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「最高の私でいられた彼との別れから、誰とお付き合いしても喜べない」というご相談
「彼の前では最高の私でいられる」。
そう思えるパートナーと出会えることはとても幸せなことかもしれませんね。
ただ、悲しいことですけど別れることになるとしたら、それはもう大変に辛いわけですよね。
もちろん別れに至る理由は人それぞれなんだと思うんです。
例えば、既婚者との恋であったり、事故など突然のアクシデントの場合もある。
ときには、お互いの未来を考えて前向きな意味で別れを選択することもあると思うのです。
そして、自分自身でも別れは、今は受け入れがたいものであったとしても。
自分で選んだからには、また前を向いて毎日を過ごそうとされる方もいらっしゃるでしょう。
が、しかし・・・。
別れた彼が素敵すぎた場合もそうですが
別れた彼のそばにいた頃の自分が、自分でも信じられないぐらい「愛に覚醒していた」なんて場合
「もうあんな愛に溢れていて、何でも受け止められる私(彼との恋愛のような関係)にはなれないんじゃないか」
といった失望を感じることもあるようです。
実際、そのようなご相談をいただかないわけでもないですしね。
そんなとき、一体心のなかで何が起きているのか、について少しだけコラムにまとめてみます。
よろしければどうぞ。
「最高の私でいられた」とはどういう状態だったのだろうか
さて。
まずはこの話で登場する「最高の私」とは何を意味するのか、について少し考えていきたいと思うんです。
結論から先に書くと
「自分史上最高にハートが開き、愛する人を受容することができた自分(その状態)」
といった意味合いになることが多いと僕は思います。
そんな、好きな人を受け入れ、心から愛せている自分を経験したにも関わらず
その関係が終わるということは、
「愛する人をここまで受容できたのに、それでも関係が終わってしまった」
という強い失望や悲しみとなることも少なくないんですね。
そして、その失望や悲しみが気持ちの面で整っていない場合に起きることが
「何をしていても楽しくない」「喜びや嬉しさを感じない」「何をしていてもグレーに見える」
といった、喜びや感動を感じない状態だと考えることができます。
もう少し突っ込んで書くならば
未だ未消化な感情などがあるからこそ、恋愛面で(ときには何事においても)前向きな気持を抱けない状態になっている
と考えることもできるんです。
与えることには2つの側面があるといえる
恋愛や夫婦関係においての「与えること」意味には
2つの側面があるといえると僕は考えます。
一つは「物質的に何かを与える」という側面。
もう一つは「相手をそのまま受容する」という側面。
もちろん、どちらが良くてどちらが間違っているという話ではありませんよ。
ただ、物質的に何かを与えることと、相手をそのまま受容することはイコールの関係にあるものではない、と僕は考えます。
要は、相手を受け入れていなくとも、相手のためにご飯は作れる、みたいな話です。
が、相手をそのまま受容できているならば、おのずと物質的に何かを与えている場合が多いです。(そうではない場合もあるけどね(^^;)
それはいわゆる「相手のためならなんだってできる」と思えるような無敵モードとも言えるんですよね。
失ったものは「最高の私でいられたこと」なのかもしれない
この「相手のためならなんだってできると思える自分でいられない」ということは、相当に辛いことなんです。
それぐらい
「自らの意志で相手を深く受け入れていた」という事実が
「強い喪失感」とつながることがあるからです。
ただ、確かに失ったものは彼や彼との関係なのですが
実際に自分自身が失ったと感じているものは
「相手のためならなんだってできると思えた最高の自分だった」
なんてことも少なくありません。
むしろ、そちらのほうが辛いというか
もう二度とあんな自分になれないんじゃないか、と感じることも少なくないようです。
そして
「最高の自分になれたのに、それでもダメだった」
といった深い自分に対する失望も大変に辛いものだと思います。
ただ、全く同じような自分に戻れるかどうかはわかりませんが
また、愛する人に対してハートを開き、相手を受容できる自分になることはできる。
その可能性は十分にあると僕は思います。
が、なかなか自分の中の失望や悲しみを整理できていないうちは、全くそんな気にすらならないことも多いかもしれませんね。
丁寧に失望や悲しみを整える時間こそ、前向きになるために必要なこと
だから、この喪失感は、焦らず、時には丁寧に時間をかけてでも丁寧に整えていただくほうがいいだろうと僕は考えます。
実際、そういったご提案をさせていただくことがないわけじゃないんです。
ただ、一つ注意点があって、できればたった一人だけで向き合わないこと・行わないこと、がいいだろうと思うのです。
その理由は、ここで取り戻していきたい自分は
「なんだって受け入れられると思えたような、愛に覚醒した私とは限らない」
と僕は考えています。
むしろ「取り戻すべきは、なんだって愛せるようになった私」という意識が強くなると
次の恋愛で無理めな人を愛そうとしたり、次のパートナーを無理してでも愛し抜こうといった、補償行為がはじまってしまうまる場合もあるんですね。
※補償行為についての解説は次の記事にありますので、よろしければご覧になってくださいませ。
ここで取り戻し、受け入れるべきは
「愛する人を受け入れられる私を発見したこと」といいますか
「そんな自分であることをただただ実感していくこと」といいますかね。
一度最高の私になれたなら、その私は消えることはない
なかなか言葉がうまく出てきませんが
「最高の私という存在がすでに自分の中に存在している」
そんな今、この時を生きる自分そのものを受け入れていくことなんだろう
と僕は思うのです。
あなたの心はすでに愛することを知っている。
ただ、その事実を受け入れるときに、しかし愛する人との別れで感じた痛み、悲しみ、喪失感も感じることがあると思うのです。
そんな自分の気持ちを丁寧に整えていく時間があってもいいんじゃないか。
僕はそんな事を考えながらサポートさせていただくことが多いです。
だから逆に「またあの最高の自分に戻りたいんです」というお声を伺うと、そのお声の意味も理解しながら
「でも、あなたはもう最高の私を受け入れているんじゃないですか?」
なんて余計なことを言ってしまうこともあるとかないとか・・・。
一度最高の私になれたなら、その私は消えることはない。
でも、今、無理をしてしまうと、最高の私を見失ったり、忘れてしまうこともあると思うのです。
だから、丁寧に自分を扱うことがいいんじゃないかなーと僕は思うのですけど、さていかがでしょうね?
ねぇ。愛に覚醒しちゃったみなさま。
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