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被害者・加害者という視点から問題解決する方法
今日は、みなさんが自尊感情~私って人の喜びなんだ~と感じ取れる様になるためのプロセスを、被害者意識・加害者意識という言葉を使って解説してみたいと思います。
心を見つめる上でちょっと重要な考え方です。(ちょっと重要ということは超重要ということですが)
みなさんの問題解決や、自信や生きやすさを感じるために参考になればいいなと思いつつ、まとめていきます。
よろしければどうぞ。
被害者意識:依存の立場・自ら選択できない状態
僕たちは時に物事の被害者になることがありますね。
日々の中を生きていれば、望まないけれども被害を受ける立場になることもあるかもしれません。
この被害者の立場で持ちやすくなる意識は、「私は〇〇に△△された」という考え方ですね。
例えば、
・私は私なりに充分彼のことを受け止めたつもりなのに愛してもらえなかった。
・僕は僕なりにベストを尽くしたのに会社に評価されなかった。
・今日は家として子供のことをちゃんと愛してきたつもりなのに、子供に問題ばかり引き起こされた。
など。
特に「私は悪くない(自分なりに頑張った)にも関わらず、起きてしまった」という部分がポイントになることが多いでしょうか。
まぁ、生きていればこのような気持ちになることは十分にありえますよね。
ただですよ。
被害者意識を感じている状態では、とても嫌な気分になりやすいわけです。
そもそも、自分にとってよりよいできごとが起きている状態ではないですし。
自分は不運だ、どうしてこんな目に・・・と思っているだけでも、気分は良くないですものね。
だからこそ、被害者意識はてきる限り手放すほうが、自分のためになります。
ただ、カウンセリングやセミナーでもお話させていただくのですが
被害者の立場になった人が、常に被害者意識を持つかというと、そうではないのです。
確かに何かしらの出来事がおきて、辛い気持ちになった、不運なことが起きたとしても、「何なんだよ」と思う人もいれば、その状態を受け入れて被害者だけれども被害者意識を持たない方もいます。
つまり、自分に起きた事実に対して
「その事実を引き起こした原因となる人がどうにかするべき」と思うのか
「その事実に対して、自分はどう向き合おうか」と考えるのか。
この差が被害者意識を持つ・持たないの違い、になります。
被害者意識を持つ状態とは、「あるできごとによって、私は〇〇のような状態になった。だからこの事実の原因となる人が、どうにかするべき」と考えている状態です。
この状態は「依存」の状態ですから、自分に起きたできごとに対して、自分自身で対処することが難しい状態でもあるんですね。
だから、被害者意識が強く残ると、自ら主体的に関わり、心に余裕を持って物事を選択できない状態になりやすいんです。
自分で自分の人生をより良い方向に変えにくくなるということですね。
*
例えば、「親は子供を愛するべきなのに、愛してくれなかった」という考え方。
確かに、親が子供を愛さない状態には問題があるのかもしれません。そこには愛されなかった、辛かったという思いがあるでしょうし、その気持ちは無視されるべきものではありませんね。
ただ、その感情を癒やさずに「親は子供を愛するべきなのに」という意識を強めていると、親に愛されたなかったから自分は不幸なんだ、と思い、自分を肯定できなくなる可能性もあります。
また、自分が親になったとき「自分は愛するべきだ」と強く思いますから、親になることへの不安・怖れや、自分にかけるプレッシャーも強くなります。
