浅野さんへの質問
いつもブログ拝見させていただいています。
元彼と別れ、1年ほど経ちますが、別れた直後に元彼への愚痴を友人に喋ってしまいました。
しかも被害者的な話し方をしてしまいました。もちろん、冷静になると実際は彼はとても優しかったと、それをあんな風に言ってしまうなんて、と後悔してもし切れません。
しかしそれを周囲の人や、元彼に伝えられてしまったことで、周りから口が軽い人、と見られたり元彼を失望させてしまったと思い毎日が辛いです。
付き合ってる間は基本的には周囲の人にプライバシーを話したことはありません。
なぜ別れたあと、人はこのような行動をとってしまうのでしょうか?
恋愛に限らず、人に話す以外でストレスを発散させる方法はあるのでしょうか?
よろしくお願いします。
ネタ募集ネーム:はうんさん
はうんさん、お待たせしましたm(_ _)m
いつもブログをご覧いただきありがとうございます。また、この度はネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
今日はあなたのご質問にお答えしますね。
ご質問は「なぜ別れたあと、人はこのような(元カレの愚痴を被害者的に話す)といった行動をとってしまうのか。恋愛に限らず、人に話す以外でストレスを発散させる方法はあるのか?」ですね。
ではでは、僕なりにお答えいたしますね。よろしければどうぞ。
好きだった元カレのことをつい愚痴ってしまう理由
人が人のことを愚痴る理由は本当にさまざまです。
例えば
- 劣等感から生じる引き下げ(相手の価値を下げることで自分が安心しようとすること)
- 自信の無さから生じる「自分からなにか奪われるのではないか、自分が損するのではないか」という不安
- 自分の正当性を証明するため(正しさの証明)や競争心
- 相手に価値を見て、自分の価値を疑ってしまうからこそ生じる嫉妬、妬み
- 実際に被害を被ってつらい思いをしたという事実
などなど、ケースバイケースでさまざまな事情が考えられます。(もちろんこれ以外の可能性もありますよ)
ただ、相手のことを愚痴りたくなるのは「相手のことを嫌っているからだ」と言い切ることはできないだろう、と僕は考えています。
いくら人のことを悪く言うとしても、それがただの攻撃(自己中心的な悪意)なのか、それとも致し方ない事情によるものか、そのあたりは注意深く見たほうがいいと僕は考えているところです。
はうんさんのご質問を読ませていただくと
- それだけ元カレさんのことが好きだったから
この可能性もあるのではないか、と僕は見ています。
むしろ好きでなかったならば愚痴る必要はないのではないか、とさえ思います。
誰よりも好きな人のことを悪くいいたくなかったのも、あなたではないでしょうか。
ただ、「好きな人」との別れはやっぱり辛いものです。
少し想像してみていただきたいのですが、好きな人を大好きだと捉えたまま「別れたんだ」と受け入れるって、結構キツイと思いませんか?
もちろん受け容れられたらいいけれど、しかしなかなか受け入れることが難しい場合もあり得ると思うんです。
だから、別れた人と会うと何故かムカムカしたり、相手が幸せそうにしていると嫉妬したり、人によっては「相手の不幸」を願ったりすることも起こり得る話なのです。(はうんさんの場合は違うと思うのですけどね。)
これは、別れの事実で(自覚以上に)辛さを感じているときに起こるもの、と僕は考えています。
そのとき、「好きな人の価値を下げないと自分が辛すぎる」といった状態になることも少なくないんですよ。(引き下げの法則)
また、好きだった人に対して、憎しみや怒りを向けることさえあります。これもまた別れによって感じる喪失感が強い場合に起こるのです。
だから、ついつい相手のことを悪く言ってしまう、なんてことも起こり得ると思うんですよね。
別れの辛さを友達に話すことは正解か、不正解かという問題
恋愛に限らず、人に話す以外でストレスを発散させる方法はあるのでしょうか?
ただ、はうんさんのお話を読ませていただくと、「付き合ってる間は基本的には周囲の人にプライバシーを話したことはありません」と書いてくださっているので、とても相手に対して誠実な態度を持って接したり、相手のことを思うことができる方ではないか、と僕は想像しています。
少なからず、あなたはそうありたいと願われている方ではないか、と思うのです。
だから、このご質問を僕に送ってくださったのではないかな、とも感じています。
なによりあなたが伝えた元カレの愚痴を「周囲の人や、元彼に伝えられてしまったことで、周りから口が軽い人、と見られたり元彼を失望させてしまった」としたら、それは辛いですよね。僕なりにそのお気持ちは理解できる気がします。
周囲から不本意なイメージで見られることは本当に辛いことです。あまり人の目を気にしないほうが自分のためになるといいますが、そこまで思えない方もいらっしゃるでしょうし、できれば人とは対等で、仲良くしていたいからこそ(できれば害ではなく喜びを与えたいからこそ)、辛くなってしまうこともあるかもしれませんね。
また、特に元カレさんに失望されたという部分も痛いですよね。お話を読む限り、もしかするとあなたは元カレさんを最後まで大切にされようとしたのかもしれませんしね。
ただ、ここでは、「その当時のあなたはそうせざるを得ない事情があった」とお考えになってみてはいかがでしょうか。
そしてその事情もまた理解されるべきことで、責められるべきことではないのかもしれませんよ。
そして、今後の周囲の人との関係は、これからのあなたのあり方によって変わってくる可能性も十分にあると僕は思います。間違いは訂正して手放し、しかしあなた自身が凛とされていれば、きっと本来のあなたを理解する人も出てくるやもしれません。
だから、どうかご自分を責めずに、自分の感情の整理を進めてみてくださいね。
まずはご自分のことを理解されることだと思います。
例えば、僕の見解でしかありませんが「もしかすると、元カレのことを本当に好きだったからこそ、別れが辛く、愚痴らずにいられなかった」といった風に。
その上で、本当の私はどんな自分でありたかったのか、を考えて、その自分でいることを心がけていく感じですね。これができないとつい自分を責めたり、自分を責めすぎて他人を責める発想が湧いてくるので辛くなっちゃいますしね。
また、どうしても気持ちの整理がつかないときは、信頼できる人、利害関係のない人、ちゃんと話を受け止めて秘密にしてくれる人に話すこともアリだと僕は思います。
人は話すことで気持ちの整理をしたり、自分の中のまた別の気持ちに気づくことがありますからね。話すこと自体、気持ちの整理や癒やしにつながることだと僕は思いますよ。
(おまけ)人の秘密を喋る人・喋らない人の違いって何?
