自分の幸せのために恋愛する選択を
浅野さんへ質問
いつもブログを読んで、参考にさせて頂いています!
こんなこと自分で言うのはおこがましいのですが、私は昔から男の人にチヤホヤされたり、可愛がられてきました。妹的というか。
彼女がいる男友達と夜遊びして、家に泊まったり。でも布団は別々で襲われることはない。
誕生日の日にバイクに乗せてもらって夜景を見に行ったり。
周囲の男性はとても優しくしてくれ、注目をされているような感覚でした。
まるでアイドルのような。可愛がってはくれるけど、だからといって手は出さない。
大切にしてもらっていたと思います。
私自身もそれを自覚していたので、それは悪い気はしなく、心地よかったです。
しかし、彼氏は15年いません。好きな人はちゃんといました。
キャバクラで2ヶ月の短期間アルバイトをすれば、すぐに指名のお客さんが付き、いまはそんなことまったくないですが、街を一人で歩けばナンパはしょっちゅうで、もぐら叩きのように次から次へと行く手を阻まれるほど。
ちょっとした用事で出かけるときはあまりおしゃれをしないようにして、声をかけられないで済むように対策をしていました。だから、容姿は悪い方ではないはず。
でも彼氏はできないし、言い寄ってくる人にはどーせ私の顔で寄ってきたんでしょ?と魅力を感じない。好きな人にはツンデレというより、好きと意識した途端に好き避けをしてしまい、好意があることに気付かれない。
どれも付き合うまでには至らなかったのです。
そしてさらに、付き合うことに一歩踏み込むことに対して自分の感じていた感覚を分析すると、私はみんなのアイドルだから、私に特定の人ができてしまったらみんながガッカリする。チヤホヤされなくなる。アイドルのこのポジションは誰かのものになる。
そう恐れていたように思います。
いまや、アラサーの私。
いよいよ、私も彼氏を作ってもいい、と数年前に自分に許可をしました。
行動できずに手をこまねいていますが、大切にしたいと思う好きな人もいます。
こんな私が一歩踏み出すには、どういう思考を持てばいいと思いますか?
アイドル的感覚の人、いままで出会ったことありますか??
ネタになれば、使って下さい。
ネタ募集ネーム:はるはるさん
はるはるさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
なるほどー。とっても興味深いご質問だと思って回答させてもらおうと思いました。
いたような、いなかったような・・・。そこはまぁ曖昧にしておきます(笑)
ということでお察しくださいませ。
チャーマーの話
なるほど。
お話を読ませていただくと、とても可愛がられた、ということは伝わってきます。
ただちょっと感じるのは、(昔はそんな意識なかったかもしれないですが)誰かのために可愛がられていた、って部分なかったでしょうか。
もしそうだとすると・・・
彼は作っちゃいけないってことになるわけですよ。
みんなのアイドルだから。期待に応えないといけないわけじゃないですか。(ここがポイントかな)
おっしゃるように「このアイドル的ポジションが誰かのものになる」って不安もあったと思うんですけどね。
それは今の自分の(安定的な)立ち位置がなくなることへの不安でもあり、ある意味設定したキャラを逸脱することへの不安かな~と思うんです。
いいかどうか別にしてね。
*
いわゆるアイドルキャラは「みんなを喜ばせる」という使命・役割を担うと心理学では考えます。
これを「チャーマー」の役割と呼ぶこともありますね。
「チャーマー・愛されキャラ」でいることが「家族や周囲の人を助ける意味」を持つわけです。
ここには、たとえば「努力して誰かを支えようとする意欲」と同じぐらいの意味が込められているんですよね。
だからこの役割からドロップすることは、人を見捨てるということを意味することも多く、なかなか自分のために恋愛ができなくなる人もいますね。
悲しいのは、このチャーマータイプの方は意外と誤解を受けやすい傾向があることかな。
恵まれているよね、愛されてるじゃん・・・と言われやすい傾向があるんです。
でも、自分が愛されキャラでいることは「誰かのため」だから、その内面に寂しさや孤独を抱えていることが少なくないんです。
僕がカウンセリングでこのようなお話を聞いたことがないか、と聞かれれば・・・。
ここもお察しください。
チャーマーゆえに持つ怖れ
今回はいい機会なので、チャーマータイプの人が持つ不安についても書きておきますね。
「自分の中の無力さ・無価値感」
人に可愛がられる役割だけに、望むか望まないかは別にして「子どもっぽく」生きてしまう側面があって、「自立した大人」である感覚が感じられないことも少なくないんです。
だからこそ、若干対人関係は受け身になります。(あぁ、受け身が悪いってわけじゃいですよ。)
また、一人の自立した大人である感覚を手に入れることに抵抗を感じる場合もあるんです。
