ほぼ30代からの”仕事に活かせる”心理学

「サバイバルモード」と「自分をアテにする」ことの意味を考える

サバイバルモードのときほど「自分」を意識していきましょう

カウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。

いつもありがとうございます。

さて、僕はこの3月も東京・大阪・名古屋・福岡と面談カウンセリング行脚をさせていただいてきました。

ありがたいことに各地域の面談カウンセリング、ほぼほぼ満席をいただくことができました。

そして、3月半ばからはじめました「ZOOMによる面談カウンセリング」も担当させていただいています。

現在も、4月開催の面談カウンセリング・ZOOM面談のご予約をいただいています。

いつも本当にご利用ありがとうございます。

さて、僕もコロナ禍の影響で、なかなか経験したことのない毎日を過ごしているところです。

僕自身、コロナ禍の影響をひしひし感じています。

しかし、このブログでは全くと言っていいほど、この影響についての話には触れてきませんでした。書くべきではない、と思っていたわけではないのですが、まだその時期ではないとずっと考えていたんです。

そこにはちょっとした理由があるわけです。

今日はそのネタバレといいますか、どうして僕が通常モードの記事を書き続けてきたのか(きっと明日から通常モードに戻りますが)その意図を明かしながら、ちょっとした心の話をコラムにしたいと思います。

よろしければどうぞ。

サバイバルモードと幸せに向き合うモードは違う

僕たちは時として「サバイバルモード」にならざるを得ない状況と向かい合いますよね。

僕がお伝えしている「サバイバルモード」とは「勝ち抜く」「生き残る」といった目的で物事と向き合う状態のこと。

深層心理的には、どこか勝ち気で、他者との競争意識を強めがちな状態といえます。と、同時に「怖れ」を動機とした行動を取りやすくもなりがちで、自分をアテにしているか、というと、しているようでしていない方もいますよ。

今の自分では生き残れないのではないか、と考えることが増えるからですね。

(ただ今の情勢の話とはちょっと違いますけどね。今は本当に自分を守り、助け合いながら、自分にできることにフォーカスしたほうがいい時期だと思います。)

また、「自分が生き残ること」が何より優先されるので、自分自身の進む道を阻むものがあるとしたら、それを取り除こうともします。

その努力は素晴らしいものですが、懸命に努力しつつも、なかなか心に平穏が訪れることは少ないかもしれません。

もちろん自力で生き残るプロセスを経ることでメンタルは強くなりますから、サバイバルモードに意味はあります。めっちゃタフになれますよ、うん。

ただ、どんなことにもプラスとマイナスがあるように、考え方・感じ方がネガティヴに振れるので、本当の願いとは違い、人の不幸・失敗に興味を持ちすぎたり、他人を疑う気持ちが強まったり、物事の問題点だけクローズアップして見つめがちになることがあるわけです。

これは「投影」として自分に跳ね返ってくるので「自分自身もミスや失敗、スキをみせれば、他人に同じことをされるかも」と感じるようになり、更にサバイバルモードが強化されるリスクがある、ともいえます。

また、サバイバルが目的なら、サバイバルな日常の質を気にすることは少なくなります。

だから、日常の質もそんなに高めたいという意識を持ちつつも、サバイバルという言葉の意味とは裏腹に、なぜかお酒の量が増えたり、ジャンクフードばかり食べていたり、極端な運動不足になったり、睡眠時間を削って仕事を続けたり、そんな日々が続くこともあるでしょう。

日々やるべきことに向き合ったり、向上心を持つことは必要なことですが、自分を癒やす、認める、整えることは後回しになりがちで、心のバランスをとる時間も減りがち、といえます。

