ほぼ30代からの”仕事に活かせる”心理学

過大な責任感で生きづらいと悩む理由 〜背負いすぎる責任の裏に隠れた心理〜

責任感で悩む男性

私達が社会の中で生きるうえで責任感を持つことは大切なことですよね。

ただ、日々カウンセリングをさせていただいていると、あまりに大きな責任感を抱えているがゆえに仕事で潰れそうになっていたり、努力している割には自己評価が一向に高まらずにつらい思いをされている方のお話を伺うことがあります。

恋愛や夫婦関係の中では、一度結婚したら絶対に離婚はできない(相手や家族や親が悲しむから)とか。

パートナーからひどい言葉を投げかけられて傷つき苦しんでいるにも関わらず、それでも「相手の辛さ」ばかりに意識が向いて、私が頑張らないと、と考えてしまう人もいます。

そう考えると、適切な責任感は大切なものですが、過大な責任感は心のバランスを崩したり、問題を作る要素となり得るようです。

しかし、なぜ過大な責任感を感じてしまうのでしょうか。

今日のコラムは「責任感が強すぎて生きづらくなる理由」について考えていきます。

過大な責任感を抱えやすい人の特徴

ここでは「責任感がある」というよりも「あまりに責任感が強すぎる人」の特徴を上げていきます。

義務感か強い

責任とは反応し果たすべきことなのですが、それをまるで「義務」として捉える人がいます。

例えば、自分に任された仕事は義務であり絶対に果たすべき、と考えすぎてしまう人。

責任には反応するといいのですが、「絶対に果たすべき」という義務感まで言ってしまうと、これは周囲の価値観で動いている状態とも言えるんですよね。

すると、責任が果たせないことで、強い自責感や周囲への罪悪感を感じてしまうことにもなりますし、責任を果たすべきというプレッシャーも相当なものになってしまいがちです。