自分なりに自由に理想の親になるプロセスが歩めず、型にはまっていないと不安になるんですね。
これは一例ですが、このようなことが恋愛、仕事、夫婦関係、対人関係、どのような物事に対しても共通して登場します。
彼とは、彼女とは、結婚とは、夫とは、妻とは、社会人とは、組織人とは・・・
自分の中で被害者意識が眠っている部分で、自分を肯定できなかったり、心に余裕を持って振る舞えなかったり、といったことが起こりやすくなるわけです。
加害者意識:自立の立場・罪悪感から選択できない状態
この被害者意識の対になるものが「加害者意識」です。
加害者意識とは「自分が〇〇を△△してしまった」という考え方ですね。
例えば
・彼女に優しい言葉をかけたかったのに、つい厳しい言葉をかけてしまった。
・自分は絶対に子供に寂しい思いをさせない、と思っていたにもかかわらず、大人の事情で離婚をしてしまった(子供を傷つけてしまった)
・職場のためにと思ってやってきたことが、実は職場の人に迷惑をかけていた。
ここでは、自分が悪い、自分に責任がある、といった思いや、そこから生まれる罪悪感(無価値感)が残っていることが多いんです。
確かに、起きた事実に対する責任は自分にあるわけですし、その事実にどのように自分が向き合うかと考える事はとても大切なことです。
しかし、その事実が罪悪感を刺激し、自分が加害者であり、人を不幸にした存在であり、そんな自分が幸せになってはいけない、と感じてしまうのが、加害者意識の特徴です。
加害者意識を持ってしまうと、被害者意識とは別の形で物事に主体的に関わることが難しくなります。
例えば
・過去の失恋や離婚を理由に自分に幸せを許さないようにする
・過去助けられなかった仲間、家族などがいて、自分の幸せを後回しにし続ける
・この人と一緒にいれば幸せになれるし、自分も相手を幸せにしたいと思っても、深く相手と関わることを恐れて相手を拒絶してしまう
・
自分は幸せになってはいけないと言う深層心理が働いているので、とても愛しにくい人や愛してもらえない人をパートナーに選び続けてしまう
こういった事例は、過去の経験からくる加害者意識、そこから生まれる罪悪感が強く影響しているから起きる、と考えることができます。
また、罪悪感が強くなる分だけ「これが正しい」と思うことを探すようにもなりやすいです。
・結婚ってこうあるべきものだ
・彼、彼女とはこうするはずだ
・仕事にはこう向き合うべきだ
いわゆる社会性の話以上に、「こうあるべき」という考え方を強め、その反面「こうあるべき」という基準から外れるものを排除しようとします。
自分はもう〇〇すべきではない。
自分はもう〇〇と関わるべきではない。
深層心理に抱える罪悪感が強く影響して、「自分は人の喜びになれないしなってはいけない」という禁止の心理が働き、自ら物事や幸せを選択できない状態になります。
もちろん自分自身に対しても同じで、「自分が〇〇できないから、△△は難しい」という考え方になる。
自分の深層心理に「自分は間違ってないか?」という思いがある度合いだけ、一般的はこれが正しい、や、きっとこうすることが正しいのだろう、というものの見方が手放せないわけです。
多く、ここには「これ以上の失敗(嫌な感情を感じる状況)にならないため」という目的があります。
もし、自分の感情、感覚などに疑いを持つ必要がなければ、自分の意見は意見としてそのまま表現できるのですけれど、疑いが強い分だけ、正しさの根拠を欲しがるようになるというわけです。
これも一つの判断で、「こうすべき」「こうあるべき」といった考え方を強めていくのも特徴です。
*
ただですよ。
自ら幸せやより良い選択を選べないのであれば、自分の幸せは誰かに依存するしかなくなりますよね?
