浅野カウンセラーに質問(ネタ応募)です。
付き合った男性が何もしなくなるというような、ダメンズにしてしまうパターンはよく聞きます。
私のパターンも「ダメンズを作る」というパターンなのでしょうか。
私の付き合う人は皆、ロマンス期に入るとほどなく(半年持ちません)仕事やライフワークに目覚め
転職やダブルワーク、スクーリング、新しい夢や目標など、突然そちらの方向に全力猛ダッシュをし始めます。
その結果、ロマンスモードも薄れてしまったり、会えなくなってさみしい思いをしたりすることになります。
それだけならまだいいのですが、どんどんそちらにのめり込んでいってしまい、戻ってきません。
「僕はこっちの方面で頑張るよ!お互い頑張ろう!」と、楽しそうに目をキラキラさせて去って行ってしまいます。
なので、私と付き合った彼は、私と別れた後に仕事もステップアップし、恋愛もうまくいっているようです。
私は「よかったねー」と思う一方で、いつの頃からか「自分は踏み台」「いずれ去っていく」と諦めるようになってしまいました。
最近はそれに加えて、彼の人生がうまく回り始めると自分から身を引かなきゃいけないように感じてしまいます。
さらには、彼が成功するのを悲しく感じてしまう自分もいて、自己嫌悪に陥っています。
このパターンには何が隠されているのでしょうか。
私は、彼の頑張っている姿を隣で応援したいですし、成功も一緒にお祝いしたいです。
この願いを叶えるヒントをいただければありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ネタ募集ネーム:うさこさん
うさこさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
いや、等のご本人さまとしてはなんとも切ないことだろうなぁ、と思いつつ、とてもいいご質問をいただいたな、と思っているところです。
さて、今回のご質問は
「私の付き合う人は皆、ロマンス期に入るとほどなく(半年持ちません)仕事やライフワークに目覚め転職やダブルワーク、スクーリング、新しい夢や目標など、突然そちらの方向に全力猛ダッシュをしはじめ、戻ってきません。なぜなんでしょうか?」
ということですよね。
まず、うさこさんは「私のパターンも「ダメンズを作る」というパターンなのでしょうか。」とおっしゃってくださっていますので、まずここから。
おそらくこのパターンの場合、うさこさんが「ダメンズ製造機」になっている可能性は極めて低いと思われます。
いわゆるダメンズ製造機とは「愛の皮をかぶった癒着・共依存的な事例」のことなんですよ。
いわば「許しちゃいけない依存を許してしまう」ってところに問題があって、結局のところ「自分の依存を許してほしいので相手の依存を許してしまい、相手がどんどん依存的で何もしない人になっていく」という傾向が見えるわけですね。
自分が依存したい気持ちが残っているので、どうしても相手の依存にNOという態度を取れないのです。
かつ、そもそもパートナーとして「今まで上手に依存できずに傷ついてきた人」を選ぶのですよ。
どこかその人の依存を許しているうちに欲しいものは手に入らないわ、相手にガンガン依存されるわ、自分の気持ちは放っておかれるわ、と、自分の行動でいつの間にか首がしまっちゃうケースなのですね。
もちろん「相手の依存を許すことこそ生きがい」と思うなら、また話は別なのでしょうけども。
もしそのケースだとすれば、おそらく相手は成功しないんです。次の恋愛も結局は自分の依存先を探すわけですから、うまくいく可能性は低いと僕は思えるのです。
つまり、もしあなたが「自分は踏み台」「いずれ去っていく」と思われているならば、おそらく相手を喜ばせるということに関しては成功しているんでしょう。
が、いわゆる「傷ついたヒーラーさん特有の受け取らないパターン」が残っている可能性があるかな、なんて僕は思うのですけどね。
ま、いつもの「受け取らない人」の話なんですけどね。
ということで、本編へ。(今日の話は途中からすごく難しくなっちゃいますが、その点ご了承くださいませm(_ _)m)
パートナー選びの「基準」について考える
さて、もしあなたがパートナーを選ぶとしたら、どんな人を選ぶでしょうか?
