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すべて自分の力でやりたくなってしまう私を変えるために
浅野さん、いつもお世話になっております。
質問があります。
私は人を愛すること、与えることは得意です。
最近、このことに自信を持てるようにもなってきました。
ですが、人からの愛を受けとることが苦手です。
すべて自分の力でやりたくなってしまいます。
職場でも、先輩や同僚から「なにか手伝えることはある?」と聞かれても、「大丈夫です」が口癖。
結局いっぱいいっぱいになって、「どうして誰も気づいてくれないの?なんで手伝ってくれないの?」とイライラするというのが、いつものパターンでした。
このあたりは、少しずつ助けてほしいと言えるようになり、周りの人の力を借りることもできるようになってきました。自分が思っている以上に、周りの人は優しいのだと気づくこともできました。
ですが、パートナーシップでは、男性からの愛を受けとることができません。
気になる人がいても、自分が相手を好きになることは自分が負けるような感覚があります。
いろいろブログなどを読んできづいたのですが、私は父親からの愛も受け取れていません。
父が私を愛し、大切にしてくれていることは頭で理解できます。
父は私たち家族が何一つ困らず生活できるように仕事をしてくれていました。これも父の愛情だと思います。けれど、私が見ていた父は、いつも仕事の愚痴を言い不機嫌でした。
そんな姿を見ていたので、私のイメージでは、父は重いものを背負い、傷つき、苦しみながら私を愛してくれています。
私がその愛を受け取り、幸せになれば父が喜ぶことはわかります。けれど、父が苦しむ姿を見るのが悲しくて、私は父の愛を受けとれずにいます。
どうしたら、どのように考えたら、私は父からの愛、そして男性からの愛を受けとることができるのでしょうか。
長文になってしまいました。
そして抽象的な部分もありますが、なにかアドバイスいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
ネタ募集ネーム:玲緒さん
玲緒さん、ご質問ありがとうございますm(_ _)m
なるほど・・・全て自分の力でやりたくなってしまうわけですね。
個人的にはすごく共感できるんですけど(笑)これを続けていると確かに疲れますしね~。
では、どうして「全て自分でやりたくなるのか」その心理的背景についてまとめてみますね。
自力にこだわる人の恋愛(対人関係)パターン
どうして全て自力でやりたくなるのか?
受け取り上手になれるのか?
その前に、すべて自分の力でやりたくなる人の恋愛(対人関係パターン)からお話したほうがいいような気がします。
このパターンを知ることが深層心理を見つめるヒントになりますからね。
多く全て自分でやりたくなる人は
「どうして分かってくれないの?」
「どうして受け取ってくれないの?」
「どうして私の思いを理解してくれないの?」
このような疑問、もしくは不満を抱えていることが多くなりがちです。
実際には口にしないし表現もしないことが多いのでしょうが、モヤモヤやストレスがチリツモでたまりにたまっていく可能性が高いんです。
自分なりに考えて、良いことをしている、相手のために頑張っている。
なのにどうして喜んでくれないんだ、愛を受け取ってくれないんだ、と感じやすいのです。
だからついつい「私の思いを相手に受け取らせよう」とすることもあるでしょう。
心理学でいうコントロールやパワーストラグル(主導権争い)が起きやすいともいえます。
だから恋愛であれば
「どれだけ自分の思いが強いか、素晴らしいか」を強化しようとするでしょうし、実際にそれに見合った行動をします。
対人関係であれば
「どれだけ自分のやり方、接し方が正しいか」を強化しようとするので、ある意味めちゃめちゃ正しい接し方を作り上げるともいえます。
もちろん自分自身のやり方があっても、そこに強いこだわりを持たず
「自分は自分なりに頑張っているんだよね」と肩の力が抜けているならいいんです。
「人は私と違っていて普通だしね」と思えていれば楽なんですよ。
しかしどこかで
「どうして自分なりの思いを汲み取ってくれないんだ」という意識(感情)が拭い去れていないと
その内面に・・・地味にコツコツ、じっくりコトコト「不満」を溜め込んでいくことになります。
あまりに溜め込みすぎると「相手への不信感」にまで膨れ上がることがありますね。
「本当に相手は私を愛してくれているのだろうか(評価してくれているのだろうか)」
「相手の本心はどこにあるの?」
ついそこが気になってしまうんですね。