つまり、加害者意識が強い状態は、自分を罰している状態でもありますけれど、表面的に誰かに依存しなきゃいけないという状態になることが多いんです。
だから、普段はとても素敵で行動力があって素敵な人であっても、
自分を許せない分だけ、幸せな恋愛や幸せな対人関係から自ら遠ざからなければならないと、感じてしまい、自分の幸せを人に依存するしかなくなる、といったケースも存在します。
こうなると、誰が依存で誰が自立かがよくわからなくなってくるのですが・・・。
被害者意識は加害者意識を隠すものになるのでややこしい
さて、この被害者意識と加害者意識について、更に話を続けますと・・・
ものすごい依存タイプの人でない限り、「被害者意識」は「加害者意識」をブロックするものである場合がとても多いのです。
何じゃそりゃ、という話なので、具体例を。
ある方がこんな話をしてくださったとしましょう。
「私の彼はいつも愚痴が多くてしんどいんです。
私がいても、グチグチグチグチグチグチグチ・・・
でかけた先でも、グチグチグチグチグチグチグチ・・・
仕事で凹んで帰ってくれば、グチグチグチグチグチグチグチ・・・
あーもういい加減にして!って思うんです。
彼といるともううんざりさせられるばかり。ホントやめてほしいんです。
やめてもらう方法ってないでしょうか?」
*
このご質問のキモは「愚痴っぽい彼のグチを止める方法」ですよね。
ただ、この方法だけを伝えて、まぁうまくいくだとか、ご納得頂ける結果を出せるならよいのですが、なかなかうまくいかないことも多いようです。
まぁ「相手の愚痴をやめさせる」という考え方はコントロールであって、相手を変えようとすることなので、なかなか難しいわけです。
では、ここで僕はどんな事を考えるかといいますと・・・
「なるほど、この方は、私という存在がいるのに、彼の愚痴や辛い気持ちがおさまらないことに、心を痛めておられるのかもしれないな」
ん?なんだか、妙な話ですね。
ということで、少し解説を加えます。
*
もちろん、この方がおっしゃっていることはまさしく「被害者意識」なのです。
「彼の愚痴でうんざりさせられている」と。
いや、そう思われる気持ちもわからなくはないのですけどね。
ただですよ、先にも書きましたけど、被害者意識を持つこともいい気分にならないにも関わらず、その方がこの状態を選んでいるとしたら・・・
・その方が超依存、相手に与える気持ちがまったくないやってもらって当たり前タイプか
・彼の状態が良くならないことで心を痛めていて、彼のお役に立てない自分に罰を与えているタイプか
まぁ、この2択になることが僕の経験上とても多いわけです。
そもそも私達の深層心理には「私は人の役に立っていると感じたい」という欲求があります。
自尊感情とよばれるもの、ですね。
自分が選んだパートナーが元気がない、辛そうだと思うことで、自分は人の役に立っていない存在だ、という罪悪感や無価値感を感じることは、本当によくあることなんです。
ここに加害者意識があるんですよね。
私は相手のためになっていない、と。
だから「どうにかして愚痴をやめさせる」→「彼が元気になる方法が知りたい」と聞いてくださる方はとても多いんです。
しかし、「彼が元気になる方法が知りたい」と真剣に、そして熱心に聞いてくださる方は、罪悪感や無価値感より、相手のことを思う気持ちが強い状態であることが多いんです。
つまり、加害者意識ではなく、与える気持ち・愛情を選択していたり、加害者意識があったとしてもそれを乗り越えている方が多いものです。
一方、彼が元気がない状態であることを問題視し、「自分は彼のために何もできていない、ちゃんと愛せていないのではないか」と思う方ほど、「どうにかして愚痴をやめさせたい」と伝えてくださるんです。
自分は十分ではないのではないか、と思うからこそ、相手の状態をなんとかして止めたい、と思うようになるわけです。
もちろん言葉や感情の表現としては「被害者意識」になっているのですけれどね。
ただ、このような被害者意識を表現をすると、周囲の人から「いやいや、そういうあなたももっと彼のことを考えてあげなさいよ」と言われちゃうこともしばしば起こることでしょう。
つまり、僕はこう分析するのです。
その方に「彼との関係をよりよくしたい」という気持ちがない限り、悩むことはないわけです。
本当に嫌なら、別れが得策になるのは明白でしょうから。
つまり、今回の話は
「私も彼のために、と思っているのだけど、愚痴ばかりいう彼を見ると、何もできていないようで辛い。そんな私の気持ちをが救われないでいる」とお話いただいているようなもの、と解釈するのです。
これが「被害者意識が加害者意識を隠している状態」なのです。
