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好きなことがわからないけど、誰にも相談できない、というご相談
今日は「好きなことがわからない」がテーマのコラムです。
多くの方が好きなことを仕事にしたい、好きな人と過ごしたいと願われますよね。
しかし
- 「好きなこと」について考えてみても、なぜか思いつかなかい。
- 好きなことがわからないから、今のままでいいやと思っていたが、それが辛くなってきた。
- 好きな人がわからないまま結婚したからか、今の生活が苦痛でしかない。
- 好きなこと、好きな人は何となく分かるけど、そこに近づけない。
そんなお声を伺うこともありません。
また、「自分の好きなことがわからない程度で人に相談するなんて」と思われている方や
「大人なのに分からないなんて恥ずかしくて誰にも相談できない」と思われている方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
実際、そう思いながらも深く悩んでしまうので、勇気を出してカウンセリングをご利用くださる方もいらっしゃいます。
が、「好きなことがわからない」って大きなテーマですし、その事情も人それぞれで複雑なんです。
ただ、「好きを感じられない世界で生きる」って、どこか切ないですもんね。
また、好きなことがわからないまま過ごすことでQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の質が低下してしまう可能性も否定できないものなのです。
そこで、今日は「好きなことがわからない」についてのコラムをまとめていきます。
何か皆さんの参考になればと思いつつ。
では、よろしければどうぞ。
「好きなことがわからない」と感じる心理・理由
まず「好きなことがわからないと感じる理由」から始めていきましょう。
実は「好きなことがわからない」と感じる理由は一つに絞れるようなものではなく、複数の可能性がある、と僕は考えています。
例えば
- 「好き」という感情を禁止している場合
- 「好き」という感情を探そうとして、自分に意識が向きすぎている場合
- 「好き」という感情を感じると、自分のちっぽけさを感じてしまう場合
この他にも考えられることはありますが、代表的なものとしてこのような事情が考えられるんです。
では、それぞれの事情についてもう少し深く見ていきます。
「好き」という感情を禁止している場合
これは「何らかの事情で好きという感情を自分の中で禁止している」という状態です。
言い換えるなら「好きになっちゃいけない」「好きだと感じてはいけない」という心理状態なのです。
そもそも禁止とは自分の欲求・感情に向けられるものなんです。
だから、あれがしたい、これがしたい、これが好き、〇〇に興味がある、といった気持ちをことごとく禁止(タブー)していくんですね。
まるで「望んじゃいけない」「期待しちゃいけない」「喜んじゃいけない」と感じているようなイメージです。
※禁止の心理については次のコラムでも解説していますので、よろしければ参考になさってください。
だから、好きなことがわからない、と感じるわけですね。
ただ、何かしらの事情で禁止していたとしても、そのままの状態で日常を過ごしていることが多く、心理的な「禁止」に気づくことは稀、ということも多々あります。
「好き」という感情を探そうとして、自分に意識が向きすぎている場合
好きなことがわからないと考え込む時って、概ね
「自分の内面に意識を向けて、好きなことってなんだろうと考えている」
という場合が少なくないのではないでしょうか?
もちろん「好き」と感じるのは自分ですから、好きなことを考えるときに自分の内面に意識を向けてしまうことは自然なことなのかもしれません。
ただ、実際に好きなことを探すならば、自分の内面に意識を向けすぎると余計にわからなくなる傾向がある、と僕は考えるのです。
そもそも好きなことって「自分の外側の世界」にないですか?
