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大野と浅野の【コラボブログ】まだまだ続きます!
今日のコラムは9月4日(土)開催の【大野愛子X浅野寿和コラボセミナー】にちなんだ企画。
※セミナーの詳細はこちらからどうぞ。
https://www.asanohisao.jp/archives/ohno_asano_seminar_0904.html
早速、大野愛子カウンセラーと浅野が一つのコラムをリレーして書く、名付けて『コラボブログ』を再スタートさせようと思います。
9月4日のセミナー当日までの間、下記のルールで二人が交互にブログを書き倒しますので、どうぞお楽しみに〜!
コラボブログ・ルール説明
『コラボブログ企画』そのルールをご説明します。
多くのリレー形式のコラムは1つのお題に対してそれぞれが回答する形なのですが、今回の『コラボブログ』では、各々が勝手に書いたコラムの「続きを書いていく!」が鉄の掟。
・相手の書いた提案・分析を受けて更に膨らませていくべし!
・相手の記事が掲載されたら、即執筆に入るべし!
・お互いに何を考えて書いたのか想像しながら書くべし!
・予定調和禁止。自分の意見と異なったら容赦なく自分の意見を書くべし!
・コラムの内容に関して、事前打ち合わせ、電話やLineでの連絡などのヤラセ厳禁!
・相手がありえないフリを投げてきても、自己責任原則で受容すべし!(文句厳禁!)
・とにかく出たとこ勝負で書くべし!
二人が何を書くかなど知る由もなく、どんな流れになるかもさっぱりわからない。相手がいつブログをアップするかも分からない。一度書き始めたらセミナーが始まるまで書き続けるという企画でございます。
また、ブログをご覧の皆様は、どうぞ僕のブログと大野愛子カウンセラーのブログを行き来しながらご覧いただけますと幸いです。
では、何事もなかったかのように今回もコラボブログ企画、スタートさせます。
よろしければお付き合いください。
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※大野カウンセラーの記事はこちら
【コラボブログ】また会いたいと思わせる人の反応力とは?
ううーん、なんとも返しにくい記事を書きますね、愛子さん(^^;
そーいうのアカンです、ホンマ。
ブログ記事としてどう反応したらいいのかがさっぱり分かりませんが、とりあえず「あざーすっ!」と受け取らせていただきまする。
が、当の本人は反応力が高いとはさっぱり思っておらず、むしろ鈍感ぐらい思っているんですけどねー。
理解力、共感力の高い人ほど共感の使い分けが上手
さて、大野カウンセラーはこのように書いておられますね。
「浅野さんが思う、理解力、共感力の高い人ってどんな人なの?」。そこに浅野さんの信念も現れるはずだからね。
これ、結構回答に窮する、いわば難しい質問なんですよ〜、みなさん(^^;
いろんな考え方がありますしね。
まぁ僕が思うところを書くとしたら、「またこの人に会いたい!と思わせるほどの魅力を感じさせる人」は、「共感の使い分けが上手な人」だと思いますよ。
言い換えるなら「情緒的な共感」と「認知的な共感」の使い分けが上手な人だと思うわけですよ。
たとえばビジネスなどのシーンにおいて「自然と人望が集まってくる方」って、こういった方が多いと僕は思いますよ。
そもそも共感が大切!と言いましても、「相手の何にどのように共感(反応)するか」の違いで、共感した結果ってガラッと変わっちゃうと思うんですね。
人には「積極的に気持ちを理解してほしい」と思う場合や「今はそっと見守っていてほしい」と思う場合など、わかってほしい気持ち自体が違う場合があるでしょ?
相手が「ちょっとそっとしておいてほしい」と思っているだろう状況で「積極的に感情に寄り添ったほうがいい」という判断をするなら、あまりうまくはいかないと思いませんか?(もちろん悪意はないにしてもね。)
逆に、もうちょっと気持ちを理解してほしいときに、サラッと流されたとしたら、なんだか物足りなさを感じたり、こっちに興味あるのかな?と思ったりする場合もあるでしょ?