このサバイバルモードの中での「価値」は、「自分が何をして勝ち残ったか」になりますから、「自分自身の成果」になりやすいのです。

だから、自分自身の内面の価値には目が向きにくく、何事もできないと意味がないだと思いやすいですから、うまくできないと焦ります。

勝ち気かどうかは別にして、とにかく「負け」を避けたいし、それが受け容れられない、と感じることが増えるんです。

目的がサバイバルなので、負けは死を意味する、と感じているわけですね。

もちろんサバイバルモードで勝ち残り続ければ、それはそれで快感を得る事ができるとは思いますけどね。

一方、「幸せと向き合うモード」は、サバイバルモードとは違います。

その目的が、生き残るではなく、幸せになることですから「自分」と「他者」の共存を考えることになります。

自分だけが生き残た世界で、幸せになることはないですから。

だから「生き残るか、死か」ではなく、「お互いに勝つ」という価値観を持つようになります。

この違いはとても大きいと僕は常々思っていますし、たくさんお寄せいただく恋愛やご夫婦のご相談にお答えするときにも、とても大切にしている考え方なんです。

サバイバルモードは必要なもの。しかし毎日続けると・・・

繰り返しになりますが、このサバイバルモードが問題だとお伝えしたいわけではありません。

僕たちはこのような状態になることがあるし、そうせざるを得ない時がある、というわけです。自分がサバイバルモードであること自体、批判されることではないと僕は考えています。

このサバイバルモードと、幸せを目的にするモードのバランスが大切で、バランスをとることでより幸せを実感できるでしょう、という話なのです。

ずっとサバイバルモードで生きるって、よほどそれが好きじゃない限り大変なことでしょうし、長く続けていれば「毎日頑張っているけれど、何のために生きているんだろう」と考えるようになる理由になっていきます。

いわば燃え尽きやすい、ということですね。

よく「好きなことがわからない」「何をどうすれば楽しめるのだろう」「気持ちがネガティブに振れる」というご相談をいただきますが、自分自身がサバイバルモードにシフトしていると、そういった疑問を持ちやすくなる、というわけです。

また、サバイバルモードでいつづけると、「自分が生き残る」ことが優先されすぎるあまり、自分の存在・言動が「誰かの喜びや幸せとつながっている」という実感が得にくいのです。

だから、毎日頑張っているのになぜかネガティブなプライドだけが高くなって、自尊感情を感じられなかったり、何かしらの失敗や限界を感じることで自己否定が始まることも少なくない、と僕は考えています。

恋愛や夫婦問題で置き換えるなら

現在のような緊急事態でなくとも、平穏な日々が続いていても、常にサバイバルモードのスイッチがオンになっている方もいます。

なによりサバイバルモードでいつづけると、「他者と認め合いながら共存する」「みんなで幸せになる」と考えることが難しくなりやすい。

例えば、恋愛や夫婦関係でいえば、「自分の不安次第」になりやすいんです。

そもそも普段からサバイバルモードで頑張っているからこそ、「自分自身が何もしていない、できない」ということを受け容れられないので、緊急事態のような自分ではどうにもできない状態になると、途端に「怖れ」が吹き出して、超スーパーネガティヴな悲観が出てきやすくもなります。

自分のやり方で上手くいかないとめっちゃ不安になって、ついイライラしてしまったり。

ちょっとした出来事で不安がめちゃめちゃ出てくる、といったイメージでしょうか。

あと、頑張れなくなると自暴自棄になってしまうとか。

恋愛や夫婦関係の中で起きていることに対して、必要以上の不安・怖れを感じていくわけですね。

だから彼の気持ちが離れていくことで、半ばパニックのようになったり、一つの恋愛や関係性がうまくいかないことで、自分の全て(恋愛や夫婦関係の全て)を否定的に見つめるようになる人もいます。

そこまで否定的な物事の見方が生じなくても、諦めばかりが湧いてきて、未来に希望を感じられなくなることもあります。

また、そもそもサバイバルモードでいる人ほど、喜びよりも「自分を慰めるもの」を癒やしだと思いがちですから、恋愛や夫婦関係自体が喜びではなく、慰めになっている場合もありますよ。

恋愛していないと幸せではないと思うから、今が喜べなくても誰かとつき合っているなんてケースがそれにあたります。

悲しいのは、サバイバルモードでいる人に全く悪気はないのですが、相手が純粋に自分を愛しているときほど、相手の好意に価値を見ず、傷つけたり、拒絶することが続いてしまうことでしょうか。

