先日は質問に答えて頂きましてありがとうございます。(否定形を使うのが怖いという質問をさせてもらいました)
そして、10/20の罪悪感から別れを選択した彼の話のブログを読ませて頂きました。
そこで質問なのですが、よく平さんは『彼はあなたの顔にバツを付けた』とYou Tube等でおっしゃいます。
その言葉を聞く度に心が痛みます。自分もバツを付けられたのだろうかとしんどくなります。
この【罪悪感から…】の質問者の方のような別れ方の場合もバツを付けられたと言うことになるのですか?
私は全く他人ですが、自分も同じような別れ方をしたので気になるのと、私はバツを付けられたのだろうかと、すごくモヤモヤしております。
よろしくお願いします。
ネタ募集ネーム:ぴつさん
ぴつさん、再びネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
なるほど、弊社代表の平の動画をご覧いただいているんですね。ありがとうございます。
※ブログ読者の皆様への注釈:
ご質問にある「平さん」というのは、カウンセリングサービス&神戸メンタルサービスの代表、つまり、社長でございます。You Tubeでも活動中なんでございますね。
その動画で「あなたと彼が別れた、フラれたということは、彼はあなたの顔にバツを付けた」という表現がなされていたというわけでございますね。
僕もこの表現は昔からよく聞いておりますから知っておりますよ。
そして、ぴつさんが「バツをつけた」という言葉を聴いてしんどくなるというお気持ちは僕なりに理解できる気がします。
ただ、社長の言葉の意味は社長にしか分からない、としか僕は申し上げることができません。僕が社長の言葉について推測で「こういう意味です」と解説することは控えさせていただきたいと思います。
また、ぴつさんが読んでいただいたコラムは別の方からのご質問ですので、その方の事を考えますと、僕からご質問に対する見解をお伝えすることは避けたいと思っております。
ただし、先にも申し上げたように僕も社長から心について学んだ人間で、「彼はあなたの顔にバツをつけた」という言葉を何度も聴いております。
社長から学んだ一人の人間として「その言葉を僕がどう解釈してきたか」という個人的な見解であればお伝えできるかな、と思っています。
ご質問には「モヤモヤする」と書いてくださってあるので、この「バツをつけた」ということについて僕なりの見解を書いてみようと思った次第です。
その点ご理解いただいた上で、今日のコラムをご覧いただけますと幸いです。
バツをつけられたと思えばいい気分はしませんね
フラれた=相手はあなたにバツをつけた。
ただ、そう思うだけならそりゃいい気分なんてしませんね。
好きな人と別れる、もう付き合えないと言われるってやっぱり悲しいことですし、好きな人にバツをつけられたと解釈するなら、そりゃ自分のプライドも傷つきます。
だから、もう傷つけられたくないと思うでしょうし、バツをつけられたと思うことでショックを受ける方がいても不思議ではないと僕も思います。
ただこの話は、相手があなたにバツをつけたという言葉の意味が「あなたと彼が別れたってこと」=「相手はあなたにバツをつけた(否定した)という意味だと断定する」ならば、という前提がある話だと思うのです。
僕は「バツをつけた」という言葉を、常に「否定した」とだけ解釈する人間ではありません。
おそらくこの言葉の解釈の部分が、僕と社長とではなく、僕とぴつさんとで違うのではないか、と感じています。
僕はこの「バツをつけた」という言葉を、否定という意味ではなく「愛せない」という意味で捉えています。
つまり「もう君なんてうんざりだから愛せない!」という分かりやすい拒絶とだけ捉えているわけではなく、例えば、「ごめん、本当に君は素敵だけど僕は愛し続ける自信がないんだ」「こんなに時間がなくて余裕がない僕はきっと君を上手に愛せないと思う」という意味でも解釈できると思っているのです。
人が相手にバツをつけるときとは、相手を否定したり、相手に愛する価値がない、と伝えたいときだと限らないだろう、と僕は考えているのです。
もう自分から与えられない、関係を続けられないというときにも、相手にバツをつけることはあるだろう、と。そのとき、相手はどんな気持ちで「バツをつけるのだろうか」と想像しながらね。
もちろん社長がこのような意味で「バツをつけた」という言葉を使っているかどうかは社長に聞いていただくしかないのですが、長年社長の元で学んでいる僕はこのように解釈していますよ、とだけお伝えしたいと思います。
別れを受け入れることの意味
