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なんで夫への怒りをぶつけてしまうのか?
ご夫婦にまつわるカウンセリングの中で
「夫のことは愛していると思う、けれども、夫への怒りが収まらない!」
なんてお話を伺うことがあります。
多くの場合
「本当は怒りたくないんだけど、どうしても怒りがコントロールできない」
「些細なことでもイライラしてしまい、相手にぶつけてしまう」
というお話なんですけどね。
もちろん多くの方が「このままじゃいけない」と思われています。
だから「なんで怒りをぶつけてしまうのか」といった自己嫌悪に陥ってしまわれる方も少なくないんですね。
その自己嫌悪が自分への疑いになって
「他の女性ならもっと優しく彼に接することができるはず」
なんて他者との比較が始まることも少なくないんです。
また、その比較がまた不安を煽るので、更にパートナーにこっちを向かせたくて怒る、という繰り返しまで起こる場合がありますね。
これは夫婦関係の質を低下させる要因になると思うのです。
そこで今日は「夫への怒りの正体を暴いてみよう」というコラムをお届けします。
よろしければどうぞ。
夫への怒りの正体とはなにか
さて、多くの夫への怒りを感じていらっしゃる方が
「私の気持ち(真心・真意)が相手に伝わっていない」
と感じていらっしゃることが多いです。
(とかく、僕のもとにご相談に来てくださる方は、そういった方が多いです。)
だから、私は夫にまったく興味を持ってもらえない、と感じ、それがもう耐えられないし、無力だし、悲しすぎる、と感じている場合があるんです。
一般的に、夫婦間の怒りって
「自分の思い通りにならないことでストレスを感じるから」
と解釈されることが多いのかな、と思うのです。
ただ、この表現はかなり曖昧な表現になると思います。
だから、僕はもう少し踏み込んだ表現を使っているんですね。
そう考えると、夫への怒りは完全な悪だとは言えないな、と僕は考えるんです。
むしろ、そこまでの怒りが必要になる状態こそ、キツイものではないだろうか、と考えるんです。
私の存在に価値がないと感じ始めると怒りはとまらなくなる
だから、実際のご相談でも
「浅野さん、私って何なんでしょう?やっぱりいてもあまり意味がない存在なのでしょうか?」
とおっしゃる方もいますしね。
「夫は私のこの気持ちを全く理解していない!」
と更に怒りを表現される方もいらっしゃいますね。
これはどこかで「私ってちっぽけな存在?」と疑いはじめている証ではないか、と僕は思うのです。
逆に、私が整う・癒やされるということは
「私は愛される存在で、価値のある存在」と感じられる状態なのだと僕は思います。
だから、夫への怒りとは
その裏に隠している悲しみや無力さの象徴のようなものだと僕は考えています。
夫への怒りが収まらなくなる、もう一つの理由
さて、ここからはまた別の視点で「夫への怒りが収まらない理由」について考えていきます。
実は、夫への怒りが収まらない理由の中には
「記憶を伴った感情の影響がある」
と僕は考えています。
人間の記憶には短期記憶と長期記憶がある、と言われています。
この長期記憶には「エピソード記憶」と呼ばれるものがあるんですね。
エピソード記憶とは、「個人にまつわる叙事的な記憶」のこと。
例えば、「昨日の朝食は何であったか」「昨夜、夫と何を話したか」などがそれに当たります。
長期記憶は僕たちの中で長く記憶されるものなので、まぁなかなか忘れないわけです。
また、エピソード記憶は個人にまつわる叙事的な記憶ですから、その記憶に感情が伴うことも十分に考えられます。
つまり、夫婦関係があまり良くない時、というのは
二人の間に起きた出来事を思い出す時、それに伴う感じたくない感情も一緒に感じる
ということが起き得るだろうと僕は考えるのです。
例えば
「あの時夫は私の気持ちに無関心だった」
「ただ話を聞いてもらいたいだけなのに私が詰められた」
