■先日、妹の子供が生まれて以来、赤ちゃん中心の生活が続いている、わが実家。
うちの父のオジジぶりは、さらに拍車がかかり・・・孫への溺愛っぷりは、まぁ半端なく。
いつの間にか家族に、「おじいちゃん」と自然に呼ばれる始末・。先月までは「お父さん」だったのですが・・・。
しかも、そう呼ばれることにマンザラでもない様子な、そんな父のハニカミ顔が、息子としては微笑ましいのですけどね。
そんな中、うっかり、「父はもしかしてハニカミ王子ならぬ、ハニカミおじじ?」と、ありえない空想をしてしまう自分を、毎日必死で修正している、そんな浅野です。
こんにちは。
今日は、そんな中でふっと思い出した、父にまつわる話を書きたいと思います。
■うちの父親は、ここ10年で2度の大病を患いました。
一度は、本当に危険なときもあり。もちろん手術も受けておりました。
しかし、それでも生還してきた父の強さには、息子として感銘を受ける部分もありますが、今の父を見ていると、単純に「この人はしぶといなぁ・・・」と思うだけでもあり。
なんか微妙な気分になるんですけど。ま、それも父が今元気でいてくれるからこそ思える、ひとつの幸せなのでしょうね。
で、そんな父の体には、大きな手術痕があるんです。メスを入れた跡、ですね。誰が見ても分かるような大きな傷跡が。
■そんなある時。
うちの父が近所のあぜ道(うちは田舎なんです)を散歩していると。偶然通りがかったであろう、ご近所のおじさんと会い、しばし談笑していたんですね。
僕は偶然、その姿を、遠目で見ていたのですが・・・。
・・・あろうことか、うちの父。
そのおじさんの前で・・・自分のTシャツを捲り上げ、おじさんに自分の体を見せているのです!!!
遠目で見ている僕は、一瞬目を疑いました・・・。まさか、うちの父にそんなことが・・・。
(当時の僕が何を考えたのかは、ご想像にお任せしますが・・・。)
そして次の瞬間・・・。
相手のおじさんも、おもむろに上半身をさらけ出し・・・自分の体を晒しているのです!!!
・・・。
「そんな・・・そんなロマンスの目覚めってあるのかい!?」
■・・・もとい。
しばらくして、父が家に帰ってきました。
しかも、父の表情は曇りがちで、どこか冴えません。
そして父が、おもむろに言うのです。
「負けたわ・・・。」
「なななななな!何が負けたんだー!」
■はい・・・。
僕たちは、どこかで自分の痛み自慢をしがたる傾向があるようで。
大きな痛みや困難を乗り越えてきただけ、僕たちは自信をつけますが。
同時に、そんな自分を自慢したい、誰かに見て欲しいと思う気持ちがあるようなんですね。
つまり父は、自分がいかに大変だったか?そして大きな手術を乗り越えたか?を、そのおじさんに自慢するために、上半身の傷を見せていたんです。
父にとって、自分の手術痕は、「勇者の傷跡」のようなものだったのです。
どこかで、自分の強さを誇示したいという気持ちもあったのでしょうね。
しかし、そのおじさんもツワモノでして。
「ん?浅野さん、そんな傷かいな?ワシなんて・・・ほれ!」
なんとそのおじさん、うちの父の数倍大きな手術痕を持っていたのです!!!
父、完敗・・・。
いや、戦う相手が悪かったのか・・・。
いや、何故そこで争うねん・・・というツッコミをうっかり忘れていましたが・・・。
ここで父が、悔しいからもっと大きな手術する!と言っていたら、どれだけ負けず嫌いやねん!という話にもなるのですが・・・。
ちなみに・・・心理学ではこれを「力の証明」と呼んだりします。
ま、痛み自慢も、計画的に・・・ということでしょうか?
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