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「愛し方が分からないとき」というお悩み
「愛し方が分からない」
これは結構な重たい悩みになることって多いんですよ。
例えば、
- 「恋愛がしたいけど、どうにも異性の前に行く時が引ける。」
- 「妻(彼女)のために頑張りたいけど、どうすれば相手の機嫌が良くなるかわからない。」
- 「夫ともう一度向き合いたいけれど、どうにも怖れが出て近づけない」
- 「心理学を学んで、両親との関係をよくすると自己価値が上がるようだと分かったけれど、どう接すればいいかわからない」
そんな自分をダメだなぁ、と責めることがあるかもしれないし。
そこまで自分を責めなくても、自分を必要以上にネガティブに見てしまうこともあるかもしれないですよね。
そんな時に大切な人に素っ気なくされると、やっぱりダメージを受けることも・・・。
何事も
「どうしたらいい?」
が解決しないときほど、悩むし、切ないし、何もできない自分にふがいなさを感じることはないのかもしれませんね。
だからといって、今のままでは不安だし、怖いし、と葛藤することがあるかもしれません。
そこで今日は「愛し方が分からない」と感じる心理とその解決方法についてコラムにします。
よろしければどうぞ。
「愛し方が分からない」と感じる理由
「愛し方が分からない」と感じる理由は
「人は自分が愛されたようにしか愛せない」という部分にあります。
要は、愛し方というものは
愛されること、愛を受け取ることで学ぶものであり、経験である、という話です。
例えば
自分自身が誰かに「愛されたと実感できていること」を、人に与えているとき
「私は人を愛している」と感じられます。
しかし、自分自身が「愛されたと実感できていないこと」を、人に与えているとき
「私は本当にちゃんと愛せているのだろうか」と感じるものなんです。
いくら相手への愛情を実感していても、その愛情の具体的な表現について確信が持てなければ
「私はちゃんと愛せているのだろうか」
と感じるのです。
つまり、自分の愛情やそれに伴う行為がいかに素晴らしいものであっても
あなたが「それでいい」と感じられないとき
「愛し方が分からない」と感じるものなのです。
具体例
例えば、親や今までの歴代の彼氏にすごく優しくされ、愛された、という実感を持っている人がいるとしましょう。
すると、自分が誰かに優しさを与えた時、自分自身が「優しく愛された」という実感があるからこそ
「私は今、相手を愛している」
と認知しやすいわけです。
しかし、親や今までの歴代の彼氏に優しくされたという実感が持てない人が、誰かに優しくした場合
相手に優しさを与え、相手を愛する気持ちを持っていたとしても
自分自身が誰よりも優しさを欲していたからこそ、「優しさこそ愛だ」と感じていたとしても
自分が与えている優しさが、相手にとって有効に作用していると感じにくくなってしまう場合があるんですね。
むしろ、自分の優しさを疑ってしまうことも少なくないんです。
本当にこの優しさは愛なんだろうか。
相手にちゃんと伝わっているのだろうか。
相手はそれで喜んでくれているのだろうか、と。
「愛し方が分からない」と感じる理由は「他者の愛を受け取っていない」という部分にもある
また、僕たちが「愛し方が分からない」と感じる理由は
普段から「他者の愛を受け取っていない」という部分が大きいのです。
例えば、親、家族、友達、仲間、恋人、パートナー・・・
彼らが自分に向けてくれている愛情や好意を、自分自身が(悪意がなくとも)拒絶しているとき
僕たちは「愛されているという実感」を得られないんです。
むしろ
「自分を大切にしてくれる相手がいい人なんだ」
「相手が親切で愛情深い人なんだ」
といった風に捉えていて
自分に愛される価値がある、自分は他者から大切にされる存在だ、と認識できていない場合があります。
これは特に「自立タイプ」と呼ばれる、いかに傷つかないかを考えながら生きてきた人に多くみられる現象でもあるんですよね。
※「自立」についての解説は次のコラムにありますので、よろしければご覧になってくださいね。
他者の愛に触れてはいけないと感じてしまう理由
僕たちは、自分が良い存在だとか、愛される存在だと認識できているからこそ、人との情緒的な(気持ちの)つながりを求めるわけです。
が、例えば
- 親の躾が厳しかった
- 友達とのトラブルが多かった
- いじめにあった
- 失恋や離婚などの経験のダメージが癒えていない
- 自分自身が親など大切な人を傷つけた、悲しませた
など、人との情緒的つながりを求めたがゆえに深く傷ついた経験をしていたり
他者との信頼関係をなかなか結べなかった、という経験をしていると
「他者の意識」が「自分を責めるもの、攻撃するもの、怖いもの」として認識されることも少なくありません。
同時に、自分自身を「愛されてはいけない存在」のように認識しはじめることがあります。
だから、他者を愛する気持ちを失うわけではないけれど、
「相手に積極的に関わってはいけない」とか「自分から関わることが罪のように思う」
なんて気持ちを持つのです。
よって、自分自身が他者から愛される経験から遠ざかることになり
最初に書いたように「愛されたという実感の不足から、愛し方が分からなくなる」というわけです。
「愛し方が分からない」と感じたときの対処法
もし、あなたが「愛し方が分からない」と感じたならば、まずは
「愛し方を学ぶ」
という視点を持ってみるといいでしょう。
これは、愛し方に限らず、何事においても同じなんですが
僕たちが「どうしたらいいんだろう?」と悩んでいるときって
「必要以上に、自分の持っている知識・発想・行動に自信が持てないとき」
なんだろうと思うんです。
例えば、僕たちが
「無価値観」「罪悪感」「劣等感」「無力感」といった感情を感じているとき、
自分の言動・態度にあまり自信が持てないし、こんなことで相手が喜ぶとは思えない、と感じてしまうものなんです。
ただそれは、あくまで自分の実感であって
あなたの影響力は全く別物だ、とも言えるんです。
そんな時は、「自分の好意を肯定できる材料」を求めてみるのも一つの方法です。
つまり、「愛し方を学ぶ」という視点を持つことなんですね。
「人はどうやって大切な人と接しているんだろう」
という部分のクエスチョンを埋めるだけでも、ちょっと気持ちは安定しませんか?
