浅野さん
こんばんは。
半年以上前に別れてしまった彼氏の事を段々と落ち着いて思い出せるようになり(数ヶ月は毎日のように波がが止まらない日々を送っておりました。。)ふと思ったことがあります。
怒らずに黙ってしまったり、自分の主張を言えなかったり、なんでも許してしまうような私の態度は、、こんな言い方しかできないのですが、彼にナメられてたのかなと。
傷つくような事を言われたら怒れば良かったし、誤解なら話し合えば良かったし、浮気してる?と感じた時は落ち着いて不安な気持ちを伝えたりすればよかったし、してほしくない事や嫌なことは言えば良かったと思うようになりました。
つきあっていた時は、いろんな不安や不満がありながらも、彼が正しい、私が間違ってるという感覚がありました。
どこかで、ケジメのない女は男にナメられると聞いたことがありますが、そのような事も含めて、嫌われる事を恐れているうちは本当の信頼は築けないのかなとも思うようになりました。
昔から学校でも職場でも、優しいねとか癒し系などと言われたこともありましたが、自分の中ではただ気が弱くて当たり障りなくふるまってればなんとかなると思ってるような気がします。
どうにかこの性格を変えたいです。
ネタ募集ネーム:パンダさん
パンダさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
では、僕なりの回答をお伝えしたいと思います。
よろしければどうぞ。
なんでも許してしまう人ほど何かしらの罪悪感を感じている
なんでも許してしまう人の心理として挙げられる感情は「罪悪感」です。
僕たちは「自分が悪い・間違っている」など、罪悪感を強く感じていると
「自分から何も言ってはいけない」「言う価値がない」と感じることがありますよ。
それが結果的に「何でも許してしまう」「意見が言えず黙認してしまう」という形になることが少なくありません。
そもそも罪悪感は「自分は罰を受けるべきである」「毒である」という感覚をもたらします。
だから、感情レベルでは
「今の関係を継続させるには自分が罰を受けたほうがいいのだ」
と感じてしまうことにもつながるんです。
もっと複雑なケースでは
「自分の意志をハッキリ表明することが罪(悪いこと)だ」
とさえ感じるんです。
この場合、「自分が悪いと感じる」ゆえに
「相手の言い分が全て正しい」と感じてしまうのです。
つまり、
「何でも許してしまう」という事実を心理的に解釈すると
何でも許しているというより、「何でも自分が間違いだと感じている結果」という可能性が高いのです。
何でも許してしまう自分を変えるには、人との関わりについて考えてみるといいと思いますよ
昔から学校でも職場でも、優しいねとか癒し系などと言われたこともありましたが、自分の中ではただ気が弱くて当たり障りなくふるまってればなんとかなると思ってるような気がします。
ここはきっと率直な思いを書いてくださっているのだと思いますよ。
「ただ気が弱くて当たり障りなくふるまってればなんとかなると思ってるような気がします」という部分が特に、です。
自分を弱いもの、価値のないものとして扱うと責められないのではないか、と考えてしまう方のお気持ち、僕なりに理解できる気がします。
ただ、そんなあなたの気持ちに、もし誰も気づいていなかったとしたら、孤独を感じ続けていたのはあなたなのではないか、とも僕は思いますけどね。
かつ、その自分を周囲の人から気付かれないように隠さないといけなくなるとしたら、更に苦しいですよね。
もしそうだとしたら、きっとあなたはこれ以上大切なものを失わないために「何でも許してしまう」かもしれませんよね。どんな彼であってもこれ以上「私を一人にしない人」を失うわけにはいかない、と思っても不思議ではありませんから。
だから、相手が正しいと思いこんでしまう可能性だってあると思うのです。
ただ、このように自分を弱いものとして扱っていると、一時的には安心感を得ることができるかもしれませんが、継続的に自分の価値を自ら否定してしまう可能性も出てきます。
すると、自分を否定することが更にやめられなくなる場合も出てきますよね。自分に価値を感じていない状態で、自分の意見を述べるってかなり怖いことですからね。
なによりこの状態になると「人の好意や思いやり」などを感じることも難しくなります。だから「思いやりを感じない関係・環境」が当たり前になってしまうのです。
僕たちはどこかで人の温かな気持ちを求めているのですが、自分で自分を否定していると「そんな素晴らしいものが自分に向くわけがない」と感じてしまうことがあるのです。
だから、どこかで「人と人との関わりは厳しいもの、辛いもの、怖いもの、一方的なもの」と思うようにもなります。