さて、ここからは余談のようなものですが、実際に「人はどうして人の秘密を喋ってしまうのか」というご質問もいただきます。
これは恋愛の話に限らず、夫婦問題や職場の対人関係、友人関係などのご相談の中でよく出てくることでもありますよ。
例えば、同僚にちょっと上司の愚痴を話したら、その話が上司に伝わっていた、とか。
夫に姑との間で意見の相違があって悩んでいると相談したら、その話を姑が知っていた、とか。
ちょっと隠しておきたい秘密を仲のいい友だちに話したら、仲間内でネタにされていた、とか。
このような経験をすると、どうしたって人に対する不信感や警戒感を強めますから、「もう人に話したくない(もう信じない)」と思われる人がいても不思議ではないんですよね。
相手を信頼して話をしたのであればショックですしね。
この場合、「人の信頼(秘密)を守らなかった方」の信頼や人望が損なわれる可能性が高いわけですけど、しかしその相手に話したのも自分の選択ですから、非常にもやもやする話ですが、話した自分の選択も、漏らした相手のことも、なかなか責められるような話ではないんですよね。
お互いに「話したのは自分」という部分が自己責任なのでね。
だから、人に裏切られても、人のことを裏切って人望を失っても、それは自分の選択で恨みっこなしよ、かつ、その結果は自分で引き受けるほうが、後々自分のためになりますよ、ということになります。
そうすることで「自分、もしくは誰かを責める自分」にならなくて済みますから、いわば被害者意識を手放すことができますし、余計な加害者意識で悩むこともなくなります。
ここでも「許し」の意味が出てくるわけです。
が、このような話は、やはり非常にもやもやするものですから、「もう信じられない!」というお気持ちは僕なりに受け止めさせていただいているところです。
しかし、「人の秘密は守ったほうがいい」と分かっていても、つい喋ってしまいたくなることってあるのかもしれませんね。
特に、人から聞いた秘密を「喋っちゃいけない」とだけ思うと、つい話したくなる可能性が高まるかな、と僕は考えています。
いわゆる「禁止(タブー)の心理」の影響で「禁止したものに対して興味を持ってしまう」からです。
相手の秘密を喋っちゃいけない→だからより興味を持ってしまう→誰かに聞いてほしい・喋りたい!といった気持ちになっちゃうことがあるんですよ。
ただ、ここで禁止ではなく「自分を信頼して話してくれた相手のことを大切に思う気持ち」を選択していたならば、おそらく相手の秘密を大切に扱っていくようになるのでしょう。
どこか想像できるんですよ。
「相手はどんな気持ちで自分に話をしてくれたのだろうか」とね。
この想像力が超重要なんでしょうね。
これは普段から「自分のことも相手のことを大切に思う意識があるかないか」のよって変わるものでしょう。
そう考えると、人との関係を利害関係だけでなく、信頼関係として捉え、相手に対する思いやり、理解、愛情を持っていることの意味は大きいと僕は考えるのです。
なので、普段から「人とちゃんと対等な関係を築くことができる人」ならば、相手のこともちゃんと考えることができるでしょうから、秘密も守ってくれやすいのかな、と思います。
逆に、自己中心的で、自分のことしか見えていない(相手の気持ちが想像できない・自分の気持ちだけで行動している、コントロールばかりしている)人が悪いわけではないのでしょうか、しかしあまり考えたくはないですが、秘密をバラしやすいかもしれません。
何より大切なことは、「自分自身が人のことを大切に思う人(相手の気持ちを想像できる人)」になることではないでしょうか。
自分自身がそうなることによって、自分自身を肯定しやすくなりますし、次第に「相手はどんな人なのか」を見極めることも可能になるでしょう。
「自分は人の気持ちを無碍に扱わないのに、この人は適当に扱うんだ」と思えれば、おそらくその人に大切な話をする気にならないでしょうからね。
ただね、これが恋愛の中で起きること、となると、話は別かなーと思ったりもしますよ。
やっぱり好きな相手のことは、肯定したいし、信じたくなるものでしょうからね。
もちろん好きという気持ちがあることは素晴らしいことなのですが、好きだからこそ相手のあり方を見失ってしまうこともあるのかな、とは思います。
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