「僕たちは親密な関係を怖れることがある」。
そう聞くと、みなさんはどう思われますか?
えー、そんなことってあるの?と思いますか。
それとも「なんか分かるかも・・・」と気づきますか。
僕たちは親密な関係を求めながら、その関係を怖れていることがあります。
もう少し突っ込んで書くとすれば、親密な関係を構築することを阻害する「怖れ」を感じることがあるのです。
この怖れは多分に「恋愛・結婚・夫婦生活」の中でも頻繁に登場しますよ。
例えば
- 長く彼と関係を持つと、ちょっと彼がうざく感じはじめる。
- 二人の幸せのために彼が頑張ってくれている姿を見ると、私の気持ちがどんどん冷めて引いていく。
- 追いかけてた男性が、自分のことを好きになったら、一気に冷めてしまう。
- 彼のことが大切に感じれば感じるほど、疲れてしまい、自ら関係を壊してしまう。
- 好きな人と一緒にいると、急にわがまま言い倒して相手を試したり、気を使いまくって相手の気持を拒絶したり、急に距離を取りたくなってしまう。
このような感じで。
そこで今日は「親密な関係を怖れる心理」についてご紹介したいと思います。
よろしければお付き合いください。
親密な関係を怖れる心理

「人は親密な関係や、人との間で親密感を感じることを怖れる傾向がある」。
これは「親密感への怖れ」(親密な関係への怖れ)と呼ばれるものです。
※親密感という言葉については次の記事で解説していますので、よろしければご覧になってくださいね。

このブログでもよく登場する
「幸せが怖い」
というフレーズは、読者の皆さんにとってはすでにお馴染みのものかもしれませんね。
僕たちは幸せになりたいと思い努力しているのですが
「幸せが手に入りそうになると急にその関係をぶち壊し始める」
なんてことが起こるのです。
頭で考えると「幸せが手に入るのに、望むものが手に入るのに、それを壊すなんて変じゃん」と思いませんか?
けれど、実際には「欲しい物が手に入りそうになると急にその関係をぶち壊し始める」なんてことは頻繁に起きています。
代表的な例としては
- 親密な関係が手に入るかも?と感じた瞬間に、その関係を回避したくなる
- 親密な関係の相手に急に依存的な態度を取るようになる(不満を言い続ける、ベタつく、執着する)
なんてケースがありますよ。
ただ、何故そのような心理を抱えるか?という理由は「人それぞれ」と言えるんですけどもね。
6つの「親密さへの恐怖」
では、親密な関係を怖れる心理として代表的な6つの「親密さへの恐怖」についてご紹介しましょう。
参考文献:Weeks & Treat(2001)Couples in Treatment: Techniques and Approaches for Effective Practice, 2nd. Brunner/Routledge
依存への恐怖
これは「パートナーに依存することができない人が持つ怖れ」のことです。
いわば「依存する人は弱い人だと思い込んでいる」という場合や、「依存することでパートナーの重荷になることを恐れている」という場合がそれにあたります。
自分がパートナーに依存することができない人ほど、「依存的な自分は悪」と感じているというわけです。
なので、パートナーの依存も「悪」と認識してしまうわけです。結果、パートナーの依存を受けとめることが難しいために、親密な関係を作ることが難しくなるのです。
感情に対する恐怖
これは、「自分自身が感情を表現すること」や、「自分の感情をパートナーと共有することに怖れを抱いている状態」です。
親密さを構築するには、明るく楽しい感情だけではなく、悲しさやつらさ、時には弱音も共有されることが必要です。
しかし、論理的な思考や合理性を重視する人の場合、自他の負の感情が否認されてしまうのですね。
なので、パートナーの負の感情を容認できず、負の感情を抱く相手を攻撃したり「なぜそう感じるのか?」と問い詰めてしまい、親密な関係を構築することが難しくなるのです。
怒りに対する恐怖
これは「怒りを表現することで相手を傷つけてしまうことをへの怖れ」です。
相手から怒りを向けられることを過度に怖れているので、適切な自己表現ができなくなってしまうのです。
結果、パートナーとの間で自己犠牲を重ねてしまうのです。
人によっては「自らを服従的な立場に追いやってしまう」というわけです。


