「まじめに一生懸命努力してきたのに、どうして自信が持てないんだろう?」
そんな風に思うことはないでしょうか?
努力しているのに自信が持てない理由は様々ですが、とかく僕のカウンセリングの現場では
「能力もあり、周囲からの評価も低くないのに全く自信が感じられない」
というお悩みを伺うことがあります。
この状態を「インポスター症候群」と呼ぶこともあるのでしょうね。
「インポスター症候群」とは、仕事や学業、個人的な成果などにおいて成功しているにもかかわらず、自分を過小評価したり、自己不信感に陥ったりする心理状態です。
そこで本記事では、「まじめに一生懸命努力してきたのに自信が持てない原因」と、自信を持つための対処法についてご紹介したいと思います。
Index
まじめに努力しても自信が持てず苦しむ人の心理
まじめに努力しても自信が持てず苦しむ人が抱える心理特徴の一つが「評価懸念」だと考えることができます。
「評価懸念」とは、他者からマイナスの評価を受けることを恐れる心理状態のことをいいます。
いわゆる人の目を気にしすぎる状態を作るものだとも言えますし、自分軸ではなく他人軸で生きている状態、とも言えそうです。
人によっては「他人からのマイナス評価を気にしすぎて、今の自分を変えようとしない」なんてことも起こります。
例えば、恋愛・結婚などがしたい気持ちはあれど、周囲の評価を気にして躊躇したり、出世することへの漠然とした抵抗感などがそれに当たりますね。
いわば、「他人からいまだ受けていない評価を基準に物事を考え、行動している」とも言えるんです。
ただし、このような悩みを抱えておられる方にとって「他者からのマイナス評価を怖れないようになればいい」という答えだけで、そのお悩みを解決することは難しいと僕は考えています。
「私が他者からの評価を気にしなければいい」
そんな事はもうわかっている人が多いからです。
しかし、それはものすごく難しいことなのです。
なぜなら人は社会、集団の中で生きる生き物であり、他者からの評価を気にすることに意味も価値もあるからです。
ここでの問題は「生きづらさや困りごとが生じるほど気にしすぎてしまうこと」なのです。
だからこそ、この手のお悩みを抱える方は
「私なりまじめに努力しているはずなのに自信が持てないのか?努力が足りないのではないか?」と思って燃え尽きかけていたり。
「他者からのマイナスの評価を得ないように、他者に配慮し努力して生きているのに、どうしてこんなに自分を信じられないのか?」と、途方に暮れていたり。
「なぜ、どれだけ成果を残しても全く自信を感じないのか?」と、自分の悩みの原因を特定しようにも特定できずに考え込んでしまう人が少なくないのではないでしょうか。
自信がない人ほど能力が高い可能性がある
では「まじめに努力しても自信が持てない理由」を書く前に、少し興味深い話をご紹介したいと思います。
実は「自信がない人ほど能力が高い可能性がある」という話。
ね、少しだけ興味を持ちません?
この「自信がない人ほど能力が高い可能性がある」という話は、「ダニング=クルーガー効果」から導くことができる考え方なのです。
ダニング=クルーガー効果
ダニング・クルーガー効果とは、自身の能力や知識が不足しているにもかかわらず、過大に評価してしまう心理現象です。
認知バイアスの一種とされ、思い込みや先入観など根拠のない自信によって、周囲の誤解を招く可能性があります。
ダニング氏とクルーガー氏は、「能力の低い人が自分を過大に評価してしまう理由はなぜか」という研究の中で、実験を行いました。
大学生を対象に筆記試験を行い、その成績を自己評価してもらう実験。
その結果、「成績の悪い人ほど自己評価が高く、成績の良い人ほど自己評価が低い」という結果が出たのです。
つまり、「成績の良い人、能力の高い人ほど自己評価が低く見積もることがある」のです。
そう考えると、自信がない人ほど能力が高い可能性がある、と見ることもできるのです。
ね、少し安心しました?
ただ、だからといって「まじめに努力しても自信が持てず苦しむ状態が変わるわけではない」でしょうか?
「んー多分そうじゃないかなぁ?」と勝手にこちらで推測しながら、話を先に進めていきますね。
まじめに努力しても自信が持てず苦しむのはなぜなのか?
さて、まじめに努力しても自信が持てず苦しむ人の心理特徴の一つが「評価懸念」だと先に書きましたね。
では、この評価懸念は何を意味しているのでしょうね?
言い換えるならば、この「他者からマイナスの評価を受けることを恐れる心理状態となる意味は何なのか」ということです。
傷つきたくないから?
怒られたくないから?
失敗を馬鹿にされたくないから?
自分に失望したくないから?
・・・多分、全部正解なんだと思います。
あなたがそう感じるなら、きっとそれこそが自信を感じられない理由なんだと僕は思うのです。
ただ、もう少しだけ心理的な物事の考え方を深めていくと、こんなことが言えるのです。
「周囲は自分より賢く、良い判断をする」と感じている
実はですね、評価懸念を抱えていると「周囲は自分より賢く、良い判断をする」と感じることが増えます。
だから、他人との比較の中で
「いくら努力しても周囲は自分より良い判断や結論を導くだろう」とか
「きっと自分がなにかしなくても(自分がいなくても)周囲は賢い判断をするだろう」
なんてふうに感じやすいわけです。
ね、なんだか気分が落ち込んじゃいません?
なんだか自分をちっぽけに感じてしまいません?