※「彼は愚痴をすべてやめて私をいい気分にさせるべき!」という話なら、超依存タイプの方になるんですけどね。
*
特に実際にカウンセリングにお越しいただく皆さんは「今をより良くしたい」と思われてお越しになる方が圧倒的です。
だからこそ、自分が相手のために役に立てていないと感じることが苦しく、そこに加害者意識(罪悪感・無価値感)が生まれるのですよね。
しかし、被害者意識より、加害者意識を持っている方は苦しいものです。
特に「自分は相手のためになっていないのではないか」という思いを抱えていれば、いつ人から責められるだろう、批判されるだろうと思いますもんね。
この状態を続けることはとても苦しく恐ろしいので、被害者意識を使って覆い隠すわけです。
「いや、相手に問題があってね」と言いたくなるわけです。
つまり、人の話していることが、「本当にその人の思いを示しているか」というと、意外とそうではないこともありますよ、という話なのです。
そして、その当事者さんも「実は自分の中に相手に対する思いがあるから、加害者意識を抱えていて、それを覆い隠すために被害者意識(不満)を表現している」と気づいていないケースも多々あるわけですね。
被害者意識が強まると、自分も他人も許せなくなる
心理学や癒やしの話の中でよく登場する言葉、「許し」。
・人を許す
・許せない人を許す
・自分に禁止してきたものを許す
いろいろな許しがあるわけです。
僕も「許し」はとても大切な癒やしのメソッドだと認識していますし、自ら何かを許すことで得られる癒やしは相当に大きなものだと思います。
ではなぜ、「許し」にこれほどまでにメリットがあるのでしょうか。
このメリットをわかりやすく理解するためには、その逆を考えればいいんですよね。
*
例えば、自分を冷たくフッた元カレ(元カノ)が許せないという話。
「あーもう、自分のことをフッたあの人が許せない!」という気持ちになっているならば、間違いなく「フラれた私」がそこに存在しますね。
これは、被害者の立場をとっている状態です。
確かに、自分なりに努力していたのに、サッっとフラれたなら傷ついちゃいますよね。その悲しみや辛さは癒やされるべき感情だと僕も思いますよ。
ただ、ここでフッた相手を許さない状態が続くと
・フッた相手を責めている・恨んでいる加害者意識(罪悪感)
・フラれた自分に価値を感じられなくなる
・フラれた自分が誰かの喜びになれるとは思えない
こういった感情を自ら選ぶことになるんですよね。
自分自身が被害者意識を持ち続けると、自分も相手も許せない状態になり、自信や自分の価値を感じられずにいたり、
一度は自分から愛した相手を恨んだり、責めている度合いだけ罪悪感が生まれ、そんな自分は他の人に責められるのではないか、愛してもらえないのではないか、と感じやすくなるのですね。
だから、元パートナーを許したり、理解して手放すことは、自分自身のためになるわけです。
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ただ、そもそも「許し」とは「許さなきゃいけない」ものではないんです。
許しは一つの癒やしの選択肢でもあり、やるべきことでもありません。
ただ、もし、誰も許すつもりもないのに自分だけ救われようとするなら、許せない誰か、そして何かを許せないままでいる自分を、否定したり、責め続けことにもなりかねないのです。
これがしんどさ、苦しい気持ちから抜け出せなくなる理由です。
ここにハマると、自分も人も許せなくなってしまうわけです。
だから「許し」には大きな効果がある、といえます。
人を許し、理解し、時には愛することが、自分自身を解放する手段にもなる、というわけです。
被害者意識が手放せない理由こそ、加害者意識
ただ、前回のコラムにも書きましたが「被害者意識は加害者意識を隠すことがある」わけです。
被害者意識を手放そうとしても、なかなかそれがうまくいかないケースもあるんですね。
*
例えば、ある女性がこのような悩みを持っていたとしましょう。
「職場の対人関係で悩んでいます。
私は私なりに誠実に仕事をしているつもりなのですが、なかなか上司からの評価が高まらないんです。
もちろん私にも至らないところはあると思います。
しかし、上司は私だけ厳しい態度を見せるように思えてなりません。
上司に嫌われているのか、と思うと心がイタイですが、私なりに今まで頑張ってきました。
しかし、もう限界です。これ以上どうすれば今の状況が変わるかわかりません。
どうしたら上司との関係がうまくいくでしょうか。どうすれば良い状況に変わりますか。」
*
このケースを、いわゆる上司の八つ当たりではないケース、と仮定するならば
ここでのポイントになる部分は、「自分にも至らないところがある」という言葉が何を意味しているか、です。
