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関係修復の途中で訪れる「何も変わらない停滞期」
私は浮気した夫との関係性を戻したいと思っています。
数ヶ月前、夫の浮気が発覚しました。その時、夫は謝って関係を解消すると言っていたので、私はそれを信じて関係を続けることにしました。
ただ、私もショックを受けてしまい、何度も夫を責めました。どうしても耐えられない気持ちになってしまって。
それから私は彼を許そうと決めました。今の関係を諦めたくないと思いましたし、これからも夫婦として過ごしていきたいと思っています。
すると、今度は夫の態度は頑なになってしまいました。
最近は一切会話がありません。朝、挨拶をしても無視されますし、仕事からの帰りも遅く、私はいつも一人で待っています。
今まで以上に一緒にいて辛い毎日が続いていて、頑張ろうと思うけど、どうしても心が折れそうになってしまって苦しいです。もう別れてしまったほうが楽になるかも、と思うことが多いです。
私はどうしたらいいのでしょうか。今の私にできることはないのでしょうか。
そもそも夫は優しい人でした。こんなことをするような人ではなかったから。
しかし、今も夫はまだ浮気相手との関係を続けているかもしれないと考えると、胸が潰れそうです。
この状態が続くことはとても辛くて耐えらるか不安です。
夫婦の関係性改善、復縁に向けて頑張りたい」と頑張っておられる最中にやってくる「まるで『まだあの人を愛せるの?』テストされているような状態。
「もう一度、夫・彼と」と思っても、つい心が折れそうになる、そんな状況が続くと本当に苦しいですよね。
いわゆる恋愛や夫婦の関係修復のプロセスでは「もう関係を解消したほうがお互いに楽になれるのではないか」と思えるような時期がやって来ることがあります。
これ、ご経験された方ならお分かりいただけると思いますが、もはや生きた心地がしないような、自分という存在の価値が全く無くなったかのような感覚を感じる時期でもあるんですよ。めちゃめちゃキツい時期なんですよね。
しかもなかなかこの状態が変わらない、いわば停滞期のような状態になることも少なくないんです。だから、つい諦めたくなるし、このまま毎日が続くとしたら今諦めたほうが楽になるかもしれない、と思うことも増えるわけです。
カウンセリングをさせていただいていても、そのお気持ちが痛いほど伝わってくることもありますし、僕も丁寧にそのお気持ちは伺わせていただいているところなのですよ。
ただ、何も変わらないように感じても、あなたが関係修復を目指してお互いのためにベターな選択をとっているならば、実は何も変わらないようで、しかし変わらない中でも「変化」が生じている場合も少なくありません。
表面的に何も変わらないように見えても、僕が見ると「変わっている・進んでいる」という場合もあるのです。
そこで今回は(今、頑張っているクライエント様やブログ読者の皆さまに向けて)関係修復の途中で訪れる「停滞期」、まるで試練のような時期をどう過ごすかについて簡単にまとめていきます。
よろしければお付き合いください。
関係修復とその停滞期におけるお互いの心理状態とは
関係修復とその停滞期におけるお互いの心理状態を一言で表現するなら、かなり自己肯定感が低下している状態だといえます。
これは浮気された側、別れを突きつけられた側など、いわば被害者的ポジションにいる人だけでなく、浮気した側、別れを切り出した側など加害者的ポジションにいる人も同じです。
だから、関係修復の途中で起きる停滞期を乗り越える方法について、結論だけ申し上げるならば「お互いに自己肯定感や自己価値を取り戻せた状態になること」になるのです。
しかし、実際関係修復が未だ実現していない状態では、お互いに自分だけで自分を肯定することが難しく、罪悪感(自分は罰せられるべきであるという感覚)を強めたり、自分は愛される価値があるという自己価値を感じられなくなってしまいます。
だから、お互いに「愛し合う態度」「愛されやすい態度」ではなく、「相手に罰せられないような態度」「これ以上傷つかないような態度」を取り始めるものなのです。
その典型例が「無関心」であり、防衛的な意味での「自立的態度(パートナーを拒絶する)」なんですね。
そもそも恋愛・夫婦の問題は「どちらか一方だけにダメージがいくものではない」ことが特徴です。加害者側も、被害者側も、お互いにひどく傷つくのです。