そう考えると、TPOや相手の状況、あり方に合わせて共感のあり方を検討し、その状況に適したものをタイムリーに使える人って、やっぱり魅力的に映るし、人望を集めやすいと思うんですよ。
いわゆる人の気持ちに寄り添うことが上手な人がいたとしても、しかしその事実だけで、真に相手の様子を理解しているかどうかってのも意外とわからないものだよなぁ、って思うんです。
かといって、何でもかんでも「そうなんだね」と話しているだけだったり、相手の言葉をただオウム返しで返しているだけでは、ただ人に興味のない人、何を話しても反応が薄い人になりかねないですよね。
逆に、相手を楽しませようと話してばかりの人や、無言が多い人でも、意外と相手の様子をよく見ていて、タイムリーな言葉を投げかけているケースもあると思うんです。
誰が「相手の様子をよーく見て、時にはその声を聞いているのか」ってぱっと見た印象以上にわからないぞ、って僕は思うんですよ。
だから、ガンガン喋る人がダメとか、感情に寄り添える人が人気がある、とは一概にいえないよね、と思うんです。
いわば、理解力があり、共感性が高く、魅力的で人気がある人というのは、その場において的確な反応をする人でもあり、ちゃんと相手を見ている人なのだろうと思うのです。
これを僕的には「より高いレベルでの『空気(場)を読む』作業」だと思ってます。
これを愛子さんは「反応力」とおっしゃってくださっているのかもしれませんね。
理解力、共感力の高い人ってのは、恥ずかしがらない勇者ですよね
あと、理解力、共感力の高い人ってのは、恥ずかしがらない勇者だ!と僕は思うのです。
相手に関わることを恥ずかしがらない(恐れない)人、と言い換えてもいいでしょうか。
そもそも恥ずかしさが強すぎて自分のことばかり意識していると、共感も理解もできないことが多くなりがちだと思うんですよ。
また、恋愛でも対人関係でも「相手のために関わっていきたいと思ったとき」に、自分なりの最善手を考えて、それを表現することもまた「恥ずかしがらない」ってことですよね。
たとえ、自分なりに考えた最善手がハズレた、としても、そこで闇雲に自分を恥じたり責めないということも、恥ずかしさを恐れないということだと思いますし。
かくいう僕も大概な恥ずかしがりで、人のことを言えた立場じゃないような気もしますが(^^;
自分の最善手がハズレたとしても(セミナーや講座で言うなら仕込んだネタやギャグがスベったってことですけど)そうであっても果敢に前に出て、また再び寒いネタを言い、かつ、更に壮絶な引き潮がやってきたとしても「今日はもうここしか笑うところはないですけど」とシレッと言い放ち、強引に皆さんに笑い(失笑であっても構わない)を求めるぐらいの勇者でありたい、と常々思っているところでございます(^^;
つまり、ここでの「恥ずかしがらない」とは「スベっても」、もとい「最善手がハズレても理解することを諦めない勇気」だと思うのですよねー。
失敗してもそこから何を学ぶか、を考えるといいますかね。
もちろん相手に「もうええわ」と思われているのに強引に押し込むのは違うと思うんですけどね。
理解力、共感力の高い人ほど分からないを受け容れている
また別の視点で見れば、理解力や共感力が高い人って「知らない」「分からない」を恥にせず、受け容れている人だとも思うんですね。
知らない、分からないということを受け容れるということは本当に大切なことだと僕は思うんですよ。
僕もしょっちゅう思います。プロとして12年カウンセラーやらせていただいておりますけど、それでもわからないって思うことはしょっちゅうあります。
だから、また分かろうとする中で「こうかもしれない」「もしかするとこうなのか?」と思いつく、と言いますかね。
で、「これはこうかなー」と思っていたら「違うやん」「はじめの見立てのほうが筋が通ってるじゃん」なんてこともしばしば起こります(^^;
だからといって「今の自分の見解」を意味のないものとして否定する必要はないんですけどね。
むしろ、「分からない」を受け容れるから知ろうとするし、自分に何が足りないのか、何に気づいていないのかを考えられるのではないでしょうか。
そもそも問題解決、改善の視点って「(何かが)ないことに対する理解」だと僕は思うんですよ。そこで使われるのが上手なネガティブな視点だと思うのです。
だから、「分からないことは恥でもなんでもない」って言葉がぴったりなんですよね。
そう思うと、理解力や共感力が高い人は「分からないことを受け容れ、恐れない人」かもしれませんね。
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と、長々と書きましたけど、僕が思うところはこんな感じです。
では、愛子さんが思う「また会いたいと思う魅力的な人」の条件ってなにか、書いてみてくださいな。
この続きは大野愛子カウンセラーのブログで!
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※今回のセミナーの詳細は↓。動画もありますので良かったら覗いてみてくださいな。
https://www.asanohisao.jp/archives/ohno_asano_seminar_0904.html
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