浅野寿和先生へ
こんにちは。
今日は、心理学でいう追体験についてお伺いしたくてメールいたしました。
私は夫婦仲が悪くなり、自分を責め続けた結果自分の考え方がおかしいから心を普通の状態に戻したほうがいいと、カウンセリングに通っておりました。
先日母親に、実は夫婦仲がうまく行っていないこと、カウンセリングを受けていることなどを打ち明けましたら、母親も全く同じ経験をしていました。
母は、私を妊娠して結婚が決まり、住んだことのない土地に嫁いだこと。
母は自分に自信がなく、こんな自分みたいなおかしい奴が母親になってよかったんだろうかと毎日思い悩み、カウンセリングに通っていたことなどです。
母は心を癒す前に、父の仕事がうまくいかなくなり、母の実家の方に戻ってくることになりました。そして私が20歳の時に離婚しました。
私との共通点は、慣れない土地に嫁ぎ孤独を感じたこと、自分はおかしいという気持ちからカウンセリングに通っていたこと、夫とうまくいかなかったこと、かなぁと思い、これって追体験なのかなと思いました。
私に子供はおりませんので、母よりはまだ辛い状況ではありませんが、この追体験をする意味、そして追体験に気づいた時の乗り越え方?みたいのがあれば、ご教授頂きたいなぁと思います。
ネタ募集ネーム:あやさん(一部編集させていただいております)
あやさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
今日はあなたのご質問にお答えしますね。
今回は「追体験」についてのご質問ですね。
あなたとお母さんの経験していることが似ている、同じプロセスをたどっているようにお感じなのですね。あなたがお母さんがたどった事実を知らなかったのにも関わらず。
なるほど。
では僕なりのお答えをまとめてみますね。よろしければお付き合いください。
追体験とは
「追体験」という言葉を国語辞書で調べると「他人の体験を、作品などを通してたどることによって、自分の体験としてとらえること。」と書かれています。(出典:goo辞書)
例えば、ある作者のエッセイを読んでいるうちに、その作者の体験を自分が体験したように感じる、みたいなものでしょうね。
また、対人関係の中では、相手の主観を分かち合うように、自分の体験のように感じることを示す場合がありますね。
日常で起きえる追体験の例を考えてみるとしたら、こんな感じではないでしょうか。
友達が「ねぇ、この間ね、〇〇というお店で買ったクロワッサンを食べたんだけどすごく美味しかったのよ!」と話していた。すると、その話を聞いているだけでなんとなくその情景が浮かんだ、みたいな感じ。
仲間の悩みを親身になって聞いていたら、その人の気持ちがよく分かるというか、今つらいんだなと自分のことのように感じられた、とか。
相手の話を聞きながら追体験することで、相手の今の気持ちが感じ取れたり、相手の努力などの意味が理解できたり、相手を愛おしく思えたり、尊敬できたりする、なんてことも起こり得ると思うのです。
追体験はこちらがその人の体験をそのまま理解しようという意思、目的を持つことで成立する側面があるものです。
だから、相手はなぜそんなことを考えるのだろう?と考えているときや、相手の思いを変えようとか、その人の体験していることから自分が何かを連想する、といったことは追体験ではないと言えるんじゃないでしょうか。
そう考えると、追体験ってときに共感に近い感じになるかもしれませんけど、「相手に興味を持って相手を感じ取ることにはきっと意味があるんだろうな」と僕は考えているわけですね。
*
ただ、こんな話をするとウザいよな、と自分で思いつつ書くのですが(^^;
例えば、自分が触れたある作品の作者の体験や、友達が感じたクロワッサンの味と、自分が追体験的に感じたものが一致しているかどうかなんて確かめようがないわけですよね。
つまり、追体験が真実を示すのか、というと、僕もうーん、それは難しい質問ですし、超繊細なテーマですねと言うしかないといいますかね。
ただ、そんな事を考え始めたら何もできなくなりますよねぇ。
