浅野さんへの質問です。
こんにちは。
よろしくお願いします。
好きな人がいないと、何もやる気がおきないんです。
片想いでも、好きな男性がいると趣味もダイエットも何もかも出来るし、チャレンジしたりも出来るし、前向きに自然と進んでいけるし、行動的になります。
でも好きな人がいないと全てが滞ってしまって身動きが取れなく、何も出来なくなるんです。
起きて、仕事へ行って、生活するだけでやっとという様な感じです。
どうしたら好きな人がいなくても、清々しい気持ちや前向きな気持ちになれますか。
ネタ募集ネーム:雪さん
雪さん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
今日はあなたのご質問にお答えしますね。
なるほど「好きな人がいないとやる気が起きない」ですね。
なんだか情熱的な話ですね。
好きな人がいるから頑張れる。愛する人がいるから苦しいときでも前を向く。
そんなお話を伺うことがありますけど、それはそれは美しい話だと僕は思いますよ。
僕も人生の先輩から「相方を亡くしてから、毎日に張りがなくて。食事を作るにしても自分のためだけに作る気持ちにならないこともあるわ」というお話を伺ったこともあります。
誰かを思う気持ちが自分の支えや行動の意欲になることは、逆にそれぐらい大切な人を思う気持ちがある、と理解することもできないでしょうか。
ただ今回のご質問の意味って「好きな人から頑張れる」と「好きな人がいないと頑張る気持ちになれない」は同じ動機から生じるものなのか?という部分にあるのではないでしょうか。
好きな人がいるから頑張れることと、好きな人がいないと頑張る気持ちになれない、は同じか、はたまた違うのか。
今日はこのあたりの話を少し考えながらご質問にお答えしていきます。
よろしければどうぞ。
Index
好きな人がいると頑張れる=「目的が存在する状態」ではないか
さて、もしあなたが「好きな人がいると頑張れるのに」と感じるなら、いわば「好きな人がいる自分=自分の目的」という状態になっているのでしょう。
逆に「好きな人がいないと頑張れない」は、「自分の目的が存在しない状態」だから、やる気が起きないとなるのかもしれません。
僕たちは何かしらの「目的が設定できているとき」に意欲的になったり、不安やストレスを感じても積極的、自発的に行動することがありますよね。
そもそも目的があるから積極的な意欲・行動に繋がるわけで、逆に目的がなければ「積極的な意欲だけでなく、自分の行動の意味も価値もよく分からなくなる」と思いませんか?
例えばの話。
職場で先輩から「これやっておいてくれる?」と仕事を頼まれたとしましょう。
「わかりました」と引き受けた仕事の内容を見てみると「これって本当に必要な仕事なの?」と思えるような内容だったとします。
さて、やる気が起きるでしょうか。
「やらなきゃな、仕事だから」とは思えど、前向きな気持ちになるでしょうか。
ただ、もし先輩から「これやっておいてくれる?」の声と同時に
「あ、その仕事、〇〇のために必要な、意味のある仕事なんだよね。だからお願いね。」
と説明を受けたとしたらどうでしょう。
やる気が湧くとは限らないけれど、しかし「なるほど、そういう仕事なんですね」と納得できる分だけ、前向きな気持ちで仕事に取り組めるのではないでしょうか。
つまり「目的を持つ」ということは「腑に落ちている」ということでもありませんか。
自分が積極的に行動したり、誰かに関わる理由が明確になっているのではないでしょうか。
つまり、自分が納得できている、ということですよね。
この考え方を「好きな人がいると頑張れる」に置き換えて考えてみると、次のようになりませんか?
「好きな人がいることが自分の自発的な行動やそのモチベーション維持のための納得感を作っている」
なんだか言葉遊びのような話で申し訳ないですが、こう考えることもできるのです。
目的があると人は集中できる
そもそも目的とは「今、自分が進むべき先、ゴールを設定する」という意味もありますが、「意識やエネルギーを一点にフォーカスする」といった意味もあります。
いわば「集中する」と言いかえることもできるんですけどね。
また、僕たちが明確な目的を持って集中して努力しているときほど、自分の外側からの影響をあまり感じない、といった側面があるのです。
人によってはいわば「無双状態」になることもあり(スーパーマリオのスターを取った状態とも例えることができる)、自分自身になにか困難や、つい人の目を気にしそうな状況があっても「えぇい、邪魔するな〜!」と言わんばかりに、前に進むことができるわけですな。
まぁ超ロマンスを感じている状態だと、人目を気にせず平気で路チュー(路駐じゃないよ)もできてしまう、なんて感じでしょうかねぇ。
だから「明確な目的を持っているときだけ自分を好きでいられる」とおっしゃる方もいるのですよ。
なんだかその気持ちめっちゃ分かるわ、と思ってしまうのは僕だけでしょうか?