コントロールを失うこと・コントロールをされることへの恐怖
これは「パートナーと親密になることによって自由が奪われたり、束縛・干渉されるという不安を感じている」状態です。
人によっては、親密な関係になることで「自分がパートナーにのみこまれてしまう怖れ」や「自分自身がなくなってしまうような深い不安」を抱いている場合もあります。
よって、この手の怖れを抱えている人は
「自分自身がパートナーをコントロールする立場」
に立とうとします。
パートナーに関係の主導権を握らせないようにするわけです。
このとき、ありとあらゆるコントロールが登場するのです。
例えば、パートナーの大切にしている価値観を否定する、パートナーの努力や権威性を貶す、パートナーの考え方が常に間違っていると指摘する、など・・・。
結果、パートナーと親密な関係を構築することが難しくなるのです。

自分をさらけ出すことへの恐怖
これは「自分のことをパートナーにより深く知られることを怖れている状態」です。
自分のことを相手に知られると「相手からの評価が否定的なものに変化するのではないか」と怖れているわけです。
このような怖れを抱える例としては、
- 身体的なコンプレックスの問題を抱えている
- 家族や家柄、学歴など生育歴にコンプレックスを抱いている
- 自分自身の過去を知られることへの怖れを抱いている
などがこれに当たりますね。
また、過去に自分自身をさらけ出しても誰も受け止めてくれなかったという「心の痛み」を抱えている人の場合、なかなか自分をさらけ出すことが難しくなることがあるのです。
結果、どこか自分を隠す恋愛や結婚生活を続けてしまうので、親密な関係を構築しづらくなってしまうのです。
いわば、自己開示することが難しいので、信頼関係が深まらないというわけですね。
見捨てられること、拒絶されることへの恐怖
これは「パートナーがいつか自分を見捨てるのではないか」とか、「自分を拒絶するのではないか」という怖れを抱いている状態です。
本当は信頼したいパートナーを「この人はどうせ自分を見捨てる」と常に否定的な結果を予測し,相手と距離をおくようになるのです。
もしくは、相手の愛情を常に確認しようとしがみつくという行動をとる人もいます。
親密な関係への怖れが生じる理由

