Index
人に頼らざるを得なかったから自立に憧れる人たち
人は自分ひとりで生きていくことはできない、なんて言いますが
カウンセリングの現場におりますと、様々な事情で
「人に頼らざるを得なかった方々」
と出会うことがあります。
例えば、経済面、健康面、家族関係などなど。
まぁ細かな話を取り上げ始めるときりがないので、省略しますが
例えば子供時代に
「他の子や同級生はそこまで人を頼ることなく生きているのに、自分はどうしていつまでも人の力を借りて生きているんだろう。そんな依存的な自分が嫌だ。」
なんて感じた経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。
「誰かの手を借りなきゃ生きられない自分を、変えたい」
誰しも大人になる際にそう思うことがあるものだとも言えますが
「(他の人たちと比べて)誰かの手を借りなければ生きられなかった自分への反省・後悔」が強くなっていると
いわば依存を強く否定し、自立を強く肯定する価値観を作ることがあるようです。
すると、大人になった今もこの考え方を強め、必要以上に自立を強めて生きづらさを抱えておられる方もいらっしゃるようです。
いわばロックマン・ロックウーマンを作る理由の一つ、とも言えるんですけどね。
そこで今日はニッチな話ではありますが「人に頼らざるを得なかったから自立に憧れる人たち」についてのコラムをまとめてみようと思います。
よろしければどうぞ。
※このコラムで書かれている自立と依存についての解説は、こちらの記事で解説していますのでよろしければご覧ください。
人に頼らざるを得なかったから自立に憧れる人の特徴
人に頼らざるを得なかったから自立に憧れる人の特徴を一言で言えば
「自立が正義。依存は悪・百害あって一利なし」
なんて考え方を強める傾向があることでしょうか。
もちろん人がどのような観念を持つかに、いいも悪いもないのでしょうし、どのような価値観によって生きるかも人の自由だと言えるかもしれません。
ただまぁ僕たちの世界では
「自立も依存も絶対的に正しいものだと言えるものではないし、絶対的に悪だと言えるものではない」
と考えるのがスタンダードかな、と思います。
要は自立的要素も、依存的要素も、そのバランスと使い方次第でいい結果を導くこともあれば、そうではない結果を導くこともある、という感じでしょうか。
依存的であった自分を強く嫌う気持ちがもたらすもの
そもそも依存も自立も一つのプロセスであって、それが正解だと考えるような概念ではないんですよね。
一言で言えば
依存時代はいかに愛されるかを学び、自立時代はいかに一人で立つか&以下に傷つかないかを学ぶ、といった感じです。
ただ、人に頼らざるを得なかったから自立に憧れる人って、依存的な自分であることに嫌悪感が強いので
自立に憧れているというより、人に頼らざるを得なかった自分への否定が強い傾向があるようです。
だから、本当は素直に人の手や知恵を借りたいところでも、それだけはできない、と感じたり。
普段から人と深く関わらないように、自分の依存が出ないように振る舞うことも少なくないようです。
もちろんその生き方を貫いて悩みや問題がなければいいのでしょう。
ただ、大人の世界や社会は、ある意味「お互いさま・支え合い」という、少し成熟した概念を持った世界だとも言えるんですよね。
このとき、人を支えたり、貢献する側に回ることはできるのですが、自分が支えられる側に回ることにものすごい抵抗感を感じるのも、このタイプの人の特徴です。
だから、どこか人と分離したポジションを取りやすかったり
恋愛や対人関係では、自分のことを愛してくれる人を突き放したり、放っておく
なんてことが起きることもあります。
それもこれも自分自身が依存的ポジションに置かれることを嫌うから、なのですけども。
「できない」ということに強い葛藤を示す
また、依存的な自分を強く嫌う人ほど
「できない」ということに強い葛藤を示すことが少なくありません。
「できない」ということは、悪いことでもなんでもないのですけれど
「できない」ということが示すものは、「それをやりたければ人の助けを借りる必要がある」ということでもあるのですよ。
つまり、このタイプの人は「できない」ことを「強く依存的だ」と感じ、
かつ、劣等感と結びつけることもしばしば。
逆に言えば、劣等感を感じたくないから「できる」を追いかけ続けているフシがあるとも言えます。
この姿は周囲に「プライドが高い人」と思わせるでしょうし、「ちょっと近づきにくい人」とも思わせてしまうでしょう。
ただ、よくよくお話を伺っていくと「過去の依存的にならざるを得なかった自分」を嘆き続けていただけ、なんてケースもあるのですよね。
実は依存を嫌っていたのではなく、誰かの喜びになりたかっただけ
人に頼らざるを得なかったから自立に憧れる人って、ある意味頑なです。
でも、本当に頑ななのは、依存嫌いなのではなく
人に頼らざるを得ない自分は他の人とは違う(劣っているかも?)という分離感から、依存的な自分を嫌っているだけなのでしょう。
逆に言えば
本来は人に頼り続けるのではなく、自分の周りにいる人達の役に立ちたい、喜ばせたい、誰かの力になりたい、と願っていただけなのかもしれません。
が、実際には他の人以上に、誰かの助力を得なければ生きられなかった自分を嘆いている。
だとしたら、もしかすると、それぐらい愛の深い人達なのかもしれません。
ただ、そこにある愛だの純粋な気持ちを持っていればいるほど、人に頼らざるを得ない自分を感じるたびに苦しむことになる。
だから、純粋さも愛も捨てて、依存を強く否定し、依存的な自分を嫌い、自立を選ぶしかなかった。
そんなちょっとばかり切ないストーリーが存在するのかもしれません。
これもまた「人に頼らざるを得なかった」というハートブレイク(傷心)がもたらしたもの、とも言えるかもしれません。
もし自立が正義だと思う人と関わるとしたら
だから、このタイプの人に真正面から
「もっと愛を受け取りなよ」
「肩の力を抜いていきなよ」
「私がいるじゃない」
と言ったところで、なかなか首を縦に振ることはないかもしれません。
僕たちの劣等感の向こう側には「誰かの役に立ちたい」という気持ちが隠れている。
そこを理解して
「たしかにあなたは依存嫌いで頑固だけど、でも私はあなたのこと嫌いじゃないよ」
「必死こいて依存を嫌っているけど、それってあなたが誰かのために何かを残したい気持ちなんだよね」
なんてふうに心から言えるとしたら、まぁまぁゆっくりと分かりあえたり、話し合えるかもしれません。
それぐらい「人に頼らざるを得なかった」ということが劣等感と結びついている人にとっては、人の気持ちを受け取ることが強い屈辱になることもあるわけですなぁ。
最後に
自立が正義、依存は悪。
その考え方を僕も否定するつもりがありませんよ。
が、その考え方だけを貫いて生きるとしたら、おそらく人の愛を否定することに繋がる可能性が出てくる。
依存を否定するということは、人の愛だの好意だのを否定することに繋がる場合がありますからね。
それは結果的に投影となって跳ね返り
「結局、自分の愛だの、人への好意や思いやりも、自分勝手なものでしかない」
といった風に、罪悪感に取り込まれて、めっちゃ強い孤独感を感じながら生きることになる場合もあるのですよね。
それもまたどこかで自分の生きづらさ、喜びのない毎日を作る理由になることもあるよね、と僕は思う次第。
だから、自立が正義だと思う人にとっては
どのように今までの自分を肯定しながら、しかし自立と依存のバランスを上手く取っていくかを考えていくことがおすすめなんですね。
確かになかなか難しいことなんですけど、難しいからこそチャレンジする甲斐があるテーマじゃないかなーと思うのです。
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。