だからでしょうか。
実際のカウンセリングの中で「目的を失うことがめっちゃ怖い」というお声を伺うこともあります。
「もう自分の目的を見失ってしまって数年。毎日何のために生きているんだろうって落ち込んでしまうことがあるんです」というお声を伺うことがあります。
もし僕たちに目的が全くない状態になれば、おそらく迷い、戸惑うことになるのでしょう。
何のために生きるのか。何のために頑張るのか、と。
それが嫌だから恋に生きる人がいても不思議ではないよな、と僕は思うのですが、さてはて皆さんはいかがでしょうか?
「好きな人がいると頑張れる」は依存なのか?
さて、少し視点を変えて話を続けますね。
この手のご相談を伺う際に「好きな人がいるから頑張れるという状態は、私が相手に依存している状態なのでしょうか」というご質問をいただくことがあります。
実はこの質問に対する回答って非常に難しいのです。
どのように考えるかはその人次第かな、と思いますので。
ただ、そう言ってしまうと何の意味もない記事になってしまうので(^^;、一つの考え方をまとめておきますね。
つらつらと書きなぐりますが、まぁじっくりご覧いただけますと幸いです。
*
そもそも依存とは「相手の反応次第で結論が出る状態」なんですよね。
いわば、自分で選択しない、相手に結論を出してもらう、という状態です。
例えば、「愛しているから彼にすべてを決めてもらいたい」と思うとしたら、そりゃ依存だということになりますね。
ただ、こんな例もありますよ。
「彼に『ねぇねぇ今度このお店に行きたいと思うんだけど、どうかな?』と聞いて、相手に今後の行動を決めてもらいたいと考えている。」
これも確かに「誰かに頼っている状態」なのですよ。
ただ、状況としては「自分の意見は伝えるけど、でもそれだけで物事を決められないよ」と考えている状態に近いと思いませんか?
常に相手に判断を丸投げして「私の面倒を全て見ろ〜!」と伝えているならいざしらず、ただただ「相手の気持もあるからね」と配慮しようとしているなら、依存だから問題と言い切ることも難しいわけです。
逆に自立的に「何でもかんでも自分で決めてしまう」なら、人との関わりを持つ意味がわからなくなりますよねぇ。
そう考えると、依存にも問題になりやすいものと、そうではないものがある、と言えそうです。
*
ただ、今回のような疑問をお感じになる方が気にしているのは「自分は誰かに依存していないと(好きな人がいないと)ダメな人間になっていないでしょうか」という部分なのでしょうね。
だとしたら、次の視点で自分を見つめてみるといいですよ。
あなたが「好きな人を愛することそのものが目的」となっているならば、それは与える側に立っている状態でしょう。
一方、「好きな人を愛すること」の意味が、何かしら別の目的とつながっているとしたら、もしかすると相手に依存している可能性があるかもしれません。
心理学でいうところの「内発的動機づけ・外発的動機づけ」の違いでもありますね。
例えば、パートナーに「あなたのことを愛するから私を幸せにしてね」と伝える方がいたとして。
その言葉の意図が「深くパートナーを愛し、受け容れ、二人の幸せを意識している場合」と、「ガチであなたに幸せにしてもらえないと私困るのよと伝えている場合」に分かれるんです。
同じ言葉を使っていても、その意味はその人次第で異なるのです。
これは「好きな人がいると頑張れる」でも同じことが言えると思うんです。
「好きな人がいると頑張れる」ということが、「明らかに自分の中の与えるモードのスイッチがオンになる場合」と、「好きな人がいないと自分の不安が消えない(無双状態になれない)場合」とに区別できるのではないか、とね。
もちろん前者は自立、後者は依存となります。
なお、この場合の依存は「相手にべったり依存してエネルギーを奪っている」というスライム的、もしくは溶けかけた飴玉的な意味ではなく、「自分の意思で設定した目的だけでは不安を感じる」という意味合いが強いと思いますよ。
普段から「自分でこう決めたけど、でも本当にこれでいいのかなぁ?」と感じやすいタイプの人に見られることですけどね。
ただ、僕自身、長くカウンセリングをさせていただくほどに、つくづく「この自立と依存の明確な線引って難しいよなぁ」と感じるのです。