願望としては、イケメン、ステータスのある、優しい、包容力がある、気が利く、こちらの気持ちに気づく、友達を大切にする、仕事熱心、などなどいろんな条件が浮かぶかもしれませんね。
まぁいわゆる「こんな人と出会いたい」という話そのものです。
が、実際、そんな願望を持っていても、それをかっちり守って恋愛をしている人は稀です。
なぜなら「自分が相手に求めることを自分自身が実践できているか」というと、意外とそうでもないからです(できている場合もあるんですけどね)。
例えば、「パートナーは仕事熱心で稼ぐ人がいい」と願う人がいたとして、「自分も仕事熱心で稼いでいるから」という場合は「類似性」から選んでいるのです。自分と同じ価値観を持つ人がいい、と願っているわけです。
しかし、自分が稼げないから稼ぐ人がいい、とか、家事が苦手だからそれができる人がいい、などと思っているなら、これは「相補性」から選んでいるということになります。自分にないものを相手に求めているってことですね。
これ、どちらがいい悪いという話ではないのですが、多く「類似性」の観点でパートナーを選んでいる人は、「分かり合いたい」と思っていることが多いですね。自分と一緒の価値観を共有したいのです。
だから、些細なことでも分かり合えないとめっちゃ激しい喧嘩になるリスクも孕んでいたいりするんです。
また、「相補性」の観点でパートナーに対する願望を持つ人は、いわば「支え合いたい・依存したい」と思っているってことです。(それが悪いわけじゃないですよ)だから、投影の法則から「きっと相手も私と同じように私に依存したいに決まってる(私の支えが必要なはず)」と思い込んでいる人も少なくないわけですね。
しかし、相手が自立していて、私を求めてこないことで、ベッコリ凹んでイライラい始めるなんてケースも実際にあります。
*
このように自分のパートナーシップ観というものは、どこまで行っても「今の私基準」なんですよ。
自分の感情のあり方、価値観、観念などのあり方で、いわば理想のパートナー像を見ているのです。
そして、自分の価値観にそぐわないもの、意見、考え方は「それっておかしくない?」と思っているわけです。
つまり、私基準のパートナー観がある限り、「私が求めているものと同じものを相手はきっと求めているだろう」「それ以外は嫌だ」と思い込んでいる事が少なくないのです。
これが今回のご質問を紐解くカギです。
ちなみに自立の人は「相手が求めているものを与えたい」というスタンスでパートナーと関わり、依存の人は「自分にないものを相手からもらいたい」というスタンスでパートナーと関わるのです。
それは普段どのように生きているかというより、パートナーと向き合ったときに自立側に立つか、依存側に立つか、の違いです。
また、自分自身が満たされなかった思いを抱えている度合いだけ、自立のスタンス、依存ののスタンスどちらであっても、「相手には自分の気持ちをわかってもらいたい」と思っているものです。
与えたい人が持つ弱点とはなにか
さて、もしうさこさんの前を風のように通り過ぎていった歴代彼氏陣が、「僕はこっちの方面で頑張るよ!お互い頑張ろう!」と、楽しそうに目をキラキラさせて去っていったという事実を、先に書いた観点で見つめるとどうなるでしょうか。
そう、お気づきですね。
あなたも「私はこっちの方面で頑張るよ!お互い頑張ろう!」といったスタンスで恋愛をしている可能性があるということです。
これは「類似性」の観点からの話ですよ。
少なからず相手はあなたに「お互い同じ価値観を持っているんだから、頑張ろう!」と思っているという可能性があるよね、と僕は思うのです。
もちろん、うさこさんの意識ではなかなかそう思えないと思うんです。できれば愛する人とは価値観を分かちあい、気持ちを共有し、愛したいたいと願うものだから。
そのために愛してきたんだから。
しかし、こう考えているフシってないですか?
