恋愛の心理学

執着の手放しは別れた相手への最後の愛の示し方

遠くを見つめる女性

「執着の手放しは別れた相手への最後の愛の示し方」なんて言葉があります。

一度は寄り添った二人が別れるにはそれなりの理由があるものですよね。

とはいえ、いつまでも別れた相手へ思いを残し続けることで、自分の人生が前に進まなくなることも多々あるようです。

ただ、「別れたくなかったけれど別れるしかなかった」という関係や、「別れに同意はしたけどでもまだ相手のことが好きなままでいる」という場合、なかなか手放しが進まないこともよくあることのようです。

そこで今日は「別れた人への執着を手放していくプロセス」についてご紹介したいと思います。

執着の手放しの始まりは「まだ好き」と素直に認めること

さて、「別れた相手に対する執着」が未だ根強く感じるとき。

また会いたいとか、まだ好きだ、という気持ちを感じながら、しかし別れた現実を目の前にして「また会いたいと思わないように」「好きだと思っちゃいけない」と自分の気持ちに蓋をしてしまうことも少なくないようです。

ただ、実際に執着の手放しを考えるなら、別れた相手のことを本当に好きだという気持ちを素直に認めて受け入れるほうが(辛いけと)手放しは進めやすいんですよね。

考え方としては「好きだと感じてはいけない」という禁止の心理が働くと、相手の対する思いの消化も進まなければ、禁止するほどに相手のことが好きになったり、別れた人を理想化してしまうことも起きちゃうんです。

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あと、こんなに好きだと思える自分だからこそ、近い将来、相手の幸せも考えられる可能性もはらんでいる、といいますかね。

執着を手放せないのは心の痛みを感じることが嫌だから

実際のカウンセリングでも、「好きと認めると手放しが進まないのでは?」と思われる方もいるんだろうと僕は思います。

ただ、今、別れた人への執着を手放せないのは心の痛みを感じることが嫌だから、なのです。

辛い感情を感じるのが嫌なんですよね。

その辛い感情を感じるきっかけこそ、まだ好きで相手のことを愛している自分の気持ちと向き合うことなのです。

心理学的に見た失恋の辛さって

「パートナーとの別れとは、自分のアイデンティティの一部を失ったように感じること」

と考えられています。

まるで身をもがれるような、心の一部がかけてしまったような感覚を覚える方もいらっしゃるわけです。

それぐらい愛する人がいない、という現実は本当に本当の辛いことなのです。

ただ、だからといって、相手のことをまだ好きだと思う気持ちを封印しても、その感情はこころの中にあり続けなくなってはくれません。

自分でも驚くほど好きでしょうがないことを認めていくと確かに悲しいことです。

本当は会いたいのに会えないのは辛いことです。

ただ、それでも着実にその感情を受け入れていくと、ある時、その好きはふっと別のものに変わっていくのです。

「今まで一緒にいたから」と思っていると執着しやすい

一方、「今まで一緒にいたから」という動機の場合、若干執着になりやすいようです。

いいか悪いか別にいて、相手とずっと一緒にいるのが当たり前、自然だと感じているんです。

だから、別れたあともその状態を維持しようとして追いかけたくなってしまうんですね。

これはは現状維持を図ろうとしているとも言えますし、寂しさや孤独感を感じたくないという思いによって生じていることも少なくないんです。

で、これは意外な話だと思われるかもしれませんが、今まで一緒にいたから相手のことを追いかけたくなっている人の中には

「相手の愛情にずっと胡坐をかいてきた。相手のことは正直あまり好きではなかった。」

そう感じていた人が少なからずいるということなんです。

要は「失って初めて相手の大切さに気づいた」みたいなケースなんです。

でも、実際、本当に相手の大切さに気づいているかどうかは別の話なんですけどね・・・(辛口ですみません)

とにもかくにも、相手が愛情を示してくていた、そんな状態が当たり前になっていた。

相手が好意を示してくれているから、別に自分の気持ちは伝えなくてもいいと思ったり、言わなくても分かってくれてると思っていたり。

つまり、私はそんなに相手のことが好きじゃない、という気持ちがあるからこそ、私は自立側だ、この関係の主導権を握っている側だ、と思っていたけれど、実は相手の愛情に依存していた、と気づくこともあるって話なんですね。

相手を追いかけたくなる気持ちとどう向き合うか

まぁ、人間の気持ちなんてものはそんなふうに動くものですから仕方がないとして、どうしたら相手を追いかけたくなる気持ちと上手に向き合えるのでしょうか。

ここでの大切なポイントは「自分の本音」「本当の気持ち」なのです。

確かに今は相手とやり直したいと思っている。それは紛れもない事実なのでしょう。

しかし、私は本当に相手のことが好きなのか?

