ほぼ30代からの”仕事に活かせる”心理学

「言い方がキツいと言われる私が楽に生きていく方法」を考える

言い方がキツいと言われる私が楽に生きていく方法

浅野さん、いつもブログでは深いお話をしてくださり、毎回興味深く拝見しています。ありがとうございます。

いまはコロナ禍で、どこでも話題といえばその話で世の中がなんだか明るくなくて、そして行動を制限されて、窮屈に感じています。

私も、明るく前向きに過ごしていたつもりだったのですが、そんな中であまりにも暇すぎて軽い気持ちで足を踏み入れたSNSの世界が、とても依存的なコミュニティだったようで、、気付けばSNSの通知が1時間で200件、半日で400件。。

最初はそこに付き合っていたのですがさすがに他のことが何もできなくなると気付き、距離を置こうと決めたのですが、通知が止むことはなく、、次第にストレスを感じるようになり、イライラが募っていました。

そして、ある日、職場で私の態度を私より一回り以上年上の50代前後の女性2人から非難されました。

私はこのおばさまたちから見ると、上司に当たります。

間に入ってきた関係のない片方の方に年上に対する口の聞き方かー!なんて言われましたが、間に入っておきながら片方の肩持つっておかしくないですか。

仕事ひと一倍かかえ、おばさまたちのテキトーな仕事を結局私がやり直したり、散々尻ぬぐいをしてきました。

年上の口の聞き方、それを言うなら、上司を尊重するのは社会の常識ではないのでしょうか?納得はいかなかったですが、場を治めるために謝罪をしました。

にも関わらず、丸く治まっていたのに、そのあとに会社の責任者が来た時に、おばさまの一人が話を蒸し返してきて、責任者の前で私の欠点をツラツラと述べるじゃないですか。

さも、親切で私は言ってるのよというような顔で。
とても傷つきました。

もしかしたら私は溜まっていたイライラを噴出させていたのかも知らないし、もちろん改める部分もあると思います。

でもあのやり方はないんじゃないか?と、いまも納得がいっていません。

上司とは、こういうところでも我慢しなければいけないものなのでしょうか?

そして、私は言い方が強い、キツいと、よく仕事の場では言われてきましたが、きっとここは私の欠点だと思います。

今とても生きづらく、自分に自信がなくなりました。私はこれからどのようにしていけば、楽に生きていけると思いますか?

どうかネタにする機会がありましたら、取り上げて頂けると幸いです^_^

ネタ募集ネーム:はるはるさん

はるはるさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

なるほど、なかなかイライラする状況が続いているようですね。大丈夫でしょうか。なんだかやってらんない気分になるのも不思議ではないような状況かもしれませんね。

そんなときは、少しでも自分をいたわり、ゆっくりする時間をとってもらえるといいのかな、と思っています。

さて、今回のご質問の主題は

「私は言い方が強い、キツいと、よく仕事の場では言われてきましたが、きっとここは私の欠点だと思います。
今とても生きづらく、自分に自信がなくなりました。私はこれからどのようにしていけば、楽に生きていけると思いますか?」

ということでいいでしょうか。

いいでしょうか、と書きながら、その話を今から書くのですけどね(笑)

では、よろしければお付き合いください。

「怖い」が言えないといろいろな問題が起きることがある

いきなり本題を書くのもどうかと思うのですが、僕の性分もあってすみません。

今回のご質問には大きくわけて3つの事柄が書いてくださってありますね。

・SNSコミュニティの話
・職場の年上の女性との話
・話し方がきついと言われる話

この3つに共通しているものが、おそらく「怖れ」に対してどう対処するか、の方法にまつわることなのだろうと思うのです。

平たく言えば、ちゃんと「怖いことを怖いと言えていますか?」ということなんですけどね。

人間の感情というものは、我慢するとオバケになる性質があるんですよ。

あるいは、人は意識したものを強化する性質がある、といいますか。

たとえば、イライラを我慢すればするほど、自分の中でどんどん大きくなっているように感じませんか?

その時間違いなく自分自身がイライラを感じていて、イライラを意識していますよね。イライラしないように、もイライラを意識していることになるわけですし。

その結果、イライラがとんでもなく大きな感じになり、うんざりした気分になって、文句の一つも言いたくなったり、物事や人を切り離す、なんてことは日常茶飯事のように起きることです。

ただ、イライラを人にぶつけてもうまくいきませんから、我慢するしかない、と考えて毎日過ごしていると、まぁイライラしっぱなしになってしまうこともあるでしょう。

なによりその自分自身がしんどいんですけどね。

この考え方を用いるならば

・SNSでのことも、たくさんの通知を見て怖れを感じた
・職場でのことも、相手からツメられたこと、味方になってもらえなかったことで怖れを感じた
・その年上の女性も怖れを感じていたが、その表現していないのでその感情が共鳴した
・あなた自身も怖いとは言っていない?のかな?

