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心における「許しの効果」について解説する
私達カウンセラーは「許し」という言葉をよく使います。
「許せない誰かを許しましょう」とか「もっと自分を許してみてもいいのではないでしょうか」などなど、さまざまなシーンでこの許しという言葉が登場します。
「許し」は強力な癒しのメソッドなので、実際に許しにそったご提案をさせていただくことも多いです。
ただ、この許し、言葉だけ聞くとそのニュアンスが掴みにくい部分があるようなのです。
そこで今日は許しについての解説をまとめておきたいと思います。
「許し」について
そもそも私達がいう「許し」という言葉は2つの意味で使われます。
何かを許すという意味
まず、「何かを許す」という意味で使われることが多いです。
つまり、自分が許せない何かを許す、という意味です。
ただ、これは道徳的な観点のみで語られるものではない、と覚えておいてほしいのです。
「情けは人のためならず」という言葉があるように
そもそも許しとはあなた自身を心の捉われから解放し、幸せにするための手法なんです。
禁止を解くという意味
また、「禁止を解く(それを許可する)」という意味で使うこともあります。
「自分が幸せになることを許可する」
「自分が手にしてこなかった価値観を自分に許す」
という意味合いで使うのです。
では、もう少し詳しく許しについて見ていきたいと思います。
「許せない誰かを許す」という許し
一つは「誰かを許す」という許し。
あなたが誰かを許せないでいると、そのことがあなたの人生の制限になることがあるんですよね。
そもそも「許せない人」と同じようになりたいとは思いませんよね?
ただ、もし許せない人がいるとしたら、その人が持つもの(要素)も「許せなくなる」とご理解いただけるでしょうか。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないですが
「あの人が許せない!」と思っていると、その人の態度、考え、知恵、立場、社会的地位、なども許せなくなってしまうんです。
その許せないという気持ちが、今度自分が同じ立場に立ったとき、跳ね返ってくることで問題が生じることもありますし。
許せないと思うことで、怖れや不安を感じ、幸せを遠ざけてしまうことも少なくないのです。
この許せない人の数が多いだけ、次のようなことが起こります。
具体例1:「上司が許せない」
もしあなたが「許せない!」と思う人と同じ立場になったと想像してみてください。
例えば、あなたが「上司を許せない」と思っていたとして、あなたが誰かの上司になったとしましょう。
すると、どうでしょう。
部下は話を聞かないだろう、とか、うかうかしていると部下から突き上げられると思いやすくならないでしょうか。
このようなことは、実際にその立場に立ってみないとわからないことでもあります。
が、どこかで漠然と「上司になんてなりたくない」「出世したくない」と感じる場合、もしかすると「上司などの権威に対する葛藤(許せない気持ち)」があるのかもしれません。
具体例2:「母が許せない」
例えば、母が許せない、という思いがあるとしましょう。
もちろん母が許せないと思う事情はきっとあるのだと思います。いいか悪いか別にして一つの気持ちとして大切にされるべきことなのでしょうね。
ただ、母が許せない度合いだけ、「母」という存在に対してに文句を持つことになります。
これがいい方向に転がれば
「自分が母親になるならば、子供に寛容であろう、子供の意志を尊重しよう」
という気持ちになることもあるでしょう。
が、この「母を許せない思い」は多く、「自分が母になったら大変な目に合う」「母になったらみんなから責められる」といった
「自分が母を許さないことで生じた投影」として跳ね返ってくることになるんですね。
だから、例えば
「自分が母になる(結婚する・子供を持つ)ことが怖い」
「自分が母になったとき、今度は自分が(夫や子供から)責められるのではないか」
と感じることも起こります。
また、母になるために必要なプロセス(恋愛・結婚)を受け入れることへの心理的抵抗感を作る理由になる場合があるんです。
その結果、今の恋愛がうまくいかなかったり、パートナーと親密感を感じられなかったり、やたら自立的な態度(一人だけで生きること)が強まってしまうこともあります。
許しは幸せの可能性を広げるもの
一つの傾向として
「自分自身にとって親密感にまつわる要素(母、父、家族など)を許せないでいると、恋愛や夫婦関係の中など親密感を感じる状況で、問題やうまくいかないことが登場する子とが多くなる」
