■カウンセリングサービスの浅野寿和です。いつもありがとうございます。
さて、今日は僕のボーッとできる休日なので(笑)心理学とは関係のない話を書く「アサノのコラム」を更新します。
まぁ好き勝手なことを書きますので、一切のツッコミは受け付けない姿勢で参ります(笑)
お暇でしたらどうぞ~。
2週に渡り東京出張をこなしていた10月。
いつの間にか妻から
「そろそろ娘がパパの顔を忘れるかもねぇ」
と笑顔で、しかしこの世で私だけが笑えないジョークをとばされていたわけであるが、
「そ、そんなに簡単にパパを娘が忘れるわけ無いだろう!」
と、いつしか真剣にツッコんでいる自分に気がついたのは、つい最近のことである。
んー我ながら、この程度で真剣にツッコんでしまう、何とも言えない自分の小物感が切ないのである(笑)
しかし、パパが娘に忘れられて悲しいのは、愛ゆえである。
決して癒着ではないのである。罪悪感でもない。愛である。
今、そう決めた。これは心理学の例外である。そう私が今決めたのである。
ここでの異論は一切認めないのである。
しかし、愛と許しを学ぶものとして、つい真剣にツッコんでしまう小物な自分はもちろん、妻を、娘を許そう・・・と日々祈りを欠かさないのである。
そうである、これは愛ゆえの小物感なのだ。そう思うことにしたのである。
ここでの異論も一切認めないのである!
ま、実際、許すものなど何一つないのであるが。
■さて、我が娘はおかげさまですくすくと育ち、つかまり立ちをするようになっている。
そのおかげで我が家では想定外のことがよく起きる。
いつの間にか私の仕事部屋に歩いて入ってきた娘が、立つことができるからこそ手がとどくのであろう、本棚の本を取っ散らかしてくれたり。
ゴミ箱を倒しては、颯爽とリビングに戻ったり。
ちょうど娘の背丈ほどのワゴンの上にあるファブリーズを手にとろうとしたり・・・。
そう、我が私師匠の持ちネタ?に
「娘の成長とともに、パパはいつかファブリーズされるようになる」
という鉄板ネタがあるのである。
これは深い心理分析の上に成り立っており、いわゆる子供の成長過程でおきる「娘の自己嫌悪の投影」を示しているのである。
ただ、それは思春期に近くなった頃、我が娘がもっともっと成長してからのことである。
今の娘は、きっとただ手が届くところにあるものを触りたいだけなのだろうが、師匠から何度もその話を聞かされている私の心は、つい最悪の事態を怖れ、不安に備えてしまうのである。
『頼むからその月齢で、父に向けてファブリーズを発射しないでくれ、娘よ。
そんなことが起きたならパパにとってもう立ち直れないような、一生のトラウマになる』
そういえば、最近娘はやたら生活用品に興味を示すことが多い。
ファブリーズのようにスプレーになっているものを何だか触りたがっているようである。
その中には、ただの霧吹きもあるが・・・そう、アレがあるのである、アレが。
『お風呂のカビキラー』
そして
『トイレマジックリン』
である。
いつの日か、もしかすると娘はこれに興味をもつのではないか。
そう思うだけで私の心は恐怖に震えるのである・・・。
もし、もしである。
娘が私にカビキラー、もしくは、トイレマジックリンを向けたとしたら・・・。
・・・人は一つ良からぬ不安を抱えると、それを拡大解釈し、起きもしないことを想像してしまう傾向があるようである。
そう、一度ファブリーズを怖れると、カビキラーを怖れ。
カビキラーを怖れると、トイレマジックリンを怖れるのである。
その怖れがあまりに頂点に達すると、
娘が知らぬ間に、私が入る浴槽にキッチンハイターをボトルごと投入するのではないか?
そんなホラーストーリーを思い描いてしまうのである((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
ま、こんなことは起きるはずもないことである。
しかし我々はどうやら怖れると更に怖れを前提にして物事を考えるので
「でも、可能性はゼロじゃないよね・・・」
そう考えてしまいがちだ。
そんな意外と深いレクチャーなのである。
そのホラーストーリーを描いているのは、あくまで自分であるということである。
そしてこのとき、愛する娘の意思など全く意識されず、勝手に自分の怖れだけで物事が完結しているような感覚になることも、このホラーストーリーの厄介なところである。
そもそもである。
もし私の身にこんなことが起きたなら、こんな笑い話はないのである(笑)
すぐカウンセリングやセミナーでのネタにする気満々なのである!
しかし、これが実際に起きてしまうと、ネタにする前に流石の私もひどく傷つきそうであるからして、今後の娘との付き合い方は細心の注意・・・もとい、最大の愛を持って接しようと心に決めているのである。
この私の大いなるコミットメントを、誰にも「補償行為(傷つかないための行為)」とは呼ばせない。
ここでも一切の異論を受け付けないのである。
私にとって「生きる」とは、そういうことなのである。
合掌
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