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しっかり者と呼ばれることが苦痛です、というご相談。
しっかり者と呼ばれる私だけど、それが苦痛になってきた、というご相談をいただくことがあります。
例えばこんなケース。
自分で言うのもなんですが真面目だし、人の迷惑になるようなことや、曲がったことは嫌いです。
そんな自分を嫌っているわけではなかったんです。
ただ、最近になって「このまましっかり者扱いされても辛いなぁ」と思うようになっています。
ちょっと性格悪いかもしれませんけど、結局「私をしっかりモノ扱いすることで周りは楽をしているんじゃないか」と思うことが増えたんです。
それは仕事だけじゃなく恋愛でも同じなんです。
私の彼はことあるごとに「〇〇ちゃんはしっかりしているから安心できる」と言うんです。
昔はそれが嬉しかったのですが、最近は
「じゃ、私が寂しいときになにかしてくれた?」
とか、嫌なことを考えてしまいます。
これ、自分の性格が悪いってことなんでしょうか?
だとしたら直したいです。
でも、私は私なりにしっかりしてきたつもりなので、これ以上しっかりするって、どうすればいいのかがわからないんです。
確かに、しっかりすることは素晴らしいことですが、それが生きづらさにつながるとしたら切ないですよね。
そこで今日は
「しっかり者と言われることが辛くなる理由とそこから抜け出すアイデア」
をまとめていきます。
よろしければどうぞ。
そもそも「しっかりもの」とは何を意味するのか
さて、最初に「しっかりもの」ってどういう意味なのかについて触れておきますね。
国語辞書で「しっかりもの」の意味を調べてみると(出典:Webilo辞書)
- 考え方が堅実で意志が強い人。
- 倹約家。しまりや。
という意味になるそうです。
またしっかり者は「確り者」と書くそうです。
今回の事例で考えるなら、「1」の「考えた方が堅実で意志が強い」意味が強くなりそうですね。
そもそも「しっかり」という言葉には、「物事の基礎や構成が堅固で安定している様子」という意味があるそうですよ。
これを、人の価値観やお人柄に当てはめると「堅実で信用できる」といった意味として用いられることが多いそうです。
だとすると、「しっかり者と呼ばれることが苦痛になる」というお悩みって
「人から堅実で信用できると言われることが苦痛」
と感じている状態だとも言えそうですね。
確かに、いわゆるしっかり者さんってしっかりしている(そこに意志がある)わけですから、どうすればこれ以上しっかりできるの?と思われても不思議ではないのですよね。
しっかり者と呼ばれることが苦痛になる心理
しっかり者と呼ばれることが苦痛になるという状態を心の面から見つめると
「そう呼ばれることで心が痛みを感じている状態」と言い換えられるでしょう。
要は、しっかりしているねと言われることで、なぜか心が傷ついているということなのです。
その理由は後で解説しますけどね。
とはいえ、しっかり者さんを「うっかり者」と呼べるわけもないし、
当のご本人も「君はいつもうっかりしているなぁ」と言われたいわけでもないでしょう。
ということは、しっかり者と呼ばれることが苦痛になるということが意味するものは
一時的に「人からどう扱われてもしんどい」という状態になっているのではないか、ということではないでしょうか。
かつ、自分自身でも「どうすれば気持ちが楽になるのか」が見えなくなっているから、辛いのでしょうね。
しっかり者と呼ばれることが辛くなる理由
また、しっかり者と呼ばれることが辛くなる理由は
自分自身の中の「しっかり者」という部分しか人は見ていない、評価していないと感じているから
という場合が少なくありません。
要は、しっかり者さんって、
「しっかりしている私を人は必要としている」などの「役割意識」を強く持っていることが多いんです。
この役割を担っている私への評価は理解できるけど、それ以外の自分が理解され、愛され、認められるとはあまり思っていないことが多いようなんですね。
この傾向は、例えば
- 子供時代から親の期待に応えることで愛されようと頑張ってきた方
- 親や人の顔色をうかがって過ごされた時間が長かった方
- 子供時代から自分の気持ちを受け止めてもらうことが難しいと感じてきた方
などに多く見られるんですよね。
人って一面的ではなく多面的で、いろんな自分がいるものといいますか。
怒ってる自分、悲しんでいる自分、喜んでいる自分、意外となんでもできるぞと感じている自分、ビビってる自分・・・。
それこそ様々な感情を感じているもの、と言えるんですよね。
が、その自分の感情を自由に表現できずにいたり、誰かに理解して貰う機会が少なかったりすると
愛される秘訣として「しっかり者」という役割を担うようになることも少なくない、と言えるんです。