「素敵なパートナーシップを持つには、私が大好きな人を徹底的に愛せる私でいなきゃいけない」
特に自立タイプの人はそうです。
だから、「私は愛されるために徹底的に愛せる人になる必要があって、人に依存してはいけない」と思いながら、しかし「パートナーには私の色んな気持ちを受け止めて欲しい」といった矛盾を抱え、しかしそう願っているものなんです。
かつ、ここでの願いの多くは「期待」になっています。
「きっと私の気持ちはわかってくれるはず」という期待ね。
で、鬼のような僕が学ぶ心理学の格言でいう「期待は失望の母」よろしく、「分かってもらえない」という現実に失望してしまうこともありえるのかもしれません。
つまり、与えたい人・愛したい人の弱点とは「私は素晴らしい人間になっていないと愛されることはない」と勝手に思い込んでしまっている部分にあります。
そして、そんな自分になれないから愛し合えないんだと思っているので、更に自立するのです。
その感覚こそ「私基準のパートナーシップ観」になるので、選ぶ相手も「オレは素晴らしい人間になっていないと愛されることはないし、女性は喜ばない」「何もできない自分に価値はない」と思い込んでいる男性になるってことですなー。
ね、こんな人ってどこかに飛んでいきそうでしょ?(^^;
そんな男性をロックマンだの呼ぶ人もいますが、僕の視点ではロックマンではないですよ。ただ純粋に「自分が生きている証として、大切な人をちゃんと喜ばせたい」と思っているような人です。
「自信はないけど君に僕の価値を捧げるから、どうか受け取ってくれ」と言っているような人です。
ただ、多くの人はそんな自信を持って生きているわけじゃないようですよ。だから、自分は人の喜びになっているのか、相手のためになっているのかと不安を抱えながら生きていることが多いものです。
なので「あなたの努力や愛情って素晴らしいものなんだよ」と受け取ってくれる人と出会うと、まるで今までの自分が報われたような気がするってわけですな。
つまり、与える・受け取るのバランスが取れた状態になると、人は超幸せだと感じられるってことなんです。
*
ということで、今回のご質問を僕なりに読ませてもらうと、どう考えても「うさこさんが与えた人・貢献したい人」のように思えてなりません。でなければ、そこまで歴代彼氏陣を癒やすことは難しいでしょうから。
それぐらいあなたは大切な人や物に貢献したい人、ではないでしょうか?
少なくとも、海のものとも山のものともわからない&あなたと実際に向き合わせていただいた経験がない僕ですらそう見えるってことですから、あなたのそばにいた人もそう感じていても不思議ではないと思うのです。
だから、あなたがパートナーを愛し、お支えになることで「僕はもっと貢献するために頑張るよ!」とあなたの元を巣立っていった、ということではないかな、と。
もしあなたがいい人なら、きっとあなたが気持ちをわかり合いたいと思う(類似性で選ぶ)パートナーも「いい人」のはずです。
もしあなたが選ぶパートナーが「そもそも貢献したい人」ならば、きっとあなたに対しても与えたいと思うものでしょう。
与えたい意識が皆無な貢献意識が強い人なんていないですからね(^^;
相手の真意に気づける私になればパートナーシップは超絶うまくいく
私は、彼の頑張っている姿を隣で応援したいですし、成功も一緒にお祝いしたいです。この願いを叶えるヒントをいただければありがたいです。
ということで、ここからはご質問にお答えしたいと思います。
が、かなり無意識的な話になるので、ちょっくら難しい話になるかもしれません。が、このように書かないと僕の真意が伝わらないと思うので、感覚的なことを思いつくままに書きます。
だから途中で何を言ってるんだ?と思われるかもしれません。(すみません(^^;)
もし分からないということなのであれば、焦らず何度も読んでみてくださいませ。
そして、もしここからのテキストがご理解いただけるなら、きっとあなたは今「自分自身に愛し合うことを許す」その扉が開く寸前なのかもしれませんよ。
