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おせっかいを焼きすぎる恋愛を繰り返してしまう、というご相談
大切な人が悩んでいたり、苦しんでいる様子が見えるとき
こちらから、つい手を差し伸べたくなるのは当然のことだといえますね。
ただ、あまりにおせっかいを焼きすぎることで関係が悪化してしまったり、別れに至ることも十分にありえることなんですね。
例えば
なんてお声を伺うことも実際にあるとかないとか。
そこで今日はなかなか気づけないこともある
「おせっかいを焼きすぎる恋愛」
について考察してみたいと思います。
よろしければどうぞ。
おせっかいという言葉の意味
「おせっかい」とは、出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。また、そういう人や、そのさま、という意味になります。(出典:Goo辞書)
要は、不必要に人の事にたちいること、という意味になるんですね。
心理的には「相手の事情や領域に、相手の同意なく踏み込んでしまっている」という感じです。
おせっかいを焼きすぎる恋愛を繰り返す心理
つまり、おせっかいを焼きすぎる恋愛を繰り返す人の心理とは
それがたとえパートナーのためであったとしても、不必要に相手の領域の問題に手を突っ込もうとする気持ちが強い
と解釈することができそうなんです。
もう少し平たく言えば
- 相手に任せるべき何かを、こちらが背負ってしまう。
- 相手の気持ちや考えを聞く前に、こちらからアドバイスや問題解決策を提供しすぎてしまう。
- 実は相手のためではなく、自分のために相手の悩みや課題を解決しようとしている。
そんな傾向がある、と言えるんですね。
ただ、どこからどこまでが愛で、どこからがおせっかいなのか、に関しては、正直明確な線引をできるものではないと僕は思います。
それこそ相互作用といいますか、お互いの同意や相性の上で成り立つものなのだろう、と考えるんです。
だから、元カレのAくんには「おせっかいだ」と言われたことも、今カレのBくんに示したら「感謝された」なんてことはザラに起きることなんですよね。
もちろんその逆もしかり、ですよね。
おせっかいを焼くのは「自分と向きあえずにいるから」という考え方
さて、ここからは少し耳が痛い話になるかもしれませんが(^^;
「おせっかいを焼くのは自分と向きあえずにいるから」という考え方があります。
少し具体例を示してご紹介したいと思います。
不安からおせっかいを焼きすぎた女性の例
例えば、ずっと恋愛や結婚に憧れを抱いていた女性がいたとしましょう。
その女性は
「もし結婚相手ができたなら、あんなこともこんなこともしてあげたい、たくさん愛してあげて喜んでもらいたい」
と思っていた、とします。
もちろんそれ自体悪いことでもなんでもありませんよね。
むしろそこに純粋さすら僕は感じますよ。
ただ、実際に結婚を意識するような素敵な彼が現れたとき、急に「本当に愛してくれるのかな」と不安になってしまった。
だから、まだ結婚していない段階で、彼に対していろいろお世話を焼くようになっていった。
しかしそんな彼女の態度が彼には窮屈に思えたり、何かにつけ干渉されているように思えて、彼女との関係がつらくなってしまったのです。
父親との葛藤を抱えていたがゆえにおせっかいになりすぎた男性の例
例えば、成功者の父を持った男性がいた、としましょう。
成功者の父の息子である彼は
「お父さんは立派な人だから、あなたも頑張って」
といつも周囲から言われ続けてきた経緯があった、とします。
そんな彼はどこかで「自分は自分でいい」といった基本的自尊感情を感じにくくなっていたのです。
※基本的自尊感情の話は次のコラムに記載がありますので、よろしければご覧ください。
彼は好きな人ができたり、恋愛となると
いつも彼女にプレゼントばかりしたり、彼女の顔色をうかがい相手が辛そうにしていないか、無理をしていないか、すごく気にする男性だったのです。
その彼のやさしさは時に女性の心を癒やすこともあったそう。
しかし、実際は彼の内面に「父との葛藤と比較」が色濃く残っていたのです。
- 父のように強い男になれない自分が嫌だ。
- 人から比較され、勝手な期待をされることは辛いことだ。
- 大切な人からの期待に応えられない自分は嫌だ。
だから、彼はいつも彼女に期待せず、一方的に与える、いわばおせっかいな恋愛関係を構築していたのです。
ここでの問題は
「彼女の気持ちを聞いたり、寄り添っていなかった」という部分。
しかし、彼は全く悪気ないレベルで「おせっかいな恋愛」を繰り返していたのです。
おせっかいを焼きすぎるとしたら、癒やしきれていない感情があるのかもしれない
繰り返しになりますけど
大切な人が悩んでいたり、苦しんでいる様子が見えるとき
こちらから、つい手を差し伸べたくなるのは当然のことだといえますね。
ただ、もしおせっかいを焼きすぎる恋愛を繰り返して別ればかり経験しているなら
そのおせっかいは「自分の事情」から生じている可能性もありそうです。
いわば、癒やしきれていない感情があるのかもしれない、という感じです。
つい、相手のためにと考えていることが
実は自分の内面にある感情や課題から目を背けるためだった。
ただ、これは誰にでも起こり得ることだと僕は思うのですけどね。
おせっかいは補償行為である可能性も否定できない
また、おせっかいさは、ある意味相手への善意で成り立つことも多いので
場合によっては喜ばれることもあると思うんです。
ただ、自分の感情や課題と向き合いたくないから生じている行動は
