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今日もコラボブログ!
最近、ありがたいことに忙しくさせていただいておりまして、久しぶりにショートスリーパー状態になっている浅野です。
こんばんは。
何ていうんでしょうね。
弱り目に祟り目?もとい、重なるときはなぜか重なる、といいますか(^^;
暇なときはめっちゃ暇なんですけど、忙しくなるとなぜかこうなるという。まぁこれも僕のパターンです。未だそうなる理由がわからないままなのですが。
現在、必死にタスクをこなしておりますので、もうしばらくしましたら元のペースに戻ると思われます。
もちろん「ネタ募集」に応募していただいた話も書こうと思っていますので、しばしお待ちくださいませ。
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さて、今日もコラボブログを書きますよ。
6月12日(土)開催の【大野×浅野コラボセミナー】にちなんだ企画。
大野愛子カウンセラーと浅野がひとつのコラムをリレーして書く【コラボブログ】。
今回のセミナーは「対人関係がうまくいく極意」という心理セミナーで、もう来週に迫っていますね。
きっと多くの内容を持ってかえっていただけると思いますし、ジーンと胸が熱くなる話から、「そう考えればよかったのか!」「こうすれば楽になるのか!」といったアイデアまで、たくさんお持ち帰りいただけますよ。
実際に二人の話を聞きに来て、しっかり学んでやってみてくださいな。
ドンドンとお申し込み、お待ちしておりますよ!ぜひ来てくださいね〜!
https://www.asanohisao.jp/archives/asanohisao_ohnoaiko_collaborationseminar.html
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【コラボブログ企画ルール】
多くのリレー形式のコラムは1つのお題に対してそれぞれが回答する形なのですが、今回の『コラボブログ』では、各々が勝手に書いたコラムの「続きを書いていく!」が鉄の掟。
つまり
・相手の書いた提案・分析を受けて更に膨らませていくべし。
・相手の記事が掲載されたら、即執筆に入るべし。
・お互いに何を考えて書いたのか想像しながら書くべし。
・予定調和禁止。自分の意見と異なったら容赦なく自分の意見を書くべし。
・コラムの内容に関して、事前打ち合わせ、電話やLineでの連絡などのヤラセ厳禁!
・相手がとんでもないフリをしてきても、自己責任原則で受容すべし!
・とにかく出たとこ勝負で書くべし!
二人が何を書くかなど知る由もなく、どんな流れになるかもさっぱりわからない。相手がいつブログをアップするかも分からない。一度書き始めたらセミナーが始まるまで書き続けるという企画です。
自分で自分を嫌うと「相手から嫌われている」と感じるが、実際に「嫌われる場合」も存在する?
【大野カウンセラーの記事はこちら】
さて、大野カウンセラーはこう書いています。
たとえば、「友達や好きな人に、なんか避けられているような気がする。だからつい、相手の顔色を伺ってしまうので、気持ちが休まる暇がない」なんてとき。
もしかしたら、それも「自分の心の中を映し出しているのかもしれない」と考えてみることができるのです。
つまりは、自分が自分を嫌っているから、相手に嫌われているように見えているのかもしれませんよ、ということです。
こんなことって、心理学でも学んでいなければ気が付きもしないような自動思考であり、自動反応でもあると思うのです。
でもそこに、「ちょっと待てよ」と考えてみるのが、投影の法則の正しい使い方なんですよね。
大野カウンセラーがおっしゃることは本当にズバリです。
自分が自分を嫌っていると、その観念を外側の人や物に映し出すので「避けられている・嫌われている」と感じる。
それこそ投影の法則です。
が、今日はある意味、カウンセラーがなかなかブログで書かない領域に踏み込んでみようかしらん?と思っております(^^;
もちろん愛子さんの意見に反論するわけではないのですけど、実際のご相談の中には、私、人から嫌われているんです(ガチで)」という話もあるわけですよね。
