恋愛の心理学

年の差カップルがもう一度絆を取り戻す方法

セクシャリティに関するシンボル写真
手を繋ぐカップル

以前は「愛があれば年の差なんて」なんて言葉をよく機会がありましたけどね。

実際、「年の差カップルに違和感を抱く人」がいても不思議ではないのかもな、と思うのです。

もちろん年の差のあるカップルに違和感を抱く理由は人それぞれなんでしょう。

個人的には、年の差カップルを見るとつい「愛し合う以外の理由があるんじゃないの?」と感じやすいからではないか、と推測していますけどね。

例えば、年下側が超甘えているんじゃないの?とか。相手のことを好きなんじゃなくて相手の持ち物を愛しているんじゃないの?とか。

いいか悪いか別にしてそんな印象を持ちやすい傾向があるのかもしれませんね。

これは「なぜ年の差があるのに愛し合えるのか」という疑問に答えが出ていない場合に起きやすいことではないかな、と僕は思いますけども。

僕たちはどんなことでも「自分には無理・理解できない」と思うことが現実に起きていると、その対象に怖れを感じて否定的に見ることもあるでしょうね。

なぜこんな書き出して今日のコラムを書いているかといいますと、実際このようなことは「年の差カップルの中」でも起き得ることだからです。

年の差カップルで起きやすい「すれ違い」と「誤解」

誤解して困っている二人

「年の差なんて気にならない。相手のことを愛しているんだ。」

そう思って始めた関係であっても、一度二人の関係に溝ができたり問題が起きると「年の差」について意識する。

そんなケースを何度も何度も扱わせていただいてきたからです。

例えば、年の差のある夫婦の間で言い争いが続いたとしましょう。

なかなか打ち解けあえない時間を長く過ごすと、どこかで(多くの方は口にされませんが)

「年の差があるからうまくいかないのかも?」

と気にされる方が少なくないといいますかね。

人によっては

「私がもっと若ければ」とか

「自分がもっと相手と同じ目線で話し合えればいいのだろうが」なんて

自分を責めてしまう理由にもなってしまうことがあるようですよ。

いわば、年齢の差がコンプレックスのように作用するというわけです。(年上側も年下側もね。)

しかし、自分の(相手の)年齢を意識しすぎて自分を責めてしまうとしたら「自分はパートナーのことを上手に愛せていない」という判断を下していることになりはしないでしょうか。

社会の目・人の目は問題を複雑化させる

かつ、この状態にいわば人の目・社会の目が入り込むと、事態は更に複雑になります。

例えば

「やっぱり年上の私が相手のことを満たせていないのではないか」

「あれこれ相手のためにしてあげていたことが相手の劣等感を刺激したのではないか」

「年下の自分が相手に甘えているだけではないか」

「結局自分では相手の気持ちを満たせないのではないか」

こんな思いを持って自分を疑う人もいらっしゃるのかもしれません。

こうなると、そもそもこの恋愛・結婚は間違っていたのかも?なんて考えてしまいやすくなるわけで、かなり切ない状態になるわけです。

それは年上側、年下側、両方に起きえることだと僕は思うわけですね。

年の差カップルの問題は「年の差にあるとは言いきれない」理由

かつては赤かったが今は透明なハート

ただ、年の差カップルの中で生じる問題の全ての理由が「年の差にある」とは言いきれないのです。

そもそも恋愛や結婚生活において重要なことは、二人が対等なパートナーとして向き合うことです。

違いがあっても対等さをもって向き合うことができれば、それでいいわけですよ。

ただ、そう理解していても、自分の(お互いの)年齢を気にしてしまうとしたら。

あなたは「年齢」という要素を使って「自分は相手のためになっていない」と自分を罰しているのかもしれません。

https://www.asanohisao.jp/archives/8955.html

年の差を使って相手の愛情を受け取らない人もいる

いくら二人の間に年の差があろうが、二人の関係が円満であるならば、二人の間に違いがあれど問題は起きないのでしょう。

しかし、自分自身が「相手のためになっていない」と自分を責めている状態であるならば、話は別になりますよ。

どこかで「自分の弱いところを理解し、愛してほしい」と願いながらも。

しかし現実では、相手の思いや存在自体を受け容れたくないと拒もうとするでしょう。

なぜなら「相手のためになっていない自分」が許せないからです。

まぁ今の自分を受け容れたくないんです。

そんな自分を「感じたくない」のですよね。

だから、自分自身が年齢を理由にして「相手の役に立っていない自分」という意識が強めようとしてしまうのです。

そこで劣等感を感じる分だけ、「結局自分は相手のためになれないんだ」と感じ、より相手との距離を取りたくなってしまう。

 

もしこのような状態になったとしたら、次のように感じても不思議ではないんです。

「自分は相手のためになっていないから自ら去るべきだ」

「相手にはきっともっといいパートナーがいるのではないか」

とね。

でもね、本当にそう思うなら、僕のブログをご覧になったり、実際にカウンセリングにまで起こしいただくことはないのでは?

