Index
好きなことをしているのにモチベーションが続かない
「彼のこと(夫のこと)が好きなはずなのに、最近愛せなくなっているんですよね」
「好きではじめた仕事なんですけど、最近意欲的になれなくて困っています」
例えばこんなご相談をいただくことがあります。
ときには「(私の悩みって)きっと贅沢な悩みなんでしょうけど」なんてお話を伺うこともあるんですけどね。そう思うからなかなか人に言い出せなかったり、とかね。
ただ、こういったご相談をいただくと、僕は「贅沢な悩み」ではなく「一筋縄ではいかない悩み」と解釈することが多いですね。
そもそも贅沢な悩みってない気がするんです。
特に「満たされているはずなのに」とか「好きで始めたことなのに」しかし、悩んでしまうとしたら、なんとも解決方法がわからない、どこから手のつけようがないような気分になることってないでしょうか。
では、どうして「好き」で始めたことなのにモチベーションが続かなくなるのでしょうか。
いくつかの視点から考えてみたいと思います。
「目的」を見失っていないだろうか
好きではじめたことなのにモチベーションが続かないなら、まず「目的」について見つめ直してみてもいいかもしれません。
僕の学ぶ心理学での「目的」という言葉は、自分のエネルギー、意識をフォーカスする対象を指します。
恋愛で言えば「相手を愛する」ということが「自分のエネルギーを投資する」という行為。
目的とは「その愛するという思いをフォーカスする対象」のことです。
恋愛の例ならば、一口に「好きだからこそはじめた彼(彼女)との関係」といえど、そもそもの恋愛に至る動機、目的は人それぞれ違うものだと僕は感じています。
例えば、「今までこんなに好きになれた人はいなかったから」という動機で恋愛を始める人だっていますよね。
他には、「彼(彼女)のことを笑顔にしたいと思ったから」という動機もあるでしょう。
「彼(彼女)には本当に大切にしてもらえたから、今度は自分から愛したいと思った」というケースもあるでしょう。
どの動機もほぼほぼ「相手のことを愛したい」なのですけど、しかし若干見ている部分が違うわけですよね。
この視点で更に深く見つめてみると、こんなことが言えそうですね。
例えば、「こんなに好きになれる人はいなかった」という動機ではじめた恋愛なら、目的は「相手を特別な存在だと感じているから」になりますね。
しかし、付き合っているうちにその特別感を感じられなくなったとしたら、恋愛を継続する目的を維持することが難しくなっても不思議ではないわけですよ。
例えば、「彼(彼女)のことを笑顔にしたいと思ったから」という動機なら、彼(彼女)が笑顔になったならその目的は達成された、なんて感じる人がいても不思議ではないわけです。
「彼(彼女)には本当に大切にしてもらえたから」という動機なら、今、彼や彼女に大切にしてもらえないことでその目的を失いそうですよね。
例えば、いくら「相手のことが好きだから」といってはじめた恋愛でも、自分の中にある(自覚があるかどうか別にして)目的が失われれば、モチベーションを作る材料がなくなっちゃうわけですよね。
そこで「あれ、モチベーションが・・・」と焦ってみても、そう簡単には戻らないんですよね。とくに自分を責めてみたり、疑ってみてもなかなか戻らない、といいますか。
そう考えますと、「好きではじめた恋愛なのにモチベーションが」と考えこんでしまうなら、「自分は今までいったいどんな目的で相手と向き合ってきたのか(何に対して愛情を注いできたのだろうか)」を、見つめ直してみるといいかもしれません。
そこで、自分には愛がなかったとか、相手のことをちゃんと愛していなかった、なんて風に考えすぎる必要はないのです。
そもそも恋愛をはじめる前から「相手を完全に愛したいんだ」と100%与えるモードになっていることなんてあまりないのです。
そもそも恋愛も仕事も「自分のため」と「相手のため」のバランスで幸せを感じているもので、100%与えているつもりでも、それが自分の快感のためだったなんてことはよくある話なのです。
