恋愛の心理学

切ない男女関係を重ねているときに気づいてみてほしい感情の話

切ない男女関係を重ねているときも、あなたの心はメッセージを出し続けている

さて、今日は切ない恋愛・夫婦関係を重ねているときのココロの動きと、その処方箋についてコラム化してみようと思います。

若干ニッチな話になりますが、よろしければどうぞ。

切ない男女関係とは「自分が喜べない関係」のこと

このコラムでの「切ない男女関係」の定義は、「自分が喜べない恋愛」「自分が楽しめない恋愛」「違和感を感じつつも相手を受け入れてしまう関係」のようなものだと思ってみてください。

そもそも男女関係、恋愛、夫婦のつながりとは、喜びや楽しさを感じられるものです。

二人が寄り添い、喜びや辛さを分かち合いながら生きていく関係でもあり、自分が選んだ人を愛することで自分自身に心の成熟がもたらされるものなんですね。

しかし、その男女関係が苦しみや切なさを生み出す種になっているケースもあるようで、実際そういったご相談も少なからず伺います。

例えば、彼の求めにいつも答えるだけの関係。

彼女が思うように合わせるだけの関係。

どこか「今のこの関係では幸せになれないかも?と思う。そんな違和感がある。けれど、その違和感に気づかないふりをしないと自分が支えられない」みたいな感覚を感じながら、今の切ない関係を続けている方もいらっしゃるのかもしれません。

そこで最も感じたくないのは、一人だと感じ、愛する人がいなくなったときに湧き出すあの嫌な感覚、なのかもしれませんね。

だから、今の恋愛、パートナーに執着もするし、自分が切ない思いを抱えても関係を解消できない場合もあるようです。

まぁこれも言ってしまえば自作自演の問題です。

ただ、僕はここに隠れている心の動きって「自分でもわかっているけどどうしようもない」と感じやすいものになるのではないかなー、と思っています。

だからこそ、あなたの今をやたら否定的に見る必要もないと思うんですね。

例えば、切ない恋愛を続けている自分や、ついパートナーに執着してしまう自分がいるなら、まずその自分を受け止めて見ていいんじゃないか、と思うわけです。

切なさ満載のときほど難しいことだと僕も思うのですけど、そう思うのです。

つまり、今の自分を闇雲に否定的に見て、責めてみても、切ない恋愛を重ねる心理パターンは変わらないかもしれませんよ。

切ない恋愛を作り出す罪悪感・無価値感は「分かりあえない関係」を作る材料でもある

僕の学ぶ心理学や、僕自身の臨床経験から導き出される、「切ない恋愛」を作り出す感情とは、ほぼほぼ罪悪感・無価値感です。

罪悪感とは、自分は罰を受けるべき対象、であって、だから誰かの救いが私には必要、と感じる感情。

無価値感とは、自分は価値がないちっぽけな存在、であって、だから誰かの愛が私には必要、と感じる感情。

だから、どれだけ切ない恋愛であったとしても、誰か(彼や彼女)がそばにいるという事実は何より欲しいものになるんですよね。

逆に言えば、どれだけ切ない恋愛でも、誰か(彼や彼女)がいなくなることで、ものすごい不安と怖れを感じるのです。

今の誰か(彼や彼女)がいなければ、自分は幸せになれない(満たされない、一人ぼっちで、罰を受けるような日々)に戻るし、「私がちっぽけな存在だから、もう誰も愛してくれないかも」と感じるからです。

だから、どれだけ切ない恋愛でも、執着し、手放せないものになることも多いんですよ。

例えば「私に悪いところがあるなら直すから」みたいな状態。

これは、前提条件に「私が悪い(ちっぽけ)」であって「だからあなたの気持ちが離れていくのね」と自分自身が思い込んでいる(感じている)状態を示すことが多いんです。

だから、自分に悪いところがあるならあなたのために全て直す、と言いたくなるし、今の関係をやめないで、とお願いしたくなるわけです。

もちろんその心情も僕なりに理解できるんですよ。

ただ、もしそう感じているのであれば、この時点ですでに「自分自身が誰か(彼や彼女)と愛しあえない心理状態になっている」と僕は見ています。

罪悪感や無価値感の影響が強ければ、そもそも「誰かに愛情を与えても(自分から関わっても)相手は喜ばない」と感じているはずなのです。

だから、受け身のスタンス(愛され、許される側)で、恋愛を構築していくしかなくて、どれだけ自分が切なくても、相手の要求を受け入れることで二人の関係をつなぎとめておかなきゃいけなくなる。

