いわば自分の信念がしっかりと存在するのです。

つまり、一途な人は「浮気はパートナーへの裏切り」という認識がありますから、自分の意志として浮気という選択肢は取りません。

「ダメなことはダメ」と認識していますし、「それが本当にしたいことではない」「人を傷つけるようなことを自分が望んでいない」と考えますから、浮気したい気持ちになっても、それを実行に移すことは少ないようです。

ここでのポイントは、一途に見える人でも「浮気したい」という欲求ぐらいは感じるだろう、ということ。

ただ、それを行動として表現するか、そうでないか、の違いです。

そもそも一途な人にとって、浮気をするということが「自分の価値を下げること」と認識されていると仮定するならば、そこで自分の価値を下げるような行動にはでない、とも言えます。

 

一途な人にも弱点がある

ただ、一途な人にも弱点がありまして、「自分の信念」とは違う要素に触れると、そこを徹底的に攻撃し闘う姿勢を見せることがあるのです。

自分と価値観の合うものは受け入れますが、価値観が異なる物事、人などと出会うと、あれはおかしい、変だ、間違っている、納得いかない、と急にファイティングポーズを取る人もいます。

いわば自分勝手な人が許せないし、自分と違う考え方の人に批判的な言動を取る、といった感じですね。

これがいわゆる恋愛でのすれ違い、夫婦ゲンカの理由となることもあって、共に過ごす中でパートナーとの考え方の違いが生じてくると、パートナーへの愛情はあるし、浮気するつもりも毛頭ないのですが、攻撃的な態度を取るようになり、まぁまぁ激しいバトルが繰り広げられるのです。

その結果、お互いが分かりあえず燃え尽きたような夫婦関係になることもあれば、「もう別れよう」といい始める人もいます。

なんでこんなことになってしまったのだろう、そんな後悔とともに。

 

また、仕事などで激しいストレスに晒されると、自分を保つことが難しくなることがあります。いわゆる「疲れ果てている」「弱ってしまっている」といった状態です。

こうなると、ダメなことはダメとわかっていても、つい自分の信念を貫くことが難しくなる場合もあります。

普段抑えている、頼りたい、甘えたいといった依存心や、人に役に立ちたい、誰かに喜ばれる存在でありたいといった気持ちが湧き出して、つい自分を受け入れてくれる、必要としてくれるような人と関係を持ってしまう場合もあるのです。

その内面では「もうしんどい」「楽になりたい」「努力してきたけれど自分の価値がいまいちわからない」といった風に感じている場合が少なくないようです。

だから、一時的な心理的解放感を得たくなり、本当は望まないけれど浮気をしてしまう、なんて事が起きることもあります。

この場合の浮気は、いわば「事故」のようなもので、浮気したご本人が強い自責の念に苛まれている場合が多いんです。

そう考えると、本来は自分の信念に従って生きておられる人が浮気した場合、これは「苦しい」だとか、「本当にもう愛せない」というサインであることが少なくないんです。

ご本人も相当に葛藤し、苦しんでいることが多いですよね。

また、おそらく一途な人が浮気をするとものすごい罪悪感に苛まれることが多いでしょう。これは浮気だけではなく、離婚においても同じようなことが言えますよ。

 

「さらに一途な人」もいるのです

ただ、世の中には「さらに一途な人」もいるんですよね。

「さらに一途な人」とは、一途な人の要素に加えて、「自分と相手の違いを寛容に受け入れることができる状態にある人」です。

心理的には「こうありたい自分」と「社会の中で生きる自分」が統合されているような状態、といえます。

自分の意志で自分の人生を決め、日常を生きることも自分で選んでいるわけです。

かつ、自分と人とは違う、人は自分と同じことができるわけでもないし、自分も人と同じことができるわけではない、とちゃんと認識できているのです。

だから、パートナーも自分の意志で選び、浮気もしなければ、パートナーとの考え方の違いも受け入れているので、闇雲にパートナーを批判しません。

万が一、パートナーが「一途な人」で、二人の違いを取り上げて批判してきたとしても、それを冷静に受け止め、相手を責めたり自分を責めることもありません。

まぁなんとも寛容で、かつ自分の軸をしっかり持った人なんですよね。このタイプの人はいい意味での「自己実現」ができているので、かなり豊かな生活を送っている可能性が高いです。

だから、もしこの「さらに一途な人」がパートナーになるとしたら、とても幸せな関係が作れるでしょう。

また、この「さらに一途な人」には、どんどん周囲から人が寄ってきますから、まぁモテるでしょうね。

ただ、あえて弱点を書くとしたら、どこか周囲から「孤高の人」と思われやすいことでしょうか。素敵な人だからこそ、逆に誰にも声をかけられないし、自分では無理かもなーと周囲に感じさせやすい、とも言えますね。

あと、人に気を使いすぎてしまう人の場合、なにか言われても反応しないので、パートナーが寂しい、私のことなんて見ていない、と感じてトラブルになるケースもあるようですよ。

もちろん人には好みがあり、どのような人を好きになるかには個人差がありますよね。ただ、あなたの周囲に「さらに一途な人」がいたとしたら、ぶっちゃけ選ばない手はないかもですね。

 

そう考えると、自分自身が「さらに一途な人」になっていれば、自然と選ばれる人になるということでもありますよね。

自分自身の心を癒やし、その成長について見つめていくことで、より幸せな未来、パートナーシップを得られる、というわけですね。

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