浅野先生への質問
4年ほど前に鬱状態となり、今は比較的穏やかに過ごせるまでになりましたが その時から対人関係がとても苦手になってしまい、今でも家族以外(子供から大人まで)の人と目を合わせて話す事に恐怖みたいな物を感じます。
本当は気軽に楽しく会話を楽しみたいと思っているのですが、未だ自分に対する自己肯定感も低く心をオープンにする事がどうしてもブレーキをかけてしまう状態で苦しいです。
(ちゃんと話を理解しなきゃ)
(ちゃんと共感しなきゃ)
(相手に変に思われないようにしなきゃ)
(ポジティブに返さなきゃ)等 会話に対して、しなければ と思っている事も苦手となってしまった原因だとも思っています。
対処法がありましたら教えていただきたいです。
(M.Y.さん ※原文のまま掲載させていただきました)
お待たせしました。今日はM.Y.さんからいただきましたご質問にお答えしますね!
なるほど、対人関係と怖れのお話ですね。
M.Y.さんがおっしゃるように「○○しなければ」と思っているから苦手意識を持つようになった、という部分は僕も共感しているんです。
「○○しなければ」、どこか義務感や役割のような感覚を感じていれば、ココロは窮屈さや怖れ・不安を感じやすくなりますからね。
「○○できなかったら、どうなってしまうだろう・・・」
そう感じているからです。
「○○しなければ」という感覚があるとき、「○○できなかった」時のネガティヴな想像をしているものですね。だから、自分が感じている最悪であろう状態を避けるために「○○しなければ」と感じているケースは少なくないものですね。
「相手に変に思われないようにしなきゃ」
そうしないと、あなたはどうなってしまうと思っているんだろう・・・。
そこに誤解かもしれませんが、「隠しておきたい私」がいるかもしれませんね。
今まで頑張ってきた私。
辛いことがあっても踏ん張ってきた私。
いろんな私、ですね。
その自分を隠すために「○○しなきゃ・・・」の方法で自分を守り隠している、とも言えます。
もちろんこれはいい悪いという話ではないんです。
むしろ必死さがそこにある、とも言えるお話で、自分を守るための作用なのかもしれません。
が、自分を守ろうと「自分を隠したい」と思えば思うほど、対人関係はどこか窮屈に、怖れを感じやすいものになっていくことがありますね。
あと・・・「隠しておきたい私」がいるからこその、罪悪感の問題もあります。
これは事実ではなく感覚的なお話なんですが・・・
「私は人に自分の内面を隠している」という状態になると、どうしても目の前の人に対して罪悪感を感じます。隠し事があるだけでいやーな気分になる、あの状態ですね。
だから、更に私を隠さなきゃ・・・つまり、「○○しなきゃ・・・」となるんですよね。
*
こういったケースで
僕は「○○しなきゃ・・・」と感じている自分を嫌わないであげてくださいね、とお話することが多いでしょうか。
自分を守っている要素を自分が嫌ったら「だからダメなんだ」と原因追求っぽくなりますよね。すると、ここでの「○○しなきゃ・・・」は悩みや問題になってしまいます。
しかし、「○○しなきゃ・・・」もまた、あなたにとって必要なことであったなら、嫌うのではなく「自分を守ってくれたものだ」と肯定的に捉えた方が癒しに近づく、と僕は考えます。
どんな感情も反応も嫌わない。そこに何かしらの意味があるのだと見つめていく。
僕は基本的にこういったスタンスのカウンセリングをご提供しています。
こういったケースでは問題解決をしようとすると、自己否定感を強めてしまうこともあるんですね。いわば問題探しになってしまう。
なので、できる限り・・・すぐ肯定とまではいかなくても「その感情や反応の意図」を大切にしていく。
すると、ココロが楽になったり、少しココロが暖かくなったり。
自分の中の義務感であれ、役割であれ、ゆっくりその役目を終えることが可能になることもあります。
こうするといい、と分かっていても、なかなか対処できないときは、否定するのではなく、そこに意味や意図があるんじゃないかなぁ・・・と考えていくことが自分を優しく扱う方法になることも多いですよ。
よろしければ参考にしてみてください。
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。