少なからず、自分自身がそう感じている時点で「私は誰か(彼や彼女)とは、分かりあえない、愛しあえない」と悩んでいるはず。

また、多くの人が、自分の愛情を相手に与えることで喜んでほしいと思うし、好きな人と分かりあいたいと思いますよね。

だから、その逆の心理、罪悪感や無価値感がもたらす心理作用を、大切な誰かに与えたくない、とも感じるはずなのです。

つまり、好きな人がいると、その人に悪影響を与えたくないので、積極的に分かり会える関係にはなろうとしないわけですね。

これが「切ない恋愛を作る心の動きである」と僕は見ています。

もちろん相手のことは好きだし、大切に感じることもできるんです。

愛情もあるし、相手のためにやってあげたいこともたくさん思いつくんです。

でも、実際は「嫌われないように」行動するしかなくて、「本当にこれでいいの?」「私、愛されているの?」「相手のこと受け入れすぎているんじゃないの?」「今の関係ってちょっとおかしいのかも」と感じていても続ける選択しか残されていない、なんてことも起こり得る。

そんなとき、もし二人の関係が別れになるなら、自分の気持ちをザクザク切り刻まれるような痛みを感じるだろうな、と思うんです。

「分かりあえない関係」とは、それほどまでに切なく、自分の愛情の価値を見失うものだと僕は見つめていることが多いです。

だから「あなたには愛情も価値もあるんだから、それを実感レベルで取り戻して『分かりあえる関係』に向き合えるようになっていきません?」とご提案させていただくことも多い、というわけです。

分かりあえない関係は「自立の動機」とリンクするから厄介なのだ

ただ、こういった分かりあえない切ない恋愛を重ねているみなさんほど

「これって自分の問題ですよね」

と僕におっしゃってくださいます。

もちろんパートナーを責める気持ちも、自分を嘆く気持ちも抱えつつ、しかし「私が悪いんですよね、ダメなんですよね」と思っておられる方が多い。

また、恋愛の中で、実際に自立的な彼から「別れよう。君は悪くない、僕が悪いし僕の問題だ」なんて言葉で別れたことってないでしょうか。

これも「分かりあえない関係」を作る心理の影響なんですよ。

この状態は放っておくと、更にわかりあえない関係を導くので、「うーん、なんとかしたいところですよねぇ」とクライエントさまにお伝えしています。

結局、「お互いが分かりあえない」理由は「自分の問題」である、という、文字だけを見るとごもっともな理由が、分かりあえない関係を強化してしまうことになるわけですね。

実は分かりあえない関係を作るのは、自分の罪悪感や無価値感の影響なのですが、その罪悪感や無価値感はまさしく自分が感じているものなので、自分の問題だ、自分に問題があるのだ、と認識していくことになるのです。

それほどまでに、僕のもとにご相談をお寄せいただく皆さんは、めっちゃ真面目であまり物事を人のせいにして生きていないんです。

男女関係の中で感情的になることはあるし、「もう辛い、しんどいよ」と思って一人でさめざめ泣くことはあっても、「でも私が選んだことですよね」と考えることができる方が多いんです。

