愛情と執着の違いって何?
「愛情と執着の違い」についてのご質問をいただきました。
今、連絡が取れない彼がいます。
今まではなんとか彼ともう一度昔のような関係を、と考えていたんですが
もう自分でも彼のことが好きなのかどうかわからなくなってきています。
時々、寂しいから彼に会いたいのかな、と思うこともあるんです。
でも、彼のことが気になっているのは間違いないし、また会いたい、昔のように仲良くしたいとも思います。
今は彼の連絡がなさすぎて、どちらが本当の気持ちなのかわからなくなってきました。
心理学の記事を読むと、「執着」という言葉について書かれていて
読めば読むほど、私は彼に執着しているのかな、とも思います。
でもやっぱり好き、とも思います。
私自身の気持ちを浅野さんに質問するのはおかしいとは思うんですけど、私って今、どういう状態なのでしょうか。
もし執着しているなら、やはり彼を手放したほうがいいのでしょうか。
ということで、今日は改めて「執着」と「好き(愛情)」の違いについてお伝えしたいと思います。
Index
愛情と執着の違いとは
愛情とは「深く愛し、いつくしむ心」のことを指します。
「相手を思い、与えること」と言い換えることもできますね。
つまり、愛情とは「相手のために向けられる気持ち」なのです。
一方、執着とは「何かにしがみついている状態」という意味です。
自分自身の感情、過去の記憶・経験、実際の物事などにしがみついている状態です。
よって、執着とは「自分自身に向けられた気持ち」なのです。
では、もう少し詳しく執着と愛情について見ていきましょう。
「愛情」とは
愛情とは「深く愛し、いつくしむ心」のことを指します。
愛するということは「相手を思い、与えること」なのです。
愛情を抱く、とは、相手のことを思う気持ちを抱いている状態。
恋愛においては「特定の相手を恋い慕う心」という意味になりますね。
「執着」とは
そもそも執着とは「何かにしがみついている」という意味であり
「自分自身が何かにとらわれている状態」を示しています。
例えば
- 自分を信頼できずにいたり、相手のことも信頼できない(うまく愛せない)
- 自分のために何かを失いたくないと思っているため、コントロールが強まったり(自分ではなく相手や状況を変えようとする)、相手の気持ちを考えられなくなる。
- 物事に対して柔軟な視点を持つことが難しくなる
- 自由を感じられない(だから相手の自由も許せなくなる)
- 執着している対象が自分から離れること(失われること)に対して強い恐れを感じる
このような状態になることが多いんですね。
執着と愛情の違いは感情面にあらわれる
さて、執着と愛情の違いについて「明確な違い」があるとしたら、
それは「自分自身の感情のあり方」で、それは全く異なる状態となるのです。
ではまず「執着している時の私たちの感情、心の状態」についての特徴をお伝えします。
執着しているときは不自由で幸せを感じられない
執着しているときは、自分自身が不自由な感じがして、なかなか幸せを感じられない、という点でしょう。
一生懸命幸せを感じようとしても、不安や不自由さ、沈んだ気分に支配されます。
また、執着は愛ではないので、執着している自分をなかなか好きになれません。
どこか執着の対象に過剰な意識を注いでいることが多いので、いつしか自分らしさを見失うことも多いものなんです。
また、執着は「自分のためになされるもの」ですが、結果的に「自分のためにならない」という意味でつらいものなのです。
例えば、
連絡がない彼に執着していて「なんで連絡してこないのよ」と強い不満を感じるなら。
その執着は明らかに「彼のため」ではないですよね。
だから、「相手は私を見てくれてるの?」という不満や不安は消えない。
たとえ彼から連絡が来たとしても「また次ちゃんと連絡くれるかな」と不安になったり、相手を疑ってしまうことになるんですよね。
つまり、執着は自分のためのようで、自分のためにならない、という意味でしんどいわけですね。
愛情を感じていると自由な感覚を感じ、幸せを実感できます
一方「愛する」という状態にあるばら、愛する対象へのしがみつきがありません。
だから、愛する状態にある人は、幸せを実感できますし、心は自由な感覚を感じ続けていけるのですね。
だから、自分の選択も、相手の選択もコントロールしません。
まぁ人事を尽くして天命を待つ、じゃないですけど、そんな感じになります。
今の自分ができるベストを選ぶので、無理もしないし、手も抜かない状態になっているともいえますね。
逆に失敗しても、そこまで自分を責めません。
ダメだったな・・・と思うし、辛い気持ちにもなりますが、海の底まで沈むことは稀です。
また、執着していない人は謝れます。
しっかり自分の非を認めてゴメンね、といえるんですよ。
もちろん過剰に謝ることもありません。
自分のことも「素敵だね」「素晴らしいね」と感じやすいですし。
「自分以外の人も、私と同じように感じてくれる人はいる」と信じることもできます。
つまり、愛することを選んでいる人は、一つの出来事、人、パートナー、などにしがみつかず、その時々の自分にとっての「ベスト」を選んでいけるんです。
愛情と執着の線引もまた難しいもの
ただ、「相手を思う気持ち」が、執着なのか、それとも愛情なのか。
その明確な線引って、まぁまぁ難しいものだと僕は思います。
実際、カウンセリングの現場にいて、わかんないよなーと思うこともしばしばあります。
確かに「本当に心から相手のことを受け容れていて愛している」という人もいます。
しかし、「愛してる」という言葉を使って「相手の気持ちを欲している人」もいます。
また、「彼に好意を抱き、離れたくないと執着心を感じる状態のことを『私は彼を愛している』と認識している」といった独自解釈の場合もあって、なんともそのあたり難しいものです。
だから、正確なことはそのご本人にしか分からないといえば、そうなのだろうと僕は思っています。
「愛情と執着の違い」をさらにわかりにくくする2つの言葉
さて、この「愛情と執着の違い」を、さらにわかりにくく、曖昧にしてしまう2つの言葉が存在します。
それが「好き」という言葉と、「愛着」という言葉なのです。
例えば
- 好きだから執着する
- 好きじゃなければ執着しない
- 愛着があるから大切にする
- 愛着があるものに執着する?
