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デッドゾーン。諦めの気持ちやウンザリ感が続いている、というご相談
何事にも諦めやウンザリ感が続いている、というご相談をいただくことがあります。
例えばこんなケース。
今の仕事にも慣れて先が見えちゃっているし、恋愛しても「こんなもの感」が消えないんです。
彼のことは好きなんでしょうけど(まるで他人事)、一緒にいて楽しくないわけじゃないんですけど、でも楽しくないしときめかないというか。
いつも「なんかつまんない」「満たされない」「どうせ先が見えているし」と感じるんです。
今までは「ちょっと退屈だな」程度だったのですが、今は「ウンザリ」「もう疲れた」といった感じなんです。
良くないことなんですけど「毎日仕事に行き、生活して、たまに誰かと会って、を繰り返すことに飽きちゃったな」とか「このまま生きてて意味あるのかな」と思うこともあって。
そんな事を考えてしまう自分がマズイのかもしれませんけど。
でもどうしたらこの気持ちが変わるのかわからないままなんです。
すみません、すごく漠然とした質問をしてしまって・・・。
人間、生きていると物事の見極めが早くなるといいますか、物事に期待しなくなるといいますか。
あれこれ試しても全てが「諦め」や「ウンザリ感」に飲み込まれていくこともあるようです。
それがいわゆる心身の疲れの問題であるならば、自分自身を大切にするためにしっかり休養を取られたり、時には体の健康に関して然るべき機関にご相談されることを僕もオススメしたいのです。
が、休んでいても一緒。何をしていても一緒。
そんな気分が続くとしたら。
心の面でいうなれば、それは「デッドゾーン」かもしれないのです。
そこで今日のコラムは「諦めやウンザリ感が続いたら」という視点で、デッドゾーンの心理についてまとめていきます。
※今日のコラム、書き始めたら7000字を超えるコラムになってしまいました(^^;が、そのまま載せますので、ご覧いただく場合はその点ご了承くださいませね。
よろしければどうぞ。
諦めやウンザリ感が続く「デッドゾーン」とは
デッドゾーンとは、いわば「心が死んだような状態」のことを意味します。
「何も感じられない」
「燃え尽きたような感じ」
「心が動かない感じ」
「諦めの気持ちが出やすい(諦めしか感じない)」
といった様子を使って表現されることが多いですね。
デットゾーンにハマっていると、次のような状態になることが少なくないんです。
- 淡々と(代わり映えのない)日々を過ごしている(だけ)
- 誰のこともあてにできず、孤独な状態がつづいている
- 何を見ても、諦めの気持ち、ウンザリ感、不毛さ、無意味さを感じやすい
デッドゾーンの渦中にいると、それはそれで何も起きない平和な時間を過ごしている場合も少なくないんです。
これを「かりそめの平和」と呼ぶことがあります。
例えば
「恋愛なんて、仕事なんて、夫婦なんてこんなものか」
「とりあえず生きていけないわけではないし、(他の人と比べて)悪い状況にあるわけではないから・・・」
「つまらないけど、人生なんてこんなものなんだろう」
「結局、何をしたって(新しいことに取り組んだって)同じなんだろうな」
「なにか(恋愛や結婚、パートナーや親、新しい仕事など)に期待した自分がバカだったんのよ」
「何かをアテにしすぎるから、つらいんだよな。つまらないけど期待しない生き方を選ぼう。」
このような思いがどんどん強くなりやすいんですね。
いわば「いかに傷つかずに生きるか」を極めているような状態です。
ただ、デットゾーンがどんどん進むことで、「死の誘惑(デス・テンプテーション)」を感じるようにもなります。
例えば、
- 「もう夫婦でゲンカする気力すらも失せてしまった」
- 「もう何もしたくない、何も考えたくない」
- 「気持ちが高まってこない、全く動かない」