また僕はこんな事も考えます。
人は、大きな悲しみや受け入れがたい現実と出会うと、その悲しみを引き受けるのではなく、悲しみを引き受けないようにしようとする心の動きによって、なかなか別れの事実を受け入れることができずにいる場合があります。
起きた現実とそこで感じた感情は「受け容れる」ことによって次にすすめるわけですけど(理屈上は)どうしようもなく辛いことが起きたときなどは、いいも悪いもなく「現実を受け止められない」ということが起きるわけです。
それはもう致し方ないことだとも思うのですけどね。
すると、こんなことが起こる場合があります。
例えば、辛い別れを経験したからこそ「あの彼ってたいした男ではなかったんだわ」「私は何も悪くない」と思いたくなることってないでしょうか。
例えば、自分の問題には蓋をして、彼の価値をゼロにするような思いを持つことで、別れの痛み、悲しみ、愛せなかったという苦しみを感じないようにしていると考えられるんですよ。
これは一見すると強がりのように見えます。好きだった人のことを悪くいうなんて、と思う人がいても不思議ではないとも思います。
ただ僕はそうは解釈しないのです。
「それぐらい彼のことが好きだったから、心の中で彼の価値をなかったコトにしないといけないぐらい辛いんだな」と見るのです。
これが僕の見解です。防衛なのだろうな、と見るのです。
ただ、この状態を続けてしまう気持ちは僕なりに理解できるのですが、その結果、本当はいい恋愛をしたいのに「男なんて価値がない」「自分は間違っていない」と思いこむことによって、別れの痛みを延々と抑え込もうとする癖を持ちつづけてしまうことがあるのです。
こうなると、いつまでたっても痛みは癒やされませんから、「男なんて」「自分は間違ってない」という思いがずっと必要になってしまう、というのが理屈上の話ですね。
すると、もし、新しく男性と出会ったとして、その男性に何の罪もなかったとしても、彼の価値を認められなかったり、愛されることを怖がったり、一方的な要求ばかり突きつけて優しい言葉をかけられなかったりなど、恋愛がうまくいかない理由になってしまうことが起こり得るわけですね。
この状態から、もう一度素敵な恋をして相手を信頼するには、「男なんて」「自分は間違ってない」という思いが間違っていると解釈しても何も変わらないと僕は考えるのです。
そもそも、そのような思いを必要とする理由である「別れの痛み」を解放する必要があるのではないか、と僕は考えるわけですね。
ここでお伝えしたいことは、「男には価値がない」と思いこむことがダメやんってことじゃなくて、そう思い込んでしまうことで辛い感情から逃れられるけれど、本当に自分が手に入れたい関係性にたどり着けないということが起こりえますよ、ということです。
感情を受け入れられないから生じる苦しみもあるよ、ってことですね。
自分に起きた出来事をゆっくり受けとめて、そして解放する
だから、人それぞれタイミングをはかる必要があるのかもしれないけど、辛いことかもしれないけど、「あの大好きだった彼と別れた」という事実は謙虚に受け止めることに「意味」があるってことになります。
この恋はうまくいかなかった、彼とずっと愛し合えるわけではなかった、彼に愛されなかった、どんな事情があれど、たしかに彼は私を愛せないと言ったのだ、という事実を受け止める必要も出てくるのです。
その時はたしかに辛いものですよ。言葉では言い尽くせないほど辛いときもあれば、もう仕事が手につかないほど辛いものかもしれません。
ただ、自分のペースでゆっくりと別れを受け入れ、認めることで、例えば「男なんて」とか「自分は間違っていなかった」といった痛み止めのような思いを手放し、本来の自分を取り戻して次に進むことができるようになるのですね。
特に、別れを受け入れることによって、実は恋愛の中でうまくいっていたこと、自分なりに与えていたことなども理解できるようになり、自分をメッタメタに責めなくて済むようになるのです。
なので、着実に、一歩づつ、自分の感情をと向き合うことには意味がある、と考えています。
また僕がよく言う「ハートブレイクを抱え続けている人はハートブレイカー(ハートブレイクを与える人)になる」の法則は見逃せないものです。
自分が痛みを抱え込んでいると、自分の本意ではないにしろ、つい人を傷つけるような言葉を使ったり、相手の考えを一方的に非難ししたり、時には自分の要求ばかり押し付けるようになってしまうことが考えられるのですね。
こうなると幸せな恋愛や人間関係はなかなか持ちにくくなるわけですよね。
