女性として意識されることが気持ち悪いと感じてしまう
浅野寿和様への質問
浅野先生、ブログ本当に楽しみにしてます。大事な所はノートに書いてます!
もし、ブログのネタになりましたら悩み相談にのってもらえると幸せです!
私は30代になるのに付き合った事がありません。それは幼少の頃、母がカップル、女性らしい格好な女性を見ると怖い顔をして「男好き、汚い」と言っていたので、男性と近付くことですら、大罪を犯した気持ちになります。
また、男の様に育てられた為、自分が男性から異性として見られる、というのが想像がつきません。私は人一倍、女性として見られたいのですが、罪悪感、気持ち悪くもなります。
お聞きしたいのは、男女交際、女性として意識される、が汚い、男好きなどのイメージから良いイメージ、見方などできたらアトバイスよろしくお願いいたします。(意味がわからなかったらすみません)
ネタ募集ネーム:メイさん
メイさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
そしていつもご覧いただきありがとうございます!
ではご質問にお答えしたいと思います。
母の言葉と取り入れ
なるほど。
お母さんにはお母さんの価値観があったということですね。
ただ子供の立場としてこの事実を見つめてみると、どうしても母の価値観は強い影響力を持ちますから、母の価値観が私の価値観となることもありえる話だろうと僕は思うのです。
特に母親が怖い顔をしていた、という部分がポイントかな、と。
お母さんが笑顔であったなら、ここまで強烈な禁止や嫌悪感にはならないと思うんですよね。
もちろん、今、大人としてこの事実を見つめてみれば、「お母さんが女性らしい女性に怖れを感じていた(怖い顔ですから怖れですよね)」と認識できるわけです。
それはあくまでお母さんの怖れであり、価値観である、と。
が、子供としては「母が怖い顔で嫌悪しているもの」を良いものとは思えないわけですよね。むしろ、私は好き、とも言えないわけです。
また、母の近く(心理的にも物理的にも)で過ごしていれば、子供に対して母親の感情や価値観は強く影響します。
そこで子供が母の価値観を取り入れる、そんな心の動きが起きても不思議ではないんですよね。
これは子供が「お母さんの怖れ」「怖い顔のお母さん」と出会ったときの不安に対する防衛と考えることもできます。
お母さんがあからさまに嫌悪感や怖れを表現していることに対する不安、といいますかね。
それに対応する何かしらの心の動き、防衛反応が起きることもありえると僕は思うのです。
つまり、母の表情・感情とセクシャルな要素が観念としてくっついているようなイメージ、ですね。
*
日本って特にセクシャルな要素を抑圧する文化がありますよね。
例えば、あまりいい話のように思えないかもしれませんけど、こんな話があります。
思春期になった子供が自慰行為を覚えるようになった。それを察知した親が子供に対して「汚い」といった態度で接した。
どんな人間も性的な欲求は持つもので、然るべきルールに則っていれば何も問題はなく、むしろ大人として愛し合うことはとても素晴らしいこと、ともいえます。
しかし、それは大人の価値観ですよね。
その価値観のない子供時代に、強烈なインパクトを持って取り込まれた「汚い」というイメージはなかなか拭えないものだった。
それがいつしか「自分は汚い」という観念になって定着していた。
その結果、大人としての自分を受け入れることが難しくなり、恋愛や結婚生活も距離のある関係にせざるを得なくなった。
その結果、セックスレスの問題が生まれたり、パートナーの浮気の問題が発生した。
*
これはあくまで一つの事例ですけれど、セクシャルな要素に関してはこの「取り入れ」と「罪悪感を感じること」が起きやすい、そんなイメージが僕の中にあります。
もちろんセクシャルな要素って、あえて人前でおおっぴらにするものでもないのでしょうが、しかし悪いものという判断は嫌悪感、怖れから生まれるものといえます。
人は怖いもの、を、悪いもの、と認識するようになることは多いですから。
例えば、虫が嫌いな人にとって、虫は悪いものになりやすいでしょう?
でも、虫が怖いわけであって、虫自体は悪いものではありませんよね?
