浮気される人・されない人の違いとは
僕のカウンセリングの中で、彼や夫(彼女や妻)の浮気が発覚してショックだ、というご相談はとかくメジャーなものだといえます。あまり起きては欲しくないことだな、と思いつつ、しかしなぜか数が多い案件です。
そして、実際に僕のカウンセリングにお越しくださる方の中には、愛情あふれる方が浮気される経験をしていたり、一生懸命に相手のことを思っている方が浮気という現実に打ち砕かれていらっしゃる場合も少なくありません。
パートナーの浮気が発覚し、つらすぎて友達に相談したら「あんたが浮気される?それってありえない話だよね」ぐらい周囲から信頼されている方が浮気という現実を迎え入れてしまうということも、悲しいことだけれど起きることなのです。
だから、友達や家族から「あんたは悪くないよね」「そりゃ相手の問題だよ」といった声も聞こえてくるってお話もたくさん伺ってますよ。ときには犯人探しがはじまって、相手が悪いんじゃない?ひどい人なんじゃない?って話が延々と続くこともあるようですけどね。
でも、そのご本人が「まだパートナーのことが好きでいる」としたら、どうしても相手のことを悪いって思いきれないし、相手の悪口は聞きたくないって思うかもしれない。もちろん周囲の応援は嬉しいし理解できるけど、更に孤独を感じ、辛い気持ちになってしまうこともあるのかもしれませんし。
とはいえ、自分だけでなく、周囲の人も「なんで浮気なんてことが?」って思うぐらいであれば、今の問題が起きた理由がわからないからこそ、更に「何かが悪いの、問題なの?」と考えてしまうものかもしれませんね。
だからでしょうか、僕もご相談いただく方から「私のどこがいけなかったんでしょう・・・」というお声を伺うことも少なくありません。
もちろん加害者は浮気をした側だから、起きた事実の責任は加害者側にあるといえます。
ただ、浮気した側が明らかに浮気しそうな人だった場合、まだ現実を受け止めやすいんですが、今まで浮気したことがない人、浮気しそうにない人だった場合、なかなか現実を理解できずに苦しむことが多いようですね。
また、ご相談いただく方の中には「何度も浮気された経験がある」だとか「私が浮気しそうな人をあえて選んでいるような感じがします」なんてお声も伺うわけでして、この問題を解決していくには誰が良くて誰が間違っているという話だけでは足りないわけですよ。
そんなとき、僕からこんなお話をすることがあるのです。
これが今日の本題。
『本当に素敵な人に潜む「浮気される事情」があるとしたら、それはなにか』
いわば、浮気される人・されない人の違いです。
はっきり言っておきますが、魅力があるない、才能があるない、愛情があるない、という話ではありませんよ。今回のケースに当てはまる話ではありませぬ。
しかも、この「浮気される事情」ってそもそも悪いものではないのです。むしろ普段は人から歓迎され、自分が承認される理由にもなっているものなのですよ。
だからなかなか気づかないんですよね、相手がなぜ浮気をしたのかの理由に。
素敵な人だと言われるのに浮気される人が苦手にしていることがあるとしたら
いきなり答えを書きます。
もし、周囲から素敵な人だと言われるのに、浮気をされる人がいるとしたら、きっとその人は「人の気持ちを受け取る」ことが苦手なのでしょう。
だから、パートナーはあなたの役に立てなくて、その結果浮気という形を導いてしまったってケースは意外と少なくないものです。
もちろん愛すること、与えることは素晴らしいことです。愛すること、与えることができずに素晴らしい関係を作れるはずがありませんよ。
しかし、お互いに愛したい人だった場合(自立女子X自立男子の構図)、おそらくその愛はお互いが上手に受け取っていかない限り、目に見えないカタチで衝突します。
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例えば、「きょうの夕食は何がいい?」と彼女が聞いて、彼が「今日は遅くなるからいいや」と答えたけど、彼女は彼のためにご飯を用意していた、というケース。
これも愛が衝突している状態のひとつなんですよ。
彼女の行為は一切非難されるべきことではありませんよね。
むしろ周囲からは「めっちゃできる彼女(妻)やん」といった承認が飛んでくることも多いでしょうし、「私はそこまでできへんなぁ、相手はほったらかしやわ」なんていう人もいるかもしれませんよ。
※どこか無意識的にこのような情報ばかり集めていると、二人の間に何が起きているのかが見えなくなっちゃうという確証バイアスの話もあるのですが、それはただ問題が起きる理由を示しているだけなので横においておくとして。