- 「パートナーや家族を裏切ってしまいたくなる(裏切ってしまった)」
- 「せっかく成功したけど、誰も幸せにできていない気がして強い虚しさを感じる」
- 「何をやっても虚しいだけだという諦めしか出てこない」
ここでは、離婚、不倫、浮気、借金、病気、セックスレス、家族問題など、人生において大きな問題と認識されることばかりと出会うことになります。
そして、人生全体が燃え尽きたような、何をやっても幸せではない状態に突入します。
デッドゾーンにハマると生じる役割
僕たちがデッドゾーンにハマっているとき、多く見られる心理状態があります。
それこそが「無意識的な役割」です。
たとえば、自分は死ぬまで働く人、私はずっと子供を育て家庭を守る人、会社や社会の中での立場が作り出す役割、など。
ときには、よい彼、よい彼女、よい父、よい母、など、もそれに含まれます。
それぞれは素晴らしいことなのです。
が、それぞれの役割ばかり優先してしまうことが大きな問題に繋がっていきます。
これは、そのような役割意識を持つことがダメ、という意味ではないんですよ。
そうではなく、その無意識的な役割を抱えるがゆえに
「自分が我慢し、辛抱さえすれば、関係性はうまくいく」
と考えてしまいすぎることに問題があるのです。
そして、その我慢に耐えられなくなったとき
- 恋愛や夫婦関係ならば「今の関係を解消したくなる(離婚・別れ)」「新しいロマンスが欲しくなり、人生をリセットしたくなる(浮気など)」
- 仕事であればキャリアアップという意味ではない離職・転職を考える
自分自身のこととしてであれば、病気や慢性的な疲労感のような形で出る場合もあります。
つまり、デッドゾーンにハマるとほとんどの人は
いつからか「自分さえ我慢すればいい」と思う人が圧倒的です。
この「自分さえ我慢すればいい」という部分も役割だといえます。
役割に対して忠実であらねばならないという意識の問題
人間というものは素晴らしい価値も才能も能力も備えていますが、かといって「万能」というわけではありませんよね。
若かりし頃、僕たちが自分に期待して思い描いた「万能感」は、ある意味、さまざまな経験の中で等身大の自分を知ることで(万能感のかけらは残ったとしても)、手放していけるものなのかもしれません。
それはまるで「自分の限界と可能性を同時に知る」ような状態なのだろうと僕は思うのです。
「自分ってこの程度か」と感じることもあれば、「自分ってすごい力があるんだな」と思えることもあり、それを繰り返す中で自分を知って受け入れていくといいますかね。
が、いわゆる社会的な役割、恋人、夫婦、家族に関する役割意識を持つと、万能感とまではいいませんが
「その役割をきちんとこなすことの価値」を大切にするようになっていくでしょう。
このとき、役割に関して「万能であらねばならない」といった思いを抱くことだってあると僕は考えるのです。
特に、一般的な観念での、いい父、いい母、良いパートナーなどの「よい役割意識」に関しては、キチンとこなすことを考える人が多いはずです。
そして、もちろんそのような意識が間違っているなんて言えるわけがないのです。
ただ、その役割意識が、喜びや充実感、誰かと支え合う生きる関係性よりも
「一人でその役割を優先して生きること」
にしか向かなくなると、いわゆる「問題」というものがやってくることが多いのですね。
先が見えてしまうことも、諦めやうんざり感につながる
また、デッドゾーンにハマっているということは
ある意味「自分なりにできることはやり尽くしてきた」という意味合いを持ちます。
例えば、さまざまな資格を取ってきた、キャリア・経験を積んできた、恋愛や友人関係も持てている、人や世の中のエグい部分も素晴らしい部分も散々見てきた、など。
ただ、だからこそ、これから起きることの
「その先が読めてしまう」
という感覚を抱くことってないでしょうか?