そのために「愛されキャラ」として誰かを喜ばせるエンターティナーの才能は発揮できるのですが、自分は何もできていないような気分になる人も少なくないんです。
一人の異性と向き合ったときに、愛すること・与えること・相手が喜んでくれるかどうかについて、若干自信が持てなくなってしまうことがあります。
また、チャーマーを「演じている」という感覚が強い場合、「役割があるから」愛されているように感じて、本当に愛されているような実感がなくなる場合もあるんです。
ちなみに、この対極にいるキャラクターが「ヒロイン」であって、自分から愛する・与える力がある人
(のように見える人)に対して葛藤を持ちやすいんです。
まぁこれはいわゆる心理学のお話ですけどね。
*
ただ、このチャーマーを「一つの才能」として見つめるなら
「大人として人に楽しみや喜びを与えられる人物になれる」ということ。
実はあなたの存在やあなたの笑顔が、人の勇気ややる気のスイッチを押す強力な癒しになることも多いってことですよね。
ただこのパターンを持つと、現実的に「目に見える貢献」よりも、「精神的で目に見えないもの」を与えている場合が多いので、なかなか受け取れないんですよね、自分の才能や与えている価値を。
だから、それを意識して受け取るようにすることもポイントです。
ちょっと難しいですけど、でもポイントです。
いや、本当に難しいと思ったら、プロのサポートを受けてもいいかも?と思うぐらい。
罠は「無力感・無価値感」で、「これだけのことしかできない」「どうせ自分の気持なんてわかってもらえない」と感じやすくなってしまうんですね。
これは子供っぽいというより、今までのプロセスで「自分から能動的に与えること」よりも、周囲から求められているキャラを自ら選んできたからこそ生まれる葛藤、といいますかね。
もちろんこの根っこには愛情が眠っていて、みんなが元気になって喜んでくれればいい、という純粋さがあるんです。
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ちなみに、このチャーマーの役割だけを担ってきた人っているにはいますが、同時に別の役割を担っている方もいます。
特にチャーマーの役割を持つ人が担いやすいのが「傍観者」ですね。
実は自分の存在を消して、家族に負担をかけないようにするタイプ。
人がそばにいてもそばにいるような感じがしない、という感覚が強いなら、もしかするとこの傾向が強いかもしれません。
なお、このタイプの才能は「客観性」なんですよ。誰よりも遠目で家族や人を見ていますから、どこか問題解決のための提案力に長けていて「こうすればいいじゃん」という的確なアドバイスができる人が多いです。まぁ、コンサルやプロデューサーっぽい才能ですよね。
自分から与えている「実感」を感じてみてください
まねいていますが、大切にしたいと思う好きな人もいます。
こんな私が一歩踏み出すには、どういう思考を持てばいいと思いますか?
たとえば、自分の容姿や言動で相手は喜んでいるわけであって、心から私のことを見ているわけじゃないし・・・と感じやすいチャーマー。
そういう意味ではアイドルも孤独なんですよね。
他人が思い描いたイメージの中にいるわけですから。
すると、相手の好意も素直に受け取れなくなります。
相手の好意を信じてみよう、と思ってもなんだか不安が消えないんです。
愛されキャラ故に、人からの支援は結構受けるんだけど、心から受け取れきれない人もいますしね。
だから意識して「自分から相手に与えている実感」を感じて見るようにするといいですよ。
ちょっと勇気は入りますけどね。
もちろん難しいことをするのではなく、自分にできることをすればいいんです。
まぁ僕たちは人を好きになると「その人のために」と思うようになりますけど、相手に愛情を与えている実感(力感)を感じようと意識することも重要です。
自分として与える実感が自分を肯定する材料になる感じかな。
そして、人とのつながりを感じさせる要素になるので、「あぁちゃんと大切な人と繋がっているな」という安心感、親密感を感じる要素になりますよ。
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僕たちは「愛されたい」「理解されたい」と思う生き物ではありますけど、何もできずにただ一方的に愛され続けることもまた不安なんです。
ガラスケースに入れられたような状態で愛されても嬉しくないんですよ。
自分から、関わりたいし、与えたいし、喜ばせたいし、愛したいんです。
無力感や無価値感はこの自分の愛に刺さったトゲのようなもの。
本当にこれで十分なの?相手は喜ぶの?と疑いをもたらすもの。
でも真実はちょいと違うのかもしれませんよ。
そこまで誰かの喜びになれる才能があるなら、それを実感として感じられるように「与えて」いくこと。
すると、そもそもの愛されキャラが本当の恩恵になりますよ。
与えて嬉しい、愛されて嬉しい、受け取ってもらえて嬉しい。
ここまでいけば最強キャラですよね、ホント。