明らかに相手に依存していないと生きていけないと感じているならまだしも、そもそも人の愛情の質を推し量ることって相当に困難なことだと思うのですよ。
ただ、いわゆる「自立と依存の違い」を考えるなら、このあたりの違いで区別できるかなと思うわけです。
好きな人がいなくても前向きな気持ちになる方法
さて、いろいろ書きましたが、では「どうしたら好きな人がいなくても前向きな気持ちになれる」のかについて、一つの考え方をまとめておきますね。
理屈だけ書くならば「好きな人がいる」以外で自分自身の目的が設定できていれば前向きな気持ちになれる、となりますね。
そんなことは分かってる、というお声も聞こえてきそうですけどねぇ。
ちなみによく僕がご提案するのは「好きな人がいる状態と同等の刺激を感じられる何か」を探すこと。
ただ、ここでの刺激という言葉は「刺激的」という意味ではなく、同じくらいインパクトがあるものという意味です。
例えば、リスキーな恋に走るとか、飲めないお酒に溺れるとか、あえて人に言えない秘密を作るといったことをオススメしているわけではありませんので念の為。
ただね。
「好きな人がいることと同等の刺激を感じられる何かを探す」といっても超難しく感じませんか?
一体それが何なのか、検討もつかないと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
自分をじっくり見つめてみると「好きな人」以外の目的設定が容易になる
そこで更にご提案しているのが「自分を知ること」なのです。
具体的には次のような感じです。
- 私は何をしているときに充実感や達成感を感じるのだろうか。
- 私は自分のどんな部分を磨いているときに喜びを感じたり、自分を誇らしく感じるだろうか。
- 私はどんなモノと触れているときに楽しめたり、喜べるだろうか。
- もし自分を人前で表現するなら、どんな自分を表現したいだろうか。
じっくり考えてノートやスマホのメモなどにアウトプットしてみてもいいでしょうね。
これは一つの自己認識を高める方法です。
自分をよく知ることで「好きな人以外の目的を立てやすくする効果」が期待できるわけです。
コツは「なぜそう思うのか?」はあまり考えないこと。
何が好きなのか、どんなときに充実感を感じたり、自分を誇らしく思うのか、といったことを考えるだけでいいです。
すると、「好きな人がいると頑張れる」という気持ちも更に深く見つめることができるかもしれませんよ。
例えば「あぁ、私は好きな人ができて、その人の笑顔が見れると思うとめっちゃやる気になるんやん」みたいなね。
この場合なら「好きな人がいると頑張れる」という事実から、更に「私は誰かの笑顔を見るとやる気になる」という部分が見えてくるのですよ。
*
要はですね。
「私は好きな人がいると最も頑張れる人間に違いないけれども、それ以外でも充実感や達成感を感じられるじゃないか」と感じることができれば、「好きな人がいないと頑張れない」という悩み自体は手放せるだろう
といった感じですね。
もう少し深く突っ込んだ話をすれば、そもそもあなたが好きな人がいないと頑張れないと感じるなら、それぐらい「人と関わること」「素敵な恋愛」というものを好んでいる可能性があるわけですよね。
そこをいちいち否定して変える必要はないんじゃないか、と僕は考えているわけですね。
ただ、僕たちの意識が「これしかない」といった状態になると、その対象に集中できる反面、失うことを過剰に恐れてしまう場合もありえるのですよ。
例えば、「この仕事は本当に大切。だからもし失ったらどうしよう」「私にとってこの彼は運命の人。だからこの人と別れたらどうしよう」と感じやすくなるのです。
そのリスクだけ回避できたらいいのはないかと僕は思うのですが、さていかがでしょうか。
まぁ実際のカウンセリングでは「浅野さん!恋愛ですよ、恋しているときですよ!男ですよ、オ・ト・コ!それ以外に充実感を感じるものなんてないです!」なんてお声を伺うことがあるわけですけどねぇ。
なんとも情熱的。まさに恋に生きるって感じですけどもね。
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