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人を利用する心理と、そこに隠れた心の影
例えば、あなたがある有名なバーに行ったとき、同席した知人がこう言い始めたとしましょう。
「私ね、ここのマスターと仲がいいんですよ。彼ってこの業界では有名人だから、なかなか知り合えないんですよね。でも、私、昔からよく知っていて仲良くさせてもらっているんです。この間も食事に連れて行ってもらったんですよ。」
まぁ気にしない人は気にしないかもしれません。
が、勘の良い方は「ん?」と思いませんか?
こっそり「私は特別な人なのよ」と言いたげな雰囲気が漂うといいますか。
別の例で言えば
「私の友達に有名な画家さんがいてね。昔からずっと友達なんです。彼っていつの間にか有名になっちゃって、先日もある雑誌で有名な方と対談していたの。それを見るたびに『あいつも偉くなったなぁ〜』なんて思っちゃって♡」
勘の良い方は「別にあんたがすごいんじゃなくて」と思ったり思わなかったり・・・。
このような事例を上げれば枚挙にいとまがない、とも言えるのですが
僕たちはついつい「人の凄さで自分を演出する」なんてことがあります。
私は誰々の知り合いだからすごいんだ!とか、私は有名な〇〇さんに可愛がってもらってる!とか。
いわば虎の威を借る狐、とも言えるのですが、こういった状態を僕たちは
「人を(自分のためだけに)利用する」
なんて呼ぶことがあります。
この問題は意外と根深い人間関係での問題や、時には嫉妬やマウントの問題を作りますので、放っておいてもあまりいい結果を導き難いとも言えるんですね。
そこで今回は「人を利用する人の心理」と、そこに隠れたちょっとした心の影の部分のお話をコラムにしたいと思います。
よろしければどうぞ。
人を利用する人の心理とは
さて、人を利用する人の心理とは、字のごとく
「相手が持っている何かを自分のためだけに利用する」
という状態を指します。
例えば、あなたが有名な誰かと仲が良かったとして、それは素晴らしいことなんですけれど、相手の素晴らしさは敬意を持って接したり、承認するべき部分だったりするのですよね。
しかし、相手のすごい部分で自分の内面にある、ちょっとした心の影
例えば、自分の不足感や不十分感など、できれば他人に見せたくない部分をうまく隠そうとしたり。
実は自分自身だけでは足りない何かしらの力(説明力、説得力、愛される価値など)を、他人のそれで補おうとしてしまう
なんてことが起きるわけですよ。
こういった話はそこかしこに転がっているものかもしれませんが、最も問題になりやすいのは
「話を聞かされたことで周囲が引いちゃうこと」
と同時に
「勝手に使われた側がとても残念に思うこと」
だと僕は思うのですね。
いいか悪いかは別にして、誰も人をマウントするために努力してきたわけじゃないでしょうからね。
逆に言えば、そこを尊重できる人はすごく愛される人になる、とも言えますかね。
人を利用する心理に隠れた「権威との葛藤」
さて、人を利用する心理には、ある一つの心理がまた隠れていることが少なくないのです。
それこそが「権威との葛藤」です。
権威との葛藤とは、文字通り「権威(≒パワー)に対する葛藤」を指します。
外的な面では、自分よりも目上の人、立場が上の人に攻撃性を持つ、自分自身がリーダーシップを発揮することに抵抗を感じる、といったものになります。
内的な面では、自分自身が力を持つことを怖れている、という状態を指します。
例えば、自分自身が成功したり、力を持つことで、代謝から攻撃されることや嫉妬されることなどを過剰に怖れるので、自分自身に力があることを怖がり、認めようとしないのです。
が、それでは自分自身の承認欲求などが満たされず、自分では自分に納得できないとしたら。
他人の力をさも自分の力のように示すことで、その疑似体験をしようとしてしまうことがあるのです。
恥ずかしながらかつての僕の中にも、この傾向があった時期がありますね(^^;
「あの頃僕は若くて本当に自信がなかった」と今思うと振り返れたりするのです。
今日の記事はそんな過去の自分に対する反省の意味も込めて書いていたりするのです。
他人の権威性を借りながら自分の正しさを証明する人もいる
また、権威との葛藤を抱えている人の中には
「他人の権威性を借りながら自分の正しさを証明する」というパターンも存在します。
自分が思うこと、自分が考えること。
誰しも自分の意見に肯定感をいだきながら、しかし建設的な意味合いで疑うことが多いものではないでしょうか。
だから、自分の考えが絶対的に正しいとも、逆に間違っているとも思いこんで話すことは、大人であればあるほど稀、ですよね。