その傷が深いうちは「愛し合うこと」よりも、「傷つかないこと」「感じられなくなった自分の価値を感じること」を優先してしまうのです。それは何かしらの天災がやってきたとき、まず自分のライフラインを確保することを優先するようなイメージです。
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よく問題になるのが加害者側の方で、加害者は「自分がパートナーを傷つけ、裏切った」という事実と向き合いますから、どうしたって自分の価値を感じることはできなくなるのです。だから、まるで逆ギレのように「自分だけが悪いわけではない」「もう相手に愛想が尽きた」といった状態になるわけです。
それはまるで関係修復を望まないといった態度のように見えるのですが、これは「そもそも自分が関係修復を望める立場ではない」という罪悪感の現れであり、これは、自己肯定感や自己価値を感じられないからこそ起きることです。
そんな状態にあるパートナーとの関係修復を考えるならば、その相手のあり方を見て、難しいけれど冷静に対処する必要が出てくるのです。
が、そうは言えども、パートナーとの間に問題が起きるととても苦しく、また被害者側としては、未だパートナーのことを愛していたり、失いたくないと感じるものであって、だから、つい相手(罪悪感を感じている相手・加害者側)に、愛情を求めたり、愛してほしい・向き合ってほしい、と感じてしまいやすくなるわけです。
しかし、相手は向き合ってくれるどころか、罪悪感まみれで自分のことを立て直すこと手一杯になっているので、なんとも冷たい態度を取りつづけることもあるわけですよ。
こうなると「関係修復のために頑張っているけれど辛い」と感じる、まさに何も変わらない停滞した状況が続くわけですね。
このような状態では、お互いが自己肯定感や自己価値などを感じられず、愛されるにふさわしくないと感じている可能性が高いということです。
どちらも楽じゃないのです。
そして、どちらも何かしらの救いを求めている可能性があるのですね。
ただ、その救いをパートナーに求められないから、お互いがそばにいても更に苦しむことになってしまうわけです。
停滞期とは「間違いに対して愛が足りな」ときに生じるもの
さて、このような停滞した辛い状況をどう乗り越えるか?を考えていくとき、辛いときほどヒントになる考え方があるのでご紹介したいと思います。
私達の心理学では「間違いは愛の不足によって生じる」と解釈することがあります。
間違いが起きるのは、間違いを引き起こす前段階で何らかの愛が不足していた。愛が不足していたから間違うことでその愛の不足に気づく必要があった、という風に捉えることがあるわけです。
例えば、浮気の問題があったとしたら、浮気した側がいつも自分ひとりで悩み葛藤し、誰の助けも得ずに苦しんで、その結果、浮気という問題に気持ちの置き場所を見出したのであれば、それは浮気という問題を引き起こす前に、あまりに自分が自立を強めてしまうほど、自分が愛されるにふさわしい存在だという目を自分に向けておらず、また、自分を愛する人がいてもその存在をまるでいないかのような振る舞いをしていた、と考えるわけです。
また、浮気をされた側としては、浮気をされるという問題を引き寄せたかったわけではないのでしょうが、しかし自分が以下に愛されるべき存在で、素晴らしい存在であるかをあまり意識してこなかったがゆえに、ついパートナーの愛を受け取りそびれたり、尽くす恋愛を続けたり、パートナーにとっていかに自分が価値ある存在なのかを感じ取れず、つい自分だけの世界で生きていたた、という場合もあるわけです。
ここでの「愛」とは、理解であり、慈しむことであり、受け容れることであり、与えることでもあります。
もし、今、関係修復を試みる二人の間に辛い停滞期がやってきているとしたら、それはお互いに相手を愛することが足りない、というだけでなく、お互いに自分自身を罰している時間を過ごしている、ということになります。
そして、その罰するということを通じて、今の問題をクリアにしたり、罰するということを通じて気持ちを落ち着けようとしている可能性があるのです。
例えば浮気の問題、夫が冷たい態度を取る、ということを例に上げるなら、その夫がパートナーに対して冷たい態度をとり、相手の愛情を受け取らないことで夫の自己肯定感が高まったり、罪悪感が薄らぐことはないのです。
しかし、冷たい態度を取ることで自分も苦しむけれど、自分以外の誰かが苦しんだり、自分以外の誰かに傷つけ罰せられることは避けられる、と考えれば、「愛する人に冷たい態度をる」という罰を選んでしまう、というわけです。
