ほぼ30代からの心理学

自分を責めてしまう「自己攻撃」の心理

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カウンセリングの中でよくテーマになる「なにか起きるといつも自分を責めてしまう」ということ。

自分を責めてしまう心理、つまり自己攻撃は、多くの人が持つ感情のあり方でもあるんですよね。

例えば、過去の失敗への後悔や、周囲からの評価への過度なこだわりなどから、自分を責めるような気持ちを持つことがあるわけです。

また、自分を責める必要があるかどうかは検討したほうがいいと思いますが、自分をあえて批判的に見つめることで、自分が改善すべき点を発見できることもあるでしょう。

これが自己の成長につながることもあると思うのです。

ただし、生きづらさを感じていたり、今の自分をさっぱり信頼できない、と感じている方にとってはちょっと別の話になる、という部分が今日の本題。

なにかにつけて自分を責めてしまうと、自分がよくわからなくなる、自分を信頼できなくなる、自分を嫌いだと感じ続けてしまう、なんてことにつながりやすい。

それが生きづらさや対人関係や恋愛、夫婦関係のやりづらさにつながることも少なくないのです。

自己攻撃について

自己攻撃とは、簡単に言うと「自分自身を攻撃すること」を指します。

まるで自分自身に対して、否定的な言葉をかけていたり、罰を与えているような状態を指します。

また、場合によっては、身体的なダメージを自ら加える場合もあります。

自己攻撃の特徴

自己攻撃には以下のような特徴があります。

否定的な自己評価

自分のことを「ダメだ」「価値がない」など、否定的に評価する。

過去の失敗へのこだわり

過去の失敗をいつまでも引きずり、自分を責め続けてしまいます。

完璧主義

何事においても完璧を求め、少しでもミスがあると自己嫌悪に陥り、自分を責めてしまいます。

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周囲の評価への過剰なこだわり

周囲からどう思われているかを過度に気にし、期待に応えられない自分に失望し、そんな自分に価値がないと思い責めてしまいます。

身体への攻撃

無意識のうちに、体に悪いことをしてしまう(暴飲暴食、不眠、自傷行為など)という形で自分を攻撃していることもあります。

自己攻撃から解放されるために 〜その声がもし他人の声だとしたら〜

さて、僕も「なかなか自分を責めたり否定したりすることがやめられない」というご相談をお受けするのです。

その中でつくづく僕が感じる「自己攻撃がなかなか止められない理由」があるのです。

それこそが「自己攻撃の声って、他人の声であることが多い」という部分なんですね。

例えば、結婚に関するご相談の場合

「私、もう30代半ばなのに、まだ結婚できていないんです。周囲の友達は結婚しているのに。」

なんてお声を伺うことがあります。

もし、ご相談者さんにとって「私は愛する人を心から愛したい気持ちがあるのに、それができないことが悔しい」と思うなら、それはその方の愛したいという思いから生じるお気持ちなのだと思うのです。

個人的な気持ちといいますか。

が、「もう30代半ばなのに結婚できていない」ということで自分を責めているとしたら、それって一体誰の声なのでしょう?

多くの場合、世間の声や、親の声などを使っている事が多いはずなんです。

このように多くの自己攻撃の声って「自分ではない誰かの考え、価値観など」であることが少なくないんです。

なかなか気づくことが難しいポイントでもあるのですが、ここに気づくことが、自己攻撃から解放される第一歩になることが少なくないのです。

そもそも「他人の声や価値観が正しく、自分が間違っていると感じている」ならば、どうしたって自分を責めるしかないと思いませんか?

相反するアカウンタビリティという考え方

このような話をさせていただくと、心について学んだ方から

「え、それってアカウンタビリティの概念に反しませんか?」

なんてお声を伺うことがあります。

自己責任・アカウンタビリティとは、一般的には「説明責任」と訳されることが多いですが、私達の心理学では「責任の概念」と言います。

これは「私達に起こることの全ては自分自身が選んだ結果である」という考え方です。

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自己責任・アカウンタビリティ 〜心理学用語を解説します〜自己責任・アカウンタビリティとは? 一般的には「説明責任」と訳されることが多いですが、 私達の心理学では「責任の概念」と言います。 ...

つまり、自己攻撃も自分で選んでやっていることだから、自分の責任なのではないか、という疑問を呈してくださる方がいらっしゃるわけです。

ただ僕はこう考えるのです。

「自分を、他人の声・価値観を使って自分を責めていることに気づくことが、アカウンタビリティ」。

つまり、自分が他人の声で自分を責めているんだから、それが自己責任だ、という話ではなくて、自分が他人の声を使って自分を責めている事実に気づくことがポイントになる、と僕は思うのですよ。

自己攻撃を他人の声だ見極めるメリット

自己攻撃を他人の声だ見極めることができると

「自分のほんとうの気持ち、考え」いわば「自我」を取り戻すことができる、と僕は考えるのです。

ここがものすごく重要な部分なのです。

そもそも僕たちは、親や家族、人や社会から多大な影響を受けて過ごしていますから、他人の声や価値観に影響される部分があって普通なんです。

ただ、他人の声や価値観を根拠に自分を責めているとしたら、そのとき自分は誰かの声や価値観に乗っ取られちゃっているような状態なんですよね。

ここに、責めなくてもいい自分を責め続ける理由が生じることって多いんですよ。

とくに日々生きづらさを感じていたり、自分のことをなかなか肯定できないという思いを抱えておられる方に顕著かもしれません。

また、癒着傾向がある人は、人の感情などと自分心がくっついてしまうことが多いので、人の声や価値観が自分のもののように感じやすい傾向も出てくると思いますよ。

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癒着の心理 〜癒着とはなにか。その手放し方も解説します〜癒着の心理とは 「癒着の心理」とは、私と誰かとの境目がわからなくなってしまい、相手の感じている感情を自分のものと感じていたり、相手を一...

なので、まずは「自己攻撃の声は他人の声」という考え方で、自分の内面から湧き出す声を丁寧に整理することがおすすめだと僕は考えています。

なかなか一人では難しいとお感じなら、カウンセリングなどをご利用になっていただいてもいいと思います。

最後に

最後になりますが

「自己攻撃が他人の声?なに?他人が私に悪さをしたっていうのか」

なんて風に他者を責めたり、批判する気持ちが出てくるなら、それは横においておいてくださいね。

「他人が悪いのではなく、他人の声を使って自己攻撃が起きている状態が辛い」という理解をしていただくほうがいいと思います。

言い方を変えれば、他人の声・価値観を自分を責める材料にしない、ということができるわけで、やみくもに他者と争うことは自分にとってのデメリットになることが多いものですよね。

また、自分自身もあらゆる場面で他人に影響を与えているでしょうから、そのレベルではお互い様って話でもあるんです。

(ただ、幼少期などに親から厳しく批判されただとか、いじめを受けた、など過去の経験で、なかなか他人の声が自分の中で強く響いて悩まれる場合もあるかもしれません。そこにある悲しみた痛みは丁寧に癒やされるべきものだと僕は考えています。)

そして

「もし私が自己攻撃の声から自由になったなら、どんな自分になっているだろうか」

という部分は想像していただきたいな、と思います。

その自分こそ、本来の私らしい私、なのかもしれませんね。

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