それがどれだけ素晴らしい行動でも、自分自身が心から「与えてよかった」といった充実感を感じられるものにはならないことが多いんです。
与えてもいつも不安だったり、これで十分だと思えない感覚がつきまとうのです。
いわば、おせっかいを焼く側も辛いし、しんどいなーと感じていることが多いよね、って話です。
これは、僕の学ぶ心理学の中で「補償行為」(埋め合わせの行動)と呼ばれるものです。
※補償行為に関する解説は次のコラムにありますので、よろしければご覧になってください。
ちなみに、実は僕も同じような傾向を示すことがありまして(^^;
ついおせっかいになりすぎてしまうことがあり、そこは自分を見つめ直すきっかけにしています。
いや、結構必死でそこは考えている感じがします・・・。
ただし「おせっかいはいけないこと」という観念は手放しましょう
また、ここで僕がお伝えしたいことは
「おせっかいってのは相手に迷惑なこと」という話ではないんです。
また、自分の事情でおせっかいを焼いてしまうこと自体を非難したいわけでもありません。
そこにもまた事情があり、それは見つめ直して自分の成長につなげることができる要素だと捉えてみることがオススメなんです。
また僕たちには「おせっかいにならないといけない場面」というものも存在します。
いくら相手を尊重しようとしていても、相手が危なっかしい行動や何かを傷つける行動を示すなら、相手の事情に介入せざるを得ない場面も考えられるわけです。
また、他人からおせっかいを焼かれないとうまくいかない物事があるなら、それは自分の課題や未熟さと一旦向き合う必要があるのかもしれません。
めっちゃ悔しいけど、うん・・・(^^;
だから、「おせっかいはいけないこと」と強く判断する必要はありません。
ただ、自分のあり方や、今の恋愛や関係性を見つめ直して
本当に愛し合える関係を目指すきっかけにしていただきたいのです。
もちろんその見つめ直して、より良いす選択を選ぶために、心理カウンセリングもご検討いただければ嬉しいです。
相手を信じる・尊重するというスタンスを取り入れてみよう
もし、おせっかいを焼きすぎてしまう恋愛を繰り返すならば
「相手を信じる・尊重する」
というスタンスを取り入れてみてはいかがでしょうか。
これも一つの愛し方であり、人の支え方です。
確かに恋愛や夫婦関係は相互に支え合う関係です。
ただ、自分が相手に「必要とされたい」という気持ちだけで、おせっかいを焼いてしまうなら
それは相手があなたに合わせているだけ、という可能性も否定できず
その関係はいつかバランスを崩してしまうかもしれません。
また、相手の内面的な事情や人生の課題は
相手が己と向き合って、自分なりの答えを見つけるしか手段がない
という場合も少なくないんです。
時には、忘れてしまった自分の価値や魅力を取り戻しながら
今までの経験や蓄積した知識を活かしながら
時には、自分の弱さや愚かさと向き合いながら
悩んで答えを見つける、ということも大切な心の成長プロセスなんです。
もちろん相手が本当に困りはて、どうしようもない時は手を差し伸べたほうがいい場合もあります。相手のヘルプメッセージを無視する必要はないでしょう。
ただ、いくらパートナーでも、相手の悩みを解決したくてもできない、なんてことは、たくさんありますから。
そんなときは、誰よりもパートナーを愛する人になりながら
「相手を信頼して見守ること」
も一つの方法なのです。
それは「愛し続けること」と言いかえることができるかもしれません。
自分の痛みを癒やすと、愛することが選びやすくなります
また、特に、自分と同じ課題を持ったパートナーとの恋愛や夫婦関係の場合
相手の課題や葛藤を、まるで我が事にように感じることがあるんです。
例えば、会社の対人関係で悩みやすい自分自身がいて。
そばで同じ悩みで苦しむパートナーを見ていると、それだけで苦しくなって、つい手を出したくなることがあるかもしれません。
過去にお金がなくて困った経験をした人のパートナーがお金で困っているとしたら、その理由が浪費であっても、ついお金を与えたくなってしまうかもしれません。
まぁここまで行くと共依存的なのですが、それ以外にも、自分の痛みからおせっかいを焼くことがあるやもしれません。
ただ、このとき
「これは自分の感情の影響だ」
といったように自分で意識できるようになると、相手のことを客観視することも可能になってきます。
なにより、恋愛や結婚生活の中で「対等さ」を感じやすくなり、めちゃくちゃ関係が楽になりますし、お互いの愛情をよく感じられるようになるので、幸せを実感しやすくなります。
もちろんある程度のトレーニング、練習が必要になると思いますが、もしおせっかいを焼きすぎてしまうことでお悩みならば、取り組む価値はあると思います。
ここでもカウンセリングの効果は期待できるだろうと僕は思います。
最後に
いかがでしたでしょうか。
最後になりますが
見守ることは、相手に関心を払わないことでもなく、放っておくことでもないのです。
むしろその逆で、興味関心を持ちながら、ときに祈り、ときに応援し、ともに生きることを選択することだと言えます。
ときには相手がもがいている姿を見て、心を痛めることもあるやもしれません。
その自分の痛みから手を出すのではなく、その痛みを超えて相手を愛そうとすることは、僕たちの心を飛躍的に成長させてくれるプロセスでもあります。
もし、本当に人を愛する、ということにチャレンジしたくなったら、自分自身と少し向き合う時間を作ってみてもいいかもしれませんね。
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