こう考え始めると、それって愛なのか、執着なのか、大混乱してしまいませんか?
そこで、「好き」と「愛着」に関する考察も少し書いておきたいと思います。
好きという言葉の意味
「好き」という言葉の意味は「心がひかれること」「気に入ること」です。
とても主観的な意味を持つ言葉ですね。
だから、そもそも「私は〇〇が好き」という言葉があったとしても
その「好き」という言葉の意味は人それぞれで違うということになるだろうと僕は考えています。
「彼は私にとって理想の人、だから大好き」
「私は彼のことを本当に愛おしいと思っている、だから好き」
「彼は私のことを本当に大切にしてくれた、だから好き」
「彼がいないと私はだめになっちゃうぐらい好き」
これらの言葉は、あえて意識しなければ
「彼のことが好きなのね」
という解釈になるんですけど、実際は意味が全く違うわけですよね。
・彼が私にとっての理想→それは自分の気持ちのこと
・彼のことを愛おしいと思う→愛情を与えたいと思っている
・私のことを彼が大切にしてくれた→彼の愛情に感謝していて、お返ししようとしている
・彼がいないとだめになる→彼の価値=私の価値
どちらも僕たちが好きな人を前にして、自然と感じる気持ちなので、いいも悪いもないのですが、「何を見て、何を感じて好きという言葉を使っているか」は違うものですよ。
愛着という言葉の意味
恋愛心理における「愛着」という言葉は、「特定の他者とくっつくこと」という意味になります。
「愛情」という意味ではないのです。
とかく恋愛心理などは
「パートナーといつでもくっつける関係」にあるから、パートナーを尊重できたり、自分自身がパートナーのために与え尽くすこともできる
なんて意味合いになるのです。
誤解を恐れず書くとしたら、親密な関係にあるパートナーと「いつでもくっつけること」が、信頼のような作用をもたらす、といいましょうか。
逆に言えば、自分が寂しいからくっつきたいと思うなら、それはただの依存・ニーズなんですね。
また、「別れた彼との愛着が忘れられない」としたら、これは「過去の愛着に対する執着だ」とも言えるのです。
自分の気持ちの見つめ方について
ここまでの話を参考にしていただきながら、じっくり自分自身の気持ちを
「愛情なのか、それとも執着なのか」
と見つめなおしてみると、いろいろ分かることがあるかもしれません。
ちなみに・・・
最後にこんなことを書くのは「鬼か?」と思われそうなんですけど、あえて書き記したいことがあります。
それが「執着自体に気づかない」という心理状態についてなのです。
執着自体に気づかないことがある
僕たちはなにかに執着しているときほど、その執着心には気づきにくいものです。
むしろ、執着していないことを肯定しながら、執着心を肯定する材料を持っていることが多いんです。
そもそも執着とは「自分にはない・手に入らない」と思うものに向けられます。
だから、自分が執着していることより、今感じる必死さ、懸命さ、深刻さのほうがクローズアップされることが多いもの。
その感覚が執着心を肯定的なものと認識する理由になっていくことが多いんですね。
例えば、「私は必死で彼のためを思って・・・」
とか
「この子のことを考えて愛してきたのに」
とか
「俺がどれだけ苦労して頑張ってきたと思ってるんだ」
とか、そんな気持ちが、自分の気持ちの正当性にすり変わるような感じです。
だから、自分自身の気持ちも見失い混乱しやすく、自分で自分の気持ちがよくわからなくなります。
執着心に気づくヒント
このような執着に気づくヒントとしては
「絶対に」「〇〇なのに」「これが正しい、あれが間違ってる」
このような断定的な表現ですね。
現実がうまくいかず悩んでいるとき、このように強く思うなら、執着を疑ってみてもいいかもしれません。
執着していないと、自分自身と相手の価値も、そしてお互いの自由さをも認めているので
「相手がそう思うのはそれなりの事情があるんだと思うんですけどね、でもなぁ私の気持ちも気づいてほしいよねって思うんです」
みたいな感じになり
「絶対に相手が間違ってる!」のようにはならないものですよ。
この気付きがとても大切なんです。
「あ、もしかして」と理解することで、執着を手放すことができるようになります。
だから、執着すること自体をかっこ悪いとか、恥として扱わず
「誰だって執着するよね」
と認めながら、自分の気持ちに素直になってみることが、執着に気づくポイントです。
「ありゃー、どうやら執着してたみたいね、あーそうだったんだ。で、私は本当に何がしたいんだろ?」という感じですね。
だから僕も執着については
「しゃーないよね、にんげんだもの♡」
といつも思っているのです。
ただし、執着は手放したほうが自分が楽になりますし、いろいろうまくいきまっせ〜とお伝えしているだけなのです。
こちらもどうぞ!
○実際に執着を手放す事に関する心理解説は次のページにまとめていますので、よろしければ参考にしてみてくださいね。
○2021年1月27日にリクルート社「セキララ・ゼクシィ」様から取材のご依頼をお受けして、私が監修しました「執着心」についての記事がアップされています。
こちらも参考にしていただけますと幸いです。
執着心とは?執着が強い人の特徴と手放す方法を解説!診断表も(セキララ・ゼクシィ)
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。