ただ、この「自己責任」の感覚が、罪悪感や無価値感に食べられちゃっているとは、なかなかお気づきにならないわけですね。

つまり、自分が悪いだとか、価値がないと強く感じているときに自己責任を考えると、全て自分が悪いし、自分は愛されるにふさわしくない、としか感じないはずなのです。

だからこそ、これは「愛からみた自己責任原則ではないのかもしれない」という部分に気づいていただきたいと思うわけです。

確かに、自分が今の切ない恋愛や関係を結ぶことに同意した、という事実は間違いのないことでしょう。それは紛れもなく自分の責任の上での行動です。

ただ、それを理由に切ない関係を自分に与え続けること自体、確かに自己責任だけど、ちょっと罪悪感などの「感情の影響」が強すぎないですか、と僕はお伝えしています。

つまり、僕からの提案としては

「もちろんあなたが感じている感情を否定するつもりは毛頭ありません。今の自分の状態を受け入れることは大切なことです。

ただ、本当にその罪悪感や無価値感、あなたにふさわしいんですか?」

となります。

もし、罪悪感や無価値感の影響をある程度癒やして、愛の視点から恋愛に対して自己責任をとっていくならば、

・いくら相手から求められても、自分が愛せない人とは関係を結びはしないでしょう。
・自分が相手に救いを求めること以上に、自分が相手の喜びであることを認めているでしょう。
・お互いが切なく苦しい関係になることを望みはしないでしょう。
・これ以上愛せない、と思うなら、相手の幸せを願って関係をリリースできるでしょう。
・本当に相手が別れたいと思っているなら、辛いけど相手の気持も尊重することができるでしょう。
・もちろん自分が傷つくことは選ばず、心から与える動機で行動するでしょう。

それほどまでに、自分は愛にふさわしく、誰かの喜びになれるという感覚を感じられているもの。

その上での行動を考えるわけです。

自分と誰かが幸せを選べるように考えるもの、と僕は思います。

だから、自分の責任において、自分も相手も傷つかない、(一時的に痛みは伴っても)苦しまない選択を考えるのです。

ここまでの話をまとめると

無意識的にでも、罪悪感や無価値感の影響が強まっていると、「自分は誰かの喜びになれないのでは?」と感じることになる。

けれど、それではとても切ないので、誰か(彼や彼女)を強く強く求める気持ちが生まれる。この感情は普段は抑圧されていて感じないが、男女関係となるとその蓋が開く。

しかし、「誰か(彼や彼女)の喜びになれない自分を相手に与える」ことは避けたい、と感じているので、今のままでは素直に関わり合うことを望めない。

素の自分でパートナーと関われないと思う分だけ、外側の価値(美しさや特技、資格など)を使って、愛される理由、相手と関わる理由を作ろうとする。(補償行為)

もしくは最初から「割り切った関係でいましょうよ」と、距離のある関係・相手にパートナーがいる関係を無意識的に望んだり受け入れるし、相手から望まれれば受け入れる。

ただ、実際に男女関係を持てば喜びを感じることはできるし、一人ではないという安心感も感じられる。

そこでは、まるでパートナーの存在が罪悪感や無価値感の世界から救ってくれるような感覚がするので、一瞬罪悪感や無価値感が溶けたような感覚がして、刺激的な感覚、官能的な感覚すら覚える。(不倫や浮気の心理)

そして「今の関係も全て自分の責任よね、自分次第よね」と自立的な気持ちを持ちつつも、パートナーに対しては、急に依存的な態度になったり、相手が離れていくことに痛烈な怖れを感じる。

この「自己責任」の感覚が、罪悪感や無価値感に食べられちゃっていると気づけないと、自分を追いつけめたり罰することになる。

その結果、そこで感じる苦しみや、一人になってしまう怖れから逃れたくて、彼に執着したり、切ない関係でも受け入れるしかないと思うようになる。結果的に重い関係になってしまったり、二人の関係がこじれてしまう。

