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「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなる私
「あなたは大丈夫よ」
「君はいつもいい結果を出せている、君は大丈夫だ。これからも期待しているよ」
「きっとあなたなら大丈夫。素敵な結婚ができますよ」
「君はしっかりした女性だから何をしてもうまくいくんだろうね」
もし、このような言葉を他人に投げかけるとしたら、嫌味でない限り「承認」という意味で使われますよね。
相手を認める言葉であり、私のことを誰かが認める言葉そのもの、といえます。
だから、ものような言葉を投げかけられたとしたら、「嬉しいな」「いい気分だな」と感じていいはずなのですよね。
が、しかし。
人によっては「あなたは大丈夫よ」と聴くと「悲しくなってしまう」「虚しさを感じてしまう」という方がいらっしゃるようです。
認められているのに喜べない。
大丈夫だと言われているのに大丈夫だと思えない。
そんな状態になる方もいらっしゃるうようですよ。
そこで今日はそんな裏腹な気持ちになりやすい方に向けたコラムです。
よろしければどうぞ。
「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなる・その具体例
では、「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなる、その具体例ってどんなものでしょうか。
例えば
- 親から「あなたは昔から手がかからないいい子だから」と言われると悲しくなる。
- 友達から「〇〇(私のこと)はいいよね、みんなから好かれてるし」と言われても全くその実感がなく、むしろ友達との距離を感じてしまう。
- 上司から「君は仕事ができるし、これからも期待しているよ」と言われるとげんなりする。
- 彼や彼女から「あなたは大丈夫だよ、しっかりしてるし」と言われると、「私のこと何も知らないくせに」といった怒りや不満が出てくる。
ま、自分が言われると悲しくなるけど、他人には「あなたは大丈夫だよ」という言葉を使って励ます、なんて人も少なくないのではないでしょうか。
もちろん、それが悪いわけじゃないんですけどね。
ただ、自分が他人に対して用いるときには承認として使われるけれど、他人から自分へ投げかけられると承認とならないという、なんとも難しい構図がここで見えてくると思いませんか?
「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなるけど、誰にも言わない人たち
さて、このような悲しみや虚しさに関する悩みは、実際のカウンセリングでも「解決したい悩み」としてお伝えいただくことは少ないと僕は感じています。
なぜなら
「自分に起きている事実がネガティヴではないのに、悲しみや虚しさを感じること自体が不自然だ」
と認識される事が多いから。
「私は他者から承認されている。認められている。評価されている。」
多くの人がそう頭で理解しているのです。
だから
「これは喜ぶべきことだ」
「人から認められているのだからいいことが起きていると思うべきだ」
と思い込む人も出てきます。
しかし、そう思い込んだとしても、悲しみや虚しさを感じてしまうわけです。
ときには誰にも関心を向けてもらえていない、と感じる場合もあるでしょう。
だからこそ、長い間この悲しみや虚しさを感じ続け、慣れてしまうことも多いようですよ。
「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなる現実が作る問題
このような状態に陥った結果生じる問題こそが
「充実感の欠如」「喜べない・楽しめない」というもの。
何をしていても嫌じゃないし、悪い気分にならないけど・・・
つまらない。
喜べない。
ま、そんなもんかーといつも思う。
このような状態になることも少なくないようですよ。
人によっては、他者からの承認や愛されることへの怖れや抵抗感を感じる人も出てきます。
いわば「もうやめて、私をよく言うのはやめて!」と感じるのです。
だからでしょうか。
このようなタイプの方って、学生時代は部活や勉学に打ち込んだり。
社会に出てからは、急に目の前の仕事にがむしゃらに打ち込んだり。
恋愛では、昔からちょっと扱いが難しそうな彼や彼女と関わり、相手の面倒を見たり、今の関係を維持しようと躍起になる、なんてことも起こります。
もちろんそんな彼ら、彼女らは、自ら望んで無理をしたいわけでもないのです。
恋愛や仕事で傷つきたいわけでもなく、不幸になりたいわけでもないのです。
ただ、どこかで昔から感じる「心の渇きのようなものを満たしたい」と感じているようです。
そんな動機から仕事に恋愛に結婚にエネルギーを注ぎ続けていくのです。
「あなたは大丈夫よ」という言葉には「完了」という意味が含まれている
ただ、僕は「あなたは大丈夫よ」と言われて悲しくなる人がいても不思議じゃないよね、と常々思います。
なぜならば、感謝や承認には「完了する」という意味が含まれる場合が多いからです。
僕たちが、気持ちや物事のやり取りを行う上で「感謝や承認がきちんと果たされる」ということは、「その一連のやり取りが終わる」ということを意味することが多くないでしょうか。
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例えば、コンビニで買物をして、レジで代金を支払い、品物を受け取る。
その際に、店員さんが「ありがとうございました」という。
お客であるこちらも「ありがとう」と伝える。
この時点で完了しちゃうと思いません?その一連のやり取りが。
だから、店員さんは「ありがとうございました、またお越しくださいませ」とおっしゃるんじゃないでしょうか。
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例えば、恋人とのデートが終わり、その別れ際。
恋人から「また明日連絡するね」と言われると安心できるけど、「今日はありがとう」だけしか言われないと急に不安になる、なんて人もいるんですよね。
これって一つの「完了」「何かが終わった感じ」を感じているからだと思うのです。
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逆に、手放せない元カレを手放す際は「元カレへの感謝を抱けるように」なんてサポートをさせていただくわけです。
感謝できないということは完了できない、ということなのでね。
それは、今までの感情のやり取りを完了させるほうが自分にとって前向きな選択となるからです。
「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなる理由
このように考えていくと「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなる理由が少しづつ見えてこないでしょうか?