人に任せることに強い抵抗感を感じる

過大な責任感を感じている人は、自分が感じている責任の大きさを感じて、すべて自分一人で抱え込みがちです。

自分一人で処理しないと罪悪感を感じて落ち着かないのです。

また、人の手を借りることは、自分が能力不足であるかのように感じる人も少なくありません。

実は「人の手を借りる=能力不足」という観念自体、採用しなくても良い観念なのです。

が、幼少期からこのような(他人の)観念に従い続けていると、つい人の手を借りることと劣等感がくっついてしまうのです。

共感してもらえないという思いが強い

過大な責任感を感じている人は、自分が感じている責任の大きさを共感してもらえる機会が少ないのです。

あまりの心苦しさに人に相談しても「どうしてそんなに責任感を感じているの?」「そこまで重く考えなくていい」と言われる機会が多くなりがち。

すると、「自分の気持ちを誰も分かってくれない」と感じやすくなってしまうのです。

結果、誰にも分かってもらえない悲しみを抱えながらも、一人で責任を背負っていくことになるのです。

過大な責任感を抱える心理的背景

日常生活の中で過大な責任感を抱えて生きることは非常に辛いことです。

では、なぜこのような過大な責任感を感じる人が出てくるのでしょうか。

その心理的背景を探るとき、一般的には完璧主義、失敗を恐れているといった理由が考えられやすいのです。

もちろんそれが間違っているとは思いませんが、更に深く見つめていくと次のようなことが見えてきます。

自分のキャパシティや責任を「終わりがないもの」と捉えている

過大な責任感を感じやすい人は、「自分自身のキャパシティ」「仕事のしかた(時間の使い方)」「反応すべき責任」などを「終わりがないもの」と感じている場合があります。

実際、そんなことはありませんよね。自分の能力も、仕事の仕方、時間の使い方も、責任そのものも「限りがあるもの」のはずなんです。

しかし、何でもかんでも「終わりがない」と感じやすくなる、いわば、内面的な「時間軸の歪み」があるために、責任でも、仕事でも無制限に背負ってしまう傾向があるのです。

が、なかなかこの時間軸の歪みに気付けないことが多いんですね。

だから、自分の能力も無限に使おうとして、休みを取りませんし、自分の限界を超えた責任であっても無理やり果たそうとします。

また、時間の概念も無限になりますから、自分の限界を超えた仕事のやり方を採用してしまいます。

自分でも無理だと思っても断れない、辞めることができない、と言った状態になることも少なくありません。

自分のことがよく分からないと感じている

「自己喪失」といいますが、自分のことがよくわからないと感じている人も過大な責任感を背負うことになる場合が多いです。

自分のことがよく分からない状態になると、自分の価値観や意見、考えなどよりも、他人の価値観や意見、考えに従ってしまいやすくなるのです。

言い方を変えれば「自分が間違っていて、他人のほうが正しい」と感じやすくなるのです。

だからこそ、自分では引き受けられないような過大な責任でも、背負えと言われると断れずに背負わないといけないように感じてしまうのです。

心理的に見ると、「癒着」の影響や、過大なストレスを抱えて心の余裕が無くなっている場合に起きやすいこと、と言えます。

他者の価値観を用いた自己攻撃が続いている

過大な責任感を感じやすい人の内面では、どんなことでも責任を追うべきだと自分を責め続けている傾向があります。

これは一つの自己攻撃を示すのです。

かつ、この自己攻撃は自分で行っているように見えますが、多くは周囲や他者の価値観を用いて自分を責めていることが圧倒的なんですよね。

「本来の自分はこうしたい」とか「こう考えている」という自分の気持ちは横に置かれ、他者や世間のいう「こうすべき」という価値観で自分を責め続けているのです。

だから、どこまで行っても自分の気持ちなどを優先することができず、他者の価値観の中で生き続けてしまうことにもつながるのです。

過大な責任感で生きづらさから卒業する方法

では、どのようにしたら過大な責任感で生きづらさを感じている状態から卒業できるのか、について、ここではその方法を4つご紹介していきますね。

自分を見失っている可能性について理解する

まずは、どこかで自分がいない、自分を見失ってしまっているから、過大な責任感を感じやすくなることがある、と頭の隅にでも理解されておくことがおすすめです。

自分を見失っているとき、僕たちは自分の気持ち、考え、欲求などがよく分からなくなるんです。

例えば、何が食べたいんだっけ?何がしたいんだっけ?どう生きたいんだっけ?と分からなくなる。

だから、どうしても自分の価値観ではなく、他人の価値観の中で過ごしてしまうことが多くなるんですよ。

誰かの価値観の中で行きていることに気づく

同時に、自分を見失っていると「他者の価値観の中で生きる」ことが増えてしまうことも理解してみてほしいのです。

それはいつもどこかで「自分が間違っていて、他者のほうが正しい」と感じ続けているようなものなのです。

自分の人生を生きるための必須条件は「自分(の価値観など)」です。

他人と比較して優劣をつけるのではなく、自分なりの価値観をきちんと認めておくことで「自分」というものが捉えられるのです。

つまり、責任に対しても自分自身として反応ができるようになるのです。

しかし、「自分が間違っていて、他者のほうが正しい」と感じ続けていると、いつまでたっても自分を見失っていることにすら気づかず、自分を見失ったまま生きることにもなりかねないんですよね。

自分の味方でいる意識を強化する

また、普段から「自分が自分の味方でいる」という意識は強化しておくほうがいいと考えられるんです。

自分が自分の味方でいる、とは、

  • 自分を一番に大切に考える。自分に寄り添う。
  • 自分の考え、価値観などを否定する観念に対してきちんと反論することができるようになる

といったことなのです。(自分とは違う価値観を持った人と喧嘩するという話ではありませんよ)

自分の中に存在する「こうすべき、あーすべき」「こうしない自分はだめだ」「こんなこともできないなんて失格だ」といった手厳しい観念に対して、自分がきちんと反論できるようになること。

これによって自分という存在、その軸の部分を守ることができるので、過大な責任感ではなく、自分から主体的に物事に反応できるようになるんですよね。

自分の感情を優先する、大切にする時間を作る

また普段から自分の感情、気持ちのあり方に関して、できれば肯定的に受け止めるように意識してみることもオススメです。

過大な責任感を感じている方ほど、自分の感情を優先する時間が少なくなりやすいのです。

自分のことより、責任に対応する。

これを続けているうちに自分をまるでモノ扱いするようになってしまう方もいます。

そういった意味では、自分の感情、自分を大切にする、自分を満たす時間を作ることも大切なことなんですよね。

最後に

いかがでしたでしょうか。

過大な責任感で生きづらいと悩むあなたの参考になれば幸いです。

また、どうしても一人で取り組みづらい場合はカウンセリングのご利用をご検討くださいね。

あなたが過大な責任感で苦しまず、毎日心を楽に過ごせるよう祈っております。

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