これこそロックマンの心理と言えそうですけどね。

だからといいますか、これは逆説的な話なのですが、サバイバルモードのスイッチがオンになっていると、恋愛や夫婦関係の中で「私の彼への愛し方って正しいだろうか」「彼は何を考えていて、何をすればいい関係になれるだろうか」という疑問ばかりが湧き上がってくることもあります。

もちろん「相手を上手に愛することで、お互いが幸せになれるように」という祈りや目的を込めている人もいらっしゃいます。それは素晴らしいことですよね。

ただ、もしサバイバルモードが続くなら、恋愛や夫婦関係、愛すること・頑張ることの目的は「自分が生き残ること(不安にならないこと)」になっちゃうわけですよ。

だとすれば、自分が心から愛していても、その実感が得られなかったり、いつも突っ走っていないと気がすまず、「うまくいかないことがあっても幸せ」と実感することが難しくなることも増えますよね。

他者からの好意や承認も、ありがとう、とは思うけど、「でも全ては自分次第」と感じて、あまり他人をアテにできなかったり、意味を見いだせないことも少なくないかもしれません。

結局、「孤独感」や「分離感」が拭えず、怖れが手放せない状態になりやすいだろうと考えます。

何が言いたいかといいますと、全ては自分次第という考え方はとても大切なのですが、その向こう側「ありがたい」「お互いさま」と思える感覚にたどり着きにくいのです。

そういう意味では、相手との心から繋がれて、今、ここにいることに喜びや幸せを感じるためには、このサバイバルモードのスイッチをオフにできるようにしておくほうがいい、とも言えるのです。

いわば「いつでもサバイバルモード(スーパーネガティヴ)になれるように、普段はスーパーポジティブでいる時間が大切ですよ」ということなんです。

(ただ、今の情勢下では、サバイバルモードのスイッチをオンにせざるをえない、とも思いますけどね。)

「自分をアテにすること」がスイッチ

では、このスーパーポジティブ、とまではいかずとも、落ち着いて毎日過ごすためにのスイッチはどこにあるのか、という話なのですが。

長くサバイバルモードのスイッチがオンになっている人にとっては、「自分をアテにすること」がそのスイッチになる場合が多いです。

自分の中の良い面も、そうではない面も、受け容れていくことです。

成功した自分を認めつつ、そこに浸りこまず手放す。

失敗した自分を認め、自分を責めたり、慰めるモードから抜け出す。

よく自分を認めましょう、受け容れましょう、といいますが、まぁその通りだと僕も思うのです。

ただ、そもそも自分で自分を受け容れられるようになっているなら、いつもサバイバルモードでいる必要はない、ともいえます。必要なときにサバイバルモードのスイッチが入る、ということですね。

自分の内面に、受け入れられない自分(感情・記憶)がありつづけると、サバイバルモードになっている、が、深層心理のあり方ですからね。

だから、成功した自分に浸りこみしがみついても、サバイバルモードはオフにならないし、失敗した自分から背を向けてもサバイバルモードが続くということ。

淡々と、自分を認める感じです。

それが感情的に難しいと感じるときに、セッション(セラピー)やカウンセリングが有効という感じですよ。

だから、スーパーポジティブのスイッチをオンにするために、まず信頼できる人や、自分を受け容れてくれる人と関わる、という「依存」の選択は、「いい意味での自立」への架け橋、学びになると僕は思いますよ。

愛を学ぶ、実感する、という意味で。

なかなか受け容れられない自分を、誰かが受け容れてくれた、という経験を使って、自分を受け容れていく材料にする感じです。

もちろん自分を向き合うという方法でも、なにかに貢献するというやり方でもいいんです。

どんなプロセスを通じてでも「今の自分も捨てたものじゃないよね」と思えれば、ゆっくりと常時オンとなっていたサバイバルモードのスイッチがオフになっていき、「幸せと向き合うモード」になれば、自ずと幸せな結果は出やすくなるんです。