その言葉を聞くと、「自分も悪い、至らないところがある」と、ご自身で認めているように見えるんですよね。
そのような謙虚さをお持ちの方もたくさんいらっしゃいますしね。
ただ、本当に自分の至らないところを、自分で責めることなく受け入れているならば
上司に「私に至らないところがありましたら、またご指摘ください」と言える可能性は高いでしょう。
素直に頭を下げられたり、上司と謙虚に丁寧にコミュニケーションして、お互いの気持ちを伝え合うこともできるかもしれない。
もし、それが言えないとするならば
「自分も悪いと思います。・・・が、上司なんだからその態度はないですよね」
と、被害者意識を持っている可能性がでてきます。
この被害者意識の部分はなかなか上司に言えないわけですよ。
言えばトラブルのもとになると思うでしょうから。
もし、自分が上司に対して被害者意識を持てば、相手(上司)は、加害者になりますから、上司の感情を考えれば、なかなかいい気分にはなれないわけです。
上司は加害者(罪悪感)を刺激されるということになりますからね。
*
ただ、もし、その女性にとって被害者意識を持つことが「最悪の状態を回避するため」の手段であるならば、なかなか手放せないこともあるわけです。
その女性が
「お役に立てていない私も悪いけど、上司もその態度はないよね」という被害者意識を持っているとするならば、「本当にお役に立てていないことが心苦しい」という罪悪感を隠したいわけですよね。
つまり、その女性は「お役に立ちたい人」なのです。
だから評価してほしいし、冷たく扱わないで欲しいと願うのですよね。
私は上司の敵ではありません、と言いたいから辛いわけですよね。
その女性が誰よりも「人のお役に立ちたい人」ならば、今の状況は本当に最悪の状態なのですよね。
ここに、彼女にとってはとにかく受け入れがたい感情がある、というのはご想像いただけますでしょうか。
「自分が人の役に立てない、喜びになれない」
それこそが彼女にとって「癒やし」が必要な感情である、ということ。
ここでは「自分はお役に立てていない」という加害者意識の部分を癒やすことが、被害者意識、加害者意識双方を手放すプロセスになる、というわけです。
例えば「私は上司や会社のためにお役に立ちたいと心から願っています」と表現できる私を取り戻す、といったふうに。
最悪な気分の向こうに癒やしがある
ただ、この加害者意識を癒やすプロセスは、とてもパワフルなプロセスでもあります。
なぜなら、自分の中にある「自分はお役に立てていない」という気持ちや、無価値感・罪悪感を、一旦受け入れる必要があるからですね。
自分を褒めたり、認めていても、なかなか入ることができない領域、と言っていいでしょうか。
※自分を褒めること、認めることにはしっかりと心をより良い状態にする効果がありますよ。
この罪悪感や無価値感などを否定するように頑張り続けていると、いつか燃え尽きてしまうことが多いものです。
受け入れられない自分を隠そうとする努力、これを心理学では補償行為といいます。
補償行為は埋め合わせの行動なので、どれだけ頑張っても「人のお役に立つ」「自分が人の喜びになれている」と実感することは難しいのです。
これはもう途方も無い努力になってしまうんですよ。
*
では、ここで、自らの罪悪感などと向き合い、勇気を持って、否定せず、受け入れていくと、どうなるでしょうか。
実は「自分はもうダメだな」などと、感じることが多いのですよ。
あまりいい気分にはなりません。
だから、この感情に触れないように、自分を隠して生きようとするほうがマシだと思うものです。
ただ、ここで僕たちの心は終わらないのです。
この続きがあるんです。
このどうしようもない気持ちの向こうに、なにかに真剣で、誰かの喜びである自分が存在しているんです。
ひどい罪悪感の向こう側に、本当に誰かのお役に立ちたいと願っていた自分、誰かの喜びである自分が感じ取れるようになります。
それこそ、燃え尽きの領域の向こう側にある景色、といえます。
先に書いた女性の例でいえば、「本当に誰かを喜ばせたいと願う自分」ですね。
ここがキャッチできると、ものすごく気分が良くなり、意欲も湧き、恐れや不安を乗り越えることができるようになるわけです。
つまり
- 被害者意識の層(自分は悪くない、被害者だと思っている状態)
- 加害者意識の層(罪悪感・無価値感、正しさや判断が強い状態)
- 罪悪感・無価値感の層(自分は本当にだめだと感じる)
- 真実の自分の層(本当の自分)
かなり簡略して表現していますが、この順で感情が層のようになっている、とイメージしていただくといいかもしれませんね。
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