このように考えていけば、メイさんのお話は、母親にあったセクシャルな要素に対する怖れを見て、いつしかそれが嫌悪感や罪悪感になっていった、ということのように僕は思います。
見え隠れする母との癒着と怖れ
なるほど、きっとメイさんはお母さん思いなんだろうな、と勝手に想像しています。
懸命にお母さんの思いに寄り添われてきたのかな、と。
どこか母の期待に沿う、母の脅威にならない私でいることが求められたのかもしれませんね。
それがいい悪いという話ではなく、それがメイさんなりの思いやりだったのではないだろうか、といいますか。
それはきっと子供としては良いことだったのでしょうね。
しかし、あなた自身として今、望まれていることは「女性として見られたい」なのですよね。
であるならば、一度お母さんとの心理的距離を見つめ直してみてもいいかもしれません。
セクシャルな要素をどう受け入れるかより先に、母親の影響を今も色濃く受けていないだろうか、という部分を見つめてみるんです。
特にお母さんの怖い顔(怖れ)や、幼い頃に自分自身が感じた怖れは、心理的な癒着の要因になります。
癒着が起こると、お母さんの価値観が自分の感情のスイッチになってしまうんですね。
だからこそ、まずお母さんとの適切な心理的な距離を取ることをまずオススメしたいんです。
ここで母親との上手に距離感が取れていないと、いきなり嫌悪感のあるセクシャルなイメージを受け入れることになりますから、ちょっと苦しいんですね。
カウンセリングやセミナーのセッションでは、丁寧にお母さんとの関係を見つめ直すようなイメージワークをご提供することも多いところです。
特に母に対する怖れを解放することがポイントになることが多いんですよね。この怖れが鍵なので。
セルフワークとしては、大人として母に感謝できることなどを伝えるなど、対等な視点でお母さんと向き合うこと。一旦、母の感情は引き受けないこと、自分の思いを見つめて行動すること、なんですね。
自分のこれからの幸せのために、ご自分の選択として、カウンセリングやセミナーを利用したり、セルフワークに取り組んでみてもいい効果があると思いますよ。
あと、このような事例でよくある話としては
お母さんの苦労などを見て申し訳ないだとか、放っておけないといっ
た思いを抱えている場合も、母に対する罪悪感で癒着してしまうケースもあります。
とてもいい子、親思いのお子さんの中にそうなるケースがあるのですが、この場合も癒着を手放す方向を考えてみるといいと思いますよ。
セクシャルなイメージをどう向き合う?
そもそもセクシャルな要素は毒りんごの味なんて表現をする人もいますが、つい悪いものと感じやすいものではあります。
それを受け入れるときに強い癒着や、怖れ・罪悪感があると、それだけで受け入れる高いハードルになるんです。
だから、セクシャルなイメージが強い人=悪い人・悪党なんてイメージを持っている人も多いんですが、実際はそうではないことも多いのです。
むしろ悪というイメージが強まっているからこそ、セクシャルな要素を排除したり、自分でも望まない悪い態度をとってしまうケースも少なくないんです。
それぐらいの葛藤(受け入れがたい感情)がそこにある、ということなんですけどね。
反面、上手にセクシャルなイメージを受け入れ、大人として凛と過ごしている方も多いもの。
大人としてのロマンスを感じるために愛し合うことの歓びを感じ合う。
こういったイメージを持つ人は、自分が選んだ人と向き合い愛し合っていることでしょう。
まずはそういった人と出会うことなんでしょうね。その出会いは何者にも変えがたい学びになると思うんです。
自分自身が一度取り入れた価値観を書き換えていくなら、他に新しい価値観、感覚があったほうが楽です。ある程度、お手本があってもいい話だろうという考え方ですね。
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ちなみに、そもそもセクシャルなイメージにはある意味「生々しさ」がつきまといます。
もし、生々しいこと=嫌悪感となっているなら、何かしらのセクシャルなイメージに対する誤解があると考えてもいいのかもしれません。
自分自身が感じる嫌悪感(自己嫌悪)の分だけ、愛する人を遠ざけたくなるはずです。こんな汚い私に近づかないほうがいい、と感じるのです。
しかし、それが動機で人を遠ざけてしまうのなら、それもまた人を思う気持ちがあるから、とも考えられるのではないかなぁ、と僕は思っていたりしますよ。
そう考えると、ここでも自分を自分として肯定し、新しい価値観を学ぶことって重要だなと僕は思うのです。
そもそも自分自身もセクシャルな要素は悪いものではありません。
ただ、何かしらの理由で「自分がそう感じている」だけなのです。
しかし、先に書いたような事情があってなかなかセクシャルな要素を受け入れることが難しいなら、まず自分自身を見つめて丁寧に見つめて癒やしてみてもいいと思いますよ。
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ただ、ここで出てくる怖れや罪悪感は手強いですから・・・焦らずじっくり、とがポイントですね。
罪悪感の手強さは僕もよく知ってます。
僕自身の癒やしの中でこの罪悪感に何度も手を焼いたものです。(実際は自分のパートナーシップがダメダメだったのは罪悪感の影響だと全く理解できていなかった)
ただ、腰を据えて取り組めばいい方向に進めると僕は思いますよ。
そもそも僕自身が相当に罪悪感や癒着の強い人間でしたが(今もその片鱗は残っていますが)、今はありがたいことに普通に家庭をもつことができています。
これはあくまで僕の実感ですが、一度でも本気で自分を変えようと思っていなければ、僕は結婚してないと思うんですよね。
そもそも僕の家族は「兄貴(僕のこと)は結婚できないだろう」と全員が思っていましたから(笑)
僕が結婚するとわかったときに、うちの家族は「よかったね!おめでとう」ではなく、「え?本当に?」と言ったのですよ。
嘘でそんなこと言うかいな・・・。
まま、僕も相当に頑固でどうにもならない問題を抱えていましたけど、やって損はないというか、もちろん自分の意志次第ですけどチャレンジすれば未来は開けるのかな、と思います。
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