そーんな余計なことを考えてしまう僕がいますけどねぇ。

年の差カップルの絆を取り戻す方法は「自分への罰」を手放すこと

手に愛をたくさん抱えている人

ここまでの話をまとめると以下の通りになります。

  • 「年の差カップルのすれ違い」の理由は「相手のためになっていないと思う自分への罰」にある。
  • その罰の理由として「年の差」「自分の年齢(年上・年下)」が使われている

(もちろん自分の年齢を気にされることを否定しているわけではありませんよ。そのお気持ちはお気持ちとして理解させていただきたいと思っています。)

だとしたら、年齢やその違いを意識するよりも先に、自分への罰を手放すことが求められるのではないでしょうか。

少なくとも僕はこのような視点でサポートをさせていただいています。

年齢を罰に使わないことがとにかく重要です

ただ、僕は「年齢なんて関係ないよ、気にしないほうがいいよ」とお伝えしているわけではないんです。

年齢は気にしてまうこともあるし、気になることがあってもいいのです。

そうではなく

年齢であれ、容姿であれ、経験であれ、何であれ、相手との違いは誰にだってある。

それを自分を責める罰の理由にしてしまえば、もう何も愛せなくなってしまいます。

そんな罰を自分に与える必要なんてあるのでしょうか。

そうお伝えしているだけなのです。

ちなみに僕は「ない」と断言しています。

胸を張って相手を愛せばいいし、相手の気持ちを受け取ればいいですよ、とお伝えしています。

そもそも僕の考えはこうです。

「年の差があるから相手のためになれていない」と思うなら

「誰よりも相手のためになりたい(なる)」という気持ちがあるのではないか。

が、年齢を理由にして「相手を愛してはいけない」と自ら罰して責めているとしたら

おそらく自分の存在意義も感じないだろう。

また、パートナーに対しても「申し訳無さ」しか感じないのではないだろう。

だから、自分から相手を愛する、触れる、いたわることができなくなる。

もう「気を使う」しかできなくなるのではないか。

もし、そんなことが起きているとしたら、非常に苦しく切ない関係を持つことになるだろう。

自分への罰を手放すことは愛し合う本来の自分に戻ること

だからこそ「自分を責めることを手放すこと」に意味があるわけです。

自分は「相手のためになりたいと願っている人間なんだ」「それぐらい自分は自分でいいのだ」という意識を持っていただくことが必要なのではないでしょうか。

その上で、「どうすれば分かり会えるか」「うまく愛せるか(愛し合えるか)」と考えることが大切になってきます。

 

ただ、この自分への罰は一人ではなかなか手放し難いことが多いのです。

「相手のことを考えて自分の欠点を探し、自分が悪いのだと責めること」が「相手のためになる」と考えている人が多いからです。

「自分ひとりで苦しい思いを引き受けることが正義」

そう感じている人が少なくないのです。

ただ、少し考えてみてください。

愛する人の前で自分の欠点を責めることが相手の喜びになるでしょうか?

逆に、相手がそのような姿を見せていたら、こちらが苦しくならないでしょうか。

そう。

自分の欠点を責めることよりも大切なことがあるとしたら、自分の素晴らしさを認め、それを使って相手を愛することです。

そして相手の素晴らしさを素直に認めて(ここで「自分はダメだ」と自分を責めないことが重要)受け取ることです。

一人ではなく誰かとともに自分を見つめ直すことに意味がある

また、このプロセスは、可能な限り一人で行うのではなく、信頼できる人との関係(つながり)の中で進めていくことをおすすめします。

友人、家族、仲間、時にはカウンセラーなど、信頼できる人と関わりながら進めてみてください。

なぜなら、そもそもパートナーとの問題は「人との関わりの中で生じていること」だからです。

そもそも、常に一人で自分を見つめ、一人で自分を立て直せるなら、そもそもパートナーはいらないですよね。

もう一度言います。

相手の存在があるのに、たった一人で問題を解決することしか考えないなら、そもそも二人でいる必要ってないですよね?

もっと突っ込んだことを書くならば

「あなたが一人で悩んでいるとき、パートナーがどんな気持ちでいるか考えたことってあるでしょうか」

ここが見えないと問題が解決しないことも少なくないものです。

だから「誰かと一緒になってプロセスを進めること自体」に意味があるのですよ。

自分の良さだけでなく、パートナーのことが見える私になろう

また、自分の価値を認めたり、自分への罰を手放すことは、それ自体に意味があるとも言えますが、それ以上の効果をもたらすものです。

むしろ、「それ以上の効果」を目指したほうがいいとも言えます。

例えば、

「自分を責める気持ちを緩めていく」
「お互いの強さや弱さを知る」
「自分を肯定する」

といった部分だけでなく

「自分のどこをどう任せ、相手のどこをどう支えるか」
「どうすれば相手の愛情を理解して喜んで受け止められるようになるか」

そこまで見つめながら、自分をもう一度見つめ直していくことができるとしたら。

きっと「パートナーの存在」を価値あるものとして感じることができるようになるんですよ。

 

そして、もしそれが難しいと感じるなら。

もしかするとあなたは未だ「一人ぼっちで自分を責めること」を愛の代わりにしているのかもしれません。

しかしそれは間違いです。愛ではありません。

あなたの中に相手を愛する気持ちはきっとあるのでしょう。

が、それは愛の表現ではないんです。

 

このような視点を持って二人を見つめてみると、どうでしょう。

「自分の年齢を気にしながらも、しかし相手のために一生懸命愛そうとしている二人」

この二人の姿を見失ってしまうぐらい、自分を疑い、責めてしまうとしたら。

まずは自分の感情を整えることからはじめてみてもいいのではないでしょうか。

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