私から別れることもありますけど、ほとんどは彼から突き放されてしまうんです。
友達に相談すると「それ、尽くし過ぎじゃない?相手の言いなりになってない?」と言われます。
振り返ってみると、確かに尽くしすぎたのかもしれません。
ただ、彼の気持ちに応えたい、彼のことを大切にしたいと思うことは私にとっては普通のこと。
だから、尽くしすぎているのかどうかのかも、自分ではよくわからないんです。
もし、自分が尽くしすぎていることに気づけるヒントがあれば教えていただきたいです。
いわゆる「相手に尽くしすぎてしまって関係がぶっ壊れる問題」ですね。
カウンセリングでお話を伺うと、
「相手に尽くすことが悪いことだという認識をお持ちでない」という場合が少なくないものなんです。
むしろ善意といいますかね。
だから、尽くしていることで関係が良くなるなら、とお考えになり、ずっと相手に尽くしてしまう、ということが起きるようなんです。
もちろん僕自身、そのお気持ちを否定的に見ることはないんですけどね。
ただ、なんでもそうなんですが「度を超える」と恋愛はうまくいかないもの。
尽くすことが悪いとは言えないけれど、尽くしすぎることで生じる問題もあるのです。
そこで今日は「尽くしすぎる恋愛」に伴う心理について解説していきたいと思います。
Index
YouTubeでも「尽くしすぎる恋愛を繰り返す人の心理」を解説しています!
尽くしすぎる恋愛を繰り返す人の心理
尽くしすぎる恋愛を繰り返す人の心理状態を見つめると
「認知的不協和」により不快感を感じ、それによって自分の認知を変えている、と考えることができます。
要は、本当は尽くす恋愛をしたくない気持ちがあるのだけれど、その気持ち(認知)を変えている可能性がある、ということなんです。
もちろんこの考え方は一つの可能性でしかありません。他の要因で尽くしすぎる恋愛を繰り返す場合もあるでしょう。
ただ、この考え方で尽くしすぎる恋愛を見つめると、次のようなことが言えます。
「尽くしすぎる(自分を後回しにする、相手の言いなりになる、相手の要求が断れない)
そういった行動が続く理由に
「私が彼のことを好きで愛しているからしかたない」
と思っている。
だから、尽くしすぎる恋愛に気付けなかったり、見つめ直すことができなくなっているのではないか、という話なんです。
認知的不協和とは
心理学の中にはアメリカの心理学者、レオン・フェスティンガー氏が提唱した「認知的不協和理論」というものがあります。
これを簡単に説明しますと
自身の思考や行動と矛盾する認知を抱えると不快感を覚える。その不快感によって自らの態度や行動を変容させている。
となります。
もう少しわかりやすく解説しましょう。
例えば、「夏までにダイエットしたい!」と食事のカロリー制限を行っている人がいるとします。
が、友達とカフェでお茶したときに「甘いものが目の前にやってきて食べてしまった」としましょう。
このときなんとも言えない不快感を感じるってご想像いただけますでしょうか。
本来はダイエットのためにカロリー制限をしているのだから、甘いものを控えたほうがダイエットにつながりますね。
しかし、この不快感があるがゆえに
「うん、ダイエットは明日からでも間に合うし、甘いものも心の栄養だしな♡」「明日、厳しめの制限をかければいいか」
と自分の行動を正当化したり、問題点をすり替えちゃう場合があるわけです。
尽くしすぎる恋愛と認知的不協和
この認知的不協和という考え方を尽くしすぎる恋愛に当てはめてみると、次のようなことが言えます。
「私は彼のことが好きで愛している」という気持ちがある。
同時に、「でも自分自身が辛くなるような恋愛を望んでいるわけじゃない。本当は尽くしすぎる恋愛なんて嫌だしやめたいし、対等な関係がほしい」と感じている可能性がある。
で、実際に相手との関係で「尽くしてしまったり、相手の要求をいつものんでいる」としたら。
その自分の行動をある意味正当化するような意味合いで
「好きなんだから仕方ないよね」
と感じてしまい、その状態が繰り返される、みたいな感じなんです。
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ここでのポイントは「好きなんだから仕方ない」という言葉の意味になるんですよ。
例えば、心から望んで相手を受け入れ、尽くし、愛してあげたい、という思いの上で
「もう、しょうがないな。ま、好きなんだから仕方がないか」
と感じているなら、そもそも不協和も葛藤もあまり生じないのです。
つまり、「相手を愛し受け入れている状態」なら、「しかたない」という言葉は使っているけれど、自分の気持ちを捻じ曲げる意味で「しかたない」と言っていないはずなのです。
しかし、尽くしすぎる恋愛を繰り返す人が使う「好きなんだから仕方ない」は
本来自分が望まない行動をしたことに対する慰めのような、意味付けのような形で使われていることが少なくない、と僕は考えています。
もちろんそう思うことがいい悪い、という話ではなく
ここが尽くしすぎる恋愛を繰り返す人のお気持ちの特徴だと言えると僕は思います。
尽くしすぎる恋愛を繰り返す人も「尽くしすぎたくはない」と感じている
つまり、もし望まない尽くしすぎる恋愛を繰り返す人がいるとしたら
「尽くしすぎたくはない」と感じている可能性があるといえます。
というか、そもそもカウンセリングの現場でも「尽くしすぎたくはない気持ち」を自覚している人も多いものなんですよ。
それは多くの方が分かっていらっしゃる場合が多いといいますか。
ただ、自分でもそう感じているのに、何かしらの事情で自分の認知を変えている可能性がある、という話なのです。
それがいつもうまくいかずに、何度も尽くしすぎる恋愛を繰り返している可能性がある、という話なんですね。
ポイントは自分の意志が表現できないことかもしれない
ここでのポイントは
「本当は尽くしすぎるなんてことはしたくない」「嫌だ」「相手の要求を断りたい」
という気持ちがあるのに表現できていないこと、なのかもしれません。
つまり、辛い恋愛、尽くしすぎて苦しい恋愛には、
「No」などの自分の気持ちを大切にできない何かしらの事情があることが少なくない
と僕は考えることがあります。
逆に言えば、自分の好きなこと、望むこと、本心もきちんと伝えられずに、認知を変えて人とコミュニケーションしている方も少なくない、と言えるのかもしれません。
そのあたりの「なぜだろう?」を理解して、変えられるものは変えていく。
そんなプロセスをカウンセリングの中で応援させていただくこともあります。
ただ、自分の気持が言えない、という部分には危機感や怖れも伴いやすいので、できる限り慎重に扱うほうがいいことかな、と思いますけどね。
もし、あなたが尽くしすぎる恋愛を繰り返して辛い、とお感じならば、今日の記事がなにか参考になればと思います。
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