そう、「あなたは大丈夫だよ」と言われて悲しくなる理由って
「承認された」という現実を「今、何かが終わった」「もう私に関心持ってもらえなくなるかも」と感じているから、と考えることができそうなのです。
そして、今後はその終わったなにかを手に入れられない、感じられない、と感じている可能性があるのです。
「あなたは大丈夫よ」と言われると悲しくなる理由を「受け身な視点で表現する」ならば
「私のことを誰かがちゃんと見て理解しているとか、私の気持ちを分かってくれていると感じられていないから」
となります。
これは
「私は誰にも愛されていないし、理解されていないのでは?」
という、被害者的な意味合いでの無価値感、罪悪感的感覚を覚えている場合です。
また、この理由「主体的な視点で表現する」ならば
私は、自分から大切な人に関われない。
関わろうと思うが抵抗感がある。
いつも相手に遠慮しすぎたり、相手のことを考えすぎてしまい、自分から積極的に相手を理解したり、相手が喜ぶことを与えられていない
となります。
これは
「大切な人や好きな人との絆や信頼を結ぶこと自体を難しく感じている」
「自ら積極的に重要な事柄に関われていない」
といった、加害者的な意味合いでの罪悪感を覚えている場合ですね。
前者は依存的なマインドによって、後者は自立的なマインドによって引き起こされるわけですね。
つまり、依存的か、自律的かの違いはあれど
「あなたは大丈夫よ」と言われると、もう相手と関われないような気がして悲しくなる。
そんな感情の動き、反応があると言えるでしょう。
これは
「無意識的に人との絆を結ばないようにしていることから生じている」
とも言えるのです。
だから、何かが終わったと感じると、次またつながりや絆が手に入ると感じにくいがために、そこはかとない悲しさを抱えることになる、と考えることができます。
人によってはこれを虚しさと呼ぶこともあるかもしれませんが。
「あなたは大丈夫よ」と言われて感じる悲しみを手放す方法
ここまでの話を読んでいただければ、もうお分かりですよね。
「あなたは大丈夫よ」と言われて感じる悲しみを手放す方法は
「自分から人との絆や関わりを持つこと」です。
人を理解する。受け止める。
相手と関わる、つながる。
仕事にコミットする。
自分から人との間に信頼の架け橋をかける。
この世界に自分ができることを残すと決める。
そんなことができる自分になればいい、という話です。
ここには大きなテーマから比較的簡単なテーマまで様々存在しますので、まずは最もハードルが低いテーマから取り組まれるといいと思います。
言い換えるなら
あなたから大切な人に「またね」「また連絡するね」「また会おう」と言うようにするのです。
動機は「私がまた会いたいから」よりは「相手とのつながりを心から大切にしたいから」という意味でね。
あなたがコンビニでアルバイトしているならば「またお越しください」と心からの笑顔を添えて言える人になればいい、ってことなんです。
自分から人と関わる、信じる、つながる、がポイントなんですよ。
「あなたは大丈夫よ」と言われて感じた悲しみは癒やしていこう
ただ、ここまで書いたことは「人との絆を感じる方法」です。
その前に「あなたは大丈夫よ」と言われて感じた悲しみは、そのままにせず、癒やすように心がけてみてください。
そもそも「あなたは大丈夫よ」と言われて感じる悲しみって、結構キツイものですよ。
どこか相手から突き放されているような感じがしたり、自分が間違っているような気がしたり、お邪魔な存在のように感じることもあるんです。
その感覚はどこかで「チリツモで積み上がっていく感じ」といいますかね。
気がついたらすごく不安になっていた、孤独を抱えていた、なんてことも多いですし。
ただ、こうなるにも何らかの事情、ときには自分なりの善意から、人との絆を結ばないようにしてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私がわがままを言えば相手が困るかもと思い、人から遠ざかった人もいるでしょう。
これ以上、傷つけあえないから、大切な人の前から去るしかなかった人もいるでしょう。
大切な人の負担になりたくなくて絆を切ってきた人もいるかもしれませんね。
そんなみなさんの心の中にはきっと「優しさ」があるのでしょう。
だから、今までの自分のあり方は否定せず、そのまま受け止めてあげてください。
「あぁ、私は悲しみを感じてきたんだな」
「人との関わりを切りながら生きてきたんだな」と。
今までの自分のあり方を責める必要はないのです。
最後に
それでも、どうにも悲しみが消えなかったり、人の承認で悲しさを感じるなら、選択肢の一つとして、あなたのご意思でカウンセリングに来ていただくといいのかもしれません。
このようなつながりと分離にまつわる悲しみは
あなたが何かを待っているだけでは癒やされないことが少なくないのです。
たとえ、どれだけあなたを理解し、愛してくれる人がいても
あなたが待っているだけならば、その悲しみは癒やされないことが多いのです。
なぜなら、あなたが待ちのスタンスを取り続けているとき、あなたは無意識的に人との関わり、つながり、絆をブロックしているからです。
だから、自らのご意思で、信頼できる誰かに相談してみる、話を聞いてもらう、この問題に取り組んでみる。
そんな姿勢を持つことが、この悲しみを癒やす心の流れを作るために重要になることが多いのですよね。
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