それがなんとも辛いんですよね・・・。
まぁ、事実を調べてみれば、実際にそうだという場合もあれば、意外とそうではなかった、というケースもあるんだと思うんですけど、そういう話じゃないって部分がポイントですよね。
まじめに努力しても自信が持てない人の自信のなさの正体
この「まじめに努力しても自信が持てない」という状態を理解していくうえで重要なポイントは
「まじめに努力しても自信が持てない人は何を求めているのか?」
という部分だと僕は考えます。
例えば、先に書いたダニング=クルーガー効果の話を聞いて、一時的にプライドが回復したとしても、だからといって「自信を感じられない」という状態が回復するわけではなさそうですよね?
優しい人から「あなたにはあなたなりの良さがあるのよ」伝えてもらっても、一時的に気持ちが穏やかになったとしても、根本的な自信のなさは消えてくれないではないでしょうか?
実は僕自身も長くこの状態で悩み苦しんできましたので、個人的な体験としてこの状態をよく知っているのです。
いくら「社会に適応し、能力を発揮して生きていても、自信が持てるというわけではない」といいますかね。
そんな単純な話じゃないというお話を僕もたくさん伺ってきました。
では、まじめに努力しても自信が持てない人は、その内面で何を感じ、何を求めているのでしょうか?
「まじめに努力しても自信が持てない人」の「自信のなさの正体」とは何なんでしょうか?
その答えの一つが「周囲からの評価とそれに対する欲求」だと僕は考えます。
例えば、毎日仕事を頑張り、友人関係を大切にし、恋愛をし、家族を作り大切にする。
そんなありふれた人生の流れ、他人として見ると「幸せ」と感じたり「満たされた日常」と思われるもの中で、いつしか失われた「心の潤い」を求める気持ち、欲求だと考えます。
だからこそ、他人の評価を気にするのです。
他人の評価を気にしても仕方がないと理解していても、他人からの評価が欲しくなるのです。
かつ、自分よりも賢い判断をすると思いこんでいる、他人の評価を欲するようになるのです。
そして、「周囲からの評価を求め続ける」気持ちと、それがなかなか満たされない状況の中で、どんどん心が潤いを失い、乾いていくのです。
その心の乾き、つまり不毛感や虚しさ、徒労感や無意味感などが「自分という存在への疑い」を作ることがあるようですよ。
それこそ「自信のなさ」と感じられるものなのでしょうね。
まじめに努力しても自信が持てない時の対処法
では、まじめに努力しても自信が持てないとき、どうしたらいいのかについて、いくつ感考え方をご紹介しますね。
承認欲求をネガティヴに捉えず、心の乾きに気づく
1つ目は「承認欲求を必要以上にネガティブに捉えない」ということです。
誰にだって承認欲求はあります。
ただ、その欲求を数字や能力、怒りや命令などで相手にぶつけて、相手から承認を引き出しても虚しいだけですよね?
そんなときは「自分の心が乾いてんだな」と思ってみることです。
僕たちの世界では「本当の自信は柳の木のようにしなるもの」なんて表現を使います。
柳の木は風で揺れてもしなってもとに戻ることができるので、そんな表現を使うのです。
逆に、固く強い鉄の棒は一度折れると元には戻らない、なんて表現も使いますよ。
だから、柳の木のように、打たれても、何かあっても元に戻れるようなものが自信だと言います。
ただ、いくら柳の木であっても、カラッカラに乾いてしまったら、ものの見事に折れてしまうと思いません?
つまり、お肌と同じで、心にも潤いが必要ってことですね。
それこそ良い気分を感じる時や、自分を認めたり、受け入れることなどが、時には必要ってことですよ。
自分もまた賢い判断をしていることに気づく
2つ目は、自分もまた賢い判断をしていることに気づくことです。
例えば、あなた自身が誰かのために、社会のために頑張っていることってありませんか?
誰かを幸せにしようと考えたことはないでしょうか?
そのあなたの優しさをもって誰かを傷つけないように配慮したことはないでしょうか?
自分自身が成し遂げたいもののために、努力してきたことはないでしょうか?
それら一つ一つが、あなたなりの賢い判断ではなかったでしょうか?
心が乾いたような、潤いを失ったような感覚を覚えると、どうしても他者からの評価を得たくなる気持ちが湧き出しやすくなります。
だから、どうしても自分を自分で評価するより、他者から評価してもらいたくなるのです。
それは今の自分をどこか見失っている状態に近いと僕は考えています。
しかし、そうであってもあなたはあなたなりの賢い判断をしているはずなのです。
そのあなたの賢い判断を客観的に見つめてみてはどうでしょうか?
今までの人生の中で、あなたが選択した努力、愛、優しさ、貢献などからくる行動や成果を、紙やスマホなどに書いて客観視してみてください。
ポイントは客観視すること。考えるだけでは足りず、自分の外にアウトプットしてみることです。
期待を手放して自分を整える
「努力しているのに自信が持てない人」は、「理想の自分」や「成功している自分」への期待と、そうなれない現実とのギャップで苦しんでいることが多いです。
「自分はこうあるべきなのに、こうなれない」
「他の人はこうなっているのに、自分はそうではない」と。
これは一つの期待の心理の現れなんですよね。
そこから抜け出すための一歩は、自分に課している過度な期待に気づいて、適度な「そこそこ感」を身につけて、自分で実現可能な程度の目標設定に書き換えていくことなんですね。
そうすることで、気負わず経験や実績を積み重ねていけますし、自分への自信を高めていく道が開けてくると思います。
最後に
いかがでしたでしょうか。
まじめに努力することが悪いわけではありません。
自信が持てないことも悪いことではありません。
ただ、どこかで失った心の潤いのようなものを満たしたくて、他者の承認を求め始めることで、なかなか自信を感じられなくなることもあるようですね。
今回の記事が皆さんのなにか参考になれば幸いです。
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