恋愛の心理学

「好き」と「愛する」の違い 〜愛のスイッチの話again〜

恋愛心理から考える「好き」と「愛する」の違い

先日もとある講座でお話していたことなんですけどね。

恋愛心理から考えてみると「好き」と「愛する」って違う。

そう僕は思っています。

「好き」は、つまるところ「自分にとって価値がある」という意味。

例えば、好きな食べ物、優しい人、穏やかな人、素敵な衣装、落ち着くカフェ、などあくまで自分にとっての価値ですよね。

だから、「自分にとって価値のあるもの」の価値がなくなったとしたら(カフェにいても落ち着けなくなった、トレンドから遅れた衣装など)それはは捨ててしまうこともあると思うんです。

それがいいかどうかって話ではなくて、そういうものではないかな、ということ。

僕の話で恐縮ですが、1年強前にお酒をやめたのも、きっとその一つ。

僕がお酒を嫌いになったわけじゃない(むしろお酒は好きですよ)けれど、でも一緒にいる必要がなくなったっていうとわかりやすいでしょうか。

お酒に依存すると「ないとダメ」になっちゃうわけですよね。お酒が好きで付き合っていると「好きなうちは付き合う」となりますよね。で、飽きるとか今は必要ないと思えば手放すというか距離を置くことになる。

好きって感情は本当に大切な感情に違いない。けれど、好きってことは、そういう変化も起こり得るってことですよね?

 

一方、「愛する(愛している)」は、「相手の幸せを心から願う」という意味。

つまり、愛を相手に届ける、与えるってことです。

だから、愛する人(対象)のことは、相手がたとえ経済的に困窮しても、病気になってしまったとしても、年をとっても、決して捨てないし、愛し続けることになる。

たとえ今は姿が見えない相手であっても愛を届けたい、相手の幸せを願うって感じになる。

そこに喜びがあり、意志がある。

これは僕にとっての家族であり音楽ですね。

お酒と対比という意味で音楽について話すとするならば、音楽はつらい時期に僕を支えてくれたものでもありますけど、心から愛してやまないものです。だから、時代やトレンドが変わっても最先端からかつての楽曲までずっと大切に聞いています。これは好きを超えているものかなと思うのです。

そう。一時期、スキマスイッチさんの「奏」という楽曲が流行りましたけど、この曲もそんな歌詞だったような気がしますよ。

この「好き」と「愛する」の違い。

どちらが良くて悪いという話ではなく、どちらの価値観もありだってこと。ただ、そこに込められた意味、思いの意味は違うよってことがお伝えしたいことなのです。

 

愛することで傷つくと・・・

愛するという経験を通じて傷つくと、ついこう感じてしまうことがあるでしょう。

もう一度愛する対象を失うことで、受け入れがたい感情を感じることが怖いと感じる。

だから、本気出会いすることができなくなってしまうこともあるわけです。

例えばこんな事例がそれにあたります。

・愛することができなくなってしまっているので、今の自分は愛してもらえないのではないか、と感じ続けることになる

・普段は自立しているけれど、恋愛となるととたんに「依存」したくなる(愛するスイッチを押さないようにしている)

・本当は甘えたいけど、甘える気持ちを禁止してしまうので、お願いができない

・距離のある恋愛、関わり合いが薄い恋愛ばかりを続けてしまう

・自分から大切な人を愛することをやめた経験をいつまでも引きずる

これ、本当に辛いことですよね。

自分から好きに離れるけど、愛せない状態になってしまい、この愛せない自分が表面化することを避けるために、いろいろな問題を引き寄せてしまうこともあるんです。

ま、それでも本当は「愛せる」ことには違いないんですけどね。

愛のスイッチがオンになったなら・・・

好きと愛する違い。

これを僕は「愛のスイッチがオンになったかどうか」って表現しています。

そして、自分の中の愛のスイッチがオンになったなら、きっと誰かを「愛する」ということを初めているはず。

意識としては「好きな人のそばにいたい」であっても、気持ちは「愛する」モードになっていることも少なくないはず。

だから、その愛する対象・すなわちパートナーに「代わりはいない」のです。

その代わりはいないパートナーとずっと一緒にいられたなら、こんなに幸せなことはないですよね。

でも、残念なことだけどそのパートナーと別々の道を歩むことになったとしたら。

そのパートナーが忘れられないって気持ちは、生じて当然だと僕は思っています。

愛してくれる人がいないって話じゃないのだから。

自分が心を込めて愛する人がいなくなった、ということなのだから。

それはもうとても辛い経験なのです。

 

たまにこんなお話を伺います。

「好きな人がいなくなってもまた好きな人を作ればいいと頭ではわかっているんです。でもどうしてもそう思えない。気持ちがついていかない。」

そんな状態で、例えばご両親が心配して「結婚しないの?いい人はいないの?」とか言われちゃうと、まじ辛いっすよね〜。

そもそも、この状態を執着とひとくくりに呼ぶことには慎重になりますよ、僕は。

確かに結果的には、過去を手放すことになって、自分のココロが自由になって、幸せになる道を歩まれることを僕も応援したい気持ちでいっぱいです。

その前に、「そこまで気持ちがついていかない、まだその相手のことを気持が追いかけているなら、それはもしかすると本気出会いを届けていたのかもしれませんね」って部分を大切にしてもらいたいな、と思うのです。

自分なりに愛を届けたことの意味をちゃんと受け取れるようになるってことってすごく大切だよな、と思うのです。

 

もちろん自分が本気で愛したのか、それとも好きだった(自分にとって相手は価値ある存在だった)のか。

その違いって明確にわかるわけでも、正確に推し量れるようなものでもありません。

ただ、感覚的に普段はしっかり自分を感じられるし、一人で大丈夫って思えるけど、こと恋愛のこととなると「自分を見失った」ような感覚がするなら、もしかすると、あなたはまだ一度入った愛のスイッチの影響を受けているのかもしれません。

もし相手にもう一度会えるようなことがあるなら、心から愛したい。

でもそれができない、何もさせてもらえない。

そんな辛さがあるなら、ちゃんと自分の気持ちと向き合ってみてもいいかもしれませんね。

ちゃんと「愛する」こと、相手の幸せを願えた私にもう一度戻っていくために。

愛することができないって、愛したい人にとって何より辛いことではないでしょうか。

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