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ネイティブの文化には、このような教えがあるといいます。
「最も偉大なヒーラーとは苦難を通り抜けて生き延びた人物、もしくはひどく心が傷つく経験をし、それを癒やした経験のある人物である」
そのような人こそ他人に深いヒーリングをもたらすことができる、と言われています。
愛し上手の人というのは、このような人に似ていることがあります。
自分の苦しみ、悲しみ、寂しさ、孤独を通じて相手を理解し、寄り添い、支える人といったイメージです。
それはあなたがその過去の経験を愛に変え、誰かに貢献する素晴らしいプロセスの一つです。
ただ、このような愛し上手な人は、あなただけだと限られているわけではないのです。
私が素晴らしいように、誰かも素晴らしいのです。
これが先に書いた「傷ついたヒーラータイプ」の方が抱えやすい盲点かもしれません。
どこか自分ひとりで人を癒そうと戦っている人はまぁ少なくないかな、と思うのです。特にこの仕事をしているとそう思います。
なぜなら、人を愛し、支えることに自分自身の存在理由を見出しているからです。
しかし、このような他にも同じような人がいる、繋がれる人がいる、という観点で物を見ることができるようになると、このように感じられるのです。
「もし自分を心から大切にしてくれる人がいるならば、その人も自分の失敗や痛みを通じて、自分のことを理解し、愛してくれるはずだ」と。
「同じ痛みを抱え、しかし同じように人を愛し、受け容れている人がいる。仲間がいる。」と。
この視点を持てると、パートナーシップでも、相手を「自分を愛せない人」という意味での罰に使わなくなるのです。
つまり、もしあなたが「自分の気持ち、経験、愛情などを大切な人と分かち合いたい」と思うなら、「相手だって同じなのだ、それぐらい相手には私を愛する気持ちや素晴らしいところがあるのだ」と理解する必要があるといえるのです。
が、僕たちはついつい「自立的な発想」にとらわれてしまい、「自分が愛せばいい」「自分が支えればいい」「それできっとうまくいく」と無意識的に思い込んでいる事が多いのです。
その根っこでは、自分自身の過去で「大切な人を愛せなかった、守れなかった、傷つけてしまった、依存ばかりして人の気持ちを理解していなかった」と思う自分に向けた罰が眠っていることが多いのです。
いわば自己批判が残っているということです。
その自分は自分で訂正して、なんとか処理しなきゃいけない、と思いこんでいるのです。
もしそう思い込んでいるなら、「今の自分は愛する人のそばにいてはいけない」と感じるはずです。
だから無意識的にでも相手の思いや好意を受け取らず、微妙に埋められない距離感を感じたまま関係を続けてしまうのです。
また、もしそう思い込んでいるなら、選ぶ相手は「自分を愛するということに関しては不十分な人」でないと困るのです。
自分ひとりで問題を解決するなら、自分より素晴らしい人がパートナーでは意味がないと感じるからです。
そして、過去の自分へのアンチテーゼを動機にして「大切な人を愛そう」とするのです。
これは無意識的な「補償行為〜埋め合わせの行為〜」であり、それが悪いとはいいませんが、続けるとおそらく喜びのない関係になってしまいます。
そもそも自分への罰が止まっていないからです。
だから「私は相手のそばで喜びたいのに」と思うけれど、それがうまくいかず残念な気分になったり、悲しい気分になってしまうことが続くのです。
*
もし、本当に自分のことを愛して受け容れてくれる人がいるなら、自分が責めている部分ですら愛してくれるはずです。
もし、そのような人をパートナーとして迎え入れる準備ができているならば、おそらくただそばにいるだけで何故か二人はうまくいってしまうのです。
「そんな人はいない、そんなことはありえない!」と思うかもしれませんが、それこそがなかなか気づけない「投影」なんです。
それぐらい気づかないところで自分を責め、罪悪感を感じているから「私を愛してくれる人なんていない」と思いこむのです。そうでないと自分が許されてしまうから罪悪感やエゴは困っちゃうんです。
