アサノのコラム

復讐とはこういうことを言うのではないだろうか

今日はアサノのコラムを更新。

心理学とは全く関係のない話をただ書きなぐる雑記のようなコラム。もちろんツッコミどころ満載ではありますが、ツッコミは全てスルーの方向で驀進する無双のようなコラム。

よろしければ暇つぶしにでもどうぞ。

最近、「復讐」とはこういうことを言うのではないだろうか、といったことが起きた。

もちろん我が家で、である。

普段のコラムならば「復讐とは」という言葉の話から、心の話につなげていくのであるが、今回はそんなことは一切しない。

ただただ「復讐」とはなんとも切ないものだと感じた次第である。

このコロナ禍で私の仕事のスタイルは随分と変わった。

頻繁に東京から福岡まで移動する毎日を楽しく送っていた私が、急に自室に閉じこもるように仕事をするようになったのだ。

今まで新幹線のポイント、どんだけ貯まるのよぐらいの勢いで利用していた新幹線も、今では修学旅行気分で乗っている始末である。

コロナ禍は人と人との距離だけでなく、仕事のスタイル自体を大きく変えた、と私は思っている。

そして、個人的にはまたあの楽しい(ちょっと移動が辛いが?)出張ライフが戻ってこないだろうか、と毎日日暮れ頃の空を眺めてはセンチメンタルな気分になっている。

ここでわざわざ「センチメンタル」と書いたのは、センチメンタル・ジャーニーと、神戸メンタルサービスの二つの言葉にかけるという高度な技量を示したわけであるが、説明しないと誰にも気づかれないと思うので恥を忍んで自分で説明した次第である。

それぐらい出張生活は私の生きがいだったのだ。

もう移動が辛いわ〜と口では言いながら、実は、博多でうまい飯を食べ、上野あたりでセミナー打ち上げに出て、大阪では有名な「サニーストンホテルのランチ」をいただくことが、まぁ喜びであったのだ。

だからこそ、取り戻したいのである、あの生活を。もう時代は変わったという認識はあるにはあるが、取り戻したいのである。

 

さて、今回は復讐の話であった。脱線したので元に戻そう。

自室で仕事をする機会が圧倒的に増えた昨今、気になるのは家族の存在である。

いつも家にいるパパに、娘は何を思うのかと考えることもあるが、それ以上に気になるのが家族の声である。

自室で仕事をすると、どうしても日常音が気になってしまう。特にzoomの向こう側にいらっしゃるクライエントさまやセミナー受講生のみなさまにご迷惑をかけていないだろうか、と気にしてしまう。

普段、全くそんな事を気にしないような態度をとっている私であるが、実はとても小心者なのである。

いつも「ご迷惑をかけていては申し訳ない」と萎縮しているのであるが、おそらくそのあたりも誰にも気づかれていないのではないか、と思うと、切なくて涙が出そうである。

もちろんこれは冗談である。

また脱線したので元に戻す。

自室での仕事で何が最も困るか、といえば、まだ小さい我が娘が仕事中に部屋に乱入することである。

実は私が担当するセミナーの中で、ちらりと娘の姿が写り込んだことが2度ほどあったはずである。

娘が部屋に乱入すると、もう大変である。

目の前にいらっしゃる方のお話を聞きながら、見えないところで「今仕事中なのよ〜こっちに来ちゃダメなのよぉ〜」と娘と格闘しているのである。

この状況になると、いつも思う。聖徳太子さんって方はいつもこのような状況であったのではなかろうか、と。

目と耳と思考はzoom上に残しながら、画面上に写り込まない手と醸し出すオーラで娘を止める。

なかなか高度な技であると自分でも思う。

 

そんな娘の乱入が何度も続いたため、それを見かねた妻が自室のドアにこんな張り紙をしてくれたのである。

「パパはしごとちゅうです。へやにはいってはいけません。」

この張り紙が効果テキメンで、娘はこの張り紙を見て止まってくれたのである。

もう感謝しかないのである。理解してくれた娘にも感謝の気持でいっぱいである。

 

そう思いながら、先日自室を出ると、向かい側にある娘の部屋のドアに何やら紙が貼られていたのである。

ん?なんだこれは?と思い、張り紙を見るとこう書いてあった。

「〇〇ちゃん(娘のこと)は、いま、おへやであそんでいます。パパははいっちゃダメです!!!」

 

・・・。

 

そうね、そうだよね、娘はそういった気持ちだったんだね。

これを共感と言わずしてなんと言うのであろうか。

痛みを通じて理解できることがあるというが、本当にそうだなと痛感したのである。

 

どうやら娘は妻にこう書いて!とお願いしたらしい。

そして、幾重にもテープを重ねて貼り、厳重に剥がれないようにしたそうなのだ。

もちろん妻もノリノリで書いたらしい。

 

これは明らかな復讐である。報復である。

そしてこの復讐は怒りと悲しみの連鎖しか産まないのである。

だから私はそーっと自室の張り紙を剥がした。

こちらから白旗をあげたのである。

 

しかし、未だその娘の部屋の張り紙は貼られたままである。

むしろ、剥がれかけた部分にテープで補強してあることに今日気がついた。

 

だから、私も、そーっと張り紙を貼り直したのである。

姑息な手段だと自分でも思うが、しかしこの悲しみをどうにも受け止められなかった情けないパパは、そーっと気付かれないように自室の張り紙を貼り直したのである。

これも復讐なのであろうか。

いや、そうではない。

ただただ、パパは悲しみを、貼り紙を貼り直すという行為で表現したかっただけなのである。

 

合掌。

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