もし、一度失ったモチベーションを取り戻したり、更によりよい関係を維持したければ「目的に再設定」が必要になる、と考えてみるといいんです。
すぐに思いつかないかもしれないけれど、今まで自分が気づいていなかった「パートナーを愛する目的」のヴァージョンアップ(成熟)が求められるとき、と言えそうですね。
ただ、この目的をどのように探せばいいかに関してなんですが、自分がどのような未来(関係)を求めているのかに関して、今の自分の思い込みやこだわりを手放して、自由に発想しながら考えてみると思いつくこともありますね。
人に「どんな価値観で恋愛をしているのか」を聞いてみても面白いです。憧れる恋愛関係を持っている友達や先輩などに話を聞いてみてもいいでしょう。
とにかく今までにない自分の価値観に触れると、いい刺激をもらえるかもしれませんね。
気づかないうちに燃え尽きていないだろうか
これも結構カウンセリングで伺う話なのですが、知らず知らずのうちに「自分の心が燃え尽きていた」というケースも少なくないですよ。
僕の学ぶ心理学では「デットゾーン」と呼ばれる領域にいる方のことです。
デットゾーンとは死の領域という意味でもあり、言い換えるなら「自立の限界」(一人で物事を判断し努力し続ける限界)をいう意味があります。
かつ、ここでのポイントは「自分でも気づかないうちに」という部分です。
そもそも自分の気持が燃え尽きていることに自覚があるとしたら、その時点で相当に苦しいはずなんです。いわば無気力状態に近くなっていても不思議ではないんですね。
もう愛せない、もう抱え込めない、もう大切だとは思えない、といった気持ちばかり感じることになるはずなのです。
また「燃え尽き」を感じている人は「うまくいかない」という感覚を感じていることが多いです。
この感覚を何度も反芻するように感じているので「どうしてうまくいかないのか」「どうして頑張れないのか」と自分を否定的に見続けていることも少なくありません。
既にここまで辛い気持ちを実感しているなら、その時点でかなりエネルギー切れを起こしているはず。
なので、無理やり頑張ってもただしんどいだけで、愛する気持ちを維持すること自体が苦しいはずです。
だから「好きではじめたことなのに」という言葉が「自分への激しいツッコミ・自己批判」となっていることが多いものなんですよ。
いわば「好きではじめたことなのに愛せないなんて・頑張れないなんて」と自分をシバき倒しているってことです。
だとしたら、好きではじめた恋愛(パートナー)や仕事を愛せないどころか、それらを自分を痛めつける理由にしていることになりますから、モチベーションを維持することは相当に困難になりますよね。
特に「いつも一人で頑張っている・結論を出そうとしている」パターンはかなり燃え尽きやすいです。
そもそも自立の限界で起きることは、苦しさを感じるだけでなく、「自分が相手のため(仕事のため・誰かの笑顔のため)に頑張っても、自分、相手、どちらかが不幸になる」という現実です。
例えば、自分はもう仕事で燃え尽きそうだが、好きではじめた仕事だけは順調に進んでいるとか、家族や社員を養えている、といった状態。
恋愛で言えば、私はもう幸せを感じないけれど、相手はずっと好きでいてくれている、といった状態。
自分が勝っても(幸せになっても)相手が負ける(不幸になる)とか。
自分が燃え尽きて、相手だけ楽になる、とか。
つまり、このまま燃え尽きる(愛情がなくなる)といった恐れを抱えて、そのままエネルギーを投資すればするほど虚しくなる、先が見通せなくなる、という罠が待っているわけです。
この場合は、しっかり休息することが必要なんです。
休むということは「現実的に時間を使って休む」という意味でもあれば、「一人で結論を出そうしていないか」という意味でもあります。
特に、恋愛や仕事って「相手が存在する事象」ですよね。それを一人で背負うこと自体に無理があるってことです。
いくら好きではじめた仕事や恋愛であっても、一人で背負って燃え尽きれば「その対象はあなたを不幸にする存在」になってしまう。