例えば、パートナーから嫌われた、周囲からドン引かれた、なぜか煙たがられている、なんて現実も実際にあるのではないでしょうか。
それはただ相手に警戒されている場合も少なくないのでしょうけれど。
投影の法則はほんとにそう!なのですが、投影云々の前に、相手に誤解されたり、人に勘違いされるなどの行動から、ガチで避けられているケースもあるわけですよね、超切ないけど。
そこで「それって自分の感じ方の問題ですよ」と言われても、目に見えて相手に嫌われているのだから、「いちいち自分の感じ方がどうのこうのって話じゃない、実際に嫌われてんの!」と思われる方がいても不思議ではないと思っているのです、僕は。
なにより意図せず人に嫌われれば辛いじゃないですか。
特にあからさまに嫌われようとしているわけじゃなく、ただ自分として自然に振る舞っているだけなのに批判の対象になったりするなら、そりゃ切ないし怖いわけでね。
こういった場合、投影の解説自体に工夫が必要になると僕は思っているのですね。
「あれ?嫌われている?」って思うとき
僕の経験上、もし自分自身が「あれ?私、嫌われている?」と感じたとき、多くの場合その事実を否認したくなることが少なくないようです。
そんなはずはない、とね。
でも実際に人と関わっている中で「こりゃまずいかもな」って思うような状態に出会った時、まぁショックを受けるわけですよね。(ショックを受けない人もいますけど)
このショックを受けたときに、自分を責める人もいれば、人を責めたり文句をいう人も出てくるわけです。
「あ、私ってダメなんだ」と思う人もいれば、「知るかよ」とか「周囲の配慮や理解が足りないんだ」「理不尽だ」と他罰的になる人もいるでしょう。それがいいかどうか別にしてね。
で、更にしんどくなるし、嫌われている事実がズーンと重く響く。人の目の気になるし居場所のなさをも感じる、なんてことが起きることがあるやもしれません、
人に嫌われるパターン・あれこれ
では、どうして、どんなときに人は人を嫌うのでしょうか?
ここにも様々なパターン・事情があるようですね。
最もポピュラーなパターンは「相手に嫌なことをされた、言われた」
こりゃ解説なんていらないですよね。相手に嫌なことをされれば、まぁその相手はよほどの信頼が無い限り「嫌な感じ〜」ってなりますもんね。
「思い込みで嫌われている」パターン
要は個人の勝手な思い込み(誤解・投影)によって、「嫌う・嫌われてる」と感じる場合があるってことなんですね。
例えば、職場に新しく入ってきた社員さんがいたとして、急に先輩が「なんかあーいう人って嫌なのよね」と言う、なんてケースってありません?
これね、もうツッコミどころ満載でしょ?
「相手と関わる前の段階で、深く知りもしないまま、どうやって嫌うねん?」
でもこのような先入観で嫌いになっちゃうことって僕たちにも起こり得る話ですよね。
これは「自分が過去に苦手にしていた人を、相手に映し出している」ってわけです。
もちろん映し出された方からすりゃ「なんでやねん」と思うだけでしょうけども、まぁ投影ってのはそんなもの&お互い様な部分があるので、ここで思い込みで判断する側、判断される側の「何がいい悪い」といった話を持ち出すと、まぁ揉めるし、気分が悪くなりますな。(そういった気持ちはわかりますけどね)
上級者テクとしては、「相手に何を投影されているかに気づいて外す」なんてこともあるんですが、深く知りたい場合はセミナーへどうぞ。
「自称・嫌われ者ほど人を嫌う」なんてパターン
どこかで「私ってば嫌われ者」と思いこんでいる人は、自分よりも「嫌われる人」が登場することをどこかで心待ちにしているのです。
これはそういった人がどうのこうのという話ではなく、いわゆる「罪悪感・無価値感」の作用によるものだとお伝えしたいのですね。
いわば「自分って嫌われ者だ」と思う人にとっての安心材料は、自分よりも強い「罪悪感・無価値感」が「自分の外側に登場すること」なんですよね。
それによって「自分が嫌われ者」という部分が変わる訳ではないのですけど、その感覚・思い込みが薄らぐといいますかね。
だから、自分を嫌っていたり、自分は嫌われると思いこんでいると、自分よりも素晴らしい人、好いてくれる人、仲間がいることよりも、なぜか「自分よりも嫌われてるじゃん」と思える人が出てくると、急に喜んじゃったりするんです。