ただ、彼は彼女を思って「遅くなるからいいよ」と伝えている。ここにも彼の気持ちがあるわけです。だから、遅く帰ってきていらないと言ったはずのご飯があると「嬉しいけど・・・」と思う男性がいても不思議ではないのです。
もちろん男性も受け取りベタなのかもしれませんけどね。
この彼の気持ちを上手に受け取っていくか、それとも「作ってあげたいから」という自分の気持ちを優先するか、の選択に問題の種があるのです。
とはいえ、この違いがすぐに浮気を作るわけではありません。
ただ、この感覚がチリツモで積み重なっていくと、与えたい彼の気持ちはさてはてどうなるでしょうか、という話なんですよ。
オレの話は聞いてもらえないのか・・・オレの気持ちはどうでもいいのか・・・。
もし相手が彼が感じたとしたら、さて、どうなるでしょうね。
(もちろんこの事例は男女逆パターンの場合もありますよ。)
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僕たちの学ぶ心理学では「パワーストラグル(主導権争い)」といいますが、全く悪意も加害者意識もないレベルで「どちらが上手に愛せているかという競争」が始まっているのです。
もちろん競争ですから勝ち負けがつく、というのはお分かりいただけるでしょうか。
だから、愛する競争に破れた側は、その場にいられなくなってしまうのです。
その結果が浮気、となる場合もあるんですよ。他には夫婦やパートナー間の冷戦やセックスレス、無気力な関係性になる場合もありますけどね。
僕の経験上、この場合の浮気相手について知ると、なぜかこのような傾向が浮かび上がって来ることがあるのです。
「浮気相手が与える人ではなく、どこか与えることに自信がないような、依存的な人である」
だから「なぜ私じゃないの?あの人と浮気したの?」とショックを受けることにもなるのです。
でも、もしあなたのパートナーがあなたとの愛することの競争で破れたとしたら、愛する自信を取り戻すために(自分は自分でいいと感じるために)自分の気持ちを受け取ってくれる誰かを必要とする可能性は十分にある、とご理解いただけますでしょうか。
ただ、だからといってあなたが悪いわけではありません。繰り返しになりますが、愛することが間違っているわけではないからです。
この愛する競争などの問題を、僕たちの心理学では「無意識の加害」と呼んでいまして、「心のことを知らないと気づけない」ようなものなんですよね。
だから、自分に悪意や相手を貶める意図など毛頭なかった、むしろ心から愛していたという場合がほとんどなんですよ。
だからあなたは悪くない。でも相手はあなたに負けたってことなんです。
相手に聞く、相手の気持を受け取る
相手を愛する、大切にするという言葉を聞くと、多くの方が『与える』ということをイメージされるのではないでしょうか。
だから、うまく愛せない、与えられない自分を感じると辛くなってしまうものかもしれません。
とかく依存的な方の場合、与える自信がないのでついつい欲しがってばかりで相手に鬱陶しがられてしまうこともあるかもしれませんしね。
ただ、若かりし頃の僕たちはそんな感じなんですよね(遠い目)不安ばかりに気を取られて、自分を自分で認めることができず誰かに愛されることばかりを求める気持ちが止まらない。
どこか自信を感じられないときほど「そんなもん」って感じですよね。
しかし、そんな自分の過去の(恋愛や対人関係の)経験が反省になって「もっと与えないと失敗する」と思い、与え続けることに正しさを感じている方も少なくないのではないでしょうか。
いわば「私が頑張れば報われる」という感覚です。
もちろんそれ、間違っているとは僕も思いませんよ。頑張らないとどうにもならないことはたくさんあります。諦めたら終わりってことも多いものですよ。
でもね、こと「関係性の概念」の中では、それが当てはまらないことが少なくないのです。
頑張って報われるのは自分なのです。
相手の頑張りに報いるには、それを上手に受け取る視点が必要になるんです。
相手の努力や愛情を心から喜び、感謝するような視点ですよ。
あなたってなんて素晴らしいんだ、あなたが与えてくれたものに私は心から感謝しているよ、って感じ。
ね、自立タイプの方ってちょっと苦手じゃないですか(人のことはいえませんけど、僕も(^^;)
むしろ、相手のすばらしさを見て競争しちゃうことのほうが多くないですか?「もっと私も頑張らなきゃ」とばかり思っていませんか?