と同時に、また「自分次第」という自立的な発想が自分を追い込むので、誰にも相談できないし、どうしたらいいかわからなくなる。

という心理パターンもある、ということなのですね。

今はまだ小さくてかすかな、しかし確実に感じる違和感を大切に

こういった切ない恋愛を重ねている方に

「彼のことが必要で別れたくない気持ちはわかります。ただ、あなた自身も今の関係って妙だ、ちょっと違うって思ったことはありません?」

とインタビューすると、多くの方がこうおっしゃいます。

「そう言われると確かに少し感じていた気がします。でもどうしたらいいか分からなくて。」

だから、今の関係が切なくても意識を向けるしかなくなっている。そんなケースが多いものなのかもしれません。

ここときの癒やしの鍵は「そのかすかに感じる違和感」だと僕は思っています。

なにか違う。このままじゃいけない気がする。

そう思うのは、自分自身の中に、もっと二人が無理せず、楽しめて、安心できる関係を結びたいという、自分の中に眠る感覚がまだ存在するから、ではないでしょうか。

もし、無理して彼のことを受け入れすぎていたり、自分が報われないような切なさを感じているなら、この違和感に注目してほしいのです。

それはきっと「あなたがお互いによろこびあえる関係」を求めている証拠だと僕は思うんですよ。

私も相手も、お互いに喜びになれるはずなのに、と。

ただ、このような違和感は、かすかにしか感じ取れないものでしょう。

僕たちの心理学でも同じような考え方をしています。「エゴの声は大きく、真実の声はかすかにしか聞こえない」といいます。

しかし確実にこのかすかな声、違和感のようなものを感じている人は少なくないと僕は見ています。

そして、このかすかな声を大きくする僕なりの考え方が、「本当に私に罪悪感や無価値感がふさわしいの?」です。

まず、「今の私は、自分のことをどう感じているの?」と素直に認めてみましょう。ここを否定してもなにも変わりませんからね。

その上で、「本当に私に罪悪感や無価値感がふさわしいの?」「私には誰かの喜びになれるし、なりたい」と選び続けてみてください。

この考え方を取り入れると、葛藤したり、自分自身が嫌な気分になることも少なくないでしょう。それほどまでに隠してきた罪悪感、無価値感を受け容れる怖れを感じるものですから、僕たちは簡単に自分を諦めます。

ただ、ここで諦めないで、私は誰かの喜びです、そうなります、と前に進むことです。(そのサポーターこそ、あなたの信頼できる仲間であり、相性の合うカウンセラーなんです。)

ここで前に進めたら、きっと「辛い恋愛は自分にふさわしくないんだ」と思えます。

そう思えたら、あなたの幸せを願ってくれていた、友達、家族、仲間、先輩など、周囲の人の存在に気付けるようになるんですよね。

「みんな私の幸せを願ってくれていた、でも気づけなかったのは私だったんだ」

そう気づいたときに、なんとも自分が惨めで情けなく思えつつも(これが愛を拒絶していた自分への反省のようなもの)、じわっと嬉しくて心が温かくなるような体験ができるでしょう。

それこそが親密感を感じ、自分に幸せを許しているときの感覚に似たものですよ。

実は罪悪感や無価値感を強めているときほど、自然と人から分離した生き方を選んでいます。だから、その生き方自体が自然すぎて、問題視すらしないものでしょう。

ただ、それこそが「分離感」を感じている状態であり、ネガティヴな自立状態ですし、だからこそ「自力にこだわらざるえをえない自分」が登場します。

そうしないと生きていけないですからね。

ただ、その自立は「自分がどれだけ与えられるか、喜びになれるか」という目的を持った自立ではなく、「もうこれ以上傷つきたくない、罰されたくない」と感じているからこそおきる自立です。

だとしたら、どれだけ好きな人が現れても、喜びあう方法ではなく「傷つかない方法」ばかり思いついてしまうと思いませんか?

この状態で、どうやって自分や相手を喜ばせるのでしょう。

心から愛しあい、繋がれるでしょうか。

とはいえ、このネガティヴな意味での自立は、自分が傷つかないための対処法として、長い間使われてきたものなので、そう簡単には手放せません。

いわば、自分にとってメリットのある方法なので、手放すなんてありえない、むしろ危険だと感じてしまうものです。

このとき、僕たちは「人を(信じたいけど)信じられない」と思うわけです。

でも、考えてみてください。

繰り返しになりますが、あなたには罰やちっぽけさがふさわしいのでしょうか?

そうなんです、この繰り返しです。

この繰り返し、繰り返し、の中で自分の心をもう一度育て直すのです。

もし、あなたが切ない恋愛から卒業していくことをお考えなら

「私には罪悪感や無価値感がふさわしいの?」

と問いかけ続け、自分の中で感じるかすかな違和感を見つめて、人と愛やつながりを持つ方向に進む勇気を持ってみてください。

その勇気は、今まであなたが重ねてきた切ない恋愛の中にも「私なりの愛し方があったこと」や「自分なりに必死だったこと」を受け入れ、大切に扱う動機にもなります。

あなたは自分を恥ずべき存在と思う必要はないんです。今も、昔も、あなたには誰かを愛する力も、喜びになれるだけの価値があることに、どうか気づいてみてくださいね。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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