人と人が触れ合うことによる温かさ、持ちつ持たれつといった対等さなどを感じることが難しくなる場合もあるんです。
だから更に「何でも相手の言いなりになる・許してしまう」ようになる。それこそ怖れを回避するために必死になるんです。
もう書いていて切ないですけど、でもそういった感情を抱えながら必死に頑張っておられる方と僕は何度もお話をさせていただいた気がしますよ。
*
さて、実はこの「人と人が触れ合うことによる温かさ、持ちつ持たれつといった対等さなどを感じること」が今回の問題を癒やす鍵になると僕は思うのですね。
僕たちの世界では「つながり」「絆」「親密感」と呼ばれている感覚です。
これは罪悪感の対極にあるもので、このような感覚を感じていくことで、まずは「自分が悪い」だとか「一人ぼっちだ」という感覚を弱めていくことができます。
つまり、あなたが信頼できる人との関係で感じる心温かな感情のやり取りやその経験が、心を回復させ、癒やしのプロセスを進める大きな鍵です。
ただ、他人の意見を何でも許してしまうほど、また、人と関わることに怖れを感じている人ほど、なかなか人と関わることに高いハードルを感じてしまう、というパラドックスも存在します。これも怖れの影響ですけどね。
また、罪悪感が強くなっていると「誰かが自分のために関わってくれること自体に申し訳なさを感じる」場合もありますよ。
ただ、そうであったとしても、まずあなたが信頼できる人と、安心できる場所で、自分の気持ちを話したり、触れ合ってみることです。
それは家族でも親友でも仲間でも誰でもいいんですよ。もちろんカウンセラーでも。
そんな少しの勇気が自分を変える一歩になることもありますよ。
自分で自分を信じられなくなった時、今の自分を上手に愛してくれるのは自分以外の誰かだった、なんてケースは少なくありません。
そもそも恋愛・パートナーシップの最も素晴らしい部分はここではないでしょうか。
そのような心がどこかホッと感じるような体験の積み重ねが、怖れを緩和し、怖れが緩和されることで、より自分の気持ちや考え方を冷静に(客観的に)見つめることができるようになります。
ここではじめて「どうしてこんなに罪悪感を感じているんだろう」と考えられると思うんです。いわば、自分の内面的事情にアプローチできるようになると僕は思うのですよ。
逆に、ものすごく怖れ(不安)が強い状態で「どうしてこんなに罪悪感を」と考えると、もう怖すぎて「自分がダメだからだ」と自分を責めて怖れや不安を封じてしまう、なんてことも考えられます。
こうなると悪循環が止まらない場合もあると僕は思うのですね。
*
ただ、それでも「いやー、私は自分で自分を見つめ直していきたい」と思われる方がいるやもしれません。
そのお気持ちも分からなくはない、と僕は感じているので、一応セルフワークといいますか、癒やしの入り口について最後に書いておきますね。
○「今まで何でも許してきた自分」に「しゃーないね」「そうするしかなかったね」と伝えてあげてみてください。
これも自分を理解する一つの方法です。自分にはそうなってしまう事情があったということを、言い訳や慰めではなく、自分を本当に理解するために使ってみてください。
頑張ったのは自分。
その自分が悪いとは限らない。
たしかに自分の行動で自分自身が苦しい思いをしたかもしれません。このパターンを変えることができるのは自分自身だけ、といえばそうです。
それでも、そうせざるを得ない事情はあったはず。
そう思いながら、自分を受け容れ、大切に扱っていくのです。
悩んだり悲しんだり苦しんでいる自分と出会っても、諦めずに自分を受け止めて、理解していくことです。
そして、どうしてこんなにも自分を責めているのか、その理由に気づいて手放していく感じですね。
・・・これ、自分ひとりで行うより、信頼できる人とプロセスを進めたほうが楽そうに思えません?
そもそも罪悪感は手強い感情なので、自分を変えよう・癒そうとすると「無理無理」「いや、自分が悪いんだって」といった声をあなたの中でつぶやくんですな。だからまぁくじけやすい。それが罪悪感の目的、あなたを苦しめるだけ苦しめて、でも罪悪感自体は存在し続ける、というヤツなのですよ。
だから、自分ではない誰かに相談したり、つながることを僕はおすすめしていたりします。
もし誰かとつながるなら、ちゃんと話を聞いてくれる人がいいですね。アドバイスをくれる人よりはちゃんと話を聞いてくれる人。
そういった心のふれあいが癒やしそのものになると思うのですよね。
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