だから、実は「素晴らしい人だと言われるのに浮気される人」って、人に「聞く」ということが苦手な人が多いんです。
いわば自己完結タイプが多いってことなんですよ。
ここでいう自己完結とは妄想チックなことを指しているわけじゃないですよ。
「自分が与えれば相手は喜ぶし、きっとうまくいく」という考え方が強まっているってことです。
だから、相手に聞くまでもないとか、相手に聞くと迷惑だといった観念をお持ちの方もいるのです。
ね、ここに「罪悪感」があるってご理解いただけるでしょうか。
「何もできない、分からない、愛せない私って迷惑なんじゃないかな」
これが先に書いた「過去の自分に対する反省(批判・攻撃)」なんです。この部分に潜む罪悪感が真実ではないよね〜と感じられない限り、おそらくあなたは与える、愛する素晴らしい人になるのですが、人の気持ちを無意識にはねのけてしまうことが増えるでしょう。
かつ、無意識的にでも人の好意や愛情をはねのけていると罪悪感を刺激されることになるので、さらに「受け取れなくなり、人に何かを聞けなく」なります。
こうなるといわゆる燃え尽きの領域に突っ込むしかなくなるので、幸せで楽しいはずの恋愛や夫婦関係がどんどんつまらなくなったり、生きがいややりがいをみいだせなくなっていくんですね。
その深層心理の根っこに眠るのは「何もできない」「無力さ」に対する批判です。
それはいけないことだという判断です。
そして、自分が何もできなくなることに対する恐れを強く持っているのでしょう。
が、その恐れや批判は真実を覆い隠してしまうのですよ。
*
もしあなたが何もできなくなったとしても、きっとあなたを支えてくれる人は出てきます。
そもそも真実のパートナーってそういう人ではないですか?
あなたが何もできなくなったとき、あれこれ愚痴は言うかもしれないし、「大変だ大変だ」と騒ぐかもしれませんけど、でも支えてくれる人ではないですか?
いつも家事に勤しんでくれるのは、いつも仕事にでかけてくれるのは、そういうことではないでしょうか。
また、あなたがパートナーの浮気を知りショックを受けて何も手につかなくなったとき、支えてくれる人、応援してくれる人はいませんでしたか?
そう、あなたが求めれば必ず現れるんですよ、そういう人が。
僕たちカウンセラーもまぁ同じっちゃー同じかもしれませんねぇ( ̄ー ̄)ニヤリ
いや、この世界で与えようとしている人はみな同じではないでしょうか。きっとあなたも同じはずです。
そして、その人達の与えてくれることを前にして「自分は情けない」と責めていませんか?
ここで自分を責めるから、無意識に競争してしまうんですよね。
自分を見るんじゃなくて、相手を見るんです。きっと今のあなたは過去の依存的な自分とは違い、与えられるものも愛することもできるはず。だからちゃんと受け取っていいんです。
自分の成長、成熟を受け入れて認め、人の愛情のすばらしさを認めて感謝していくと、自然と競争から降りることができますよ。
最後に
もし、パートナーのことを心から愛していると思うのに、パートナーとの関係がうまくいかない(対人関係・家族関係も同じ)と思うなら、あなたが競争から降りることを考えてみてください。
あなたと同じように、人も誰かの役に立ちたいのですよ。だから受け取る視点を持つことです。
受け取ったらダメになるという恐れを超えること、ときには無力な自分がいることを認めて受け入れることです。「それでいい」「まぁしゃーないなぁ」とね。
・・・なんて話をすると「私のパートナーが受け取ってくれない人なんですけど、どうしたらいいですか?」という話が高確率で飛んでくるんですけどねぇ。
ねぇ、パートナーが受け取ってくれないってときは、あなたが競争に勝ってるときってさきほど書いたと思うんですけど、さてはてどうお考えになりますか?
そんなに負けるの嫌ですか?
でも、負けはないですよ。愛を受け取ることができるなら、相手はきっともっと喜びます。
その愛情のキャッチボールがよりよいパートナーシップのために大切なことなんですよね。
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