こんなに自分を罰して孤独に頑張って生きてきたのに!と思うのです。
*
つまり、愛したい人は限界まで愛そうとしているけれど、「受け取る」ということが足りていないのです。
「自分の存在を喜び、愛し、受け容れる人がいる」という観念が、どこかにすっ飛んでいるのです。
だから、愛するという大義名分のもと、人と戦うか、相手に気を使って自分を譲る(犠牲する)のです。
そして、どこかでいつも「願う」のです。
「私の中にある与えたい気持ちを見て、本当の私の姿に気づいて欲しい」と。
「自分はそんなに強くない。一人では生きていけないと思っていることに気づいてほしい。」と。
でも、それは心の奥深くに隠されているので(表面化させてはいけないと思うので)、そのままではなかなか人が理解できないのです。よほどの親密感がないと理解することが難しいのです。
*
だから、もしあなたが互いに喜び合いたいと思うなら、自分を罰するのをやめる視点を持つといいですよ。
ここで自分を見つめ、今までの受け容れ、許すことができたなら。
そして、自分のそばにいる人(パートナー)の気持ち(真意)を理解し、そして相手の愛を上手に受け入れ、自分では愛せない自分をパートナーに愛させることができたなら。
おそらくパートナーシップはかなり強固な絆となるでしょう。
もし、自分を罰していることにも気づいていないなら、自分と向き合ってみるか、自分をよく知る人に聞いてみるといいですよ。
お互いに喜んで相手を受け入れ合う関係を求めるなら、どうしたって自分を癒やし、受け容れるしか他の方法はありません。
もし、自分が自分を罰していれば、きっと相手も「自分を罰するし嫌うだろう」という投影が働いて、疑うしかなくなりますからね。
しかし、自分を受け入れ、実は自分以外にも同じような志を持つ人がいると理解できれば、おのずと「自分の弱さを慈しむパートナー」しか選ばなくなるということなのです。
さぁおいで、と相手を迎え入れることができるんです。(←ここが超重要ポイントね)
そんな自分になることこそが「癒やしをすすめる」ってことです。
自分を受け入れ、人の愛を受け入れることです。
そして、このプロセスは一人では相当に困難なものになるんですよ。
だから僕たちはいつも「誰かの支え」によって支えられ、人生の先輩や愛してくれる人によって「弱い部分、未熟な部分」を許されながら、彼らの視点を学んで「より人を上手に愛する人間」に成長していくのでしょう。
ま、平たく言うと、「自分の弱い部分は人に受け入れてもらってからのほうが受け入れやすい」ってことなんですけど。そんなもんじゃないですか?僕たちってね。
そう考えなきゃ、じゃ、自分を愛する人ってなんのために存在するんだ?ってことになりません?
それでも自分一人で戦いたがるのが自立の人です。
でもその先には、もっと豊かで肩の力を抜いて生きられる世界が広がってるんです。
*
最後になりますが、今回の問題を深いレベルで癒やすカギは「うさこさんのことをいろんなレベルで愛したい人はいる。今のこの現実を前に、そう思える私になれるかどうか」「人の愛を受け入れる準備ができているかどうか」にあります。
うさこさんはどこか人を癒し、元気づける力があるのかもしれません。
だとしたら、あなたと同じような思いを持つ人はあなた以外にもいるはずです。
一度探してみるといいですよ。
自分と同じように人を愛し、癒やしている人と関わってみるといいんです。
そこで競争せず、相手はどのような視点で、どのような感覚で人と向き合っているのかを学んだり、お互いに理解しあってみるといいですよ。
すると、きっと見えてきます。
自分にとってどんなパートナーがふさわしく、お互いに尊敬し合えるのかがね。
きっとあなたの貢献意識は本物です。だとしたら、それ以上の答えを自分で出すのは難しくないですか?
だから、こういったケースでは「同じような視点を持つ人との出会い」がカギのカギになるような気がしますよ、僕は。
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