そのために人の愛は存在するのだろう、と僕は思うぐらい。

だから、そもそも「依存」自体、僕は否定的に見ていません。

何でも自分次第って、そんな完璧じゃないからね、僕たちは。

(だから、今のコロナ禍は、人との接触を分断するという意味においては、なんとも切ないものだな、と僕は思っています。ただでさえ不安が強まるこの時期に、と。)

ただし、自立であれ依存であれ、何事も度が過ぎると問題になります。

例えるならば、アーモンドは栄養価が高い素晴らしい食べ物ですけど、調子に乗って食べ過ぎると脂質を取りすぎる、みたいなものですね(あぁ食べ過ぎたんだな、と思ったあなた、鋭いかも♡)

つまり、自分を肯定的に見てくれる「他人」に常に依存している状態になってしまうと、スイッチが切り替わることはないので、そこが注意点です。

自分を受け容れることを他人に依存しすぎてしまうと、他人の価値観に染まってしまい、振り回されます。いわば「盲目的な信者」のような状態になるので、何かがないと不安・ダメになる、という状態になるんです。

僕たちは「グラウンディング」と呼んでいますが、自分で地に足をつけることは大切です。

自分が「好き」と思い選び続けて学びにするプロセスと、何かに取り込まれて「依存しつづけること」は意味合いが違いますからね。

もし、なにかや誰かに依存し続けると、自分で自分を受け容れる必要はなくなりますから、自分を見失ったままになるんですよ。

だから、自分一人になると「何も信じられないかも・・・」と、急にサバイバルモードに突入するパターンは変わらない。

だから、今度は逆に自立にこだわりすぎたり、無理をしたり、過剰に犠牲するパターンが残ります。

とはいえ、僕のクライエントさまの多くは、カウンセリングでの癒やしを通じて、自分で自分を見つめなおして、ご自分なりの結論を出していかれる方が多いので、僕はそんなに心配していないんですけどね。

要はバランスなんです。このバランスをとることが上手な自分操縦術なんです。

自分自身も、その人生も、ある意味「舵取り」が大切ですよね。長い長い航海に出るとしたら、いろんな事が起きるでしょう。嵐もあれば凪もある。無風のときもあれば、追い風も吹けば、逆風も吹く。

自分から前に出るとき、状況を見るとき、過去の経験を生かして対応するとき、ぐっと「今は我慢だ」と耐えるとき、いろいろあると思うんです。

そのとき、芯になるのは自分。だから自分をアテにしておくことがポイントになるんだろうと僕は思うんですね。

何もしない(変えない)もリスクだし、焦り続けることもリスクだし、何もぜずぼーっとしているだけだと、チコちゃんに怒られるというワケですね(笑)

***

最後になりますが、僕は今回のコロナ禍を通じて、普段の自分がいかに日常の中でサバイバルモードになりやすいかを思い知った気がします。

もちろん、今の状況は日常とはいえず、非日常的ですから、サバイバルモードになって不自然ではないけれど、「いつも自分をアテにせず、不安の中でサバイバルモードになってなかったか?」と気づいたということです。

どこか自分をアテにしきれてなかったな、と気づけた部分がありますよ。

それぐらい僕も「弱さ」があるし「焦る」ということなんです。

今回は、その弱さと向き合ういいきっかけにはなりました。

が、僕もさまざまな学びを通じて、以前ほどブレなくなりましたし、自分の中に【自分をアテにできる安心感】を見出すことができています。

だから、このブログも通常運転させていたのです。

そもそも僕の仕事は愛と許しの視点から、皆さんの幸せをサポートすることですから、通常運転で。

ただ、今回の出来事をきっかけに「新しい形」は意識しています。だから近いうちに・・・まぁ今はまだ書かないでおきましょうか(笑)

我が師匠は、よくこんな話をします。

「応援団ってのはな、みんながガッカリしたり、なんだよーと思うときも、全くブレずに応援し続けるものだ」と。

僕もそんな存在でありたいと思うのです。

だから、次回からも通常運転させようと思う次第です。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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