その学びに自分の今までの行動を照らし合わせてみれば
「あ、気づいていなかったけれど、自分ってちゃんと愛せていたんだよね」
と理解できるものなんです。
また、愛し方を学ぶうちに、自分にはない愛し方に触れるとしたら、それは愛し方が増える、ということなので、そこにもメリットがありますよね。
他者からの好意に「ありがとう」を向けることも愛し方を学ぶ方法になる
また、あなたに向けられた他者からの好意に
「ありがとう」
という感謝を向けることも愛し方を学ぶ方法になりますし、自分が愛を受け取るという好意につながりますよ。
これは、友達や同僚など日常の中でで関わる人との関係で行うように心がけてもいいですし。
一歩深く踏み込んで
両親が向けているあなたへの好意、愛について深く理解し、受け取り、親を許すというプロセスによっても実現することができます。
最初の話に戻りますけど
「愛し方が分からない」とお悩みの方って、人の好意を悪意なく受け取らない習慣をもっていることが少なくないんです。
だから、他者からの好意を受けて
「あぁ相手は自分に良くしてくれているだな~」と感じたときに
すぐお返ししてしまうんですよね(笑)
「あぁ、悪いわ」と感じたり
「相手にお返ししなきゃ」とすぐ反応したり
「すごく恐縮して遠慮してしまう」とか。
もちろん両親の場合は、不満や文句になっている場合もあります。
そういった反応を見せる前に、自ら相手に「ありがとう」を心を込めて相手に伝えてみましょう。
すると、この感謝が、愛し方の学びだけでなく、「許しの効果」をもたらします。
あなたが
「相手の好意を肯定しますよ・受け取りますよ」という意味を持つ「ありがとう」という反応を見せることで
あなたの中で「相手の愛し方・好意」を受け取ることができ、それが「愛や好意だ」だという認識に変わるのです。
だから、あなたが同じように誰かを愛した時に
「相手もそう感じてくれてるのかな?」
と感じやすくなり、とても心が楽になる効果もあります。
でも、すぐ遠慮して「悪いな」「相手にお返ししなきゃ」と感じるとしたら
相手の好意は認識できても、そこから愛し方や愛のあり方を学ぶことができないわけです。
「できて当たり前」という言葉を「よくやっているよ、私」に変える
また、愛し方が分からなくなる理由として、最も厄介なものが
「できて当たり前」なんです。
例えば、
頑張って当たり前、上手に愛して当たり前、相手の気持ちを分かって当たり前・・・
当たり前という言葉を自らに突き付けて、自分に高いハードルを課すことは一つの向上心の現れかもしれないですが
それこそが「愛情を自分に許さない罪悪感の罠」と捉えることができるのです。
自分で自分の愛をちっぽけに扱うとしたら
それは自分を善き存在として扱っていない証、つまり罪悪感の効果だとも言えるんです。
なので、当たり前という言葉を、過剰に使いすぎないことも大切なのかもしれませんね。
「うん、よくやってるよ、私」
そう思って、もう少し周囲をアテにしてみてもいいのかもしれないですよ?
「愛し方が分からない」は自立のサインとも言えますね
いかがでしたでしょうか。
最後になりますが
とかく「愛し方が分からない」というお悩みを持つ方ほど
いいか悪いかは別にして、「自立」しちゃってることが多いようです。
つまり、「愛し方が分からない」は自立のサインとも言えますね。
愛される経験を求めるぐらいなら、人のことを懸命に愛する・・・。
そんな皆さんと僕もたくさん向き合わせていただいてきましいた。
でも、そういった方ほど
愛されること、評価されることに遠慮や罪悪感を感じていることも少なくないようです。
そういった方ほど
「人との関わりの中で感じる喜び」より
「あなたが自分の中から愛し方をひねり出してきた」というケースが多いと思うんです。
だとすれば、そもそもあなたはきっと愛のある素晴らしい人だと僕は思うんですよ。
あなたに想いのレベルで「足りないもの」はないんだと思います。
ただ
「愛するとは、愛を表現することとはどういうことなのか」
「どうすれば相手に気持ちが伝わるのか」
その方法を知ればいいだけなのだろうと思うのです。
そういう意味ではまったく凹む必要はないのかなぁと思うんです。
(でも実際は、やっぱり凹みますよね・・・)
そのために、愛し上手な人の方法を学んだり、自分自身が周囲の人と関わる中で、自分から求める・委ねることにチャレンジしてみたり。
周囲の人はどんな思いで今自分に接してくれているんだろう・・・と思いを馳せてみる。
つまり、相手の行為を感じ、受け取る意識を持たれてみてもいいかもしれませんね。
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