すなわち、深層心理で自分の罪悪感が強まり、それを動機に頑張り続けていると、いくら好きなものでも愛せなくなる、エネルギーを投資できなくなってしまうというわけです。
*
※実はこのテーマにはもう少し深い事情がある場合もあります。
いわゆる「自分が好きで始めたこと」に対して、自分がどこか犠牲的なスタンスを取りすぎているがあまりにエネルギー切れを起こしていたり、好きで始めたこと自体を優先しすぎて、自分の優先順位が下がってしまっている、なんて場合もあります。
が、その話はまた別の機会にしたいと思います。
好きではじめたことなら、たくさんの人に愛してもらったほうがいい
とかくこの手のご相談をくださる方は、誠実でちゃんと相手に(誰かに)貢献したいという思いを強くお持ちなんです。
だから、ついつい悩んでも一人で背負い込んでしまうと言いますかね。
その結果、「これって結局私が飽きたってことなんでしょうか」と僕に聞いてくださる方もいるんですよね。
でもねぇ、もし「飽きた」ってことなら、そこまで燃え尽きないし、自分を追い詰めないのではないですか、なんて僕は思うわけですよ。
飽きるってことも自然なことですけど、飽きるって結構受け身なスタンスな話でね。
例えば、好きな芸能人に飽きたとか、人気だった芸能人が飽きられる、ということはあるけれど、自分が愛するものや大切にしたいという気持ちが急に飽きに変わることってそんなにない気がします。
むしろ「愛する・大切にする・貢献したい」という気持ちがアウトプットできなくなるぐらいの事情があるのではないか、と僕は考えます。
そしてその事情の多くは「与え不足」というより「受け取り不足」なんですよね。
自分一人で相手を愛そうとしていないか。好きではじめたことを大切にしようとしていないか。
そういった「自立」が隠れていないか、と考えてみてもいいかもしれません。
どこかで「自分一人で愛しぬく・頑張り抜く」という部分にこだわりをもっていないか?とかね。
なので、こういったご相談をいただくと、僕はこんなお話をさせてもらっています。
「あなたが好きではじめたことなら、たくさんの人に愛してもらったほうがいい結果を導くこともありますよ」
僕もこの仕事を好きではじめているわけですが、一人の力でここまで頑張れているとは全く思っていないんです。
むしろ、僕が好きな仕事を、同じように愛する仲間と出会えていたり、興味を持ってくださるクライエント様に支えられて今があると思っています。
僕が好きではじめたことを、同じように興味を持ったり、愛してくれる人がいるから続けさせてもらえている、という認識ですね。
この考え方を恋愛に当てはめて見るならば、彼や彼女を好きな人はあなただけじゃない。彼のご両親、ご家族、仲間だって同じではないでしょうか。
だとしたら、そういった自分が好きな人を同じように愛する人達の力や知恵を借りてみてもいいし、同じ思いを持てるならきっとつながれるはずなんですよね。
ただ、あなた自身がその「誰か」とつながれない事情を心のなかで持っていると、どうしても自分・自力にこだわってしまって燃え尽きやすくなってしまったり、愛する目的を見失いやすいのです。
ここがまぁ癒やしどころといいますか、より楽に大きな幸せをつかめるかどうかの分岐点でしょうかね。
特に、普段から自立タイプの人ほど「今の成功は自分の力によるものだ」と信じたくなるものかもしれません。
そのお気持ちも否定されるべきものではありません。今までの努力はきっと素晴らしいもので、誰かにとやかく言われるようなものではないのだろうと僕は思うのです。
けれど、自分にこだわりすぎてしまったがゆえに苦しい思いをして、大切なものを大切にできないのであれば、最も嘆き悲しむのは自分ではないでしょうか。
そんなときは自分を責めず、少しばかり「発想の転換」をしてみてもいいのかもしれませんね。
ま、押してダメなら引いてみな、って感じですね。
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。