恋愛の心理学

「彼にとって私はそこまでの価値がないのかも」と感じたときの(一時的な)処方箋

彼にとって私はそこまでの価値がないのかも

今日はどうしても書かねばならぬ〜!という使命感の下(こう思うこと自体珍しいのですけども)コラムを書いてまいります。

いわゆる「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」問題ですね。

言い換えるならば「彼ってその程度の意識(好き)しか向けてくれていない」問題とも言えます。

実際、このようなお声を伺うことは稀ではないのです。

例えば、自分から彼に一生懸命示愛情をしても、彼は塩対応、もしくは連絡なし、さらには都合良く扱われてる?という事実があるならば「彼にとって私はきっとそこまでの価値がないんだ」と感じてしまうことがあるだろう、と僕は思うのです。

もちろんそのお気持ちは理解できるのです。

それはきっとあなたにとって「それだけのことが起きている」という事実を示しているのでしょう。

ただ、この意識を持ち続けると、その反動、いわばデメリットが大きすぎるので、できればこのような気持ちは維持しないほうがいいし、変えるなり、手放すほうがいい、と僕は考えているのです。

実は、先日もこのようなお話を何度も伺っていたわけです。そしてその方がそう思う理由は十分にあると僕も感じたところなのです。

ただ、そうであったとしても「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」という思いを持つことで支払う代償が大きすぎると僕は考えています。

今日はそんなコラムをサクッと書いてまいります。

よろしければお付き合いください。

 

「彼にとって私は」という考え方が持つデメリット

「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」という考え方は、自分で自分の価値を否定しながら、しかし絶対に自分だけではそこにある否定感を変えられない、という状態を作ります。

彼だけが私の価値を変えることができる、つまり「彼が私を愛してくれさえすれば、私の価値は回復する」と感じるようになるわけです。

が、実際は回復するどころか、一時的な安心感を得ることにはなるけれど、しかしまた同じ状況に陥ることを恐れ続ける可能性が強まります。

だから、「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」と思えば思うほど「執着」が生じます。

これは「彼に預けた自分の価値をこのまま失いたくない」という感覚から生じる執着です。

だからこそ、自分をちっぽけに感じ、自信すら感じられなくなってしまうのです。

ここでのポイントは「もし自分から彼を愛したならば、その価値は自分に返ってくるはずだ」という点。

愛は与えれば与えるほど(うまく伝わらないと切なさを感じることもありますが)、最終的に自分にメリットが跳ね返ってくるものなのです。

しかし、ここで「自分の価値を失う」「自分がダメになる」と感じているとしたら、おそらく「相手に自分の価値を投げ渡している」という犠牲的な感覚が生じている可能性が否定できないんですね。

そこまでしないと彼の気持ちを手に入れられない、という「自分自身に対する過小評価」が影響している可能性が高いのです。

また別の「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」という気持ちが持つデメリットは、「彼があなたにとっての悪魔になる」ことでしょう。

どれだけ頑張って愛情を注いだり、相手の気持に答えても「彼にとって私はそこまでの価値はない」とあなたが感じているとしたら、彼はあなたのことを「どれだけ頑張ったって君はその程度の人間だよ」と見ている、ということになりませんかね?

つまり彼はあなたの愛情を一切認めず、否定ばかりする悪魔のような存在のように感じることになります。

だから彼に許されなきゃとか、もっと頑張って彼の気持ちに寄り添わないと、と感じることになるわけです。

ここでのポイントは「多くの人がパートナーの悪魔になんてなりたくないはず」という部分にあります。

つまり、彼があなたと会うと(無意識的に)「自分がものすごい悪党や悪魔のように感じられる」ので辛くなってしまうことでしょうか。

これは犠牲的な発想がもたらす「Lose-Loseな関係」の典型例なので、恋愛関係をより良くしていくことを考えるならば、あまりオススメの状態とは言えません。

言い換えるならば、恋愛関係においてどちらかが「相手にとって自分はそこまで価値がないのかも」と思うことは、「どちらも負ける関係を作りやすくなる」のです。

 

隠れているのは未だ表現されていない怒りや不満

もちろん「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」と感じるにもなにか事情があるのでしょう。

そう思うこと自体を僕は否定的に見ているわけではありません。そう感じることだってあると思うのです。

が、そのままでいると何故か関係が壊れていく可能性が高まるリスクがあります。

なので、できれば「彼にとって私は・・・」という思いは手放すなり、書き換えておくことをオススメしたいのです。

が、なかなか手放せないという方も少なくないようなんですよね。

その理由の多くは、「未だ表現されていない怒りや不満」が溜まりに溜まっていることなのです。

要は私なりに愛しているのに相手は(私が期待していたほど)受け取ってくれないし、愛してもくれない、という怒りや不満があり、それが「どうせ私は・・・」という引きこもりの形で表現されている、ということなんです。