だから、うんざりした、もう嫌だ〜みたいな状況になった、と考えることができそうです。

今回のコロナ禍のことも、行動の制限の窮屈さも感じますが、その根っこではこれからどうなっちゃうんだろう、という怖れがあるものだと僕は思います。

 

怒りは感情の蓋

人は怖がると「なんだよ!この!」みたいに言いたくなるときがありますね。

例えば、僕の天敵はジェットコースターですけども、もし僕に当て身をして気絶させ、担いでジェットコースターに乗せるような人がいたとしたら、どうなるでしょうか。

「なんだよ!やめてくれよ!めっちゃ怖い〜だよ!」

これが本音です(^^;

ただ、そんな姿かっこ悪くて見せられない(今の僕は平気で見せますけど(笑))と思うなら、

「もう信じらんねー!最低だな。こんなことしてなにが楽しいの?人をだまし討ちして、ビビらせて、なにが楽しいの?めっちゃ性格悪いよ、かっこわるいよ!」

と「おろしてくれー!!!」の代わりに言うかもしれない。

これ、怒りを外に向けている状態なんですけど、内面的には怒りで怖れを感じないようにブロックしているんですね。

怒りは感情の蓋、と僕たちはいいますけど、ここで登場する怒りは、自分の感情をブロックするものでしかないものです。

だから、その怒りばかり使うと、自分のことを理解されない割に自分の株を下げてしまったり、本当は怖がっているのに他人から誤解されたり、ときには警戒されてしまう理由になるので、自分にとってあまりお得じゃありません。

そんな自分を理解してくれる成熟した人もいますけどね。でも、多くの人は見たまんまで判断するので、なかなか自分にとってのデメリットも大きいのです。

また、このような怒りが感情の蓋の役割をしているならば、自分自身も本当に言いたいことが言えているわけではなく、表現したい感情を解放しているわけではないのです。

おそらく、はるはるさんの周りにいる人達も同じなのではないでしょうか。

だから、「年上に対する口の聞き方かー」という言い方になるのでは?と思うのです。

そもそも社会性が求められる場面では「お互いさまという意識」「支え合い」という成熟した考え方、対応が大切なことであって、相手の間違いやミスを指摘することはいいとしても、詰って否定する、つまり相手に罰を与えることが必要なわけではないのです。(子供の躾や教育ではないんですからね)

しかし、そのような経験ばかりしてきた人にとっては、自分のことを理解されず、自分の気持ちもわかってもらえていないわけですから、イライラして相手に詰め寄ってしまいたくなるものなのだろうと思うのです。

また、僕たちはついつい不満やイライラを表現すれば、きっと楽になると信じてやまない部分があるんです。

しかし、誰かに対しての怒りだけ持っていても、自分には愛があるとはなかなか感じられないので、むしろいい気分にならないのです。

とはいえ、だから、怒るな、今の気持ちを我慢してください、大人なんだから理性的になって、とだけ言いたいわけじゃないのですよ。

そりゃそうです、そう感じるんです。だって人間だもの。

溜まった不満や怒りは吐き出せば、その瞬間楽になりますから、一定の意味があります。

ただ、そこで止まってしまうなら、そもそも言いたいことも言えてないし、なぜここまでイライラするのかの理由すら突き止められないので、自分はなにも変わっちゃいない、楽にもなっていないことが多いのです。

なにより、もし自分の思いを上手に表現できていないのだとしたら、なにより自分がしょんぼりしちゃいますよね。

実はこのしょんぼり感、いわば無価値感や無力感ですが、これが元になって「一人で頑張る」「正しさにこだわる」「正しさを頼りにする」といった自分の身の守り方を続けている方もいるでしょう。

もちろん、そうするにもそれなりの事情があるわけですから、だからダメということではありません。

が、何より自分自身が「私はこんなことをするために生まれてきたんじゃありません」と言いたくなるような気分にもなるかもしれません。

これが更に自分のちっぽけ感を演出し、それを感じたくないがために強がったり怒る、なんてことを繰り返すなら、そりゃそれで本当に疲れ果ててしまうものだろうと僕は思うのです。

 

これからどのようにしていけば、楽に生きていけるかの処方箋

もし、自分自身の中にもやもややイライラが続くときや、これからどうしたらいいんだろう?と考えちゃうときは、今感じている気持ち、例えばイライラならそれを否定するのではなく

