恋愛には興味ないだけど彼女には興味があるよという男性心理を事例に
もうすぐ大野カウンセラーとのコラボセミナーも迫っているということで、今日はちょいと恋愛にまつわる心のお話をばひとつ。
僕たちの学ぶ心理学に登場する「恋愛や夫婦関係をややこしくしてしまいがちな要素」の一つに「判断(ジャッジメント)」というものがあります。
「判断(ジャッジメント)」とはそのまま「判断すること」を意味する、とお考えいただいていいでしょう。
例えば、「男ってのは〇〇だ」「女は△△だ」といったものもあれば
「私の彼って〇〇なのよ」「彼女っていつもXXでさ〜」というものも同じ。
自分の価値観や観念、物事の見方を使って、自分以外の人やものを判断しているってことですねぇ。
この判断が強烈になると、恋愛や夫婦間で相手への思い込みを強くすることになりますわな。
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よくあるカウンセリング事例では
「もう彼は私のことに興味がないんですよ、きっと。だってこんなに連絡をしてこないって絶対に興味がない証拠なんです!」
なんてケース。
これも一つの判断ですよね。相手はもう私に興味がないんだ!というね。
まぁそう思うお気持ちもわからんでもないのですけどね。
実際、既に関係が冷めきっていて連絡がないってケースもありますしね。
ただ、その女性側の判断がいつも正しいとは言えない場合も意外と少なくないのですよ〜。
意外と出会う機会が多いパターンが「彼が恋愛に興味がないタイプなんだけど彼女には興味があった」というケース。
女性の皆さんからすると「なんだそれ?」って思われるかもしれませんが、このような男性は意外と多いんじゃないのん?と僕は思っております。(奥さんのことは好きで大切だけど、夫婦仲良くってのはあまり興味ねぇよ、みたいな感じも同じ例ですな。)
この手の男性は、まぁ仕事が忙しくなったり、自分に余裕がなくなるとパッタリと彼女や奥さんに関わろうとしません。
なぜなら彼女や奥さんに興味がないからというより、恋愛や関わり合い、人とのふれあいに興味を持っていないのです。
だから、彼女や奥さんのことは好きだけど、関わり合うことに意識が向かないのです。
その結果、長期間彼女を放置することになる、って話。
まぁ人との関わり、お付き合いってのは「反応し合う」ことが基本。無関心・無反応ってのはあまり相手に良い印象を与えないものですよね。
だから、女性側が男性のことをそのように判断する気持ちはよく分かるのです、僕なりに。
そこで「私はちゃんと関わり会える彼がいい」ってことであれば、たしかに二人の今後についてじっくり考えたほうが幸せになれる場合もあります。
ただ、もし彼がまだ彼女に好意を持っているとしたら、うーん、こりゃ揉めるかな〜って思うんですよね。
なぜなら彼女の判断は彼の実像とは違うってことになりますから、彼としても(関わっていないんだけど)心外だ!と思っても不思議ではないからですね。
こんなとき、僕は「判断しちゃうことをどうこう言うつもりはないんですけど、判断は手放したほうが楽かもしれませんよ」とお伝えすることがあるのです。
なぜならば・・・・
「判断」のもう一つの側面
先に「判断(ジャッジメント)」とは、そのまま「判断すること」を意味する、とお考えいただいていいでしょうと書きました。
ただ、判断にはもう一つの意味・側面があるのです。
実は「判断」とは、「今の自分がどのような人間であるかを自分自身で証明する」目的で、「自分の外側に対して示すもの」だと言えるからです。
つまり、「彼は愛していない!」という判断をするには、「私は愛されるにふさわしくない」ことを自分で証明しなきゃいけなくなる。
いや、「自分が愛されるにふさわしくない」と感じない限り、「彼は愛していない!」という判断はしないってことです。
・・・。
いやいやいや、浅野さんよ。
そうじゃないでしょ?
あのね、彼は実際に連絡をくれないの、私にね。分かる?だから私は彼のことを『私のことが好きじゃない』って思っているの?好きだったら関わってくるっしょ?you know?
ってお声、カウンセリングの中でもたくさん伺うわけですけどね。
ただ、もしそれが真実だとしたら「もし彼が恋愛には興味がないけど、彼女に興味があった」ってことを「自分で否定しちゃう」ことになりませんか?
感情論を抜きにして考えれば、の話ですけどね。
だから「彼は私のことを愛していないのよ!」って判断は、「私は彼に愛されるにふさわしくない」ってことを外側に示す、つまり彼に示すってことになるわけですよ。
その結果、彼のことを好きなのに受け入れられなくなるのは自分なんです。
これ、放っておくと「愛されると苦しい」のような罪悪感にまつわる話に変化していくので結構厄介なのですよ。
つまり、この手のパートナーに対する否定的な判断の多くは「私は相手に愛されるような素晴らしい人間じゃないっすよ」ということをパートナーに突きつけているようなものなのです。
なので、なんといっても自分の気分が良くない。かつ、愛されてるって事がよく分かんなくなるんですよ。
もちろん彼が恋愛に興味がないって問題もあろうかと思いますけど、それは彼の問題で、自分が愛される価値はねーよって証明する動機にはならないと思いません?そんなことしたら自己肯定感だだ下がりになっちゃいません?
なので、判断は手放したほうが自分にメリットがありますよねぇ、とお伝えしているところなのでございます。
判断が覆い隠すものはおそらく「愛」
ただ、多くカウンセリングでお話を伺うと、私は愛されるにふさわしくないと思いたくなくても、そう自分を否定的に見てしまう状況もあろうかと思うのです。
多くのご相談いただく皆様が、真剣にパートナーのことを愛していらっしゃるからですよ。
自分の思いが相手に届いていないと感じることで痛烈な悲しみをお感じになることが少なくないのです。
僕はそこを否定しているわけじゃありません。判断しなきゃいけないぐらい、つらい思いをしているのもまた事実なんですよね。
愛しているなら傷つかないだろう?みたいな話もありますし、そりゃそのとおりなのだと僕も思うのですけど、至極現実的にこの状況を見れば、愛が伝わらない苦しさってものを感じても不思議ではないわけでね。
そう考えると、この「判断」というものは、相手を裁いたり、自分のことを外側に証明するためになされているという部分を超えた解釈をすれば、いわば「痛み止め」なんですよね。
自分の心がこれ以上孤独にならないように、悲しみで染まらないように、自分が自分らしくいるための痛み止め、なんです。
ただ、その痛み止めが、自分の気持ちや愛情に背くようなものであったなら、誰より辛いのは愛を持っている本人、つまり自分自身ではないでしょうか。
かつ、この判断は、愛や理解、許しを止めてしまいます。
つまり、いくら相手のことが好きでも、愛せなくなってしまうというわけです。
これが何より辛いことではないでしょうか。
愛すること、理解すること、許すことこそ、本当に私達の心を癒やすもの。痛み止めではなくね。
自分自身が愛すること、理解することを止めていないからこそ「自分は愛されるにふさわしい存在だ」ということを感じ続けることも認め続けることもできるようになるのです。
そういう意味でも、「判断は自分のために手放しましょっか。これ以上、こんなに頑張ってきたあなたがあなた自身を追い込まないためにも」とお伝えしているのです。
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