だから、僕はまぁ追体験とは分かち合われた主観の世界を体験している、と捉えているぐらいがいいんじゃないかな、と考えています。
もしそういったことが起きるなら、それをどのように良い方向で使うか、を考えたほうがいいのではないかと思うのです。
意図せず母と同じ経験をする追体験
私との共通点は、慣れない土地に嫁ぎ孤独を感じたこと、自分はおかしいという気持ちからカウンセリングに通っていたこと、夫とうまくいかなかったこと、かなぁと思い、これって追体験なのかなと思いました。
これは追体験と考えることもできそうだなと僕は思います。
そもそも追体験って、日常の中で自然と起きることと見ることもできますしね。
追体験を「分かち合われた相手の主観の世界」という捉え方で見るならば、あなたがお母さんと分かち合った主観の世界が存在していても不思議ではないかもしれないですよね。
もし、あなたが子供の頃からお母さんの近くにいて、いつの間にか記憶にまで明確に残らないまま、お母さんの主観に興味を持ち、感じ、分かち合っていたとしたら。
あなたが大人になってからその世界に興味を持つことがあっても(トレースすることがあっても)不思議ではないのかもしれませんよね。
ただ、あなたが追体験として捉えたお母さんの主観世界が、実際のお母さんの主観と一致しているかどうかは、検討の余地があるのかなぁとは思いますけどね。
例えば「慣れない土地に嫁ぎ孤独を感じたこと、自分はおかしいという気持ちからカウンセリングに通っていたこと、夫とうまくいかなかったこと」
こういったことを通じてお母さんの主観世界を実際に理解できたのか、というと、理解できた部分もあるのかもしれないし、そうではない部分もあるのかもしれないですね。
例えば、お母さんがあなたに自分と同じような苦労をしてほしいと思っただろうか?と考えてみるとどうでしょうか。
きっとそうではないですよね。
むしろ逆で、同じ苦労はしてほしくないと思うのではないでしょうか。
だとしたら、あたかも相手の主観を自分が感じていても、相手がこちらに向けている思いなど、感じ取れないこともあるのかな、と思うのです。
ただ、あなたがお母さんのことを知りたい、なにか分かち合いたいと思ったとしたら、そこにはやはり絆のようなものがあって不思議ではないのかな、とも思うのですけどね。
そう考えると、人は大切な人の世界を訪問し、それを分かち合うように感じ、影響を受けることってあるのかもしれませんね。
追体験を超えるための「受け取る」という視点
さて、ご質問に「追体験に気づいた時の乗り越え方?みたいのがあれば」と書いてくださっていますから、そこにもお答えしたいと思います。
もし、このような追体験に気づき、そこを超えることを考えるなら、受け取ることを考えてみるといいでしょう。
先にも書きましたけど「お母さんがあなたに自分と同じような苦労をしてほしいと思っただろうか?と考えてみる」といった感じです。
お母さんはどう思っていただろうか、と、お母さんを感じて見るんです。
お母さんだってお母さんとしてあなたのことを考えていたり、思っていた可能性があるわけですよね。
その気持ち、あなたに届いていますか?
特に、普段から自分よりも人を優先するタイプの人ほど、自分から相手になにか与えよう・理解しようと思うことはあっても、相手が自分をどう見ているかをスルーしやすい傾向があるようですよ。
それは、いいことも悪いことも含めてね。
今回の場合はお母さんが娘さんであるあなたにどんな気持ちを向けていたのか、を受け取ることがポイントです。
罠は「お母さんに心配かけた」とか「お母さんの気持を受け取れなかった」といった自分を責める気持ちが出てくることなのですけど、その罠に気をつけながら、お母さんの気持ちに触れてみるといいんじゃないでしょうか。
可能であれば、実際にお母さんと話し合ってみるといいですよ。
すると、お母さんの本当の気持ちを、追体験的に感じ取ることもできるかもしれませんね。
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