要は、「これをやればこの結果が出る」「相手に効果変わればこう反応する」という結果が見えてしまうと言いますかね。
だからこそ、抱える諦めやうんざり感、時には不毛で無意味な感覚もあると思うんですよね。
*
ただ、その「先が読めていると感じている」のは自分。
もしかすると自分の中の世界、その感覚以外に広がるものを感じたとき、その感覚は変わるかもしれないんですよね。
だから、デッドゾーンは一人で抜け出すのは難しいし、人の手が必要なんですよ、なんて話になるわけです。
デッドゾーンと似ているけどちょっと違う「期待外れ感」
ただ、デッドゾーンと同じようにすごくしんどくて、強いストレスを感じるけれど、しかしデットゾーンとは違う状態もあります。
それこそが「自分への強い期待外れ感」です。
いわば、「こんなはずじゃなかった」「努力したのに結果が出ずに苦しい」などと感じる状態です。
努力したのにダメだった、自分が思うような結果が出なかった、という現実を前にすると凹みますよね・。
すると、自分が決めたことであってもその決断を覆したくなったり、結果が出せない自分をひたすら責めたり、自分に肯定的な評価が出せずにいる、なんて状態になることもあります。
言い換えるなら、どこかで「自分は負け組だ」的な意識が強くなるような感じでもありますね。
これはいわば「未だ(自分が期待したような)結果が出ていない」という状態なんです。
この状態もすごく辛いし、ストレスでパンパンになってしまうので、できる限り自分自身のケアに、早めに取り組まれることがオススメなのです。
が、この状態はデッドゾーンとはちょっと違うものになる、と僕は考えています。
確かにストレスでパンパンになり、しんどい状態になることには違いないです。
が、この場合は
自信のなさや、そこから来る「無理な目標設定」、「自分自身に失望したくない気持ち」などが強く影響していることが多いものです。
言い換えるなら「疲れ果てているけど、まだ勝ち気でもいられるし、強い自分でいようとする」のです(^^;
(デッドゾーンに入ると、その気持ちすら湧きません。何もかもどうでも良くなります。)
なので、この場合は、まず一度キチンと休息して(カウンセラーに言いたいこと言って、聞きたいこと聞いて(^^;)
丁寧に新たな目標設定をして着実に進むことで抜け出せる場合があります。
が、デッドゾーンの場合は、新たな目標設定してもあっという間に諦めや「こんなものか感」に飲まれてしまう、と僕は考えているんです。
諦めやウンザリ感が続く「デッドゾーン」の抜け方
もし、あなたがデッドゾーンにハマったならば。
ここを乗り越えるのは「一人では難しいことが圧倒的」です。
ここでの「一人では難しい」とは、あなた自身に力がないとか、あなたが不十分だという意味ではありません。
「一人でできる限界が来ている」という意味です。
言い換えるなら「自立」の限界であり、これ以上自立を強めても何も変わらない、というプロセスに差し掛かっている、ともいえます。
※自立と依存に関する解説は次のコラムにありますので、よろしければ参考になさってくださいね。
「死んでもやりたくないこと」にチャレンジする?!
また、「今までの自分のやり方、価値観では抜け出せない」とも言い換えられるんですよね。
だから、よく
「デッドゾーンを抜け出すためには、それだけは死んでもやりたくない!ということにチャレンジすることが求められるよ」
なんて言うわけです。
ただそれは、ガチでに命がけなことをするってことじゃありません(^^;
そんな危険なことをしなくていいです、ホント。
そうではなく「自分として禁止してきたことに取り組むこと」という意味合いが強いんですよ。
いわば、その禁止を解くコミットメントをすることで、デッドゾーンから抜けることが可能になるという考え方です。
例えば、あまり他人と比較することは僕自身望まないのですが、あえて表現するならば
「他の人には無理なくできることだけれど、しかし自分は禁止してきたこと」の禁止、タブーを破る感じです。
例えば、「人にヘルプを求める」「人と積極的に関わって支援を得る・つながる」「素直に負けを認める」「人の力を借りる」「今の気持ちや考えなどを分かち合う」など。
自立している人ほど、このあたりを禁止していることが多いわけですよ。
「自立」≒「いかに(人と関わらずに)傷つかないか」ですから、ついつい自分が我慢ばかりしたり、その我慢で自立の役割を全うしようとしているわけです。
が、その方法に限界が来ているから、諦めやウンザリ感、何をしても同じ感じがしてしまうんですよね。
ただ、僕たちは、自分が抱えている役割から下りたり、禁止してきたことに取り組むとなると「罪悪感」を感じます。
いわば、すごく悪いことをしている、とんでもないことをする、という思いを抱くのです。
が、この罪悪感が理由で、自立や無意識的な役割意識に向かわせていたなら
今の自立も無意識的な役割も、愛としての機能を果たしていない」となってしまいませんか?
