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パートナーを頑張って褒めてもなぜか空振る私
みなさんも「いい男女関係を培いたいならばパートナーを褒めましょう!」なんて言葉を目にしたことがあるかもしれませんね。
しかーし!僕のもとにはこのようなお声もたくさん届いておりまする。
「パートナーにことを褒めているし、感謝も伝えています。
私なりに頑張って伝えているのに、うちの旦那は(彼は、妻は、彼女は)いい反応を返してくれません(T_T)。
まぁ関係が悪くなっているわけではないから問題ではないのかもしれないけど、これじゃなんのために褒めているのかって思っちゃいます。
今までと何も変わらないなら、もう別に褒めなくてもいいし、感謝もそこまで意識して伝えなくてもいいんじゃないか、ぐらい思います。
ただ、褒めなくなったらなったで関係が悪くなりそうで怖いんですよ。
一体私はどうしたらいいんでしょう。
褒めても反応が薄いのは、相手の問題だということはないのでしょうか?」
せっかく頑張ってパートナーを褒めてもいい反応が返ってこないならがっかりしちゃいますよね。
なんだよ!って思っちゃうかもしれないですしねー。
これってケンカした後でこちらから歩み寄ろうとしているのに、相手に突っぱねられたときに感じる「せっかくこっちが歩み寄ろうとしているのになんだよ!」って気持ちに似ているのかもしれないなーと個人的には思っていたりします。
まぁまぁこちらの好意が相手に伝わらない、いわば「空振り」って虚しいし、ついつい嫌な気分がするものですね。
では、パートナーを褒めているのにも関わらずいい反応が返ってこないとき、一体何が起きているのでしょうか。
どのような場合にいい反応が返ってこないのかについて少しまとめて解説してみます。
こちらの承認(褒め)を受け取らないのは相手の問題?
ではまず「褒めても反応が薄いのは、相手の問題だということはないのでしょうか?」という部分から解説していきます。
これに対する僕なりの答えは「そうとも言える」し「そうではないとも言える」って感じです。
いわゆる「恥ずかしがり屋」「自己嫌悪が強いタイプ」「自分しか見えていないタイプ」「やたらめったら自立していればモテるという思い込みを持つ人」の場合、こちらが褒めても反応が薄いかもしれませんよねぇ。
恥ずかしがり屋の場合
恥ずかしがり屋さんは、文字通り「恥」という感情を感じたくないので無反応になるわけでございます。
恥ずかしさを感じることがとにかく苦手なので褒められた瞬間「フリーズ」する感じですね。
「自己嫌悪が強いタイプ」
自己嫌悪が強いタイプは、どこをツツいても自己嫌悪を感じちゃう状態なんです。だから、褒められることを望んでいても、しかし自分の内面では「嫌悪感が刺激されちゃう」わけでしてね。
「どーせそんなこと言ってても、本当は嘘なんでしょ。自分がそう思わないのに他人に褒められても信じられるかってば」なんて自作自演な罠にはまり込んでいるわけでございますね。
自分のことしか見えていないタイプ
普段から自分のことしか見えていない、考えていないタイプは「人の気持ちへの共感」が苦手です。
相手の発言やその意図を解釈することが苦手、といいますか。
だから褒められても、「もし自分が相手を褒めるならこういった状況で褒めるだろう」と考えてしまうわけです。
相手の褒め・好意も、自分独自の解釈で判断してしまう傾向が強いんです。
だからパートナーに褒められても「褒めることの意味」を相手に確かめず(相手の気持ちを見ず)に自分の中だけで考えて、素直に受け取らないってわけですな。
なんとも切ない話ですが、こういった人って少なくないよなーと僕は実感しているところです。
「自立していればモテる」という思い込みを持つ人
このタイプは、人に褒められて喜んだり調子に乗ること=子供っぽい(依存っぽい)、ダサい、モテない、といった観念を持っているタイプです。
まま、「強くクールでいればモテる」という観念がどどんと横たわっているようなイメージです。とかく自立男子の中に存在する都市伝説的観念とも言えそうですけどね。
いわば感情を見せないことがクールだと思いこんでいるとこうなりますけど、それはむしろ人の好意を無にするような印象を与えることが多いんですよ。
もちろん「強くクールな人」を好みとする人もいるでしょうが、僕の視点では「人の好意に対して無反応を決め込む人がモテるとは思えない」わけですなぁ。
そもそも、パートナーを愛してもいつもクールな(反応が薄い)対応ばかりされていて「私愛されているわ」と思える人は稀だと思うのですよねぇ。
褒めてもうまくいかないのは私の問題?