また、自信も好きなことも「自分の外側の世界と関わり」の中で感じられるようになることですよね。
だから、好きなことを探すなら
自分にばかり意識を向けるのではなく(自分に意識を向けることが絶対ダメという話ではありませんよ)
自分の外側に意識を向けて、良い影響を与える自分であるほうが良策なんです。
ぶっちゃけた話をすれば
「誰かや何かと関わるときに、自分が良い気分でいる」
それだけで足りてしまうことも多いのです。
(あぁ、答えを先に書いてしまった(^^;)
ただ、それが難しい時に、「好きなことがわからん」となるのですよね。
なので、このパターンって普段から
「好きなことって私だけわかっていればいいこと。私以外の人と分かち合えればいいけれど、きっとそれは難しいだろう」
なんて考える傾向がある人に多く見られる、と僕は考えているのです。
「好き」という感情を感じると、自分のちっぽけさを感じてしまう場合
「好き」という感情を感じると、自分のちっぽけさを感じてしまう人がいます。
これは
「私が好きになったとしても、その気持ちは届かないし、何の意味もなさないだろう」
というような、ちょっと切ない、いわば無力感や無価値感などが影響しているパターンです。
※無力感や無価値感の解説な次のページにありますので、こちらもご覧いただければ幸いです。
だから、好きなことは見つかっても、それを自ら諦めたり、自分から遠ざけるということを繰り返すことも多いんですよね。
好きなものや人と近づくと、自分のちっぽけさが内面でクローズアップされるのです。
そのうちに、一体自分は何が好きで、何で喜ぶのか、が分からなくなってしまうんです。
好きなことがわからないからといって、好きという感情が消えたわけじゃない
「好きなことがわからない」という状態は
何かしらの事情で「好き」という感情を感じられなくなっている状態を指します。
つまり、
自分の内面から、好きという感情がなくなったわけでも、消えたわけでもないんです。
何らかの事情で、好きを感じられない、感じない状態ができあがっていると考えたほうが妥当だろうな、と僕は考えます。
もう少し理屈っぽい話を書くとするならば(^^;
僕たちは「ある特定の感情だけ感じないように感情をブロックすることができない」のです。
例えば、好きという気持ちだけ抑え込む、好きだという欲求だけを禁止する、なんてことはなかなかできない。
もし、自分の感情を抑え込むなら、まるっと全体を抑え込むことになるわけです。
だから、何かしらの事情で好きなことがわからなくなると、自分のことが良く分からなくなったり、日常の中で感じる喜びや楽しさに鈍感になることも多いです。
それがいわば疲れやすさ、つまらなさといった形になることもあれば
いわゆる「強い刺激(例えば、アルコール、タブー感のある恋愛、悪いものへの興味など)」でしか心が動かない、なんて状態を作ることもしばしば起こりす。
その結果、更に好きなことがわかなくなったり、興味の対象が「強い刺激」でしかなくなる、なんてケースもあるんですね。
そうなればなるほど、自分を嫌いになったり、日常の中で起きる喜びや楽しさの種に反応することもなく、いわば「何をしていてもつまんねー」と感じることにもつながるんです。
「好きなことがわからない」から卒業するためにできること
そもそも「好きなことがわからない」って辛いこと、と言えるかもしれません。
自分が好きだと思えることがない世界で生きるって、やっぱり切ないと思いません?
でもまぁ、それが辛いと思うとよけいに辛いから、そう感じないように頑張っている方も少なくないと思うんです。
その頑張り自体は否定するべきものではないんです。
ただ、もし好きなことが分かりたい、もう一度好きを取り戻したいと思われるならば、今からご提案することを実践していただいてもいいかもしれませんね。
好きなことがわからなくなる前の自分をイメージしてみる
シンプルに考えると
「今、好きなことがわからないなら、好きなことが分かった自分に戻るイメージを持つといい」
となるんですよね。
だから、
「自分が今まで好きだったこと・夢中になれたこと・興味を持てたことなどを、リスト化してみる」
という方法は、ある意味王道のご提案として存在します。
自分がかつて夢中になれたこと、好きだったことを思い出すと、そこに付随した感情を感じることができる場合があるんです。
あの時、すごく楽しかった。
すごく充実していた。
すごくワクワクしていた。