まぁ怒りや不満があること自体、僕は「そういうときもあるよね」と見ています。

ただ、「どうせ私は・・・」と思えば思うほど、自分から相手に関わること自体が難しくなってしまうし、自分が相手に怒りを向けているというじじつがある以上、その投影の跳ねっ返りとして「相手も私に不満や怒りがあるのでは?」と思いやすくなり、いわば拒絶される恐れも強まります。

この状態で居続けることは「よりよい関係」を目指す上での障害になってしまう、というわけです。

 

「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」はできる限り手放したいところ

もしあなたが恋愛の中でこのような気持ちになったなら、できる限り早い段階で、怒りや不満についての整理や解放を行ったほうがいいと僕は思います。

人に話すだけで整理できることもありますし、「なぜこんなに怒りや不満が湧き出すのだろう」と考えていくことで、自分の気持ちを理解することだってできるでしょう。

また、このような状態には犠牲がつきものなので、自分自身が犠牲的にならず、対等な関係を構築していくためにも「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」という思いは手放しておくことにメリットが出てきます。

が、なかなかそう簡単に消えてくれないのが「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」という思いかもしれませんね。

そんなときはとりあえずこう考えてみてほしいのです。

まず、「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」ではなく、「私にとって彼はとても価値がある存在だ」と思ってみましょう。

この方が「自分が彼のことを好きでいる気持ち」を否定しなくて済むのでまだ楽です。

好きなものは好きでいいのです。しゃーないのです。好きだと思うこと自体に問題なんてありません。

このように自分の気持ちを否定せず、受け容れる方向で物事を考えることも、一時的には有効なことですよ。

また、「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」という考え方は、被害者的な視点から生じるものです。

この状態で居続けると、どうしても自分の価値を認められなくなってしまいます。

だから、ここではあえて主語を入れ替えてみるのです。

「もし私が今の彼に魅力や愛情を感じられなくなっているとしたら」

そもそも被害者的な意識は加害者意識を隠すために登場します。

https://www.asanohisao.jp/archives/2461228.html

被害者・加害者の視点から考えた問題解決の方法今日は被害者意識と加害者意識という視点からの問題解決がテーマ。前回のコラムの続きになりますが、よろしければどうぞ。...

いわば自分の中の怒り、不満、悲しみ、「傷ついている」という気持ちが、未だ癒やされずにいたり、我慢ばかり続けているときに出てくるものでもあるのです。

かつ、どこかで「私が上手に愛せていないから」「魅力がないから」といった自分を責める気持ちが強いときに出てくるものでもあります。(だからこそ、僕は「その辛いお気持ちは僕なりにわかります。が、そんなこたぁねぇよ」とお伝えしていますよね、クライエントの皆様♡)

だからこそ、これ以上自分にダメージを加えない意味でも、一旦「自分が〇〇感じている」と思い直すことで、被害者的、犠牲的な気持ちを立て直すことが可能になります。

そう思うことで「自分が彼のことを理解できていないのではないか」と考えられるようになる場合もありますし、ときには「私の気持ちは理解されない」という辛さを少なからず手放すことができるやもしれません。

もちろん「好きな人のことを好きでいられなくなること」も辛いことですから、「私が彼に魅力を感じられなくなっている」なんて気持ちは否定したいかもしれないですよね。

ただ、そう思うことを避けるために自分の価値を下げても良い結果は出てこないんですよ。

ここはなんとも葛藤するし悩ましいことではあるのですが、僕は基本的に「犠牲をして自分の価値を下げること」と「好きな人を好きでいられなくなること」を天秤にかけるなら、「犠牲」のほうが自分にとってのダメージが深くなると考えています。

「好きな人を好きでいられなくなる辛さ」もかなり厳しいものですが、しかし、まだ「好きでい続けたのは自分だ」と思うことができる可能性は残されていますし、「好きな人を好きでい続けられなかった」としても、また人を好きになることができれば、気持ちの回復が見込めます。(そこに伴う恋心はちょっと横においた考え方ですけどね)

が、「これだけ犠牲しても彼にとって私は・・・」と思ってしまうと、そのダメージは深く、今後の恋愛や結婚生活にまで影響してしまいう可能性も否定できません。

この状態だけは避けるほうがいいだろうと僕は考えるわけですね。

とかく恋愛において被害者的スタンスを取った側は弱くなってしまいます。

そこに「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」という気持ちを持ち込むなら、それこそ痛烈な自己攻撃になってしまうんです。

もしあなたが「彼にとって私はそこまで価値がないのかも」と感じたら、本来はじっくり時間をかけて、今の自分の気持ちと向き合って、丁寧に開放していくプロセスがベストなんです。

が、そうはいえども24時間、365日ずっとカウンセリングやセッションを受けられるわけでもありませんよね。

そんなときは、できる限り自分の尊厳を守り、自分らしさを大事にするような方向で物事を考えてみていただきたいな、と思っています。

そう考えて自分癒やしを進めることが、結果「対等で心地よい恋愛」を実現する鍵になると思いますよ。

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