さて、この「親密な関係への怖れ」を感じる理由は、「この理由があるから怖れるようになる」と一概に言えるものではありません。
個人個人の中に存在する様々な要因によって感じるものだといえます。
ただ、その細かな理由ついて見つめていくと、以下のような共通点があると考えることもできます。
- 親密な関係への怖れは、環境的、文化的要因から生じる
- 親密な関係への怖れは、親密な関係から離れた理由から生じる
では、一つづつ解説していきます。
親密な関係への怖れは、環境的、文化的要因から生じる
親密な関係を怖れる理由は、その人が育った環境、もしくは文化的な要因によって生じる場合があります。
最もわかりやすいのは「日本人とハグ」の関係でしょうか。
普段ハグをする文化のない日本人の方にとっては、友人でもなかなかハグをすることに抵抗感を覚えるのではないでしょうか?
もちろん相手が望んでいないのにハグするなんてのは問題ですが、お互いに親密さや喜びを分かち合う際にハグをしとうとしても、「え、あー、ち、ちょっと近いかな」なんて感じてしまう方もいるかも知れません。
また、自分自身が育ってきた環境的要因から親密な関係への恐れを感じることもあります。
例えば、育った家庭がとても厳しくて褒められることがなかった場合。
そんな人にとって他人から褒められる、優しくされると急に怖くなったり、どう反応していいのか戸惑ってしまうこともあるかもしれませんよね。
このようにいわば「何かを学習していないこと」によって生じる親密な関係への恐れは存在すると僕は考えます。
この場合は「慣れる(学習する)」ことがポイントになりますね。
僕も師匠のセミナーで人と親密な関わり方をすることを学んでようやくできるようになったこともたくさんありますから。
親密な関係への怖れは、親密な関係から離れた理由から生じる
また、親密な関係への怖れは、
自分自身が過去に「親密な関係に離れた理由」から生じている場合もあります。
僕たちはその成長過程で
「親への依存状態(親との親密さ)」から離れて、「自立」していきますよね。
また、親への依存を手放したとしても、思春期あたりであれば、友人との関係や恋愛に依存して、他人の言動や気持ちに一喜一憂し執着するなどの依存的な関係を持つこともあります。
それはまだまだ僕たちが成長途中だからこそ起こることなのです。
が、やはり友人関係も恋愛も、依存的であればあるほど、うまくいかないことが多くなるものです。
そんな経験の中で私達は
「どうすればうまくいくか(いかに失敗せず、自分がこれ以上傷つかないか)」
を考えるようになるわけですね。
これが私達の心理的な自立の始まりです。
人ではなく、自分が自分としてどう生きていくかを考えるのです。
この「どうすればうまくいくか(傷つかないか)」の中に
「親密な関係を遠ざける、諦める、求めない」というものが存在する場合があるわけです。
例えば、人間関係全般において
「親密になりたい相手と、適切な距離感で、良いコミュニケーションをすればうまくいくし幸せを感じられる」
とはなかなか思えずにいて
「傷つくぐらいなら、親密な関係を持たなければ(望まなければ)いい」。
「親密な関係を得ずとも自分を満たしながら生きていく術を見つけたほうが楽」。
「仕事やライフワークに打ち込むほうが気が楽」。
そのような考えにこだわるケースも実際にあるぐらいです。
つまり
自分自身が「どんな理由で、どのようにして依存から自立に向かったのか次第」で
親密な関係を怖れるようになることがあると言えるのです。
具体例
特に親密な関係を持たないようにしてきた方にとっての恋愛など「親密な関係」は
- また傷ついてしまうかもしれない。(私は傷つくような存在だ、という認識がある。)
- また振り回されてしまいつらい思いをするかもしれない。
- これ以上好きになったら相手に依存してしまいそうで怖い。
- 昔みたいに相手の言いなりになってしまいそうで怖い。
- 好きな人に嫌われるのが怖すぎる。
- 優しくしてもらいたいけど、ずっとそれを求めてしまいそうな自分が嫌。
- 昔(過去の恋愛)のように、仕事とプライベートのバランス崩してしまいそう。
このように感じるきっかけになることがあるのです。
親密な関係を怖れる人ほど、実は自分を怖れている
また、少し別の視点でこの「親密な関係への怖れ」を見つめてみましょう。
実は、親密な関係を怖れる人ほど、実は自分を怖れている、と言えるのです。
「今の私が親密な関係(恋愛・結婚など)を持ちたいと思っても
きっとその関係の中で、私が傷つくかもしれないし
もしかすると好きになった相手の気持ちに振り回されるかもしれないし
好きな人に甘えたくなって、私がものすごく依存的になってしまえば、相手に嫌われちゃうかもしれないし・・・
・・・あぁ、嫌だ。考えたくもない。
親密な関係なんて願っても、ロクでもない目にしかあわないような気がする」。
↓
そう思えるほど「私は愛されるにふさわしくない、良くない存在だ」と感じている
そんな認識がある、とも言えるわけです。
「自分のことを良くない存在だと認識している」ということは、その自分が扱えないわけですよね。
つまり
「親密な関係を怖れている人ほど、自分のことを怖がっている(嫌がっている)」とも言えます。
だから、親密な関係を得ようとすると、まるで心の中で急ブレーキをかけるような感じになるわけです。
これは自己概念、自己イメージなど、「自分はどのような人間か」という部分から生じているものなんですけどね。
少なくとも「私はそれなりにいいやつだと思うよ」と思えるなら、親密な関係を怖れにくくなるとも言えるんですよ。
親密な関係への怖れを手放す方法

では、どのようにすれば親密な関係への怖れを手放せるのでしょうか。
ぶっちゃけこれもまた人それぞれであり、個別に扱うべきことではあると思うのです。
が、共通してお伝えできることがあるので、その部分についてまとめていきますね。
親密な関係から離れた理由を認め、過去の自分を否定しない
「親密な関係から離れた理由を認め、過去の自分を否定しない」とは
僕たちはどんな事情があれ自立していくものだと理解し、過去にどんなに未熟な自分でいたとしても、その自分もまた自分の成長過程だったと受け入れることです。
よくハマりがちな罠が「過去の自分は恥ずかしい、今の自分のようでいないといけない」という発想。
分かるんですが、これは強い自己否定を残し、いわば「こうあるべき」的な「正しさ」や「固定観念」を作ることの法が多いです。
これが、パートナーや人との対立する理由になり、幸せなのに幸せを実感できないというわ何も陥りやすいのです。
※ここに関する記述は次のページにまとめていますので、参考になさってくださいね。