そういった気持ちを思い出すことで、「好き」という感情を呼び覚ませる場合があるんですよ。
いい気分でいられる時間を増やす
僕たちは好きな人や物と関わっているとき「いい気分」になりますよね。
だとしたら、好きなことを理解できないでいたとしても、自分が良い気分でいる時間を増やすといいんです。
例えば、自分が心地よいと感じる時間の使い方を探ってもいいですよ。
疲れているならボーッとしたり、心や体をメンテナンスする時間をとってもいいです。
音楽が好きな人なら、好きな音楽を聞いて自分を整える時間を作ってみてもいい。
何かを学ぶということに興味が少しでもあるなら、それに触れてみてもいいでしょうし。
少し外に出かけて散歩するとか、温泉に浸るとか、アウトドアに興味があるならキャンプに出かけるとか、あなたなりに無理のない、できるだけ自然にできることから実践するといいと思います。
まぁこの話をすると、
「だからね、浅野さん。好きなことがわからないんです。だから何をしたらいいかわからないの!」
というお声を伺うんですけどね。
好きと感じなくても、心地いいとか緩むとか、興味がある感じられる時間の過ごし方を実践してみてください、とお願いすることもしばしばです。
ま、とりあえず考えるより無理のないところからやってみよう、という感じですね。
人と関わるときにいい気分でいる時間を増やす
また、パートナーや仲間、家族など、人と関わるときに
「ただただいい気分でいる」「相手と出会えて嬉しいという気持ちでいる」
ということもオススメです。
とかく好きなことがわからない人って
「人と会うときにいい気分でいること」以上に
「なにか行動しなきゃいけない、与えなきゃいけない、役に立たなきゃいけない」
なんて考えがちなんですよね。
だから、「嫌いじゃない人、好きな人と関わってもいい気分になれない」というか。
そんなパターンをお持ちなら
人と会う際、「何をするか」と考える前に
「ただただいい気分でいる」
「あなたと出会えて嬉しい、光栄です〜と感じている」
という習慣をつけることを僕はオススメします。
そんなのこっちの勝手な妄想じゃないか、とおっしゃる方もいますけどね(^^;
いやいや、逆の立場になって考えればわかりませんか?
自分と会った人が、いい気分でいてくれたらそれだけで嬉しい、と。
逆に、相手に良い気分にさせてもらおうと待ちの姿勢でいると、逆に好きは分からなくなりやすいので、そのあたりが注意点でもあります。
禁止や無力感などを手放すアプローチを取り入れる
好きや喜びという感情以外に、私達の行動動機になるもの。
だから、好きという気持ちを含めた感情、いわば欲求・気持ちに強い禁止をかけていたり
どこかで自分(の気持ち)には、そこまでの影響力はないと感じていると
どうしても好きなこと、好きという気持ちは分からなくなりやすいんですね。
そのとき、登場するものが「べき思考」であったりします。
「〇〇するべき」というものですね。
これは「正しさ」や「判断」とも言い換えられられるものでもありますね。
例えば・・・
社会人だから、〇〇するべき。
家庭をもっているのだから、〇〇するべき。
婚活をするのだから、〇〇するべき。
彼だから、彼女だから、〇〇するべき。
妻だから、夫だから、〇〇するべき。
いいか悪いか別にして、僕たちはこのように考えて行動していくこともできるのです。
ただ、このとき、自分の欲求や好きという気持ちを押さえつけているなら、そりゃ好きなことはできないわけでしてね。
そんなとき、実際のカウンセリングでは、今までのご自身を否定することなく
「どうして、いつから、どんなことか理由でそう感じるようになったのでしょうね?」
という部分にフォーカスしながら、心のあり方をより良い方向にシフトするご提案をさせてもらうんですよね。
こういったカウンセリング的なアプローチも有効に働くことが多いので、取り入れていただくといいと僕は思います。
好きなことを感じられる自分に少しづつ近づいていきましょう
いかがでしたでしょうか。
最後になりますが
僕が思う「好きなことをして生きている私」って、喜びの中で生きている私なんです。
まず、そんな自分になってみたいと願い、一歩を踏み出してみると、その道は開けますよ。
僕も皆さんのなにかお力になれたら、ちょっと嬉しいです。
・・・いや、嘘つきました。めっちゃ嬉しいですね(^^)
このテキストがなにか皆さんの参考になれば幸いです。
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