「そもそも私は普段から自分の気持ちを素直に認めたり、適切に表現できているだろうか」

と考えてみることをオススメしたいのです。

いわば「自分は怒りや不満の下に、どんな感情を感じているのだろうか」と見つめてみること。

これができると自分がスッキリするだけでなく、「人にわかってもらえない」という不満が少なくなり、分かってもらえている感が増していきます。

これは大きなメリットですよ。

そもそも自分でも自覚のない感情って、なんとなくもやっと感覚的に存在するので、自分でうまく表現できない割に、人に分かってもらえないとスッキリしない、というなんとも不思議なものなんですよ。

だから、スッキリしない、ピンとこない、どうしたらいいかわからない、となるんです。

だから、今の自分の気持ちを丁寧に見つめて理解すること、ときにはカウンセリングなどで感情を開放することがとっても有効です。

すると、どんどんスッキリして、どうしたらいいかの答えが自分で出しやすくなります。

こんなことを書くとあれですが、そもそもイライラしていたり、もやっとしているときに「どうすればいいんだろう」と他人に聞いて、その答えをもらっても「ふーん」で終わることって多くないでしょうか(笑)

そっか、そうだね、と思うけど、でもピンとこないことってないでしょうか。

これはそもそも「答えを今欲しているわけではない状態だから」なんです。まだモヤッとしていて、自分の気持ちに整理がついていないから、なにを聞いても「うーん」ってなるんです。

これ、「自分の好きなことがわからない」という人にも共通している心の状態と言えますね。

それぐらい、自分の気持ちに興味を向けてこないでいると(辛くても感情を切って頑張り続けていると)そうなるわけです。

だから、自分の気持ちを、心を丁寧に扱って見つめていくといいんですね。

ちなみに「これからどうしたらいいのだろう?」という問いの答えって、凄くシンプルですよ。

「さて、どうしよっかな」です。

どうするか、と考えて、感じて、次に進む、が答えなんです。

でも、自分自身の気持ちがスッキリしなかったり、否定的に見ていると「どうしよっかと考えてもねぇ・・・」と思うものですよね。

だから、自分の気持ちと向き合うことが自分にメリットをもたらすわけです。

そして今回は怖れがテーマということのように僕は思うので、「怖いときに怖いと言えるかどうか」も大切です。

そもそも怖いときに怖くないと思っても、より怖くなるでしょう?

これが言えないとストレスまみれ、不安まみれになることも少なくないんです。

そもそも怖がりって、何ら悪いことではありません。

たとえ誰かに、ビビっててワロタwwwと言われても、ビビることは人として普通なことなので、何ら問題ありませんよね。

怖いものを怖いと受け入れて向き合う勇気と、怖いものを見ないふりすることは違うんですよね。

だから、自分が怖いときにちゃんと怖いと言えていますか?と僕はよくカウンセリングでもお伝えしているんです。

カウンセリングの中で、怖いって言ってみてください、とお願いすることもあるぐらいです。

これからどうしたらいいか分からなくて、怖い、と。

すると、今まで隠していた感情がフッと湧き出して、涙に変わって、でもスッキリして、という感覚を覚える方も少なくないんですね。

そこからなんです。「さて、どうしよっかな」と素直に思えるのは。

こうなると、どうしたらいい?と考えるより、なにをしようかと考えるので、なかなか毎日が前向きになりますよ。

 

キツイ口調が欠点だと思うるなら、あなたは本当に優しさを知っているんですよね

最後になりますが、もしあなたがキツイ口調が欠点だと感じているならば、あなたは本当に優しくすることの意味を知っている人なんだろうと僕は思いますよ。

でなければ、欠点だと認識することもないのではないでしょうか。

そもそもキツイ口調も個性の一つといえるかもしれません。

が、自分でも望まないのについつい口調がキツくなるのは、今まで頑張りすぎて心が疲れているか、過去の痛みが影響しているか、怖れを感じているけれどそれを我慢し続けているか、そんな場合が多いです。

これはキツイ口調だけでなく、直滑降レベルの上から目線、支配的、コントロール、といったものも同じです。

ただ、そんな自分がなんだかなーと思うなら、あなたはきっと優しさを表現したい人なのだと僕は思いますが、どうでしょう。

そこに、あなたのなんとも素晴らしい部分が存在していないでしょうか?

 

これが心理学の「問題の前提条件」という考え方。

問題は、より良い状態になりたいというサイン。より良い状態になりたくなければ問題にすらしないだろう、ということです。

その視点を使って、ぜひ自分を冷静に、客観的に見つめてみるのもいいかもしれませんね。

そして、もし自分が優しさを表現したいんだ(たとえ全ての人に伝わらなくとも)と思えるなら、そうしてみてください。

すると、自分の中で、本当の自分と今の自分が一致して、すごくいい気分になったり、自分を認めることが簡単になりますからね。

そして、そんな自分になるために必要なことって、テクニックでもなんでもないんです。

たった一つ「自分を表現する勇気」です。

この勇気さえあれば、僕たちはいつでも本当の自分でいられるんですよ。

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