そこでもし「幸せな恋愛(人間関係)」を持ちたいと願われる方がいるならば、例えば「過去の別れを完了させましょうか」というお話につながっていくのです。
あなたなりのペースで別れた事実を受け入れて、あなたが彼に伝えたい本当の気持ち(愛情など)を取り戻しましょう。すると、本来の自分に戻れますから、と。
*
このような話も確かに「彼はあなたに愛せないと伝えた(バツをつけた)」という事実として表現することができる話だと僕は思います。
ただ、愛せないと伝えた方も、きっと辛いもの。よっぽど割り切った関係を望んでいない限り、「自分も愛せるものなら愛したかった」と多くの人が思うのではないでしょうか。だから悩むのではないでしょうか。
つまり、別れというのはお互いに、愛せない、という思いを抱えるもので、愛せないと思う側もまた別の人を愛する勇気を持てなくなることもあると思うのです。いわゆる加害者意識によるものですけどね。
そのときに「自分だけが傷ついた(バツをつけられた)」という認識を持ち続け、またバツをつけられることを恐れ続けているとするならば、自分自身は一体どんな状態になるでしょうか。
そう僕はイメージするのです。
そこにあるのはきっと被害者意識です。自分は傷ついた、というね。
でもその被害者意識の多くは「本当は別れた彼をもっと上手に愛したかった」という思いを隠すものなんです。
ただ、別れたのに「もっと上手に愛したかった」と思えばさらに辛いから。
自分の気持ちを伝えられず、最後まで受け取ってもらえないことが何より辛いから。
だから私は間違っていないし、傷ついた側だし、どうして私だけうまくいかないの、という気持ちを(それも辛いけど)思い続けるようになる場合もあると思うのです。
それは「人を愛したいと思う人」が抱える、心の叫びのようなものだ、と僕は思います。
ただ、そう思い続けることで「自分の素晴らしさや愛情は伝わらず、価値もなかった」と自分で認めてしまうことにもつながるのですよ。
だから、もし自分を立て直し素敵な恋愛を手に入れることを考えるなら
一旦「たしかに彼は私を愛せないといった」ということを受け止めて、しかし「私は彼のことを愛していたのだ」「私はうまく愛せなかったのかもしれないけど、しかし彼を心から大切にしようと思っていた」という私を取り戻す必要がある、と僕は考えるのです。
これがハートブレイクからの回復のプロセスで必要なこと、と僕は思うわけですよ。
そのとき、どうしても「彼はあなたにバツをつけた」ということを避けて通ろうとすれば、また自分の素晴らしさと繋がれなくなってしまうことが起きるのです。
あなたの心が痛みから解放され、自由になるために、これから幸せになるために「一旦向き合って手放すべき過去もありますよね」と僕は考えているのです。
*
確かに相手の事情で「あなたにバツをつけた」ということは事実と向き合えば、もやもやするし、辛い気持ちを感じるかもしれない。
その気持ちは僕たちカウンセラーでよければ支えますよ。
ただ「どうか取り戻して欲しい」と願っていることが僕にはあるのです。
それこそが「あなたはあなたとして素晴らしいでしょ」ということなのです。たとえ今はそう思えなくても、です。
だから、バツをつけたという事実の向こうにこそ、あなたの本当の姿があるよ、と僕は解釈しています。
だって、あなたはパートナーをちゃんと愛そうとした人でしょ?と。愛そうとしなきゃ傷つかないでしょ、と。
ここで登場するのがあの名言ですよ。
「諦めたらそこでゲームセットですよ」
この諦めるとは、バツをつけたという事実を諦めて受け入れるという意味より、起きた事実を使って「自分が自分のことを諦める」という意味ですね。
*
繰り返しになりますが、愛する人にバツをつけられて平気な人ってなかなかいないと僕も思いますよ。
ただ、「痛みは優しさに変えられる。人を理解する方法として使える」といいます。
人によっては「私はバツをつけられた。それがこんなに辛いってわかったから、私はちゃんと向き合って愛したいの」と思う人ともいます。
少なくともそういう人を僕は知っております。
あなたが「彼はあなたにバツをつけた」という事実から、何を学び、どんな未来を歩むかはあなた次第です。何が正しくて間違っているという話ではありません。
ただ、もう一度「好きな人を愛したい」と思われるなら、もう一度自分の気持ちや起きた事実と向き合ってみてもいいのかもしれませんね、ということですね。
この話がなにか参考になればいいなと思っています。
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。