受け取らないとはどういうことか
カウンセリング界隈の心にまつわる話の中に「あなたはもっと受け取ってみてください、そのほうがきっとうまくいきます」なんて話があるわけです。
実はこの「受け取る」ってどういうことなの?というご質問もたくさん伺っています。
このご質問をいただくと、いつもこんな話をお伝えしているのです。
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今、お中元の時期ですけど、例えば、あなたに「あぁこの人にお世話になった、ありがたい」と思う方がいるとして、その方にお中元を届けたいと思ったとします。
それは心のこもった感謝でもあり、大切な方への想いですよね。
そして、あなたは丁寧に、お世話になった方のお宅に伺って品物を手渡そうとした、と思ってください。
すると、相手方はとても謙虚な方で、「お気持ちだけで結構です、ホントそんなつもりじゃなかったですし、困りますから。」と、受け取ることを拒まれたとしましょう。
まず、この時、あなたならどう思います?相手に敵意も悪意もないのはわかるけれど、自分の感謝や、その形である品物を受け取ってもらえない事実を前にすると、何を感じますか。
・・・ちょっと残念な気持ちがしませんか。
だから、あなたは「いやいや、あなたには感謝しかないですし、本当にありがたいと思っています、ぜひ受け取ってください」と伝えますよね?ここで簡単に引き下がらないと思いません?
しかし相手はまた「いやいや」と受け取らないとします。
まぁこのようなやり取りはこの国では起こり得る話だと思うんですよね。
ただ、この話は、たとえ話ですからどれだけでもエスカレートできるわけでしてね(笑)
「受け取って」→「いやいや」と繰り返していれば、なんだかうんざりしてきませんかねぇ。
そして、あなたが「もう!こっちが感謝してんだから、素直に受け取ればいいんだって!」とキレちゃった。
もしくは、相手が「もう!何度も遠慮しているのに話のわからない人だな!もう帰ってくれ!」と憤慨した。
なんてことが起きたとしたら、さてはてどう思いますか?
少なからず、自分なりの感謝(品物)を持って相手のお宅に出向いたにも関わらず、相手に受け取ってもらえず、突っ返されたとしたら、どんな気持ちになるでしょうか。
つまり、「与えるときも気持ちよく与え、受け取るときも気持ちよく受け取ることって大切だと思いませんか」という話をお伝えしたいわけですね。
まぁ僕が突っ返された側なら、そこで半ベソかいてるかもしれません。せっかく持ってきたのに、という意味ではなく、好意を受け取ってもらえないってめっちゃ辛い、という意味で。
また僕が突っぱねた側なら、当分気分が悪く、イライラしているかもしれません。全く悪意なんてないのに、ただ遠慮しただけなのに、何でこんなに気分が悪いんだ、とイライラ・ムカムカするかも、ですね。
受け取らないことは人を傷つけることにもつながりかねない
ただですよ、これもたとえ話ですが、遠慮して相手の好意を突っぱねた側にインタビューをしてみると「なんだかもらうと申し訳ない気がするから」という話が出てくることが多いんですよね。
別に相手の気持ちを無にしたいなんて加害意識はないけれど、つい突っぱねてしまう、と。
人によっては、そう感じること自体が面倒だから、何も望まないし「そもそもそういったお礼やらお中元などは結構ですから」とシャッターを閉めちゃってる場合もありますね。
うーん。この話、お互いの思いに悪い部分は見えないのですが、なぜにこんなに切ない気持ちになるんでしょう。
つまり、誰かの好意を遠慮する気持ちにいいも悪いもありません。が、突っぱねて受け取らないということは、相手が傷つくということでもあります。
そして、突っぱねた本人もあまりいい気分がしません。
お互いにいい気分を感じられないことが、いわゆる問題を作る理由にもなるのです。
ちなみにこのような状態を心理的に見つめると、「自分が相手の思いを受け取ることに、抵抗・葛藤などを感じている」ということになります。
つまり「そこまでいいものを受け取る価値がないんじゃないの?」という罪悪感や無価値観やら劣等感やらが、自分の内面に存在することを暗に示しているわけですけどね。
だから、僕はこういったお話をさせていただくのです。
「あなたが感じているあなたと、相手が感じているあなたでは、随分と違いがあるようですね。今回のケースでは、間違いなく相手の方があなたをよく見ているようです。
では、さてあなたの意識はどうでしょうか?
人は私のことをそこまでいい人と思っていると思いますか。それとも人は自分のことをどう思うと思っているでしょうか、」
だから僕は、僕たちは世界一自分に厳しいぜよ、というお話をしているのです。
日常を当たり前のように生きている中ではなかなか気づけない意識の話なんですけどね。
あなたは自分を、人を喜びだと感じられますか?
もし、人の中には、自分より自分を良く評価してくれている人がいる、と感じられるなら、きっと今以上に生きやすくなりますよね。
しかし、人の中には、自分を悪く評価する人ばかりだ、と感じているなら、たしかに生きにくいかもしれません。
カウンセリングでも、例えば「人が怖い」「人の目が気になる」というご相談もお受けしますが、それって「自分が人をどう思っているか」以上に、「自分が自分をどう感じているか」次第で決まること、ということ、今日の話でなんとなくご理解いただけるでしょうか。
もしあなたが自分をネガティブに見ていれば、人の好意にふさわしくないと自分が感じます。
しかし、あなたが、あなたに感謝や信頼を向けてくれる人のように、「自分は人の好意にふさわしい」と感じられるなら、あなたが感じる世界は代わり、もっと受け取れると感じられないでしょうか。
つまり、本当の自分を知ることで、世界は変わると思いませんか。
自分に厳しさを向けるということも、一つの自分の扱い方なんですけどね。でも、それが当たり前になっていると、自分の凄さ、素晴らしさに改めて気づくことを忘れてしまうのかもしれませんよ。
そして自分を手厳しく扱うことを続けているうちに、誰かの好意を全く悪意なくはねのけちゃっていることって少なくないようですよ。
典型的な例が、昭和の頑固親父パターンです。
家族や子供への愛情はあるし、それを原動力に頑張りつづけているのだけど、自分のことを手厳しく扱いすぎて、周囲の思いを受け取れず燃え尽きかけている、みたいな。
現在はこういった分かりやすい人は少なくなっているのかもしれませんが、しかしこれが恋愛、夫婦、対人関係の問題を作る理由になっていることはとても多いのです。
だから、「もっと受け取っていいんじゃないですか、受け取れる私を目指してみてもいいんじゃないでしょうか」とお伝えさせていただくことも多いんです。
すると、「いやいや、私はそんなに頑張っていませんし」なんてお声が飛んできて、僕の中で「よっしゃ、負けへんで、頑張るぞ!」と、負けん気と闘志が湧く・・・
もとい、癒やしを進めていくんですけどね〜。
もし、毎日頑張っているあなたの日常になにか悩みや問題ができたなら、もっと「受け取る」ために、受け取れる私に近づくことが必要なこともありますよ。
そもそも僕たちは受け取る能力があるのです。しかしその能力を封印しているのも自分なのです。
あなたは自分にどれだけ受け取ることを許していますか。
どれだけ自分を認めているでしょうか。
少し自分自身を見つめてみてください。
もし。あなたが受け取らないことで残念な気持ちになっている人がいるなら、さて、あなたはその人にどのような思いを伝えたいでしょうか。
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