もちろん浮気をされた側も同じで、「私になにか問題があるのだろう」「私がつらい思いをしてもいい」などの罰を選ぶことで、どうか夫に私の気持ちを理解してほしいという思いを込める場合もあるわけです。
が、自分を罰して喜びびあえる関係になるなんてことは、まずありえません。
もし、喜びあえる関係を求めるならば、問題を修正することは必要ですが、しかし罰を与えるべきことなどは存在せず、そこに理解や癒やし、許し、愛を注ぐことが求められているのです。
つまり、関係修復の停滞期とは「間違いに対して愛が足りない」ときに生じるものであって、お互いにまだ「自分への罰」を与えているときに生じるものだと考えられるのです。
この罰を続けている関係は、非常に重苦しく、辛く、冷たい雰囲気に支配されていくことになるでしょう。この状態を続けること自体、関係修復のデメリットとなっていくことは、きっと皆さんもご理解いただけると思うのですね。
停滞期を抜け出す方法は「ただ耐えることより、自分を整え、愛について考え表現すること」
関係修復における停滞期は、お互いの自己肯定感が下がり、かつ、お互いが自分に罰を与えていることがまだまだ多くなっているでしょう。
もちろん停滞期を頑張って耐えることが悪いわけではないですよね。今まで耐えてきたことは承認されるべきことだと思うのです。
ただ、今の辛い停滞期を何もせずひたすらに耐えることは、おそらく「罰(自分が辛い状態を続け、自分を愛せずにいる)」に近くなるリスクがあるんですね。
先に気づいたほうから「罰の要素」について気づき、手放していくことがとても大切なんですね。
例えば、少しでも気持ちが楽になること、気分転換できることを自分に与えること。
たとえマイナスの気分がプラスの気分にまで変化しないこともあるかもしれませんが、気持ちをフラットにできる時間を少しづつでも増やすことだけ続けるだけでも、その積み重ねが随分とその後に影響しますよ。
だから、少しでも自分が落ち着くことを選択してみてほしいのです。
人に話して気持ちが軽くなるなら話すことでもいいですし、一人の時間を作るほうがいいと思うならそうしてみてもいいですし。
具体的な相談をしたり、これからのことを考えて気持ちが軽くなるならば、それを日常の中に取り入れてみましょう。(逆に二人のために何もしなくなることはデメリットになるのですけどね。)
また、夫や二人の関係に対しても「問題意識を持つ」以上に「どうしたら私と相手、双方の存在が罰ではなく、愛のある存在になるのか」を考えていくことが、罰を手放すことにつながります。
今、可能な限りのよりよい関わり方、例えば「相手の返事がなくても挨拶はする」だとか「相手のためにできることを行う」といったことが自分と相手の罰を手放す要素になっていきます。
そもそも関係がこじれ修復が必要な状態では、お互いの自己肯定感が低下しているわけですから、自分の気持ちの立て直しはもちろん、相手に対してもいい影響を与えていくことが、お互いの罰を抜け出す視点、言い換えるなら停滞期から抜け出せす道になることが多いですね。
少なからず状況が変わっていないように見えても、自分自身がこの罰のループから抜け出せますから、やって損はないはずです。
こうなってはじめて「相手を愛すること」も楽にできるようになりますし、何より自分が傷つくべき存在、愛されない存在である、と感じる理由である「痛み」から解放されていくわけです。
逆に言えば、二人の関係が何も変わらず停滞してしまうのは、お互いの癒やしのペースが一致していないか、もしくは、お互いがいまだ「罰」にばかり囚われて、反省や自分を責めることばかり続けているから起きるというわけです。
最後に
そう考えると、もし二人の間に問題が起きて、パートナーがあなたに対して愛のない態度をとっているとしたら、それは「相手が自分を罰し続けていて、誰かに許されたいと感じている依存的態度だ」と理解したてみてもいいかもしれません。
その状態のパートナーに許されようとか、愛されようという意識が強すぎると、相手から残り少ないパワーを奪うような状態になりかねないんですよね。
相手は自分で自分のことを許すことができないから、冷たい態度を取るわけです。
この状況、あなたはどう見ますか?
そう思うと、今、何もしないで耐えるよりは「今、私のために、相手のために、二人のためにできることを行うこと」が大切なのかもしれませんね。
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