と言われています。
だから、自分のために、私の幸せのために
許せない人、わだかまりを持っている人を許すができると
あなたの心の制限が取れて、望んだ人生を生きやすくなる、ということなんですね。
「自分に許していないものを許す」という許し
私達の学ぶ心理学での「許し」という言葉の意味には「自分の中の禁止を解く」という意味合いがあります。
これは反社会的なこと、不道徳なことを容認すること、といった意味ではありません。
例えば「自分の課したルールを手放す」「自分に禁止してきたことを自分に許す」「今まで自分に禁止してきた感情を感じることを許す」といった意味なんですね。
※「禁止を解くこと」については、以下の記事が参考になると思いますので、よろしければ合わせてご覧になってください。
禁止を解く具体例
例えば、今まで恥ずかしがりでなかなか人に好き、といえなかったとしたら、それを自分に許すとか。
いい人、いい子をやってきた人にとっては、自分らしく振る舞うこと、好きなことに触れることなどを自分に許す。
今まで身につけたことがなかったフェミニンな衣装を自分に許可する、といった感じです。
特に、自分自身が自分に課しているルール、決め事、固定観念などは、自分の縛りになることがあるので、その禁止を解いてみましょう、といった意味での許しなんです。
もちろん禁止やルールを持っていることが悪いわけじゃないのですよ。
しかし、それを手放すこと、すなわち、いろいろなものに理解や興味を示し、寛容さを持つことは、あなたの心の余裕や自由にもつながる、というわけです。
だから、例えば「あなたがストレスを溜め込むことが多い」としたら、ちょっと考えてみてほしいんです。
私を縛っているルールはなんだろうか?と。
私は自分に何を許していないのだろうか、と。
つまり、自分に許可してこなかった何かを許すことで幸せの可能性が広がり、成功や飛躍につながるという考え方ですね。
許しは主体的なもの。許される・許さなければならないではない。
さて、よく「許し」に関して、このようなご質問をいただくことがあります。
「私は人と比べて魅力がないような気がしています。だからなかなか自分を許すことができずにいるんです。」
「私は人から許してもらえないと思うと辛くなってしまいます。」
前者は自分で自分を許そうとしていない、後者は誰かに許されようとしている、といったケースですね。
もちろんそう思うお気持ちもわからなくないですし、僕も否定的に見ているわけではありません。
ただ、許しとは主体的になされるもの。
かつ、自分が許しという観点で自分や人、社会とどう関わるのか、といった話なのです。
許されたいは許しではないのです
例えば、「相手は許してくれたら私は楽になる」というお話を伺うことは少なくないんですよね。
「彼が(夫が、彼女が、妻が、親が)私のことをなかなか許してくれません」
たしかにそこにある苦しいお気持ちは理解できるのです、僕なりに。
辛いし、不安だし、どうしたらいいかわからないと感じてしまいますよね。
ただ、このように感じるとき
自分自身が「許されない存在」と認識されているだけでなく
自分の関わる人・周囲の人たちが「私を許さない人」になっていることにお気づきでしょうか。
「私は許されない」と感じているとき、自分自身を罰しているだけではなく、自分自身が周囲の誰かを「私を許さない人」に仕立て上げているわけです。
これは例えば「関係改善・修復」や「幸せな関係」とは真逆の状態だと言えますね。
つまり
「相手が許してくれたならそれで問題は終わる」とお考えならば
それは許しではなく「あなたが相手に許された」ということだけなのかもしれません。
許しとはそういうものではないんです。
繰り返しになりますが、自分が許しという観点で自分、人、社会とどう関わるのかがポイントです。
許しとは「主体的になされるもの」
もし、あなたが許せない人を許すなら、遺恨を残さないだけでなく、本当に相手を理解して受け容れることになります。
そもそも人を許さずに罰するということは自分を許さないことになるわけですが、ここで許しを進めるならば、どんな事情があれ「相手を加害者に仕立て上げるなんてことはしない」ということになります。
もちろん自分を罰して間接的に誰かを加害者にするようなことも手放すことになります。
自分に禁止したものを許すなら、その価値を味わったり、楽しむ、喜ぶことが重要になります。
このような許しを進めることで、僕たちの中にある見えない・気づかない罪悪感の影響から解放されていくというわけです。
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