しかし、自分の考えに全く自信が持てなかったり、自分自身にそれだけの説得力がない場合、つい「力のある人の意見」を使って理論武装するケースがあります。
それはまるで力のある人の意見が正しくて、自分自身の意見には価値がない、とどこかで認めるような行為だ、と突っ込むこともできるのです。
が、何かしらの理由で自分自身の中にある「自分では不十分」という感覚が強くなりすぎると
つい人の意見、力のある人の意見を参考程度の使うのではなく、絶対的な正しさとしてしまうことがあるようです。
これも一つの権威との葛藤の現れ、といえます。
自分自身が力を持つことを何らかの理由で怖れている、という意味で、ですね。
もし、自分自身が人を利用し、権威との葛藤を抱えているとしたら
さて、ここからは
「もし、自分自身が人を利用し、権威との葛藤を抱えているとしたら」
の話をします。
この話を使って「あいつがそうだ」などと人の粗探しをしてほしいためにこの記事を書いているわけではありません。そこは重々ご理解いただきたいところです。
*
もし、自分自身が人を利用し、権威との葛藤を抱えているとしたら
それはあなた自身が自分の力(パワー)、魅力に対して否定的な観念を持っている可能性を示します。
もっと言えば
自分自身が力や魅力を持つことで、人が離れていく、孤独になる、嫉妬や攻撃をされると行った思いが強い可能性を示します。
これは一つの投影、自分自身が権威的な人に散々攻撃的になっていたので、自分がその立場になれば同じことが起きる、と感じている可能性を示します。
また、更に深く心の中を見つめていけば
「力なき自分を、本当の自分を、理解してくれる人はいない」
といった強い分離感(自分は人と違うという感覚が強くなりすぎている状態)を抱えている可能性が見えてきます。
つまり、「誰も本当の自分を理解なんてしてくれない」と思うから、人と関わる際に、まさに無意識的に
「やりたかないのに人の力を自分を隠すために借りてしまう」
という場合が多いのです。
この根底にあるのは、やはり自己不信です。
自分を信じられない、自分を良い存在だと思えない、という感覚があって
それでも社会の中で、人とつながるなかで、自分自身を信じられないから、力を欲しながら、しかし同時に葛藤し、自分に力を持つことが怖くて仕方ないのです。
権威との葛藤を抜け出すために
もし、権威との葛藤を抜け出すことを考えるなら
外的には「力ある人に対する態度を整えること」「時には助けを借りて礼を尽くすこと」が一つの方法となります。
もっと平たく言えば「教えてください、お願いします」「お力を貸していただけないでしょうか」と勇気を持って言える人間になることです。
それは、素直に自分よりも力のある人の素晴らしさを認めることに似ています。
ときには「負けを認め受け入れること」となるかもしれません。
ただ、このように人の素晴らしさを認め、自分の力の無さを認め、それでも助けを得ることによって、自分が力を持つことへの怖れを受け入れることが可能になることも多いです。
*
内面的には、「力なき自分を責める気持ちを手放すこと」です。
とかく真面目な方、正義感が強い方、誰かを助けたい方、理不尽を正したい方ほど
「自分に力があれば・・・」
という悔しさを抱えがちなんです。
そもそもその気持ちは誰かを愛したい、与えたい気持ちなのでしょうね。
しかし、いつしか力なき自分を責め、嘆き続けているとしたら。
その結果、自分よりも力がある人、力がないのに平気な顔をしている人に強烈な怒り(嫉妬)が湧くのでしょう。
ただ、それは全てあなたの中にある力なき自分への攻撃のあらわれ、と言えるんですね。
だから、力なき自分を許して、今自分にできることに集中することがオススメなのです。
たとえ今の自分に十分な力がなくとも、それでもできることを続けることです。
すると、分かってくると思いますよ。
「人はそこまで自分に完璧さや力を求めていない。求めていたのは自分だ」とね。
最後に
若かりし頃、僕はがある仲間に言ってもらって目が冷めた言葉を書いて終わりにします。
「お前さぁ、いつも突っかかってくるし、自分をよく見せようとしてるやん。
ホントめんどくさいと思う。
そのままのお前でええのに。」
その仲間は僕の振る舞いを適当にあしらおうと思えばあしらえたはず。
だから、あえてそう言ってくれる仲間を持ったことが僕にとっての財産だったのですよね。
これ、恋愛や夫婦関係にも通じるところがあると思いません?( ̄ー ̄)ニヤリ
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