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「どうせ私なんて」という考えが止まらなくて苦しい
「どうせ私なんてという思考が止まりません」
というご相談を様々な形で伺うことがあります。
そう思う理由は人それぞれでさまざまのようなんですけれども。
例えば
- 幼少期からのコンプレックス
- 自己嫌悪や自己否定感が強くて自分を責めてしまう
- 過去の挫折や失恋
- 時には誰か(パートナー、親、友人など)を傷つけてしまった
そんな思いから「どうせ私なんて」という思考や気持ちが止まらなくなっている場合があります。
自分に対して「どうせ私なんて」と感じるって、辛いことですよね。
だからこそ、恋愛や仕事などに前向きな気持ちを持ちづらいし。
ときには、誰かを好きになること自体を止めて苦しい思いを抱えておられる方もいらっしゃるのかもしれませんよね。
また、どうせ私なんて、と強く思い続けていることで
あなたを愛したり、手助けしようとしてくれる人に気がつけない、というデメリットもあります。
「どうせ」と思いすぎているから、「相手の気持ちを確かめる」ということがいつも期待に変わってしまって失望することが怖くなっちゃうんですよね。
ここもできれば、なんとかしておきたいところ、かもしれませんね。
「どうせ私なんて」が示す気持ち・心理
「どうせ」という気持ちは、言葉通り「あきらめ」を示していることが多いです。
また、「私なんて」は、「自分のことを認めない気持ち」を示していることが多いです。
つまり、「どうせ私なんて」という気持ちは
「自分のこと(自分の気持ち)を認めたっていいことはない」
そんな意志、諦めが見えてくることが多いわけです。
例えば
誰かを信じて裏切られた苦しみを知る人は、人を信じることをやめてしまうかもしれません。
信じなければ、苦しまずにすみますからね。
誰かになにかに期待してガッカリする辛さを知る人は、なにかに期待することをやめてしまいます。
そのほうが失望しないからです。
誰にも愛されていない、必要とされないと感じながら過ごしてきた人は、愛されたいという気持ちを抱えながら、愛されることが怖いと感じますす。
愛されるという感覚が良くわからないのです。だから、愛されてる?と思うと戸惑い、不安を感じることも多いんです。
そう考えると「どうせ私なんて」という言葉には
「私を信じる」「私にいい意味での期待する」「私が愛される」
そういったことを諦める事情があるという可能性を示す、とも考えられそうなんです。
「どうせ私なんて」と感じる理由はどこにある?
また、このようなお悩みって
自分の性格や考え方の問題と捉える人も少なくないようです。
確かに「どうせ私なんて」と感じているのは自分なので、そのように捉えることは自然なことなのかもしれません。
ただ実際は
過去の何かしらの体験などの影響で「どうせ私なんて」と感じるケースが多い
と僕は感じています。
これは過去の誰かが悪い、過去の影響が問題、という意味合いでお伝えしていることではなく、いいか悪いかは別にして
「自分の過去の環境や体験の影響が大きい」とお伝えしたいだけなんですよ。
*
ただ、この過去の部分との向き合い方は実際のカウンセリングなどで行われるほうが安全、といえるかもしれません。
だから、自分と向き合うことも嫌だと思うこともあるかもしれませんが
「どうせ私なんて」から卒業することを考えるなら
自分自身の心、気持ちと丁寧に向き合うことも一つの選択なんだろうと僕は思うのです。
これは適切に自分を愛したり、自分を認めるという意味で価値あることだと僕は思います。
「どうせ私なんて」と諦めている自分に優しさを向けてみよう
さて、こういったときに
考えてみていただきたいこと(取り組んでほしいこと)が
「今の気持ち(感情)を丁寧に認めること」でしょうか。
どうせ、と諦めている自分にも事情があるなら、その自分も一旦受け容れてみる、といった感じです。
それは「諦める理由があるのだから仕方がない」というよりは「自分は今、そう感じているんだな」と認める感じで。
それはまるで自分に優しさを向ける、理解の目を向けるようなイメージです。
ただ、ぶっちゃけ「それができたら苦労はしない」という部分でもあるので(^^;
信頼できる話を聞いてくれる人に話して辛い気持ちを聞いてもらう、といったプロセスも重要かな、と思います。
そもそも「どうせ私なんて」と感じるときって
「自分の意志で自分のために時間を使うこと」すら抵抗感を感じるもの。
その抵抗感があるほどに、自分を辛い状況においておいたほうが辛くない、という、いわば思考のマジックにかかっていることも少なくないんです。
なので、できる限り、自分に優しい時間を過ごすこと、誰かに話を聞いてもらうこと。
できれば肯定的な反応がある場所・人がいいですね。
ちょっと勇気は必要かもしれませんけど、まずそういった部分から取り組んでみてほしいのです。
(そう考えると、すでにカウンセリングをご利用いただいている方って、自分を変える一歩を踏み出す勇気を出して向き合ってくださっているのだと僕は感じているところです。)
頑張り過ぎにもご用心
また、「どうせ私なんて」と感じている状態だからこそ、何かを必死に頑張ることもできるでしょう。