なので、まぁ嫌われ者だと思う人ほど、そんなことはしたくないのでしょうが、つい人を嫌っちゃうことがのです。
相手のいいところを見るのではなく、批判したり、揚げ足を取ったり・・・。
まぁこの先の話はご想像におまかせします。
単純に相性が合わない・理解できない
もっとシンプルな話なら、単純に相性が合わない・理解できない、なんて場合でしょうか。
こりゃもうしゃーないって話ですよね。お互いに合わないんだからね。
ある程度合わせることはできるでしょうか、しかしまぁ相手のことがよくわからないからこそ、丁寧にコミュニケーションしないと、いや、したとしても誤解されることが増えちゃうかもしれません。
実はすごく怖がられていた
これは嫌われている本人さんが気づいていない場合も多いんですけどね。
例えば、魅力的、仕事ができる、言動の切れ味が鋭い、目付きが鋭い、思慮深く切れもの、決断力がある、などなどの自分の才能がキレッキレな人ほど、なぜか人から怖がられることがあるんです。
で、周囲は怖れをベースに見てきますから、勝手な想像、妄想、時にはすごい人=モンスター的なイメージを勝手に持たれてしまう場合があるんです。
この場合は影響力が強くて相手がビビってた、なんてケースと言えますね。
もっと自分の普段見せていない一面を見せると、結構周囲も誤解しなくなることが多いパターンです。
自分が怖がっていた
自分自身が「人に嫌われないように」という恐れが強まっていると、まぁ人を警戒しますよね。
すると、相手も自分のことを見て警戒するんです。
な、なに?何でそんなに身構えてんの?というね。
これは自分の姿を鏡でよーく見てみると分かってきます。ま、投影なんで相手の反応=自分の表情なんて形になっていることが多いんですよ。
もし人に嫌われているかも?と思ったら
人付き合いの中で、「あ、私嫌われているかも?」と思うことってあるのかもしれません。
それが、あまりに理不尽で一方的なものでないならば(もしそうならその関係から離れることも一つの選択肢ですよ)
- どこかで自分自身がなにか強い思い込みの中にいたり
- 相手の気持や影響に気づいていなかったり
- 自分の態度を客観的に見つめることができていない
なんてことが多いような気がします。
自分が思う自分と相手が思う自分が違いすぎるから、嫌われているかも?って感じていることが多いんです。
ここでまぁ嫌われる勇気を持つこともいい感じなのですが、「自分にはなにか見えていないことがあるんじゃないか」と考えてみるのは、なかなかいい感じですよ。
また、いくら今、嫌われているからといって、よほどのことがない限り「最初から嫌われる」ってのは妙です。
つまり、そもそも自分を嫌う人も「そもそもは自分に興味を持っていた」ってことなんです。そして良い部分だって見ているはずなんです。
すると、少なくとも相手が自分に興味を持っている(自分も相手に興味を持っている)ということぐらいまでは理解できると思うんです。
が、それ以上に、相手がこちらを恐れていたり、関わりづらいと思っているときに問題が起きます。
そして、ここで使える心理法則が、先に出てきた「投影の法則」なんですよ。
自分は相手にどんな感情(怖れ・罪悪感・不安・拒絶感)や、過去の誰を映し出しているのだろうか?
相手は自分にどんな感情や、過去の誰かを映し出しているのだろうか?
そう考えて見るんです。
考え方の基本は、投影ってものは自然に起こるものなので、言い悪いってことではない、と考えること。
そのような視点を持つことで、実は自分と相手の境界線も見えてくるし、何が起きているのかにゆっくりと気づけます。
ここで相手との境界線が曖昧になってしまうと、「あぁ私はダメだ」とか「なんだよ!」といった気分になりやすいのかもしれませんね。
まぁそれがいいかどうかなんて誰にも語れないと思うのですが、できる限り上手に人と関わることを考えるなら、こういった視点を持ってみるのもいいのかもしれません。
ということで、この続きは大野愛子カウンセラーのブログで。
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