幸せになった人は過去の自分を否定していない
よく「過去の自分と今の自分は違うと認めて、今の自分を信じよう」というお話がありますよね。
この考え方に僕も同意する部分もあり、それでうまくいくならOKだと思うのです。
が、それだけでは今後足を引っ張られる可能性も残るよな、とも考えるのです。
過去の自分を否定的に見たまま、今の自分だけを信じて自己肯定感を高める。
これ、僕としてはちょっと難しいことだと思います。
例えば、過去に依存的な恋愛をしたことがあるとしましょうか。
その自分は確かにうまくいかない恋愛方法を用いていたかもしれないし、ある意味人の愛を信じない状態だったのかもしれません。
が、それもまた学びですし、プロセスですよね。
だから、ちょっと抵抗感はあるかもしれないけど、過去の自分も自分と受け容れて否定しないこと。
ここで自分を否定し続けると、結局
「良い自分はOK、そうではない(過去のような自分)はNG」
という観念にとらわれて、正しさばかりが強化されてしまいます。
この正しさが人を受容できなかったり、人との違いを認められない理由になることが多いのです。
「成功者や幸せになった人は過去の経験を否定していない」なんていいます。
過去に起きたことを「意味や価値があった」と捉えていると言われます。
それは自分自身においても同じことなんですよね。
親密さを怖れる自分を一旦受け入れる
もし、今の自分が「親密な関係を怖れている」と気づいたら
その自分を一旦「そうか〜」と受け入れるようにしてみてください。
「親密な関係を怖れている自分がダメなんだ」と思う必要はないです。
もちろん「親密な関係への怖れをこえていきたい」と思っていただくのはOKです。
が、今の自分を責めても何も生まれません。
よって、このテキストを読んで「私は親密感への怖れがあるからダメなんだ」と思う必要もないのです。
そうではなく
「そうか〜、私は親密な関係を怖れて受け容れられなかったんだな」
という自分も、自分だよな〜と思うようにしてみましょう。
自分を変えたければ、闇雲に自分を否定しないことです。
課題感や反省はあってもいいと思うのですが、自分を責めても親密な関係への恐れは消えません。
だから、「自分は変わった」「昔とは違う」と言い聞かせても怖いままなのです。
ここでのポイントは
「怖がっているよな、怖いよな〜。で、自分はどうしたい?」
と、無理のないところから自分と対話するイメージですね。
ただ、できればこのプロセスはカウンセリングや信頼できる人などと関わりながら行うことがおすすめです。
そもそも親密感は一人ではなく、人との関係の中で感じるものなのでね。
特別になろうとせず、好意で人と関わってみる
親密な関係を怖れる人ほど、「特別さ」を欲する傾向があります。
簡単にいえば
「人と自分は違うなにか特別なものがあれば、人と関われる」
と考えがちなのです。
もちろん特別な技術や能力を身につけることは素晴らしいことです。
その技術や能力を使って、ぜひ人や社会、自分を幸せにしてあげてほしいと思います。
が、それが補償行為として
「自分を隠すもの」
にしてしまう部分が、親密な関係を怖れる人の癖のようなものなのです。
※補償行為の解説は次のページにありますので、ぜひ参考にしてみてください。

特別さの鎧を着るのではなく、本当に仲の良い人、気の合う人と心を許しながら、相手を信頼しながら関係性を築く意識を持ってみましょう。
要は
「自分の良いところも悪いところも知っていて、それでも普通に付き合ってくれる人がいる」
という感覚を今からどう学ぶか、が重要です。
「そんな人はいない」という思い込みこそ、親密な関係への恐れであったり、過去の痛みの影響であることは多いようですよ。
だから、他者に(ゆっくりとでも)いい感情を向けて付き合ってみたり、相手の挨拶や行為には感謝するように心がけてもらいたいのです。
その経験は親密な関係の意味を学ぶ良い機会になりますよ。
最後に
いかがでしたでしょうか。
今日は簡単ですが親密な関係を怖れる心理についてコラムにしてみました。
親密な関係を怖れる心理はとてもわかりにくく、気づきにくいものです。
だからこそ「気づいていくこと」「対処すること」にたいへん大きな意味があるものだともいえます。
今回のコラムが、皆様の何か参考になれば幸いです。
最後までご覧いただきましてありがとうございます。
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