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自分を優先することが苦手です、というご相談
私、昔から自分を優先することが苦手なんです。
何でも他人を優先してしまうし、欲しいものも譲ってしまうし、自分の意見も人に合わせてしまうことが多いです。
こんな自分を変えたいのですが、一体どうすればいいでしょうか。
世の中というものは不思議なもので
自分を優先することが得意という人もいれば、自分を優先させることが苦手、という人がいます。
とかくご相談いただくのは「自分を優先させることが苦手」とおっしゃる方。
本当は自分を表現したいし、欲しいものを手に入れたいし(好きな人とか♡)、自分の意見をしっかり主張したいと思うのだけど、それが難しいと感じてしまう。
だから、人によっては「もういいや」と諦めてしまっている場合も。
そこで今日は「自分を優先することが苦手な人の心理」とその処方箋についてコラムにします。
よろしければどうぞ。
自分を優先することが苦手な人の心理
最もメジャーな、自分を優先することが苦手な人の心理は「自分を優先することへの罪悪感」でしょう。
「自分を優先することが苦手な人」って、「なんだか人に申し訳ない」と思うから、自分を引っ込めちゃうことが多いと思うのです。
だから、「自分を優先することに罪悪感を感じている」という状況は間違っていないと僕は思います。
ただ、この罪悪感についてはちょっと検討の余地あり、なんですよね。
一体どうして「人に申し訳ない」と思うのか。
今日はもう少し突っ込んで考えてみたいのです。
一体、誰に申し訳ないと思っているのだろうか?
もし、「自分を優先することが人に申し訳ない」と思うなら、それは一体誰に向けられているものなんでしょうね?
親や家族に「ワガママだ」と言われてきたケース
もしあなたの近しい人が「おめぇ、自分を優先するってワガママで同しようもないやつだ!」といったなら、そう思う気持ちもわからんでもないのです。
例えば、子供の頃にワガママ言うと怒られた。
そんな経験から「親に愛されるために」自分を優先しなくなった、というケースです。
これも大変に辛く切ない話です。親や家族への恨みを持つ場合もあるでしょう。
ただ、理屈として考えるなら、これはまだわかりやすいケースですよ。
この場合は、あなたと衝突した人との関係を見つめ直せば、自分を優先することができるようになりやすいのです。
これは心理的な意味で「親子の関係」を「大人同士の関係へと成長させる」ということが求められているのです。
なんとなく優先できないと感じているケース
ただ、実際カウンセリングの現場でうかがうお悩みは、そのようなケースばかりじゃないのです。
例えば、「私の親は愛してくれたし、友達もいたし」なんて環境の中で、しかし「自分を優先すると申し訳ない」と思うようになった、というお話は非常に多い!
では、誰に対して申し訳ないと思っているのでしょう?
そう。
おそらく「誰」という特定した人物は思いつかないことが多いのではないでしょうか。
つまり、「なんとなく」って場合が少なくないんじゃないでしょうか?
だとすると、この謎を解くためには
罪悪感の一形態である「チリツモ型罪悪感」について考える必要が出てきそうなのですね。
チリツモ型罪悪感の影響を考えてみる
「チリツモ型罪悪感」とは、分かりにくい罪悪感の一形態で
「小さな罪悪感(自分は駄目だな、役に立てなかったな、人の支えになれなかったな)」といった経験を重ねていくうちに、「自分は穢れている、毒だ」と強く思うようになる
そんな罪悪感のことを指します。
つまり、大きな罪や失敗を犯していなくとも、いつの間にか「自分は穢れている、毒だ」と感じるようになるのです。
そうです。
そもそも穢れた毒な自分が「自分を優先する」となると・・・
なんだか人の迷惑にしかならないような気がすると思いませんか?
自分はろくな事をしでかさないとか、ワガママやっちゃって他人に迷惑を掛ける、とか。
だから、人に気を使い、配慮できる「自分を優先することが苦手な人」ほど、自分を優先させることができなくなっちゃうのです。
まぁ実際、自分を優先することが苦手な人って、ワガママに行動する経験が少なすぎて、程度がわからずにやらかしてしまう・・・
そんな傾向がないわけではないのです(^^;
が、そもそもチリツモ型罪悪感の影響で
「自分を優先させるなんて迷惑でしかない」と感じてしまうなら
これは相当切ない話だと思いませんか?