必死に頑張ることで「どうせ」という部分を感じなくて済む、という現実もあると思います。
ただ、あまりに「どうせ」という自分を感じたくないと思って頑張り続けると、やっぱり気持ちの面で燃え尽きやすくなります。
自分を諦めていないからこそ消えない不安、怖れに追いかけられて止まれなくなることもあるんですよね。
せっかく頑張ってもすぐ息切れしたり、もう無理かも、という思いに押しつぶされてしまいやすいわけです。
それはどこかで「自分を支える気持ち」が弱まっているから生じることなのかもしれません。
こうなると更に「またダメだった」と自分を否定的に見ちゃうので、そんなときはまず心のケアから始めてみてほしいんですね。
あ、もちろん頑張ることを僕は否定しているわけじゃないですよ。
頑張るならば自分を丁寧に整えて
頑張った結果を喜べるようになっておくことも考えてみてほしいなというご提案です。
ある程度自分と向き合えたら、自分にできることを数えていこう
そして、ある程度自分と向き合えたら
「自分にできること(自分にあるもの)」を数えて受け容れてみてもいいでしょう。
自分の良さ、自分にできること、自分の価値、魅力、キャラ・・・
いろいろと肯定的に受け容れていくプロセスですね。
とかくダメなところに目が行きがちになるのですが
ここはコツコツ丁寧に「あるもの」を受け容れていくことがおすすめです。
どれだけ自分の感情や過去の影響を手放したかにもよりますが
ある程度自分にあるものを見つめていくことで、自分が良くなったり、どうせという気持ちを徐々に手放せることもありますよ。
とにかく「どうせ」と感じ始めると、悲しくて辛くて、自分が嫌になるもの。
でもそれは「何かを諦めなきゃ辛い」という切ない気持ちから生じていることが多いです。
だから、丁寧に自分を認めていくことに大きな意味はある、と僕は考えているところです。
「どうせ私なんて」と思う人ほど「人の期待に応えようと必死」
また、「どうせ私なんて」と思う人ほど
「人の期待に応えようと必死になっている」という部分があると僕は考えています。
人間、誰かの役に立ち、誰かに喜ばれ、誰かの支えになっていたいもの。
そういった欲求は消えることはないわけで、人を愛したり喜ばせること自体は素晴らしいことなのです。
が、「どうせ私なんて」という気持ちが強くなると
相手の役に立ちたい気持ちも、喜びになりたい気持ちも、支えになりたいという思いなどが
「相手の期待通りにしよう」
という気持ちにすり替わってしまうことが少なくないんです。
これ、かなり重要なポイントなんですよ。
※期待の心理については次のコラムにまとめていますので、こちらをご覧くださいませ。
僕たちは人から期待され、その期待に答えようとします。
が、それは「完璧に相手の期待通り(思い通り)の結果を出し続ける」ということではないんですよね。
ここ、よく誤解されがちなんですけどね。
例えば、野球選手がチャンスで打率10割になる、なんてことはありえないわけです。絶対に凡打を打つことはある。(打席に立ち続ける限りは)
ただ、ベストを尽くして練習し、できる限りチャンスで打てる自分になること。
これがチームの役に立つことであり、ファンの喜びになることであり、支えになること、なんですよね。
完璧さを求めると人と関わるたびに自分に失望する
ここには完璧主義とは言えませんが
「自分に完璧さを望んでもう傷つかないように」
という期待があるとも言えると思います。
この期待が強ければ強いほど「人にがっかりされてしまうのでは」という不安は消えないんです。
いわば、自分に完璧を求める期待が強いと
人と関わるたびに自分に失望することが増えるんです。
すると、実際に人との関わりの中で「私でいいんだ」「これでいいんだ」と感じる機会がなくなり、どんどん人より自分は劣っていると感じてしまうようにもなります。
これは、人との関わりが癒やしではなく自己否定に繋がっている、ということを示していると僕は思うのです。
「どうせ私なんて」と感じても、あなたにできることはある
「どうせ私なんて」と感じても、あなたにできることはあります。
ただ、その価値を感じられない、という部分が苦しいし辛いわけですよね。
そう考えると、「どうせ私なんて」という思いが消えないときほど
- 「自分にできることを知る」
- 「今の自分のベストを尽くすという意識に切り替える」
- 「今できることに集中する」
ということもめちゃくちゃ重要なことなんですよね。
ときには、無理なことはしない、届かないことは一旦課題にする、ということも必要なんです。
最後になりますが、僕は
「自分に理想を掲げることはいいこと。でも、今の自分にできることで人を愛し、支えているという実感こそ自信につながる」
と考えていますし、そうお伝えすることも多いです。
自分に足りない部分やできないことばかりを見て、自分は不十分だと思うより
たとえ今の自分に納得がいっていなくても、今の自分にできることを表現する。
それが何より重要なことなんだろうと思うのです。
そう考えてみて初めて分かると思います。
「あぁ、自分は自分に厳しすぎたんだ、何をやっても認めようとしていなかったわ」とね。
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