だからさらに「人に与える側」に立つんです。
全て自分から与えることで、内面の不信感を拭おうと頑張るわけなのですよね。
受け取りベタさんは受け取ってはいけないような気分を感じている
そもそも「受け取りベタさん」は、何かしらの事情で
人の愛を受け取ってはいけない(ような)気がするので、人の好意(行為)を受け取っていないのものです。
代表的な例は
- 人の好意を受け取ったら弱くなる気がする(無価値感)
- 受け取ったら相手に迷惑(負担)がかかる気がする(罪悪感)
- 相手から何かしら奪っている気がする(罪悪感)
- 自分が頑張ればそれで事足りるだろう、相手に負担をかけたくない(自立)
- 今まで必死に頑張ってきた私の努力が崩れてしまう気がする(プライドの問題)
そんなこんな様々な理由が思い浮かぶので、どうしても受け取ることに躊躇が生まれやすいのです。
ここに自分自身が抱えているさまざまな感情や観念(思い込み)の影響があるわけですね。
そんな受け取りベタさんは、人の好意が向けられると・・・
「そんな思いを私に向けてもらうだけでありがたいし、お腹いっぱいです」
そんな態度を取る事が多いでしょう。
そこに相手の思いがあることは認めているけれど、実際には触れないし受け取らないんです。
(あ、いわゆる愛されたい願望・理想は別の話ですよ・・・)
つまり、受け取りベタさんは決して悪い人ではないんです。
むしろ自立的な生き方・・・努力家で日々しっかり頑張っていらっしゃる方が多いのです。
ただ無意識的に相手の好意(好意)を受け取らない(拒絶している)ので、
他人の好意(行為)に、悪意なく拒絶を向け、ときには分離してしまっているだけなのです。
これ、僕の学ぶ心理学では「全く悪意がない・気づいていない」という意味で
無意識的な加害者という表現を使いますけどね。
切ない感情を切り離すために与え上手になった私たち
いろいろブログなどを読んできづいたのですが、私は父親からの愛も受け取れていません。
父が私を愛し、大切にしてくれていることは頭で理解できます。
父は私たち家族が何一つ困らず生活できるように仕事をしてくれていました。これも父の愛情だと思います。けれど、私が見ていた父は、いつも仕事の愚痴を言い不機嫌でした。
そんな姿を見ていたので、私のイメージでは、父は重いものを背負い、傷つき、苦しみながら私を愛してくれています。
私がその愛を受け取り、幸せになれば父が喜ぶことはわかります。けれど、父が苦しむ姿を見るのが悲しくて、私は父の愛を受けとれずにいます。
そうですね、このようにお感じになるのはすごく納得できる話です。
それこそあなたにとってお父さんが「無意識の加害者」だったのかもしれませんね。
お父さんは素晴らしい愛の持ち主。
しかし、家族であるあなたの思い・・・
それは家族への愛情も、切なさ・見ていられない感じも
お父さんも楽になってほしいという願いも
そばにいて感じる「心苦しさ」も・・・
いろいろなものは共感されず、そのままになっているのかもしれません。
こういった感情をもう感じていたくない・切り離したいと感じるとき、僕たちは自立します。
他人の態度・感情や、自分の感情の振り回されないように
「自分なりの生き方・やり方・愛し方・正しさ」を構築していくのです。
そう、「2」の項目で書いた「自分が人からの好意(好意)を受け取らない理由」は
自分自身が過去に「めっちゃ感情的に振り回された経験」から生まれた防衛なんです。
今回の場合であればお父さんが理由になっていそうですね。
自分の家族や仲間など、自分にとって近しく、親しい、影響力がある人との関係で感じた
「感じていると切なく辛い感情」を切り離すための手法といえます。
その結果、
「家族(近しい人)との間で感じた切なくしんどい感情体験」は、大人になった今も、そのまま持ち越されることになるんですよね。
これが「親密感へのブロック」になります。
自分自身もう大人になって、家族の影響からは抜け出せていると思うけれど、なぜか親密な関係(家族関係など)を連想すると、なんだかいい気分がしない。
その理由は、今は家族から距離をとって影響を受けていなかっただけ。
そんな人ほど自分自身が親密感の中で生きることより、そこから分離して(自立したまま)与えるスタンスを崩さないものです。
これを崩すと嫌な気分を感じる。ここを無意識的に怖れるからですね。
だから恋愛や夫婦関係のような「親密感を感じる関係」でかつて感じた感情が再現されて、それが悩みを作る理由になります。
未だ解決していない夏休みの宿題が残ってた・・・といったイメージですね。
ただまぁ、自立して生きていればその宿題にチャレンジしなくていいでしょう?