愛情を持っているのか?

仮にまた相手とやり直すことができたとして、今までとは違う関係を築きたいのか?築けるのか?

そのあたりの本音がとても重要になってくるんですよ。

なぜなら、やり直したい気持ちでいっぱいの時は、その問いに「はい!」と答えられるわけですけど、それが相手のことが好き、というよい、一緒にいた事実に対するものだったとしたら、戻ったとしても結果同じ結末を導いてしまう可能性が高いのです。

それに、そもそも「一緒にいる事実」に対しての執着があるとしたら、それってちょっと癒着の匂いがすると思いません?

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癒着のメリットって「くっついているからさみしくない」ということ。

また、癒着していると適切な距離感で相手と向き合えないので、愛情や絆、親密感って感じにくいというデメリットがあるんです。

だから、実際は「相手のこと本当はあまりタイプじゃない」「冷静になって考えると相手に不満がたくさんある」なんて思っている場合も少なくないんです。

執着の手放しのための自分探しも重要

また「執着を手放す」ために、自分探しも優先事項になることが多いですかね。

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ここでの「執着を手放す」とは、相手の事を考える、幸せを願えるようになる、ということを目標に感情を解放し、許していくプロセスのことです。

ただ、やみくもに執着の手放しを推し進めてもうまくはいかないことが多いもの。

なので、「今後、自分はどんな恋愛をしたいのか?どういう人生を送りたいか?」といった目標設定は必要にはなるんです。

そのための「自分を見つめる作業」もカウンセリングの中でご提供することがありますよ。

例えば、実は自分ってどんな恋愛を得意としているのか、待つ恋愛が得意なのか、それとも引っ張っていく恋愛が得意なのか?

そもそもどんな生活スタイルや恋愛スタイルを好んでいるのか?

未来、幸せになるとしてどんな生活や家庭を作っていきたいと思うのか?

今、いなくなった相手の存在だけに囚われることなく、自分の本音、本当の気持ちを大切にしながら見つめ直していくことで、実は執着心を徐々に整理できたりするんですよね。

そういった自分を見つめ直したあとで、

「で、別れた相手のことなんですけどね。どうします?もう一度、チャレンジしてみます?」

なんてお声を僕の方からかけさせてもらうことも少なくないんですよね。

でないと、仮に相手とよりを戻そうとしても、執着があるからこそ自分らしく振る舞えなかったり、そもそも自分の気持ちを偽って相手と関わることにもなりかねないんですよね。

それってお互いにとっていい恋愛、いい関係と言えるのだろうか?

そんな視点が持てると、また自分自身の幸せについても考えることができるんじゃないでしょうか。

執着の手放しは感謝で完了する

まずは「別れた相手のことが好き」という気持ち。

それを認めることで感じる悲しみや喪失感。

感じたくないですよね、やっぱり・・・。

ただ、着実に着実にそれらの感情をある程度の時間をかけて受け入れていくと・・・

ある時、それらの気持ちが軽くなり、ふっと「相手に対する感謝」を抱けるようになることがあります。

ここまで来ると、執着の手放しが完了する前触れなんです。

相手の幸せを願ったって、もう私が関わることはできないかもしれない。

相手が幸せになったとしても、自分が幸せになるとは限らないかもしれない。

そう思えばまた執着したくなる気持ちも湧き出すでしょう。

しかし、自分の中のつらい気持ち、切ない気持ちを丁寧に消化していくと、信じられないかもしれませんが、ふっと心は軽くなるんです。

この瞬間は、あるとき突然やってきます。

これは無理して手放そうとしながら、作り出すようなものじゃないんです。

ふっと心が軽くなって、「相手に対するしがみつきの気持ち」が消えるんですね。

この時、今まで感じていた「好き」という気持ちが昇華され、ほんとうの意味での「別れた人に対する愛」になるのだろうと僕は考えています。

「出会えてよかった、ありがとう」。

「私じゃなかったけど、幸せになってね」

綺麗事じゃない本当の気持ちとして、素直にそう思えたとき、手放しはほぼほぼ完了しているんです。

最後に

いかがでしたでしょうか。

執着の手放しについて深く考えると、「好き」と「愛」は違うものとご理解いただけるやもしれません。

だから、「手放しは別れた人への最後に示す愛」なんて言われるわけですよ。

僕たちの世界ではこんな格言があります。

「あなたは別れた人を手放せるぐらい、相手を愛せますか?」

それは「あなたはそれぐらい自分自身の愛を信頼できますか?」と同じ意味なのかもしれませんね。

逆に言えば、執着しているとき、僕たちは自分自身の愛を信頼できないほど、傷つき、苦しい思いをしている、と言えるのかもしれませんね。