はじめまして。海外在住の学生です。
1年半ほどお付き合いした方(海外在住の日本人同士、相手が歳上)と別れて一年になります。
あまりにも喧嘩が多い、というのが振られた理由です。
海外というあまりにも孤独な環境の中、彼しか頼る人がいなかったため依存していたと思います。また大好きだったのになぜかイライラしてしまっていることが多かったです。
ただ別れてから1年間は週3回ぐらい会っていました。基本的には体の関係でしたがたまにご飯を食べたりということもありました。たまに大喧嘩がありましたが翌日には普通に過ごしているという不思議な関係でした。
ただ元彼に戻る気はなさそうで、体の関係だよ、とか、まだ好きなの?とよく言われてました。
また別れてから、被害者意識を持ってしまい、彼の友達に愚痴を言っていたところ、それを全て彼と彼の周囲の人にバラされました。
そのせいで関係が悪くなりつつも彼が引越すまでは会い続けていました。
今現在、私は遠距離の彼氏ができ、連絡もマメ、手を繋いでくれる、結婚したいとも言ってくれます。今の彼氏とは一緒にいて何故かイライラしません。遠距離だからかなあとも思います。
しかし何故か元カレへの執着が手放せないのです。
元彼のことを忘れたい一方で今のこのグチャグチャな関係からいい関係になれないかなとも思ったり、それは今の彼に失礼だなと思ったり、どうしていいかわかりません。
ただもう頭の中を元彼でいっぱいにはしたくありません。どうすればいいでしょうか?
ネタ募集ネーム:すずさん(一部内容を編集させていただいています)
すずさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
ご質問は「別れて1年が経ち新しい恋人ができても元カレへの執着が手放せない」ということですね。頭の中を元カレ出いっぱいにしたくない、と。
では、ご質問にお答えします。
Index
元カレへが手放せない理由と「認知的不協和」
まず執着とは何かというところから解説したいのですが、そこから書くと長くなりますので、執着に関しては以下の記事をご覧くださいませm(_ _)m
さて、執着について深く見つめていくと
これは一つの「認知的不協和」だと考えられそうだと僕は思います。
認知的不協和とは「自分の中で矛盾する2つの認知が生じたときにあらわれる不快感」を表す言葉です。
アメリカの心理学者レオン・フェスティンガー氏によって提唱されました。
認知的不協和から生じる不快感によって、人は自らの態度や行動を変容させていると考えられています。
ただこれ、ちょっと難しい概念ですので、解説のためにたとえ話を使いますね。
認知的不協和の事例
例えば、あなたが夏の暑い日差しの中、友達と人気のイタリアンレストランに2時間並んで入店したという事実があったとしましょう。
それだけの労力を費やして入店したお店であれば
「2時間並んだ人気店の料理がおいしくないはずがない」
そう思いたくなっても不思議ではありませんよね。
だから、人気店に並んでいる人ほど不快感を感じないようになる傾向がある、なんてことが起きるのです。
しかし、実際食事をしてみたら、うーん、自分の口には口に合わなかった。
そんな状況と出会ったら、どうでしょうか。この時はさすがに不快感を感じないでしょうか。
このとき、料理の評価はさておき、自分の味覚を信じて「少なくとも自分の口には合わなかったんだよな」と思えれば問題にはならないでしょう。
しかし、「雑誌やネットのレビューで高評価連発のお店だった」など、事前に手に入れていた情報の影響や「暑い中2時間並んだ」という自分の行動や労力を無駄にしたくない気持ちが芽生えると
「さすが人気店だけあって美味しかったんだ」とか「自分の味覚の問題だ」
そう考えることで不快感を解消する人が出てくるわけです。
このように自分が不快感を感じたくないことが理由で、人は自らの認知を歪めることがあるという考え方ですね。
ただまぁ、このようなことは起こり得ることであって、これが即問題というわけではないんですよ。
元カレという存在と認知的不協和
この考え方を「元カレへの執着が手放せない」という事例に当てはめてみると、次のようなことが言えると僕は思うのです。
例えば、
彼とたくさんケンカした
ひどい言葉を沢山いわれた
彼に放置された時間が長かった
浮気された
相手は遊び人だった
といった事実があったとして。
あなたが「そもそも彼はそういう人だ」と自覚しているとしたら、それは超不快なことですよね。
しかし、その彼に対して
私なりにめちゃめちゃ頑張って愛しただとか。
そもそも関係が始まった当初は彼も優しかったし、めちゃくちゃ愛してくれたとか。
そんな事実があるとしたら、その事実を使って
「そもそも彼はそういう人だ」という自らの認知を歪め、不快感を感じないようにする可能性があるということです。
もちろん常にそうなるとも思いませんが、なくはないケースだと言いますかね。
これは
「彼は私のことを上手に愛してくれなかった」とか
「彼は私にとってのベストパートナーではなかった」といった
「実感」や「事実」と向き合うことで感じる不快感や、悲しみ、喪失感などの感情を受け容れられないときに起きることだ、と言えそうです。
認知を正すと元カレへの執着も手放せる
そもそも執着とは「元カレや二人の関係の中に存在した(私にとっての)いい部分・要素」に対して向けられる、と先に書きました。
つまり、「元カレとの別れ」をキチンと受け入れるということは
元カレとの間で感じたいい要素も自らの意思で手放す(完了させる)
ということになるわけですよ。
だから、ちょっと勇気を出して事実と向き合うことが必要かもしれません。
特に「元カレ」という人に関しては。
とはいえ、元カレという人を「実は悪いやつだった」「ひどいやつだった」と思うことはそう簡単ことではありません。
だって、自分が(認知的不協和だったとしても)好きになった人だからね。
だから、自分が好きなった人を「否定したくない」と思っちゃうわけなんです。
そりゃそーでしょ、というか、だって人間だもの、という話です。
ただ、これも執着といえば執着なのです。
そこに認知的不協和があるといえばあるんです。
「私が好きになった人」が「ひどい人」とは思いたくないから、「元カレのいい部分や二人のいい記憶にしがみつく」というね。
自分への認知・感情を整えてみてはどうでしょう
だとしたら、彼への認知を変えるよりも先に
「彼を好きになって受け容れた私」に
「好きだったんだね」とか「偉かったね」と言ってあげるほうが先かな。
そう僕は思います。
このように「自分の好き」などの気持ちを消化させていくことができれば
別にあなたが「元カレに対する認知を歪めなくていい」わけですからね。
その結果「元カレ」への正しい認知を持っても平気な自分に慣れるといいますかね。
ということで、今までの自分の気持ちを否定せず、丁寧に扱ってみてくださいね。
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。