だから「全て何でも自分の力でやりたくなる」のです。
これこそ忍耐女子、自立女子、ロックマンの深層心理だといえますし。
自分自身の今に家族関係が与える影響の強さともいえると思います。
受け取るチャレンジの第一歩は「理解」から
それはスバリ「父を理解すること」です。
そもそもあなたと父は違う人で、様々な影響を受けているにしても別の人間です。
だから、父親なりの愛し方、想いを大人の自分としていったん受け止めること。
例えば・・・あぁ父親は無意識の加害者という言葉を知らなかったんだな、といった風に。
きっと知っていれば何かしら別の行動が取れたのかもしれませんしね。
ただ、そうでないならば、いいも悪いもなく「自分なりのやり方」にこだわるはず。
それが「お父さんなりの愛を与える方法」だったのですから、ケチのつけようがありませんよね。
※この相手の愛を与える方法にケチをつけるとケンカになるんですよ(笑)
このような視点で
あなたが「いかにお父さんがあなた(家族)のことを想っていたか」を理解することです。
あなたがいなければ、どれだけお父さんのモチベーションは下がったか・・・
あなたがお父さんに対して、どれだけエンパワーメント(辛い時も勇気づけ)をしていたか。
自分が与えていた父(家族)への影響力をしっかり理解すること、なんです。
そのために「自分という存在自体は、どれほど人を勇気づけ、力づける力があるのか」に気づく必要がありますね。
自分というものは決してちっぽけでなく
チッポケだからもっと努力し自立しなければいけない、のでもなく
そもそもものすごい人を喜ばせる力がある存在だと自覚する(受け取る)必要があるわけです。
これこそが僕がご提供している癒やしの中核にあるものです。
ただ厄介なのが・・・
僕たちは「自分が素晴らしい?そんなはずはない・・・」と感じる自我(エゴ)や思考も持ち合わせているわけです。
だから、「自分をいかにすごく見せるか・努力するか」にこだわっちゃう罠もあるわけですよ。
こうなるともう思考で動かせるようなものではないこともありまして、そうなるとカウンセリングセッションやセミナーがオススメになるんですけどね。
あなたの癒やしの入り口として、今できることを考えるならば
自分の気持ち・感情へのこだわりを手放して、お父さんの思い(家族の思い)を理解すること。
一体お父さんはどんな思いで毎日頑張っていたのか、を理解し、感謝し受け取ることです。
それができれば「あなたの周囲にいる人が(その人なりに)あなたを必要としているか」が見えてくるのです。
これが見えれば「自分が愛されたい」「たくさん努力しなければ」と思わなくとも、自分の存在価値はちゃんと感じられます。
その結果、自然と受け取り上手になる。
しかしこの話の根っこは「自分は素晴らしい存在で、それだけのパワー・影響力がある」と感じることに尽きます。
その後で「自分にどんな才能があって、何ができるか」を見つめると、大きな自己肯定感や自信に変わっていくでしょう。
これはエゴにとらわれているとなかなか感じにくいことかもしれませんね。
抱えつづけてきた切ない感情はちゃんと洗い流そう
ただ、実際には
「家族(近しい人)との間で持ち越された切なくしんどい感情体験」が強ければ強いほど
父(家族など)を理解することが難しくなるんですよね。
例えば、家族の中で切なくしんどい思いをした人にとって自立して生きることは
「あぁ、ようやくあのしんどい思いをしなくて済むようになった・・・」
という体験になりますものね。
だからどうしても「今の自分自身の感情」を中心に物事を見たくなります。
今まで以上に、自分が切なく嫌な思いはしたくないと考えることが普通ですから。
ただ、これもまた「全て自分の力でやりたくなる」動機の一つ
「人と関わることへの怖れ」になります。
もし、あなたの感情体験が今のあなたの幸せ、受け取ることをブロックしているなら
今の自分が抱えている感情を、良いも悪いもなく整理して癒やすことが先です。
ある意味「理想」と「正解」だけを追っかけて
「受け取れるように人を理解しよう」としてもいいんですが
「なんだかその気になれないな・・・」と抵抗感を感じて終わるぐらいなら
まず自分の抱えてきた感情の表現、解放を優先してくださいね。
癒やしの手法・答えを見つけることが癒やしではないですものね。
実際に癒やされることが目的ですから。
そもそも・・・そんなに簡単じゃないです、僕たちの長く抱えてきた気持ちって。
ただ、あなたに家族への思いがなければつらい気持ちも抱えなかったはずですから。
まず自分に赦しの目を向けて、自分の気持ちにいいも悪いもなく素直になるか、も大切なことですよ。
そのあたりバランスよく「前向きになる方法」と「今の自分の気持ちを見つめる視点」を取り入れてみると良いでしょうね。
以上、何か参考にしていただければ幸いです。
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