さて、次に「パートナーを褒めてもうまくいかないのは私の問題?」という部分についてですけど、確かに褒める側の問題ってのも存在するんですよ。
まぁ問題と言うかテーマ/課題って感じではあるのですけどね。
よくあるパターンをいくつか列挙してみます。
恥ずかしがりすぎて褒め方が怪しくなっている
要は褒める側が恥ずかしがり屋だった、というケースです。
そもそも恥ずかしがり屋とは「自分からいい影響を与えること」「自分にいい影響を与えてもらうこと」どちらも苦手なんです。
ついつい「いい影響(感情)」から遠ざかっちゃうんですよ。
だから、褒めるときもついつい「カタチ」で褒めていたり、本心から褒めることができずにいる方も少なくないのです。
これでは褒め言葉やその態度にパワーが乗っかりませんから、宙に浮いちゃうんですね。
まぁ僕たちの世界の格言に「褒めるときは相手を殺す気で!」なんて言葉があるぐらい、ちゃんと褒めるなら、それなりの自分の覚悟も必要になっちゃうわけです。
まぁ他人や友達など心理的距離がある人の場合はそこまで覚悟も必要なくしれっと言えてしまうわけですが、特にパートナーや家族など恥を感じやすい対象には、こちらが恥ずかしがっていたり、テクニックだけ用いるといった方法では通じないことも多いんですよ。
ついごまかしちゃうんですよね、自分の気持ちをね。
だから、どこか中途半端に伝わってしまい、相手を「え?褒めてんの?どういう意味なの?」と戸惑わせてしまうこともあるようです。
ここでは「自分の恥ずかしさを超えて、いっちょ人生変えたろう!」ぐらいの思いで褒めることがポイントです。
ただまぁ、恥ずかしがっていたとしても相手には伝わっているとは思いますよ。問題は「こちらの褒めにどれだけの説得力(パワー)があるか」という部分なんですね。
好かれたい気持ちだけで褒めている
このパターンはかなりあるあるですよ。
自分が好かれたいという気持ちが先行してしまい(相手を失いたくないという気持ちも同じ)、まるで相手の気持ちを変えようとするかのごとく褒めてしまうパターンです。
要は相手のことを褒めているようで「相手を褒めている私」ばかり見てしまっているケースと言えます。
いいか悪いか別にして「自分しか見えていない」ってことですね。
だから相手は「本当にこちらのことを考えているの?」と疑ってしまうので、なかなか伝わらないって場合が本当に多いんですよ。
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また、この場合の最大の問題は「実際に相手が喜んでいたとしても、褒めている側がそれを実感できなくなってしまう」ということに尽きます。
相手が「褒め」を受け取っていても、褒めている自分の中では「相手が受け取っていないことになる」という構図。
だから、いくら褒めても、相手が反応していても「全部意味がないこと」だと感じてしまうんです。
このパターンに陥る人は、普段から「自分の気持ちが伝わっていない不安を感じているタイプ」だとも言えます。
もう少し自分のことを認めて、自分の影響力を自覚するほうがいいかもしれませんね。
そうでないとずっと「伝わっていない」という感覚を感じて、自分の不安ばかり見てしまうことになりかねないのです。
褒めを取引材料に使いすぎている
これは「褒め」を目的達成のための材料にのみ使っているケースです。
もちろん「パートナーと幸せになる」が目的になっていること自体問題ではないのかもしれません。
ただ、その目的を達成することが「目的」になってしまうと、「褒め」という手段・方法を使っているという意識が強まってしまうんです。