だから、諦めやウンザリ感などを感じるわけですよ。
とはいえ、この罪悪感を単独突破することはなかなか容易なことじゃありません。
なので、一人じゃ難しい、一人ではなく誰かとともに、という発想も必要になってくるのです。
具体的には
だいたいデッドゾーンにハマっている人は、多くの場合心から人とのつながりを感じられているわけではありません。
だから、「自分の悩みを人に相談する」ということだけでも、随分と気分が変わることも少なくないです。
他にも、助けを求めらんない人なら、実際にパートナーや職場の人に助けを求めてみる、とかね。
信頼できる人に自分のことをどう思ってるか聞いてみる、なんてワザもありますね。
デッドゾーンにハマると何よりよくわからなくなるのは、人の気持ちなんです。
特に味方の気持ち。
相手がこちらにどんな思いを向けてくれているのか、がわからんのです。
その代わりに、役割意識や我慢、自分が為すべきことばかりを見ているんですよね。
*
更に違う視点で言えば、全く違う習慣や文化に触れる、という方法もあります。
例えば、今までと違う衣装、髪型、メイクなどにするだけでも、ぐっと気分が変わるといいますか。
ただ、それも先読みできちゃう、という方もいるんでしょうね(^^;
その場合は、違う文化、人の価値観などに触れてみるといいと思いますよ。これまた人と出会うということなんですけども。
いま起きていることの意味を知る 〜サレンダー〜
デッドゾーンを抜ける方法のもう一つの方法に、「サレンダー」があります。
要は、いま起きていることの意味や価値を受け入れる、という意味に近いわけです。
当たり前ですけど、僕たちは、自分のやり方、考え方、価値観の中で生きています。
だから、自分自身が諦めやウンザリすることを、まるで悪いことが起きているように解釈してしまうものです。
そして、その自分を責めたり、誰かを責めたり(自分の外側がつまらないとか、意味がないと感じることも同じ)するものなんです。
しかし、もし、この諦めやウンザリ感などの経験から学べることがあるとしたら、それは何なのでしょうか。
僕たちは、さまざまな感情や体験を受け入れ、学んでいくことで、違う自分へと成長することができます。
それは、新しい人生の目的を見つけること、と言えるのかもしれません。
僕はこのコラムで散々、諦めやウンザリ感を感じる理由は「自立し、一人であるから」「無意識的な役割にハマっているから」だと書いています。
では、それらの理由が、あなたにとって意味するもの、あなたがそれを必要としてきた理由は、一体何だと思いますか?
かなり難しい問になっていることは僕も自覚していますよ(^^;
僕はよく「どんなことも否定的に見る必要はないかもしれません」とお伝えすることがあるんですけど、その理由はこの考え方から出てきています。
もし、諦め、ウンザリ感、自立、燃え尽きた感じ・・・
それらから僕たちが学び、受け取れるものがあるとしたら、それは一体・・・。
僕なりの個人的な答えはあるにはあるのですが、答えだけ書くとかなりぶっ飛んだ感じになるので、自主規制(聞きたい人は直接聞いてください(^^;)
さて、皆さんはどうお感じになりますかね?
その答えを探すプロセスもまた、デッドゾーンを超える一つの旅、とも言えるかもしれませんね。
諦めやウンザリ感を変えると決めるだけでいい
最後になりますが、デッドゾーンにハマっているときほど、今までの自分のやり方だけではなかなか変化が起こらないんですよね。
なので、今まで通り頑張ろうとするとより燃え尽きてしまうリスクも。
だから、このステージに入ったら「この状態から抜けるという決断」だけしておけばOKです。
あとはプロセスを信頼しながら進んでいきましょう。
僕はよくそのお供をさせていただくわけですけど、無理に何かを変えるという考え方よりは
「気づく」「腑に落ちる」
ということがとても重要なステージだと思ってください。
多くデッドゾーンにハマる方は、ある意味あれこれ行動されてきたり、結果を出してきた方が多いのです。(そこに無意味感を感じたとしても価値はしっかりあります。)
だから、抜けると決めて、あとはプロセスを信頼して進めていくことが重要かな、と思います。
僕はよくそのお供をさせていただくわけですけど、まぁここまで来ると、あれしろこれしろ、という話にはあまりならないんですよ。
「気づいて、その流れができて、進んでいく」
ただ、そこには禁止を作っていた罪悪感などがあることも多く、このときはコミットメントが求められることがある、と知っておいていただくといいのかもしれません。
僕からお伝えできることがあるなら、その諦めやうんざり感の向こう側はあるよ、ということ。
そこを信頼して進んでいけるといいですよね。
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