自分を優先することが苦手な人が抱える「強力な怖れ」
そう考えると
自分の気持ちを優先することが苦手な人が抱えている本当の気持ちとは
「自分を優先することで
- 人が悲しい思いをする
- 私が大変な目にあう
- 周囲は確実に怒り文句を言い始める
- 人によっては「迷惑だ!」とブチ切れる
そんな悪意と怖れに満ちた世界の中で生きているという感覚」
だったりするのかもしれません。
少なからず僕はそういった実感をお持ちの方とお話したことがありますよ。
世の中が、他人が強力に怖ろしいと感じているわけです。
これはまさに「チリツモ型罪悪感」がもたらす「投影の世界」なのです。
あまりにチリツモ型罪悪感を抱えてしまったがゆえに
いつのまにか自分を毒のように感じてしまったがゆえに
どんどん人や世間、社会が恐ろしい存在のように感じるようになってしまったという話なのです。
もちろん、その世界は真実ではないんですけどね。
※投影に関する解説は次のページにありますので、ぜひ参考にしてみてくださいませ。
自分を優先することができない人の「深い事情」
さて、もし「自分を優先することができない理由が「チリツモ型罪悪感」の影響なのであれば、そこには「深い事情」が隠れているとも言えるのです。
その「深い事情」とは
「積み重ねた小さな罪悪感(自分はダメだな、役に立てなかったな、人の支えになれなかったな)」
そのものにあります。
もし、自分がダメだ、役に立てない、人の支えになれないと思うなら
それは間違いなく「誰かのことを考え、愛そうとしてきた」証じゃないでしょうか。
しかし、
- 自分が子供だったから能力が備わっていなかった
- 実は親や家族を喜ばせるために無理をしてきた
- 親や家族が辛そうだったからいつも我慢してきた
なんて考えて
「私は誰かのことを考え、愛そうとしてきたけれど、失敗した」
そんな経験がチリツモとなって罪悪感となっているとしたら。
自分を優先することができない人は
「私は誰も愛せない」「大切な人の役に立てない」「誰も助けられない」
そんな自分が悔しくて、許せないままなのでしょう。
だから、いつまでも苦行のように「自分を優先させない生き方」を続け、誰かを愛し、助ける力を身に着けようとしているのかもしれません。
そして、またその気持ち向こう側に
「誰かを愛したい」「支えたい」「助けたい」
という気持ちを抱いたままだのでしょう。
だから、「自分を優先することよりも、誰かのことを愛したい」と思い、「自分を優先することを躊躇ってしまう」のではないでしょうか。
自分を優先できる自分になるためにできること
もし、自分を優先できる自分になるために日常で取り組める方法があるとしたら
- 日頃から、好きなものに触れる
- 好きなことをして生きる
- 自分の思い通りにできる時間を作って過ごしてみる
- 小さなことから人にお願いをする練習をする
- 人に気を使うより、ありがとうと言いながら過ごす
といった行動が有効です。
*
ただですね。
そういった行動ができたとしても
「それでも、職場や新しい環境になると自分を優先できなくなってしまう」
というご相談も非常に多いのです。
そんなときはもう少し自分の内面を見つめ直してみてはいかがでしょう。
自分を許すプロセスから「人を信頼できる自分」へ
僕がよくご提案するプロセスは
- もっと良い自分になろう、傷つかない自分になろうという努力を一旦横において
- 過去の自分の重ねてきた失敗や罪悪感にまつわる体験を見つめ直し
- そこにある「重ねた罪悪感」こそ、自分が愛情を持っていた証だと気づくこと
つまり、本気で自分を許しにかかることをオススメします。
確かに、過去の自分は、まだ子供だったり、実力が足りずに、人を愛し支えることはできずにいたかもしれないけれど
「それでも私は人を愛していた」
そう気づくことが大切なのです。
そして、自分を許すことで人を信頼することができるようになっていきます。
この「私が人を信頼する」という部分が欠け、人を警戒ばかりしていると「自分を優先することが怖い」と感じるわけです。
だから、自分を許していきながら
「この世界には怖れだけではなく、優しさや愛もあるんだな」と感じられること。
例えば
- あぁお父さんやお母さんは私を満たそうとしてくれていたな、ありがとう。
- 友達や同僚の〇〇ちゃんは私のことを気遣ってくれていたよな、嬉しい。
その理解がゆっくりと進むことで、次第に「自分を優先することへの許可が出る」と僕は考えています。
最後に
最後になりますが
自分を優先することができない人って、普段から、控えめで、優しく、思慮深く、人のことを考えられる人が多めですよね?
だから、自分を優先できるようになっても、人のことを考えて与えようとする人が多いようです(^^;
そうであったとしても、チリツモ型罪悪感からではなく、心から人に与える気持ちを持てるなら、自分をもっと好きになることができますからね。
もし、あなたが「誰に許しを求めているわけでもないのに、自分を優先できない」と思われたなら、自分を見つめて許してみてはいかがでしょうか?
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