だから、褒めることに意味が出てきて、褒めることの根っこにある感情、すなわち「愛情」というものを意識できなくなりがちなんです。
すると、次第に「目的を達成したい」という気持ちから褒めまくるので、なんだか褒めても嘘っぽく感じしまうのですよ。
何のために褒めるのか、何故相手と幸せになるのか、を忘れてしまっている人に多いパターンとも言い換えられそうです。
この場合、僕から「何のために、どんな気持ちで褒めようとされてます?」ってツッコミをあえて入れる場合がありますよ。
「あなたのお気持ちは間違っていないですし、幸せになりたいお気持ちも間違いじゃないです。ただ褒めることの目的がズレていないでしょうか」とお伝えするんですね。
どこかで「木を見て森を見ず(どう褒めるかばかり考えすぎて、大きな目的を忘れてしまう)」とならないように、もう一度意識をセンタリングするといい感じですね。
実は自分が分離感満載
分離感とは「自分は人と違いすぎる」という感情・感覚です。
これが強まっていると「自分が褒めること自体が間違い」「褒めても相手は喜ばない」と感じやすくなるんです。
だから、必要以上に強く褒め過ぎたり、逆に弱々しくなってしまうこともあります。
例えば「あなたっていつも頑張ってるよね!・・・そんなような気がするようなしないような、あ、ごめん、私の独り言だから忘れて、ううん、なんでもないの」みたいな。
ま、分離感満載であれ、自分の影響力は消えていませんから「褒めればそこそこ相手に伝わっている」ものですよ。
ただ、自分がちゃんと伝えた気になれないのが問題なんですよねぇ。
なので、このタイプの人に対して「褒めるときは殺す気で!」と僕からお伝えすることはあまりない気がします。
なぜならこれは褒める能力の問題ではないからです。
褒める主体の自分自身への評価の問題なんです。
「どうしてそんなに自分の素晴らしさを過小評価しちゃってるのかなぁ?」という部分にフォーカスしながら、癒やしを進めていくことが多いですね。
ちなみに分離感が強い人は「人に褒められ受け入れられることの価値」を人一倍知っているので、実は褒め上手の才能があると僕は思うんですけどね。
そんなこと書いたら余計にプレッシャーになっちゃいます?(^^;
最後に
ということで、褒めてもいい反応が返ってこないからといって、全てを自分の問題にする必要はないと僕は思います。
ただまぁ多くの「褒めてもうまくいかんぜよ」案件って、お互いが少しづつ課題を持っていることが多いので、100:0の発想を持つのではなく、お互いのことや今の状況をよく知り、まず自分のテーマについて扱うことが王道になりますね。
あと、あえて見つめるべきことがあるとしたら
「どうして褒めても反応を返さない相手を愛そうとしているのか」
ここに本当の「褒めてもうまくいかんぜよ」の理由が隠れていることも少なくないのですが、まぁそれは難しい話なので別件で相談ください(^^;
ちなみによく伺うのは「もはや腐れ縁だから」なんてお声ですけど(^^;
それが本当に理由なら、自分も相手も超切ないってことにならないでしょうか?
え?余計なおせっかい?
いや、その通りですねぇ〜。
では、おせっかいついでに、ものすごく不要なツッコミを入れますよ。
あなたは「どんな切ない思いをしてもパートナーを愛するのよ、私」なんて感覚を愛だと思っていませんか?
愛が伝わらないと切ないのは愛しているからですからツッコミようがないのですが、「どんな切ない思いをしても」と覚悟するのは愛の皮をかぶったホニャララだとお分かりでしょうか。
あーもう、ホント余計な話だな。
まま、そうであっても、何も間違いじゃないんですけどねぇ。
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