しっかり者と呼ばれることが辛くなる更に深い理由
しっかり者と呼ばれることが辛くなる更に深い理由を見つめていくと
「自分の欲求や感情を抑え込むことが普通になっている」
という部分が見えてくるのです。
いくらしっかり者さんであってもね。
自分を理解され、愛されることを望むでしょうし。
時には、支えてもらい、分かってもらいたい、と思うものではないでしょうか。
が、「しっかり者であれば愛されるし支持される」という思いを強くすると
しっかり者であるために「愛してほしいだの、支えてほしいだの、分かって欲しい」といった気持ちを感じている事が辛くなるのです。
なぜなら、しっかり者さんって、他人の手の煩わせない生き方を選ぶ人が多く
「自分から理解や共感、需要などを人に求めてはいけない」
と思う人が多いんですよね。
ただ、それは
「愛して欲しい、支えて欲しい、分かって欲しいといった欲求を感じるだけで苦しくなる」
ということでもあるのです。
だから、自分の欲求や依存心などに蓋をするなど我慢して、なかったコトにするしかない。
ここにしっかり者さんの弱点といいますか、めちゃくちゃ苦しい部分があるわけです。
そして、その我慢の限界がやってきたとき。
そう、そうです。
「超イライラする自分」と出会うのですな。
(私、性格悪いかもと思える自分と出会うのです)
これは、自らの欲求を押さえつけながら頑張ることの一つの限界を示していることが多いようですよ。
しっかり者と呼ばれることが苦痛にならない私になる方法
しっかり者と呼ばれることが苦痛にならない私になる方法を考えるなら
今まですぐに諦めてしまったり、役割意識で押さえつけている
自分の様々な気持ちを認めて表現していくことです。
これは「気持ちに余裕を作る」という側面と
「役割意識などからいつも感情を抑え込んでしまう癖のようなものを少しづつ緩める」といった側面があります。
人は様々な感情を感じる生き物です。
また、人である以上欲求というものがなくなるわけじゃありません。
あなたがしっかり者さんであっても、自分が感じている気持ち
特に「愛して欲しい」「分かって欲しい」「こんなことがしたい」といった部分や
日常の中で感じるさまざまな感情は認めていいんです。
できれば
「愛して欲しい」「分かって欲しい」「こんなことがしたい」
という部分を表現することを自分に許すこともまた、しっかり者さんにとっての癒やしだったりしますよ。
もちろん、人に感情をぶつけたり、自分の欲で人を巻き込みまくって迷惑をかけ続けることが良いことだとは僕も思いません。
ただただ、今までの自分を否定せず。
しっかり者さんである良い部分は残しつつ。
もっと自分の気持ちを認めてあげること。
自分の気持ちや求めていることを表現することに取り組んでみてもいいと思うんですよ、僕は。
実際にそんなご提案をさせていただくことも稀ではありません。
しっかり者さんが苦痛を手放すために日常でできること
最後に、しっかり者さんが苦痛を手放すために日常でできることを少しまとめておきます。
最もシンプルな方法は、自分の感情を書き出す「感情日記」をつけることです。
自分の気持ちを書き出して、それを眺めることで
「私、こんな気持ち感じていたんだ」
「ずっと普通のことだと思っていたけど、こんなことを考えていたんだ」
といった風に、どこか客観的に自分の気持ちを理解することができます。
また、もしあなたの周りに信頼できて、自分の話を聞いてくれる人がいるならば、あなたの気持ちを聞いてもらうといいですよ。
そこで相手の反応をしっかり見ることもオススメです。
自分の味方、話を肯定的に聞いてくれる人ならば、きっとあなたの気持ちにも寄り添ってくれるはず。
そういった反応から
「自分の気持ちって不自然なものじゃないんだ」
と思えるようになることもありますからね。
ちゃんと話を聞いてくれる人、という部分がキモにはなりますが
「話す、伝える、反応を見ること」で、手放せる我慢が増えることもありますよね。
最後に
こんなことを書くと「浅野はわかってねぇな」と思われかねないのですが、あえて書きます(^^;
「しっかり者であることは、非常に大きな価値です」。
・・・はぁ、ってため息が出ちゃいましたか?
そんなしっかり者さんがいても不思議ではないなぁと僕も思いながら書いているんですけどね。
ただ、僕は「これからもしっかり者でい続けてくださいね」とお伝えしたいわけではありません。
「あなたの今までの人生を、その生き方を否定することは一切しなくていいのではないでしょうか」
という意味なのです。
どうか、あなたが「しっかり者」であることを否定しないで(そんなの悲しすぎる)
自分の気持ちをどう扱っていくかに意識をフォーカスしていただければな、と思う次第です。
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