「嫌なことがあって自信を失いかけていたときに、夫はスマホばかりいじってた」
などなど・・・。
まぁ書き始めれば止まらなくなりそうなので、この辺でやめておきますが(^^;
実際に夫婦間に起きた出来事の記憶が
「感じたくない感情を感じるトリガーになる」
なんてことも十分有り得る話だと僕は思います。
だから、「私の気持ち(感情)」について興味を持たない夫に対して、怒りを持つようになることもあるわけです。
相手よりしんどい思いを抱えることが誠実さだと思ってきたからこそ怒る
そもそも夫婦とは傷つけ合うのではなく、支え合い、癒やし合う関係が理想ともいえます。
ただ、その手段として
「相手よりしんどい思いを抱えながら与えることが誠実さだと思ってきた」
という方も少なくないんです。
いわば、愛し方が男性性的な側面に振れすぎている、という話です。
例えば
「しんどい思いは私だけで十分で相手にはそんな思いをさせたくない」
なんて考えがそれに当たります。
そのような体験で感じた「心の傷」を抱えながら、日々なすべきことと向き合ってる方が多いと僕は思っています。
この場合
「私なりに頑張っているのに、相手が幸せそうに見えない(関係が良くならない)」
という状況に陥ったとき、大ピンチがやってくるんですよね。
私もしんどいし辛い。これ以上傷つけない・・・。
でも、相手は幸せそうじゃない。
そして、ある時、気持ちに限界がやってくると、怒りが爆発するのです。
その怒りは「これ以上傷つけない」という怒りであり
「どうして私の気持ちを受け取ってくれないの?」という怒りなのかもしれませんね。
怒りを向けたあとの嫌な気持ちがさらなる怒りを呼ぶ
また、夫に怒りを向けると、その後味が悪くなるもの。
すると
「私はこんなにしんどい思いを抱えて頑張っているのに、どうしてまた嫌な気持ちにならなきゃいけないんだ!」
と、更に怒りたくなることもあると思うんです。
かといって、怒りをぶつけている自分を素直に肯定することもなかなか難しいので、また自分を嫌ってしまう、というループ。
このような状態になる前提には、やはり「二人で幸せになる」という発想より
「私が〇〇するべき」「私だけががんばればいい」
といった、ちょいと自立的になりすぎた考えが横たわっていることが多いんです。
それはまるで「大切ななにかを一人で守ろうとする意志」のようなものだ、と僕は思うのですけども。
夫への怒りの正体は「これ以上傷つけない」だとしたら
今日の話をざっくりまとめると
夫への怒りが収まらない状態があるとしたら
「もうこれ以上私が傷つけないから」ということなのかもしれません。
これ以上、私という存在や私の愛情が傷つくことも耐えられないでしょうし。
これ以上、嫌な記憶とそれに伴う感情体験を積み重ねることも苦しいことでしょうし。
何より、そんな経験を私が選んだパートナーとの間で積み重ねるって、マジ勘弁って話ですよねぇ。
ただ、そうなってしまうにはきっと事情があるんです。
だから
「物事の見方や感じ方、愛し方などをいい方向に変えていくこと」
「自分が抱えている感情を丁寧に解放すること」
そんなアプローチから自分を整えていくことがおすすめです。
言い換えるなら
「今あなたが思うあなたの愛情や存在にダメを出す必要はないし、自信を持っていただいてOKなんです。
ただ、今、どうしても夫への怒りが収まらないなら、自分を丁寧に見つめ直すときかもしれませんね」
ってことなんです。
なので僕としては、今のお気持ちを伺いながらも
「怒りだけでなく、未だ心の奥に隠れている感情にも丁寧にアプローチして癒やしていく方がモアベターな選択になるかもしれません」
といったご提案をさせていただくことが多いんですよね。
※過去にこんな記事も書いていますので、よろしければこちらもご覧くださいね。
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